リクエスト



第1章

社長室での告白の後、2人は、レストランで食事をした。
楽しい食事だった。
二人の会話は、いつのまにか、芝居の話になっていた。
「マヤ、きみの芝居で、見逃した芝居があるんだが、俺の為に、もう一度演じてくれないか?」
「見逃したお芝居って?」
「高校の時、一人芝居をしただろう。」
「ああ、『女海賊ビアンカ』ね。それと『通り雨』。」
「両方みたいんだが。」
「うれしい。速水さんに、見て貰えるなら、私、一生懸命やるわ。そうだ、場所は、地下劇場が借りられるなら、あそこが、いいと思うの。学校の体育倉庫と同じような広さだわ。麗に借りられるかどうか聞いてみる。」
「じゃあ、日付と場所が、わかったら、教えてくれ。」
「あれなら、すぐよ。覚えているから。前よりうまく出来るわ。ああ、嬉しい。あの一人芝居を速水さんに見てもらえるなんて!」

速水は、心の中で思った。
(俺は、最高の贅沢をするんだろうな、演じてほしい芝居を演技の天才の君にリクエストして、演じて貰えるのだからな)

それから、1週間後、マヤは、準備ができた事を真澄に知らせた。真澄は、水城秘書にいって、スケジュールを調整させ、次の土曜日という事になった。照明や効果音は、劇団「つきかげ」のみんなが手伝ってくれる事になった。草木弘子が、マネージャー見習いとして、なにくれと面倒を見てくれていた。

土曜日の6時半、真澄が、やってきた。水城秘書、大都の製作関係者や黒沼まで、やってきた。亜弓や、桜小路までいる。そのうえ、後でひっそりと聖まで、隅に目立たないように立っていたのである。
(いくらプライベートな芝居だからって、こんなに、来てもらって)
マヤは、嬉しくて仕方なかった。
(私の芝居が見たくてきてくれたんだ。楽しんで帰ってもらおう!)

一人芝居「女海賊ビアンカ」の幕があがった。

2時間半ほどの芝居が終わると、拍手がなりやまなかった。皆、芝居に詳しい、いうなれば、芝居のプロ達でありながら、芝居の面白さに、夢中で拍手したのだった。

黒沼が話しかけてきた。「演出はおまえがやったのか、北島」
「黒沼先生、そうです。あの、おかしかったですか?」
「いや、1本の芝居として、よくできていた。面白かったよ。たのしい芝居だった。」
速水が、話に加わった。
「黒沼さん、この芝居を、本格的な海洋スペクタクル映画に仕上げたいのですが、どう、思われます?」
「そうだな、良いかもしれないな。ただ、金がかかるんじゃないか。」
「社の方で検討させましょう。」
「まあ、また、いっぱいやろうや、いつものおでん屋で。」
マヤが驚いて、速水をみた。
「いつものって、速水さん、黒沼先生と飲み仲間なんですか?」
「ああ、屋台だがな。」
そういって、黒沼は帰っていった。
速水は、早速、その場にいた製作関係の人間に、今の芝居を本格的な海洋スペクタクル映画に仕上げられないか、検討させる事にした。
着替えてきたマヤは、そんな速水にすこぶる不満であった。
「速水さん、私、速水さん一人の為に、今日の準備をしたのに。これじゃあ、大都芸能の新しい企画の為にやったみたいじゃないですか。ひどい。」
「ちびちゃん、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。本当だ。最近は、海賊ブームで、あの宝塚でも海賊物をやったっていうから、これは、大都でもってことになっていたんだ。製作部長に、紅天女の北島マヤが、『女海賊ビアンカ』という一人芝居を高校の時に演じた話をしたら、ぜひ、みたいというんで、じゃあ一緒にという事になったんだ。そしたら、あっというまに広まって。うちの社内は、抽選にしたんだぞ。俺だって、一人で見たかったんだ。すまない、マヤ。この埋め合わせはきっとするよ。」
「もう、速水さん、きっとよ。きっと、埋め合わせしてね。」
二人は、目を見交わして笑った。
「宝塚の海賊物って、『エル・アルコン』でしょう。あれに出てくるティリアン・パーシモンって、速水さんに似ているのよね。」
「ふーん、そんなにいい男なのか?」
「もう、速水さん、しょってるんだから。いろいろ、陰謀をたくらむ所がよく似ているの。」
「俺は、陰謀をたくらんでなんか、いないぞ。仕事をしているだけだ。」
「はい、はい。そういう事にしておきましょう。」
二人は、声を出して笑った。
幸福という文字が、二人の心にあった。互いが幸福であり、互いが相手を幸福にした。

