迷犬マスミン    第6回切な系バージョン 



「セツさん、他に方法はないのか?」

俺はセツさんに人に戻る方法が他にないか確認した。

「ああ、ないね、むろん、わしが死んだら別じゃがな。わしがかけた一切の魔法が解ける。ただ、どこにどんな魔法をかけたかこの頃思い出せなくなってな」

「それはそれで、何か起きそうで怖いな」

「セツさん、男女の愛ではないとダメなんでしょうか?」

聖が必死に訊ねる。主人の窮地になんとか出来ないかと考えてくれる。ありがたい。

「いいや、親子でもいいよ。母親にキスして貰ってもいいよ。元に戻る筈だ」

「残念ながら、母は死んでいない」

そう、俺を愛してくれた人は皆いなくなった。俺は誰からも愛されない。誰も愛さない。

「あんた、そう落ち込まなくても……。誰かいないのかい」

俺は逡巡した。

「もしかしたら……、一人いる」

「そうかい、だったらいいじゃないか、その人にキスして貰いよ」

「真澄様、それはどなたです?」

「……マヤだ。マヤは『紫のバラの人』に恋をしている。速水真澄ではなく、『紫のバラの人』が犬になって困っていると言えばやってくれるだろう。彼女は俺の声も聞こえていたし……、ただ、紫織さんと同じで恋に恋しているだけだったら、ダメかもしれんが……」

水城がはっとして口をはさんだ。秘書殿に隠し事は無理のようだ。

「真澄様、まさか、休暇というのは? マヤちゃんと過されたのですか?」

「ああ、そうだ」

「……、マヤちゃんが『紫のバラの人』に恋をしているというのは初耳ですが、もし、そうなら、彼女なら信頼出来ます。犬から人に戻っても見ないでくれといえば、約束を守るでしょう」

「ああ、そうだな、試してみるか……、もし、ダメだったら……、その時は別の方法を考えよう」

俺達は更に手順を話し合い、明日、マヤにあの一軒家に来て貰う事にした。


翌日、俺は会社を休んだ。水城君が俺が休んだ適当な理由を周りに説明している筈だ。
俺は一日、一軒家でぼんやりと過した。
何も考えずに一日過す。これはこれでいい休暇かもしれない。
夕方、雨が降り出した。また、雨だ。土砂降りの雨だ。


雨の中、聖がマヤを連れて来てくれた。セツさんも一緒だ。セツさんはマヤに事情を説明するのを手伝ってくれたのだろう。
複雑な想いだ。俺はマヤを愛している。しかし、マヤは俺の作り出した幻影に恋をしている。
マヤ、ああ、マヤ! 君が俺を愛してくれたら……!
いや、せめて、せめて……、憎まないでくれたら……!
俺は居間の真ん中でマヤを待った。マヤが俺を見て複雑そうな表情を浮かべる。
俺はマヤの視線を受け止められずにふいっと横を向いた。

「聖さん、本当に、本当にマスミンが『紫のバラの人』なんですか? あたし、まだ、信じられない。でも、聖さんが大切な『紫のバラの人』を使ってあたしをからかうわけないし……」

「お気持ちはわかります。私も目の前で見なければ信じられなかったでしょう。どうか、信じて下さい」

「でも、あたしがキスしても、元に戻らないかもしれません。それより、奥さんとか恋人とか、ご家族の方とか、こ……、婚約者の方とかに……」

「主人は家庭的に恵まれておりません。どうか、お願いです。マヤ様。こんな形で主にお気持ちを告白されるのは不本意でしょう。でも大丈夫です。あの方は……」

「わん!」

聖、それ以上、言うな。

「失礼しました」

マヤがハッとした顔をして俺を見ている。まさか、今のが聞こえたのか?

「……マヤ様、それでは、目隠しをさせていただきます」

聖が目隠しをマヤの目に巻こうとする。

「あの、あたし、自分でします。大丈夫です。それと、耳栓。出来たら粘土があればいいんですけど、何か耳栓のかわりになる物が……」

聖がティッシュッペーパーを差し出した。マヤは目隠しをしてティッシュをまるめて耳に詰めた。
夏の別荘を思い出す。あの時もマヤは目隠しをして耳に詰め物をしていた。
マヤは手を前に出して俺の姿を探す。聖がそっと、腕を掴んで俺の前に座らせた。
マヤの手が俺の首のあたりに触れる。愛しそうに撫でてくれた。

「『紫のバラの人』、あの、一つお願いがあります。人間に戻ったら、『紫のバラの人』に戻ったら、そしたら、お願いです、あたしにキスして下さい。人として……」

マヤ! いいのか? 大体、「紫のバラの人」がどんな人間なのかわからないんだぞ、それなのに……。
マヤの手が俺の顔を探しあてる。マヤはまだ迷っているようだった。自分の愛をこんな形で試されるのだ。マヤはさぞ辛いだろう。
それでも、俺が困っているのを救おうとしてくれる。
マヤ! 君はなんて子なんだ。
マヤがそっと、そおっと俺の額にキスしてくれた。同時に俺を夢中で抱きしめる。まるで痛みを分かち合うかのように……。
う!来た!うわああーーー。衝撃が俺を襲った。

「きゃあ!」

マヤが衝撃にはねとばされた。「マヤ様!」聖の声が聞こえる。
この衝撃。いや、大丈夫だ。以前ほど、ひどくない。
全身の骨格がのび、毛が抜け落ちる。
うわああああ!

