布団のナカ 



 俺はダイヤモンドの指輪を前に悩んでいた。

――マヤにプロポーズしよう。

そう思って指輪を買って、一ヶ月。
ヘタレとでも呼んでくれ。マヤを前にすると何も言えなくなるのだ。
結婚。
この厄介な物。

――結婚したら……。

俺はマヤと俺の生活をあっというまにシミュレーション出来る。
大都芸能社長夫人になったマヤ。
俺に取り入ろうとする有象無象がマヤに飛びかかるだろう。
もちろん、俺はマヤを守る。守るのだが……。
マヤは人を疑わない。基本、人は皆いい人だと思っている。だから、すぐに騙される。俺がどんなに守ろうとしても、マヤの基本が性善説である以上、完璧には守れまい。だが、結婚しなければ、大都芸能社長夫人にならなければ、マヤがトラブルに巻き込まれる可能性は低くなる。
はあ〜、そうとも、結婚など出来るわけがないのだ、マヤを守る為には。
マヤ、愛している。
君が俺を愛してくれているのもわかっている。
だが、しかし……。


俺はマヤとの待ち合わせ場所に行った。
芝居を見て、食事をして散歩をする。
そして……。
マヤが何故か気に入ったのだ、銀座の料亭を!

「だって……」

と顔を赤らめて嬉しそうに笑う。
そんな彼女を見ると、何もかもどうでもよくなってくる。
今夜もマヤは料亭に行きたがった。
ふかふかの布団の中で抱き合った俺達。

「君は本当にこの店が気に入ったんだな」

「だって、速水さん、お布団がふかふかなんだもん」

「お布団? 君がこの店を気に入ったのは、ここの布団が気に入ったからなのか?」

「ええ、……あのね、うちのお布団はせんべい布団なの。いくらお日様に干してもこんなにふかふかにならないんだもん」

マヤ、君って子は!

「何故、もっと早く言わない! 俺がプレゼントしてやる。とびきりのふかふかの布団だ」

「ホント! 速水さん!」

「ああ、いくらでもプレゼントしてやるぞ! 他に欲しい物はないか?」

マヤが恥ずかしそうに俺の胸に顔を埋めた。小さく答える。

「……、は……さ……、……しい」

「え? なんだって?」

「もう、バカあ、何度もいえない!」

マヤが全身を赤く染める。

「言わないとわからないじゃないか? ほら、言ってご覧?」

マヤは俺の耳元に唇を寄せた。

「速水さん! 速水さんがほしいの」

だーーー、マヤ! なんてかわいい事をいうんだ!!!
俺はマヤに口付けすると第二ラウンドに挑んだ。


翌日、少々疲れを感じながら、仕事に向っていると秘書殿から皮肉を言われた。

「お疲れのようですね?」

「ああ、布団がふかふかだったからな」

俺は開き直って答えた。みるみる秘書殿の顔が赤く染まる。俺は、してやったりとほくそ笑んだ。今まで散々、虚仮にされてきたんだ。たまには、いいだろう、やり返したって!

「で、どうなされるのです」

「何が?」

「結婚ですわ! まさかこのまま責任を取らないとか言いだすんじゃないですよね」

俺は引き出しから指輪の箱を取り出した。

「プロポーズの用意ならとっくの昔に出来てる。人をなんだと思っている。こう見えても敏腕社長なんだ! プロポーズくらい出来なくてどうする!」

「でも、出来ないんですよね。出来てたら、今頃、こんな所に指輪があるわけがないですから」

ううう、相変わらず痛い所をついてくるな、秘書殿は。俺は強引に話題を変えた。

「……、マヤにふかふかの布団を届けてくれ。ああ、青木君の分も一緒にな」

「はあ? お布団?」

「ああ、布団だ、最上級の布団だ。中身は真綿にしてくれ」

秘書殿の目がサングラスの奥で点になったような気がした。

「……承知しました」


が、このプレゼントは返品された。
数日後、一緒にディナーを食べながらマヤはすまなそうに言った。

「速水さん、凄く嬉しいんだけど、ごめんなさい。押し入れに入らないの。一組だけなら入るけど、それだと麗に悪いし」

俺はメインディッシュの肉をナイフとフォークで切りながらさりげなく言った。

「そうか……、それなら、いい解決方法があるぞ、マヤ、前から思っていたんだが……、もっと広い家に引っ越したらどうだ。あのふかふかの布団が余裕で入るくらい大きな押し入れのある家に。そしたら、毎日ふかふかの布団で寝られるぞ」

「え! でも……。そんな広い家、麗とあたしじゃあ、お家賃、払えないから……」

「いや、つまり……、その、なんだ、青木君じゃなく、俺と一緒に暮らさないか?」

俺は、結局、結婚の2文字が言えなかった。が、結婚前に一緒に暮らしても悪くはあるまい。
マヤが一瞬、固まったのがわかる。

「一緒に? 一緒に暮らすの? 速水さんと?」

「ああ、そうだ。」

マヤが顔を横に振る。え! 断るのか? 何故?

