47巻レビューを書き終えて 雑感



47巻を書き終えていろいろ思う所があったので書いて見た。(当初予定していたタイトル「恋愛面から見た『ガラスの仮面』」を変更しました)

(1)速水真澄と鷹宮紫織、二人の感情の変遷

さて、速水真澄と鷹宮紫織の関係をもう一度復習しておこう。
速水真澄は北島マヤへの恋を諦めて鷹宮紫織と見合いをする。鷹宮紫織は速水真澄に取って完璧な女性として登場する。
「美しく聡明で優しい」女性。その上、鷹宮会長の孫娘。富と権力に直結した女性。体が弱い保護すべき女性。申し分の無い女性として描かれている。
鷹宮紫織は速水真澄が伴侶として選ぶに相応しい、まさに理想の女性なのだ。

作者は速水真澄から鷹宮紫織を断る理由がない状況に速水真澄を追い込んで行く。
当初、31巻104ページでは、鷹宮紫織に腕を組まれ、生理的嫌悪感を覚えた速水真澄だが、35巻135ページでは嫌いではない相手に変化している。

余談だが、35巻166ページ、水城秘書の「紫織様がお好きなのですか?」の問いに「ああ」と答え、紫のバラはどうするのかと問う水城に対し
「俺の中で紫のバラが枯れることはないだろう」
「あの人(鷹宮紫織)の誠意に努力でむくいたいと思っている……一生」
と答えている。
だが、これが間違いなのだ。女の愛に男が努力で報いる事は出来ないのだ。
もし、鷹宮紫織の愛がエロス(男女の愛)ではなくアガペー(神の愛、無条件愛)であれば、結果はまた違った物だっただろう。

さて、35巻175ページ、速水真澄は鷹宮紫織から結婚の返事を迫られ、紫織が倒れた事もあり結婚の返事をする。
36巻127ページ 速水は梅の里で偶然マヤと出会い、二人で夜空を見上げ話をする。
36巻ラスト付近から37巻の始めにかけての社務所のシーンで速水はマヤと、雨の中一夜を過ごす。翌朝、マヤと別れた速水は諦めた筈のマヤを改めて愛しいと思う。
37巻112ページ 速水邸。速水英介の行方不明により速水は鷹宮紫織に自分は英介という後ろ盾がなければ鷹宮家に相応しい男ではない、自分とのこと(婚約)は思い直してくれていいというが、鷹宮紫織は側を離れないと言って速水真澄を慰める。
この時、二人はとてもいいムードである。鷹宮紫織と速水真澄が親密な関係になった事を暗示させるコマがある。

次に、41巻49ページ。梅の谷で速水真澄と北島マヤは魂の邂逅を果たす。
この時点で私は速水真澄が鷹宮紫織を愛せなくなったのだと思う。
なぜなら、翌朝、鷹宮紫織を一人で東京に返してしまっている。鷹宮紫織へのそっけない態度がこの時から始まったように思う。
しかし、東京に戻った速水は鷹宮紫織との婚約披露パーティをそつなくこなし、梅の谷での魂の邂逅を幻にしてしまって鷹宮紫織との結婚へ向けて邁進する。
邁進するが、それは、例えば、鷹宮家の親族に会ったり、パーティに出たりと言うなれば結婚と言う行事にまつわる作業に邁進しているのだ。
決して鷹宮紫織との仲を親密にする為の努力はしていない。

44巻後半(書籍が電子化されていない為、ページ数不明)パーティの席の途中、速水はビルの窓から星空を見上げる。
都会の空にわずかに輝く星を探す速水に対して鷹宮紫織は次のように答える。
「変わってらっしゃいますのね、真澄様 足元にはこんなに美しい銀河があるのに……」
速水真澄は鷹宮紫織の言葉に淋しさを隠せない。が、表面は鷹宮紫織に「あなたには都会の輝く銀河がお似合いかもしれませんね」と答える。
速水は鷹宮紫織との価値感の差を思い知るが、鷹宮紫織と別れようとは思わない。鷹宮紫織の気持ちに早く応えたいと思うが「鉛を飲んだように心が重い」状態である。

さて、ここから鷹宮紫織の心情について書いておこう。
44巻後半、上記星の話の後、鷹宮紫織は速水真澄に対し、ただ優しくしてくれる速水に不安を抱く。自分と同じように魂の片割れの恋と思ってくれているのだろうかと。
45巻、46巻にて鷹宮紫織は様々な出来事から、とうとう速水真澄が北島マヤの「紫のバラの人」であり、北島マヤを愛していて自分が愛されていないと気が付いてしまう。鷹宮紫織は速水真澄の心から北島マヤを追い出す為に様々な嫌がらせをする。(指輪事件等)

余談だが、鷹宮紫織は自分が速水さんに尽くすなり、速水真澄の気持ちに寄り添う事でマヤより愛されようとするのではなく、ライバルの足を引っ張って速水真澄から愛する対象を無くそうとしているのである。愛する対象がなくなれば、自分が自分自身のまま愛されると思っている。
速水真澄が、星を好きだといえば同じように好きになってみようとは思わない。 自分自身の価値観を相手に合わせようとはしないのだ。
北島マヤがいなくなれば速水真澄が自分を愛するだろうと思っている。 この辺に鷹宮紫織の傲慢さが現れていると思う。