後日、黒沼と速水は、おでん屋で、一杯やっていた。
「先日の『女海賊ビアンカ』だがな、北島は、演出もやれるかもしれん。」
「しかし、あの内気な子に、多くの役者を束ねていくことは無理ではありませんか。」
「確かに、演出のマネンジメント的部分はだめだろう。しかし、芝居を作り上げるセンスはもっている。演出の勉強をやらせてもいいかもな。」
「なるほど、本人に演出の勉強をしたいか、聞いてみましょう。」
「一つ注意しておくが、北島は、演技の天才だ。その天才が、自分の為に作った脚本だ。同級生が基本の脚本を書いたとはいえ、芝居として仕上げたのは、北島だ。映画にするのは、いいが、一歩間違えると会社をつぶすぞ。」
「ご忠告、ありがとう、黒沼さん。肝に銘じておきましょう。」
「ところで、あんた、北島と付き合ってるのか、若旦那。」
思いっきり噴出す、真澄。咳き込みながら、
「ゴホッ、ゴホン。何を、根拠に。北島とは、芸能会社の社長と女優。それだけですよ。」
「まあ、そういう事にしておこうか。」真澄の背中をどやすと黒沼は豪快に笑った。
やがて、話題は、最近の演劇界の話に移っていった。

大都芸能の製作部長は困っていた。『女海賊ビアンカ』を海洋スペクタクル映画にした場合の様々な試算を試みたのだが、金がかかりすぎるのだ。今、いくら、海賊物ブームだとはいえ、果たして採算にあうだけの観客動員数を確保できるだろうか。確かに、映画だけでなく、その後のDVD化もいれれば、とれなくはないかもしれないが。

脚本家は困っていた。『女海賊ビアンカ』を海洋スペクタクル映画にした場合の脚本を北島マヤの使った脚本から再構築しようとしたのだが、うまくいかないのだ。たかが、高校生の作ったものだと侮っていたのかもしれない。あまりに良くできていて、再構築のしようがないのだ。仕方なく、原作から再度、書くことにした。

企画会議で、大都芸能の製作関係者達は、全員、困っていた。北島マヤが演じた『女海賊ビアンカ』ほど、面白い映画を作れそうにないのだ。脚本が陳腐になっていた。それに制作費だ。帆船1隻借りるだけで、どれだけ、金がかかるか。
真澄は、提出された企画書をみて、即効で、没にする事にしようとしたが、以外に制作部長から、再度、海洋スペクタクル映画ではなく、舞台劇としてもう一度検討させてほしいという提案があった。
「しかし、それでは、宝塚の二番煎じにならないか。」と速水がいった。
「確かに。しかし、海賊のスペクタクルの部分を強調するのではなく、ヒロインの恋愛に焦点をあててみてはいかがでしょう。陰謀に巻き込まれたお姫様の数奇な運命と恋をメインにもってきた方がいいかと思います。そうすれば、脚本の手直しもあまりせずに済みます。とにかく、あの一人芝居をみた後では、あれ以上の物をつくるのは、至難の技です。むしろ、北島マヤ主演でやってもらった方が、恐らく興行的にも成功するかと思います。」
「よし、では、その線でもう一度企画してくれたまえ。」
速水は心のうちで一人ごちた。
(やはり天才の作品か)そしてため息をついたのだった。

マヤは、「通り雨」の準備をしていた。
高校の時の制服を着てみたのだが、きつくなっていた。
「やだ、太ったのかしら」
それを見ていた麗がいった。
「違うな、成長したのさ、少女の体型から女性の体型に成長したんだ。」
「え〜、どうしよう。困ったわ。そうだ、草木さんに借りよう。」
草木弘子に制服の話をすると
「大丈夫、セーラー服なら衣装部で借りられるわ。」そういって借りてきてくれた。
マヤは、借りてきたセーラー服をきて鏡の前に立ち、「だめだわ」といった。
草木が「サイズはいいと思うけど、う〜ん、確かに」
妙に色っぽくなった自分をみて、マヤはため息をついた。ワンサイズ大きいセーラー服をきてやっと、高校生らしくなった。