「だって、速水さん、あたし、麗がいないと生活出来ない!」

俺はまじまじとマヤを見た。

「はあ?」

「あたし、食事作れないし、芝居に没頭したら、本当になんにも出来なくなるの、麗が全部やってくれてたから今まで、なんとかなったけど、速水さんの世話なんて、あたし、絶対、出来ない」

俺の世話? 俺の世話を一番に考えてくれたのか? マヤ!

「マヤ……、君が俺の事を考えてくれて、これほど嬉しい事はない。だが、俺の世話は考えなくていい」

「でも……、あたしと暮らすのってすっごく大変ですよ。普段から役になりきってしまうから……」

「それは芝居の稽古が佳境に入ったらだろう」

「そうだけど、でも……」

「とにかく、一緒に暮らしてみよう。そうでなければ、大変さもわからないだろう」

俺はいそいそと一緒に暮らす家を探した。
場所は……、マヤのアパートから数ブロックのあたりがいいだろう。数ブロックの圏内ならマヤは青木君にすぐに会いに行ける。環境が変わった淋しさを感じないだろう。
複数の不動産屋をあたってみると、ちょうどいい庭付き一戸建ての家があった。
見つけた家は、洋風のデザインで、以前ピアノの教師が住んでいたらしく、ピアノのレッスンの為、居間が防音になっていた。これなら、マヤが狼の遠吠えをしても外には洩れまい。河原もすぐ近くだ。
奥に和室もある。マヤの好きなふかふかのお布団を引いてやれるぞ。
俺とマヤは引っ越しの準備をした。俺が先に引っ越し、業者を使ってあれこれと整えた。例の布団は和室の押し入れに収まった。家事は毎日お手伝いさんに来て貰うよう手配した。住み込みにしても良かったのだが、しばらくは二人で暮らしたい。

俺が引っ越してから、1週間ほどしてマヤが引っ越して来た。
荷物はほとんどない。彼女が持ってきた物、それは、俺が紫のバラの人として贈ったプレゼントの数々だった。
俺達はしばし、玄関先で見つめ合った。照れくさくなった俺は、ぶっきらぼうに言った。

「さ、マヤ、家の中を案内しよう!」

マヤが素直に頷く。俺はマヤの手を取った。マヤがぽっと顔を赤らめて寄り添って来る。なんだかこそばゆい。
その夜、布団の上で、マヤが深々と頭を下げた。

「あの、ふつつか者ですが、宜しくお願いします、速水さん……」

「こちらこそ、宜しく!」

まるで、新婚みたいじゃないか!
俺はマヤを抱き寄せて口付けをした。


マヤと暮らして1ヶ月、青木君、君の苦労を俺は過小評価していた。マヤと暮らすのは本当に大変なんだな、知らなかったよ。
俺は今まで、マヤの演技を観客席から見ていた。それが、同じ舞台の真ん真ん中で見る羽目になるとは……。
もちろん、実際の舞台ではない。しかし、食事中、或は、朝目覚めた時、一緒に寄り添ってテレビを見ている時、ふと目の前のマヤが違う女になる。
どうすればいい。
俺は、考えた末、青木君に相談した。

「あたしは、狼少女と数ヶ月暮らしましたよ。速水社長、社長はまだ、一ヶ月でしょう」

青木君が非難がましそうに俺を見る。

「君はどう対応したんだ?」

「何も……。演技を掴む為だってわかってましたからね、ほっときました。ああ、もちろん、食事の世話や、風邪を引かないように布団をかけてやったりしましたが、それ以外は特に何も。まあ、その内、慣れますよ」

青木君の言葉に俺はため息をつくしかなかった。
そして、青木君が知らないマヤとの生活があるのだ。
それは……。夜の秘め事。

マヤが、あれの最中に役に没頭するのだ。
いきなり「おまえさま!」と呼ばれる。
そして、役に没頭しない時は俺に聞いてくる。

「ねえ、速水さん、阿古夜って一真に愛されたらどんなふうに反応したと思う?」

「さ、さあ、俺にはわからんな」

「あたし、阿古夜ってきっと大胆だったと思う。だって、男と女の営みって自然な事でしょう。大自然に感謝している阿古夜だったら、きっと、素直に感じて素直に一真を受け入れたと思う。紅姫も天地和合の神様だし……」

マヤは延々と阿古夜だったらという話を俺に話し、そして最後にこう付け加えた。

「ねえ、速水さん、お願い、阿古夜として抱かれてみたいの、ね、協力して!」

俺は阿古夜を抱いた。大胆な君。なんて素敵なんだ。
また、ある時は、ジェーンになった。体を舐めまわされるのは、正直、気持ちが良かった。

こうして俺は、夜毎、マヤであって、マヤではない女を抱くようになった。
マヤは、舞台で演じていない役にも豹変した。稽古の時にやった役、テレビや芝居で見た役で俺に抱かれる。
千の仮面を持つ少女。今や千の仮面の女。
夜毎、違う女が布団の中にいる。
俺は君のおかげで千人伐りを達成出来そうだよ。
だが時々は、いつものマヤに戻ってくれ!
俺が求めるとぽっと頬を赤らめる、可愛い俺の恋人に……。