話を元に戻そう。
鷹宮紫織は様々な嫌がらせをして北島マヤを速水真澄の心の中から追い出そうとしたが、総て無駄だった。
北斗プロ襲撃の夜、速水真澄は体を張ってマヤを守る。そして、うわ言でマヤの名前を呼ぶにいたり、鷹宮紫織は速水真澄から北島マヤを「きっと忘れさせてみせる」と決意する。
忘れさせる方法は、速水真澄と性的関係を結ぶ事だった。
鷹宮紫織は速水に行き先を告げずにアストリア号のワンナイトクルーズに招待する。

紫織は港に向う車の中で
「真澄様
 どうか、私をはしたないと思わないで……
 わかっていただきたいの
 私はあなたの婚約者(フィアンセ)……
 あなたとの絆を深めるためなら
 私 どんなことでも……」
と言っているが、その本心は、自分自身の性的魅力で速水真澄の男性部分を刺激して、肉体関係を結ぶ事でマヤを忘れさせようとする物だった。
マヤではなく自分を愛させようとした。
肉体関係で体を愛すると、心を愛した錯覚に陥る事がある。鷹宮紫織はそれを狙ったのだと思う。或は、自分の体に夢中にさせれば北島マヤを忘れさせられると思ったのかもしれない。
また、この台詞から「ガラスの仮面」の世界では、女性の側から性的関係を要求する事を「はしたない」と思う価値観が存在する事がわかる。

速水真澄は、ホテルマネージャーに鷹宮紫織と共に過す部屋に案内されそこで、鷹宮紫織の意図を理解して激しく拒絶する。
(拙作:「速水真澄が鷹宮紫織を拒絶した瞬間」参照)
速水真澄は性的魅力を使って自分に取り入ろうとする女性には嫌悪を持って答えている。(10巻72ページ、13巻24ページ)
鷹宮紫織のやった事は、こういう女性達と同じ事をしたと言っていいと思う。自身の性的魅力を使って速水真澄の愛を獲得しようとしたと言っていいだろう。速水真澄に取って完璧な女性だった鷹宮紫織に初めて傷がついた瞬間である。

ここで、補足だが女性から求められて逃げ出すなんてバージンのようだと言う人もいるが、私は経験があるから船を降りようとしたのだと思う。バージンという事、経験が無いという事は性行為を観念でしか知らないと言う事なのだ。経験があるからこそ、鷹宮紫織が求めた行為をリアルに想像出来たのであり、そのおぞましさに身を翻したのだと思う。
もし、ここで鷹宮紫織が船に乗っていたらどうなっていただろう。
女性の方から求められて、断る男がいるだろうか? ましてや婚約者である。鷹通汽船の船、運転手もお付きの者もみな知っている。鷹宮紫織に恥をかかせるわけには行かない。この状態で、尚、速水真澄が断れただろうか?
断れない、半ば、強制なのだ。それでも速水真澄が言い訳を言うとしたら「あなたの気持ちを嬉しく思う。しかし、やはり結婚までは、僕はあなたを大事にしたい」と言って、鷹宮紫織一人を部屋に残し、自分はデッキで一人酒を飲むのではないかと思う。

また、話が脱線するが、私はもし、速水真澄が北島マヤに出会ってなく冷血漢のまま伴侶を選んだとしたら、もちろん、鷹宮紫織を選んでいただろうと思う。人を人とも思わず、仕事を発展させる道具としてしか他人を見ない速水真澄。コンピュータにかけてでも大都芸能にふさわしい女性を選ぶと言っていた速水真澄。その速水真澄のままだったら、鷹宮紫織を迷いなく選んでいただろう。そして、鷹宮紫織がなびかなかったら、鷹宮紫織に罠を仕掛けるのは速水真澄の方だったかもしれない。
だが、もし、速水真澄が冷血漢のままだったら、鷹宮紫織は速水真澄を選んだだろうか?
つまり、鷹宮紫織は北島マヤを愛する事で人間的な側面を持つようになった速水真澄を愛したのではないだろうか?
だとしたら、何と皮肉な事だろうかと思わずにいられない。


(2)「ガラスの仮面」における性的表現
少年漫画に性的表現が現れたのは、1968年永井豪「ハレンチ学園」と言われている。(Wikpediaより)
ここでいう性的表現とは、裸体や性行為の描写を差す。男女が着衣のまま抱き合う表現はこれに相当しないと考える。
1960年代後半、漫画で育った少年少女は、成長しても漫画を読むようになっていた。
週間「マーガレット」のお姉さん雑誌「セブンティーン」が創刊されたのは1968年。
以来、レディースコミック系雑誌の創刊と、漫画界における性的表現は波はあったが過激への一途を辿る。
1976年から連載の始まった「ガラスの仮面」はジャンルが少女漫画であった事もあり当初、性的表現はなかった。
ドラえもんのしずかちゃんの入浴シーンのようにマヤの入浴シーンが出て来たのが、31巻52ページだ。(これ以前に有ると言う方、ぜひ、どこにあるか教えてほしい。)(31巻発刊1985年8月)