今回、速水は、部長クラスは連れてこなかったが、前回、抽選でもれた社員には参加を許したのだった。その為、結局、地下劇場は満員になってしまった。
劇は成功だった。大部分が主人公佐藤ひろみに共感し、女子高校生の一日を体験したのだった。
ところが、劇の間に一人途中から抜けた社員がいた。
劇が終わった後、マヤは、速水に聞いた。
「速水さん、誰か、途中で帰った人がいたけど、私の演技、だめだったのかしら」
「いや、よかったよ、いい演技だった。途中で帰った奴の事は気にしなくていい。彼の家庭事情が『通り雨』と似ていたからいたたまれなくなったんだろう。」
「それって、不倫していて高校生の娘がいるとか」
「その通り。会社には、ばれてないと思っているみたいだがな。」
「社長さんはお見通しなのね。」
マヤは思った。(高校生の時は、観客も同世代が多数だった。でも、今回は、大人が大部分だ。観客には、事前に演目の事を知らせないと楽しんでもらえないわ。もう、速水さんったら、内容を知らせておいてあげればいいのに。)

速水は、一人満足だった。以前から見たかったマヤの一人芝居を見られたのだ。しっかり録画もさせた。3カメで。コレクションが増えて速水はとても、嬉しかった。


第2章

真澄とマヤは、伊豆の別荘にきていた。
速水は、黒沼との話を、マヤにした。
「私に演出、そんな事、考えた事なかった。」
「今は、まだ、次の芝居は決まっていないのだろう。だったら、アクターズスタジオで、演出の勉強をしておくといい。若い時には、なんでも習っておくといいぞ。俺から、スタジオの方に連絡をいれておこう。」
二人は、浜辺まで、降りて行くと、ランチを食べた。
マヤは、真澄と一緒だと、ただのサンドウィッチが数倍おいしく感じられた。
「『通り雨』のセーラー服姿、かわいかったな。今でも、高校生で十分、通るぞ」
「もう〜、ひどい、速水さん、私はもう22よ。十分大人です。セーラー服だって、サイズがきつくてワンサイズ大きいのを着ないといけなかったんだから。」
「たとえ、体がでかくなってもかわいいものはかわいいのさ。」速水は笑いながら、さらに言葉を続けた。
「実は、もう一つ、頼みがあるんだ。」
「何?」
「その、速水さんというのは、そろそろ、やめてくれないか」
「えっ」マヤの顔が火をふいた。
「だってだって、速水さんは速水さんだもの」
「じゃあ、おれも、ちびちゃんと呼ぼう」
「私、ちびちゃんじゃありません。速水さん」
「ねえ、マヤ、そろそろ、名前で呼んでくれないか」
マヤは真っ赤になってうつむいた。そして、必死になっていったのだった。
「ま、ま、ますみさん」
速水は、心から、大爆笑した。
「もう、呼んでくれっていうから、呼んであげたのに。」
速水の笑いの発作はなかなか収まらない。
「もう、知らない」ぷんと横を向くマヤ。
速水は、そんなマヤが愛しくてならなかった。腕を伸ばしてマヤを引き寄せようとした。
マヤは、くるりと振り向き、「べ〜っ」と速水に舌を出してみせると、笑いながら浜辺へと走っていった。
速水は「マヤ」とよびかけながら、後を追った。後ろから追いつき、抱きしめる。
マヤは、振り返りながら、速水の首に腕をまわし、抱きしめた。
頬と頬をすりよせ、唇をあわせる。(ああ、幸せ、なんて、幸せ)マヤは、幸福の絶頂にいた。五感でこの幸福を全身に刻み付けた。潮騒の音。塩辛い空気。潮風が肌の産毛をなぶる感触。太陽の暖かさ。蒼穹の空。真澄の柔らかい髪。タバコと真澄の汗の混じった匂い。そして、真澄の唇。背中に回された真澄の手のひらの熱さ。
真澄の手の熱さがマヤに無言のリクエストをしていた。
マヤはわかっていた。真澄の望むことが。
でも、今はまだ、真澄のそのリクエストには応じられない。
一人芝居を真澄のリクエスト通りに演じるのとは訳が違う。
マヤには、引っかかっている事があった。
マヤは、真澄から身を離し、ニコっと速水に笑いかけた。
真澄もつられてニコっと笑う。
マヤは速水の手をとり散歩を促したのだった。
二人は手をつないで波打ち際を散歩した。桜貝を拾い、水溜りの蟹をつついて遊んだ。
裸足になり寄せては返す波と遊んだ。

