秘書室の憂鬱



 大都芸能秘書室の水城は、新しく配属された海野良子にほとほと手を焼いていた。そこそこ仕事はできるのだが……、おしゃべりで口が軽いのだ。とても重要な情報を見せるわけにはいかない。社長室付きの秘書室だからこそ、口の軽い女性が配属されては困るのに、何故か配属されてしまった。水城を始め、古株の秘書達が口々に注意をするのだが、うっかり口を滑らせるドジッ子なのだ。水城は何度か注意をした結果、彼女に会議の資料をコピーさせるのをやめた。コピーに失敗すると、シュレッダーにかけなければならない規則なのに、彼女は失敗した紙の裏をFAX用紙として使おうとしていたのだ。また、重役会議の内容を一般社員に漏らしそうになった時は冷や汗が出た。その上、彼女は空気が読めない女の子だった。

今日も今日とて、一言多い海野良子。

「水城さん、結婚されないんですか?」

秘書の水城がお茶室で社長のモーニングコーヒーをいれていると一言。

「だって、水城さんのように素敵な人が結婚されないなんて……」

秘書室でそれは禁句だった。が、空気の読めない海野良子はそんな事には気が付かない。
水城は顔を引きつらせながら

「私? 私はこういう性格だからモテないのよね」

そう言いながらも水城の本音は、

――こんなイイ女を男がほっとくわけないでしょう!

と思っていた。

「えー、水城先輩、素敵ですよー。社長があんなにイケメンですものね。男性を選ぶ眼が厳しくなって当たり前ですよね〜! あ、そのコーヒー、私、持って行きましょうか?」

「まあ、ありがとう。でも、これは私の仕事だから」

「えー、水城さんのようなベテランがお茶汲みなんて駄目ですよー」

「いいのよ。さ、軽口たたいてないで、仕事、仕事。あなたにお願いしていたリストはもう出来たの?」

水城は話をそらしながら盆を持つと社長室に向った。


水城にはわかっていた、新人の彼女が社長にお熱なのは……。

――私に結婚の話をするのも、私に寿退職してほしいから……。お茶汲みなんて駄目ですよって言いながら、本音は自分が社長にコーヒーを出したい……。社長と親しく口を聞きたいからコーヒーを持って行こうとする。社長の目に止まり、あわよくば、社長夫人の座を狙う。一体、何人の若い子が下心を持って秘書室に来た事か……! 

水城はため息をついた。

――わかってないのよ、社長がどんな人間か! 社長の甘いマスクに騙されてやって来た女の子達は皆、去って行くわ……。社長がどんな人間かわかっても社長への忠誠心からここに残るような人間になってほしいのだけど、あの子は無理ね。それにしても、あの子は口が軽いのが最大の欠点だわ。あれではまともな仕事はさせられない。お客様の前でべらべらしゃべられたり、社外秘の内容を大声で話されたりしたら大変だわ。

水城から見ると、欠点だらけの海野良子だが、男達には人気があった。夕方、終業前に海野良子の顔を必ず見に来る営業マンは一人や二人ではない。経理やシステム部の連中もなんやかやと理由をつけて会いに来る。何故、彼女が秘書課に配属されたのか?こういう華やかな子は営業に回した方が使い出があるのにと水城は思った。人事に探りを入れると、やはり、海野が熱心に秘書課を希望したという。すでに三十路を超えた、婚約者のいる社長のどこがいいのかと思うが、水城自身社長以上の男に出会えない為、婚期を逸した身である。若い子が社長目当てに秘書室を希望してもおかしくはないと思った。

――ま、社長の実体を知れば目も醒めるでしょうよ。

大都芸能を率いる速水社長。
会社が利益を上げる為ならどんな事でも実行する。社長なら当たり前の事なのだが、普通の人間であれば、世間体を気にして躊躇するような事も平気でやってしまう。そこが、仕事の鬼と言われる所以である。他人が手塩にかけて育て上げた会社を自社の邪魔になるからと叩き潰し、或は、汚い手を使って乗っ取り、他社の俳優や歌手が人気が出たとわかると、やはり汚い手を使って引き抜く。経営者の家族や、潰れた会社の社員達が路頭に迷おうが、どうなろうが一切関知しない。自分の邪魔になりそうな人間は、弱みを調べ上げ、それとなく脅す。女優や俳優にはアメとムチを使いわけ安い賃金で働かせる。唯一の親友はアメリカに行ったまま、生死は不明。女性には一切興味を持たず、プロの女のみ相手にする。婚約者の鷹宮紫織に鷹宮翁という後ろ盾がなかったら、髪の毛の先程の関心も持たないだろう。

――ただ一人、北島マヤという天才女優を除いては……。
でも、社長は社員を大切にされるわ。自分一人では仕事が出来ないのを知っているから。もちろん、給料に見合う仕事をしている人間だけだけど……。それに……、結局、社長がそうやって頑張ってくれているから、会社は利益を上げ、我々のお給料や将来の仕事が保証されているのよね。
……まあ、そのうち、海野良子も移動を希望してくるでしょうよ。今までもいたわ。社長にあこがれて秘書室に来た子は。そんな子は皆、消えて行ったわ。今残っている秘書達は、社長がいろいろな修羅場をくぐり抜けるのを見て、尚、社長に忠誠を誓って残った人間ばかり。そうでなければ、最重要機密を扱う社長室付きの秘書はやれないわ。


水城は自身の物思いを、社長室のドアの前で振り払った。仕事に意識を集中する。

「失礼します」

いつものように社長室に入り、いつものように社長に挨拶し、いつものようにコーヒーを社長のデスクに置く。そして、いつものようにスケジュールの確認をしようとしたのだが……、その日は違っていた。社長が先に口を開いた。

「水城君、人事に連絡を入れておいた。海野君は来週から営業に行って貰うから」

「社長!」

「なんだ?」

「いえ、あの、何故、そのような?」

速水社長は水城をしげしげと見た。

「君は長年僕と仕事をして来てそんな事もわからないのか? 営業部の効率を上げる為だ。営業部長はあの子をうまく使うだろうからな。で、今日のスケジュールは?」

「あ、はい、本日は……」

水城は、スケジュールの打ち合わせを終え、社長室を出ながら思った。

――営業部の効率を上げる為……。わかっておりますわ、真澄様。秘書課の負担をそれとなく減らして下さったのですね。

大都芸能社長室付き秘書、水城冴子。どこを取ってもその辺の男にひけを取らない能力を持った優れた女性。そして、水城の忠誠心は社長の速水に捧げられていた。冷血漢で朴念仁で仕事虫だろうと、部下の能力を理解しその能力が十分発揮出来るようそれとなくサポートしてくれる社長。これほど良い上司がいるだろうか。

昨日、水城は社長にコーヒーをいれた。
今日も水城は社長にコーヒーをいれた。

――……明日、明日の事はわからないけれど、でも、きっと、私は社長にコーヒーをいれるだろう。社長がビジネスという戦場で戦い続ける限り……。

水城は社長に感謝しつつ社長室を後にした。



後に営業部に所属した海野良子は、営業部のマドンナと部長から祭り上げられ、男性社員の出世レースに利用される事になる。また、彼女の口の軽さは大都芸能の偽情報をライバル会社に流す時、役立つ事になる。


「どんな人間にも使い道がある。使い方を間違えなければ……」

速水は営業部の成績が右肩上がりのグラフを見ながら一人ごちた。







最後まで読んでいただきありがとうございます。
速水さんの社長としての一面を描いてみました。
お楽しみいただけましたでしょうか?
読者の皆様へ 心からの感謝を込めて!




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