俺は人間に戻っていた。俺は側に用意しておいた着替えを手早く身につけた。

「あの、『紫のバラの人』! 大丈夫ですか?」

「マヤさん、ありがとうございます。大丈夫、元に戻りましたよ」

マヤが手を前に出し、俺を探し求める。

「あの、あの、『紫のバラの人』、あたし、あたし……、あなたに御礼がいいたかった。あなたのおかげです。あたしがここまで来れたのは。あたし、試演がんばります。見ていて下さい! あの……、もう、あたしの気持ちはわかっていらっしゃるでしょう。あなたが好きなんです。どうか、お願い……」

俺は、マヤを抱き締めた。無言のまま、マヤの額に口付けをした。唇を奪うわけにはいかない。
マヤの手が伸びて……。な、何をする! マヤ! マヤが……。マヤのキス。マヤの暖かな唇。だめだ、マヤ、いけない! 

「ごめんなさい、一度でいい、あなたにキスしたかった」

マヤが泣いている。すまないマヤ。俺はマヤの手を取った。手のひらに文字を書く。

 あ・な・た・の・き・も・ち、う・れ・し・か・っ・た

「あたし、あたし、きっとあなたをずっと好き、ずっと好きだから」

聖がマヤの手を取った。マヤの目隠しの下から涙がぼろぼろと流れ落ちて行く。

「さ、マヤ様」

だがマヤは動こうとしない。

「お願い、名前を聞かせて! お願い」

「いけません、マヤ様」

聖が半ば強引に居間から連れ出す。閉じられたドア。ドアの外からマヤの叫ぶ声が聞こえる。

「お願い! 紫のバラの人! 名前を言って!」

俺は一人立ち尽くしていた。




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セツさんが残ってお茶をいれてくれた。

「あんた、あの子が好きなんだろう。どうして名乗らないんだい」

「……、俺は……、あの子にひどい事をした。あの子の母親は俺が殺した。直接手をくだしたわけじゃないが、殺したも同然なんだ……。その俺があの子の恩人だったと知ったらあの子は、もっと、俺を憎むだろう」

「あの子は、あんたを『紫のバラの人』と呼んでた。察する所、あんたがずっと影から支えていたんだね、あの子を……」

「ああ、そうだ。あの子が芝居が出来るようにずっと支えてきた」

「わしが不思議に思うのはね。あの子がキスをしたらあんたが人間に戻った事だよ。言ったろ。真実愛している人間がキスをしたら戻るって!」

「ああ、だから、マヤは『紫のバラの人』を愛しているんだ」

「くくくく」

「何がおかしい」

「いや、だってさ、あんたが『紫のバラの人』だろうと、速水真澄だろうとどっちでもいいんだよ。真実愛するっていうのはね、その人の魂を愛する事さ。そうでなければ、元にもどらないんだよ」

「どういう事だ?」

「わからない人だね、あの子はあんたの魂を愛しているんだよ」

「!」

「打ち明けてご覧。あんたの気持ちを。あの子はきっとあんた自身を愛しているね」

「……? じゃあ、マヤは……」

「ああ、『紫のバラの人』があんただって知ってるんだよ」

「!」

そんな馬鹿な!
俺が「紫のバラの人」だと知ったらマヤはきっと、俺をもっと憎む筈だ。何か魂胆があって俺がマヤを援助していたと思うだろう。
そうとも!
彼女が俺を愛しているなんて!
信じられない!
俺は飛び出していた!土砂降りの雨の中。
マヤ!
どうやって、二人を追いかけたのか!
俺は何も考えずに走っていた。

「……や……み……さ……ん!」

え? あれは?
遠くから声が聞こえる。雨音に混じって。

「は……や……み……さ……ん!」

マヤだ! マヤの声だ! 一体、どこから!
遠くからマヤが走ってくるのが見えた。俺も走った。
ああ、マヤ! マヤ! 君は!

「マヤ!」

「速水さん!」

マヤが胸の中に飛び込んで来た。

「速水さん、速水さん! あたし!……」

マヤは泣き出していた。

「ああ、俺もだ、マヤ」

俺はマヤをしっかりと抱き締めていた。これ以上の幸福があるだろうか! マヤ!
降りしきる雨の中、俺達は口付けを交わした。


エピローグ


翌日、俺は無事、契約を済ませた。肉球を押さずに済んでよかったと思っている。
セツさんは満月の夜、長い間別れていた恋人と再会、旅立って行った。
俺はしばらくして紫織さんと婚約を解消した。
俺は婚約解消による様々な問題を一つづつクリアしながら日々を送っている。
マヤは試演に勝ち「紅天女」を継承。
俺とマヤは結婚した。例の白い家で幸福に暮らしている。唯一困った事は、マヤが黒いラブラドール・リトリーバーの小犬を貰って来た事だ。名前をマスミンと名付け可愛がっている。

マヤ、マスミンの頭を撫でないでくれ! マスミンを抱き上げて頬擦りするな! ああ、妬ける! 妬けるじゃないか!








あとがき


迷犬マスミンの第6回の没バージョンです。最初はマヤが扉の外から「名前を言って」と叫ぶところまででした。 独立してアップする為にその後の話を付け加えました。切な系のお話ですがラスト、コメディタッチでまとめました。
切ないお話が好きな方、楽しんでいただけたら、嬉しいです。^^


感謝をこめて!



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