晴れていた空に灰色の雲が遠くから押し寄せていた。
「マヤ、雲行きが怪しくなってきた、別荘に戻ろう!」
ピカッ!
雷が光った。
先ほどまで晴れていた空がいつのまにか真っ暗になっていた。
ゴロゴロゴロ!
雷が遠くで鳴る音がした。と同時に、大粒の雨が激しくふりはじめた。
別荘にたどりつくと二人ともびしょぬれになっていた。
「マヤ、シャワーを浴びて着替えてこい、早く着替えないと風邪をひくぞ。」
マヤはいわれた通りシャワーを浴び乾いた服に着替えると速水が、暖かいココアを用意してくれていた。
速水も同様に着替えてくるとマヤはココアを片手に窓辺から海を見ていた。
「どうした、疲れたか」
「ううん、雨を見ていたの」窓の外では激しい雨が降っていた。室内は静かだった。ときどきパシっと家鳴りがするくらいだった。
マヤは速水に向き直り目を見ながら、これだけはどうしても聞かなければと思っていた質問を口にしたのだった。
「速水さん、速水さんは紫織さんを愛していたのですか?」
速水は突然の質問にどう答えていいかわからなかった。
「何故、そんな事を聞く。」
「まだ、紫織さんの事が忘れられないんじゃないかって、だって、速水さん紫織さんの事とても優しい顔をしてみてたから」
「紫織とは、政略結婚だったんだ。信じてくれ。君が俺の事を愛する事がないと思ったから紫織さんを愛するように努力したんだ。一緒にプラネタリウムを見に行った時の事を覚えているか。あの時、よほど、紫のバラの人は俺だと、言おうと思ったんだ。だが、言えなかった。君のおかあさんを死に追いやってしまった事がいつも、俺の心にあって、言えなかったんだ。もし、言ってしまって君が拒否したら、紫のバラの人としての絆さえ切れてしまう。君を影で支える事が出来なくなってしまう。そう思うとこのまま、紫の影でいようと、いた方がいいと思ったんだ。」
「真澄さん」
「マヤ、愛しているんだ、苦しいほど、誰よりも深く」
真澄はマヤを抱き寄せて口づけをした。それは、今までのキスとは違う。小鳥のようなキスではない。深い、深いキス。
「マヤ、信じてくれ、愛したのは、生涯、君だけだ。」
「真澄さん、でも、じゃあ、どうして、どうして、あのアルバムを私に送り返してきたの。私、辛かったんだから。」
「あれは、紫織が送り返したんだ。」
ぴか!雷が光った。雨がさらに激しさをまし、窓ガラスをたたく音がした。風が強く吹き付けはじめ家の中にまでヒューウーという風の音が聞こえてきた。
「えっ、紫織さんが」
「そうだ。この別荘に俺はアルバムをおいていたんだが、紫織は、勝手に入ってアルバムを持ち出し君に送り返したんだ。君と僕の仲をさこうとして。」
どーん、どどーん。雷の落ちる音がだんだん近づいてくるのがわかった。雨は激しく窓ガラスをたたいている。
真澄は、総て話そうかどうしようか、悩んだ。聞いて気分のいい話ではない。
しかし、マヤならきっとわかってくれると信じて、紫織との経緯を話したのだった。
「聖に促されて、マヤ、君に紫のバラの人としてホテルマリーンで会おうとした日の、2日前だったか、紫織さんに婚約を解消したいと言ったんだ。それが、彼女に対する俺の誠意だと思ったから。そしたら、彼女は、激しく拒否した上、何故、急に俺が婚約を解消しようとしたか原因を探ろうと、ここに来たんだ。
以前たまたま君のアルバムを見つけて不信に思っていたそうだ。
そして、勝手に入って、俺が残したホテルマリーンで君と会う約束をしたメモを見つけ、僕らが会うのを阻止する為に自殺未遂を図ったんだ。そのうえ俺が、君と紫織のどちらを選ぶか試したんだ。自殺という卑怯な方法で。
ホテルマリーンで君に会う直前、紫織さんが自殺しようとしたときかされて、仕方なく俺は急いで戻ろうとしてあの事故にあったんだ。俺が、病院のベッドの上でどんな気持ちだったかわかるか。」
「真澄さん」
雨はかわらず激しくふっていた。窓ガラスをつたって、とめどなく雨が流れ落ちていた。
真澄はふっと笑いながら、
「君は見舞いに来てくれたんだね。最近、やっと、わかったよ。紫織から嘘を教えられて俺はずっと、君を誤解していた。紫織は、君からの手紙を抜き取り、写真を引き裂いて俺に渡したんだ。そのうえ、君が母親の事をまだ恨んでいるといっていたと俺に告げたんだ。紫織は、俺の気持ちをくじいただけでなく、アルバムを君に送り返して紫のバラの人との縁がきれたと思わせようとしたのだろう。」
「聖から君の所にアルバムが送り返された上、絶縁状までつけられていた事を聞いた時は本当に驚いたよ。俺はそんな物を送っていなかったから。アルバムはここにある筈だと思って探しにきたら、紫織が現れて、自分が君に送りかえしたと告白したんだ。しかも、2度と紫のバラを君に送るなと俺にせまったんだ。約束してくれなければ、ここから飛び降りると、俺を脅迫したんだぞ、あの女は。」
真澄は激しく、吐き捨てるようにいった。
「真澄さん」マヤは、真澄の広い背中に手をおいて抱きしめた。
「それでも、俺は、彼女と結婚したさ。そうしなければ、あの女の事だ。どんな手を使って君を傷つけるかわからない。鷹宮グループを使って君を潰そうとするかもしれない。君を思ってあの性悪女と結婚までしたんだぞ、俺は。あの女が事故で死んでくれてどれだけほっとしたか。」
「真澄さん」マヤは、真澄の愛の深さを思って涙が止まらなかった。
これほどの自己犠牲をマヤは、知らなかった。
真澄は、激昂した気持ちが収まるとマヤの方を向いて、
「マヤ、済まなかったな、つまらない話をして。」
「ううん、真澄さんの気持ちがわかって、よかった。そういえば、私が見舞いにいった事、どうしてわかったの。」
「ある人が、届けてくれたんだ。紫織が捨てた君の手紙を。わざわざ探して俺にもってきてくれたんだ。その人のおかげで、紫織を許す事もできた。その人には、感謝してもしきれないよ。」
そういって、真澄は事件記者田中義男の話をマヤに語って聞かせた。
マヤは、紫織を想う人がいてよかったと思った。
「さあ、マヤ、つまらない話はここまでだ。腹が減ったろう、食事に行こう」
ピカッ、ガラガラガシャーーーン、どどどどどど〜〜〜〜〜ん!
雷がすぐ近くに落ちた。電灯が一斉に消え、突風とともに、バルコニーの扉がバンという音をたてて開いた。
嵐が室内にたたき込み白いカーテンをふきちぎりそうになった。
扉を閉めようとバルコニーを見た時、暗い海を背景にもっと暗い暗黒の影が人の形をして、バルコニーにたっていた。
「きゃああああああああ」マヤは悲鳴をあげて速水に抱きついた。
速水は、真っ青な顔をした紫織をみたように思った。
影がするすると部屋に入ってきた。
「誰だ!」速水は叫んだ。