---追記---


読者の方から連絡があった。
24巻89ページ、マヤが姫川亜弓と生活を取り替えた所。マヤの頭と腕が書かれている。(24巻発刊1982年10月)
性的表現としての入浴シーンではないが、入浴シーンなので追記する。


---追記 終--


翻って北島マヤと速水真澄の場合は、36巻ラスト付近から37巻の始めにかけての社務所のシーン(37巻27ページ速水の台詞「俺も男だからな」、32ページのマヤを見る速水の表情)はかなり性的ではあるが、少女漫画の範疇を出る事はない。
また、姫川亜弓の半裸の人魚姫シーン(37巻57ページ)も同様である。
性的表現が端的に描かれたのが、38巻86ページ月影千草と尾崎一連のシーンだ。完全に二人の濡れ場を描いている。
次に、41巻49ページ。速水真澄と北島マヤが宇宙空間で魂の邂逅を果たすシーン。ここでは、速水は裸であり、マヤは薄衣をまとうのみで魂だけの存在になっているとはいえ、二人は裸で抱き合っている。
また、紅天女の台詞にも性的表現が見られる。「いつかめぐりあい陰陽相和してひとつになるとき人は神になる。新たな生命を産むために……」
更に46巻アストリア号で鷹宮紫織が速水真澄を招いたロイヤルスィートルームの『ダブルベッド』。この『ダブルベッド』の二つ並んだ枕もまた、端的に性行為を暗示している。
このように「ガラスの仮面」においても性的表現が増える傾向にある。

(3)「二人きり」を比較
さて、速水真澄と北島マヤ。二人は伊豆の別荘に行く約束をする。その時、マヤは速水と別荘に二人きりになる事、その夜は帰れないと思う。その事実を踏まえた上で伊豆行きを承知している。その前の夜、ロイヤルスィートルームで、速水と二人きりになると思ったマヤは、怯えた表情をする。
マヤの台詞を比較してみよう。

ロイヤルスィートルーム
(ここ…!?
 速水…さん…?
 えっ…?
 速水さんと同じ部屋…?)
部屋に入り、豪華さに歓声を上げるマヤ。
「わ……あ すごい…! あ…!」
速水の存在に気が付くマヤ。
(速水さんとふたりきり…!?
 この部屋で…!?
 速水さん…!)
怯えた表情を浮かべるマヤ。

次にスポーツデッキで速水真澄と相違相愛になったマヤ。
マヤ:「速水さんのそんな大事な所へ あたしなんかが行ってもいいんですか!? (後略)」
速水:「いいのか? おれひとりだぞ」
マヤモノローグ:
(速水さんひとり…!) 
 どきーーーーーん 
(別荘にふたりきり… 満天の星… テラスで… きっとその夜は帰れない…! きっとその夜は…!)
 どきどきどき  (マヤ、手をぎゅっと握りしめる動作、決心を表しているかと思われる)
マヤ:「はい… 速水さん… はい…! あたしもひとりで行きます」
頬を染めながらながらも、明るい表情のマヤ。

マヤは速水真澄を好きだが、だからと言って、むやみに速水との関係を望んでいない。前の晩、ロイヤルスィートルームでは怯えた表情を浮かべている。ところが、相思相愛になった後は、頬を染め、見ようによっては晴れ晴れとした表情のマヤである。

(4)今後の展開
さて、話を元に戻そう。性的表現が増える傾向は何を意味するのだろうか?
月影千草と尾崎一連は一連の死を前に関係を結んでいる。
「ガラスの仮面」の作中、頻度を増している性的表現。
速水真澄と北島マヤ、二人の魂の邂逅を現実世界で行うのだろうか?
魂の片割れ同士が一つになりたいとは、どういう事なのだろうか?
伊豆の別荘での二人の濡れ場を先生は描くつもりなのだろうか?
ここは微妙な所である。
先生は主人公達を頂点に押し上げてから落とす。そして這い上がらせる。この這い上がって行く過程が物凄く面白いのだ。
私は当初、伊豆の別荘でのシーンが描かれるとしたら、それが、二人にとっての頂点だと思っていた。
従って落とすとしたら、伊豆の別荘後だと思っていた。
しかし、もしかしたら、アストリア号で、速水とマヤが相思相愛になったのが、頂点かもしれないと今回レビューを書いていて思うようになった。
という事は、もしかしたら、この後、二人はひたすら、落ちて行くのだろうか? 引き裂かれて行くのだろうか?
引き裂かれ演技が出来なくなったマヤが、這い上がって試演で素晴らしい演技をして紅天女を獲得するのだろうか?
その時、速水真澄はマヤの隣に寄り添っているのだろうか?

今後の展開から目が離せない「ガラスの仮面」である。





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