お風呂 



 速水真澄は、風呂に入ろうと廊下を歩いていた。
普段は寝室の隣にあるシャワールームでシャワーを浴びるだけだが、その日は湯船に浸かりたかった。
季節は冬。足元から冷気がしのびよる。窓越しに雪がちらつくのが見えた。

−−どうりで冷え込むと思った。

真澄は、脱衣室に入り裸になると浴室のドアを開けた。
湯気が立ち込めている。タオルを持って湯船に向う。
真澄はお湯の温度を確かめ、浴槽のお湯をかき混ぜた。
ざっと、体を洗うと湯船に身を沈める。

速水家には浴室が3つある。
一つは使用人達が使う浴室。
一つは義父が使う浴室。
義父が足を悪くした時、義父の寝室の隣に造られた。
そして、もう一つがこの浴室。
もともと、義父と真澄が使っていた。
今は、真澄がたまに使うだけである。

湯船は広く、真澄の長身の体を投げ出してもまだ、余るほどである。
ライオンの口の形をした蛇口から湯があふれるように流れ出る。
真澄は湯船に肩まで浸かり頭を湯船のへりに預けた。
ぼんやりと天井を見上げる。
浴室の壁はベージュ系の暖かみのあるタイルが貼られている。
天井もまた、イエローホワイト系だ。
お湯が照明に反射してきらきらと輝いている。

「真澄様、菊です。お背中流しましょうか?」

脱衣室から菊が声をかけて来た。

「ああ、そうだな、頼むよ」

真澄は湯船から上がると、バスチェアに腰を降ろし、菊を待った。

菊は、そっと入ってくると、湯桶に湯をはりタオルを浸した。
石鹸をタオルにこすりつけて泡立てる。

湯に浸かってほんのり赤くなった真澄の背中を菊は丁寧に洗う。

真澄の項(うなじ)。
真澄の右肩。
真澄の左肩。
真澄の肩甲骨。
真澄の背骨。
真澄の腰。
真澄の右の二の腕。
真澄の右の脇。
真澄の左の二の腕。
真澄の左の脇。

真澄の肌は弾力があり、肌理が細かい。
吸い付くような肌をしている。
肌の下にある筋肉がよく鍛えられているのがわかる。

「はい、どうぞ」

菊は、背中を擦る終わると真澄にタオルを手渡した。

「ああ、ありがとう」

タオルを受け取った真澄は体の残りの部分を自分でさっさと洗う。
その間に菊は浴室からそっと出て行く。
泡だらけになった真澄は、ハンドシャワーで洗い流す。
洗髪をして、もう一度、湯船に浸かる。

−−気持ちが良かったな

菊に背中を擦られるのは気持ちがいいと真澄は思った。

風呂から上がり、脱衣所で体を拭く。
脱衣所におかれたチェストから、下着とパジャマを取り出し着替える。
それから……。
真澄はチェストの上におかれた真新しい毛糸の靴下を取り上げた。
菊の手編みである。
色は黒。
脱衣所の椅子に腰掛け、片方づつ履く。

−−今度は間違えなかったようだな

菊の毛糸の靴下は二度目である。
菊は時々、真澄がまだまだ子供のような錯覚に陥るらしい。
サイズの小さい靴下が置かれていた時は、困った。
菊に言うと、やはり、菊はおろおろした。
気にしなくていいからと真澄は言ったのだが、菊はすいませんと何度も頭を下げた。
あれから、2週間。
菊はその靴下をほどいて編み直したのだろう。毛糸を継いだ跡があった。
真澄は編み直された靴下をはいて部屋に戻った。
広い屋敷は部屋毎の暖房しかない。雪の舞うこんな日は廊下は格段に冷える。
冷え冷えとした廊下を自室に戻る真澄の足元は、菊の靴下で暖かい。
真澄の心もまた、ほかほかとしていた。









最後まで読んでいただきありがとうございます。
「爪切り」に続いて速水さんの日常を書いてみました。シリーズ化しそうです。^^
楽しんでいただけると嬉しいです。!




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