「私です。」
防水コートにフードをかぶった聖がたっていた。
聖は手早くバルコニーの扉をしめ、手に持った懐中電灯をかざし、真澄に言った。
「真澄様、マヤ様、驚かして申し訳ありません。玄関の呼び鈴を鳴らしても応答がありませんでしたのでこちらにまわりました。渋滞で夕飯のケイタリングをお持ちするのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。」そういって聖はバスケットを差し出したのだった。
「どうされました、お二人ともまるで幽霊をみたような顔をされて。」
二人はほ〜っと長いため息をついたのだった。
雨が小やみになったらすぐに帰るという聖を2人で引き止め、3人で夕食を囲む事にした。
死者が身近に感じられるこんな夜は人数は多い方がいいとマヤも真澄も真剣に思ったのだった。

翌日、晴れた空の下、別荘を後にしながら、マヤは速水の気持ちを確かめる事ができて満足だった。
速水は、この別荘は改装しよう、いや、絶対建て替えると思った。
マヤと二人きりになれると思い伊豆の別荘につれてきたが、こんなに紫織の影が濃い所では、マヤを抱けないとしみじみ思った。
聖は主の不満に恐縮しながら別荘を後にしたのだった。

マヤが真澄のリクエストに応じるのは、どうやらまだまだ先の事になるようだった。






あとがき

私は、青池保子先生のファンでもあります。「エル・アルコン」のティリアン・パーシモンの名前を出せたのが嬉しかったです。
ホラーにしたかったのですが、うまくいったでしょうか?


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