青木君と話した後、俺は一つの疑問を持った。
青木君は「あたしは、狼少女と数ヶ月暮らしましたよ」と言ったのだ。同じ役に数ヶ月。
役に没頭して日常でもその役に成り切ってしまうのはわかる。だが、一つの役の筈だ。
それなのに、夜の役がころころ変わるのは何故だ?
俺は秘書殿にさりげなく相談してみた。

「ほほほ、社長、のろけは結構ですわ、いえ、自慢話は聞きたくありません。特に夜の武勇伝は!」

「武勇伝?」

「そうですわ、夜毎違ったやり方で愛し合ってるとおっしゃりたいのでしょう! 私、独身ですのよ。セクハラで訴えますわよ、社長!」

「いや、違う、自慢話ではなく異常じゃないかと聞いてるんだ」

「異常? 私にはイメージプレーをしているとしか聞こえませんが」

「イメージプレー! そんな生易しいもんじゃないんだ。まるで、違う女なんだ。こう……、感じ方まで違うみたいなんだ。あんな時まで演技出来るものなのか?」

「……。相手は天才女優ですから……」

「確かに天才だが……」

秘書殿は天才の一言で片付けたが、俺は、釈然としなかった。
ここは男同士。俺は黒沼さんに相談する事にした。
いつもの屋台で黒沼さんに事情を話すと、黒沼さんはげらげら笑いだした。

「若旦那、ありがとうよ。あんたが、マヤの相手で、ほんとに良かったよ」

「どういう事です」

「あんたは、マヤの天才性を理解しているからな。他の男のように、マヤの演技を辞めさせようとしない。普通だっったら、愛し合っている最中まで演技されたら、男はたまったもんじゃない。そうだろう」

「まあ、そうですね」

「ここからは俺の推測だがな。北島は、演技に貪欲だ。どういうシチュエーションであっても、その役だったらどう動くだろうと常に考えている。おまえさんに抱かれて、やっと今まで空白だった部分の演技を練習出来るようになったんだろう」

「つまり?」

「だからな、北島はいままで、……例えば、阿古夜だが、阿古夜が抱かれている最中の演技の練習は出来なかった。桜小路に抱かれるわけにいかないからな。ところが、あんたが毎晩抱いてくれる。そこで、いままで演ったいろいろな役の、実際に抱かれるシーンを練習したくなったんだろう。若旦那、これは俺からの頼みだ。大変だろうが、北島に付きあってやってくれないか?」

俺は黒沼さんの説明に釈然としないながらも、理解した。
理解したものの、大変さは変わらなかった。
夜毎違う女になるマヤ。一番困ったのは人形の役をされた時だ。
悪いが俺には人形を抱く趣味はない。マヤから文句を言われたが、こればっかりは譲る気はなかった。


そんな或る日、レストランでマヤと食事をしているとマヤが言った。

「あのね、速水さん、今日、稽古場に速水さんを紹介してくれっていう人が来て……」

マヤの元に、俳優志望の男が現れたのだという。どこかで、俺とマヤが一緒に暮らしていると聞きつけたのだろう。やはりマヤを利用しようとする人間が現れたか。

「でね、あたし言ったの。あなたは、人前で速水さんから恥をかかされてもそれでも、速水さんを信じられるかって」

マヤは俺がマヤの為に狼少女ジェーンを人前で演じさせた話をその男にしたのだという。

「速水さんは決して甘やかさない、本当にあなたを俳優にして上げたいって思ったら。
 あなたに、それが耐えられる?ってあたし言ったの。そしたら、諦めた」

マヤ、俺は君を見くびっていた。そうとも、君なら、君の真っすぐな心なら、ちゃんと正しい人間を選ぶだろう。
俺は、俺の心配が杞憂に過ぎないとわかった。

――プロポーズしよう。

俺は唐突に思った。
マヤが夜毎違う女に変身してもいいじゃないか!
それがマヤなんだから。
唯一、他人に利用されるのではないかという心配もマヤなら乗り越えられるとわかった。
プロポーズしないどんな理由があるんだ!

「速水さん、どうしたんですか?」

食事中に黙ってしまった俺をマヤが心配そうに覗き込む。

「いや、なんでもない」

俺は、嬉しそうに笑っていたのではないかと思う。
食事が終わると、俺はマヤを先に帰した。タクシーで社に戻って、机の中から指輪を取り出す。
待たせていたタクシーに乗ると急いで、家に戻った。
俺は玄関で靴を脱ぐのももどかしく、リビングに行った。しかし、マヤはいない。
家の中を探すと、マヤは縁側にいた。寝間着姿で縁側に立ち月を見上げている。
俺の方を振り返ると言った。

「おかえりなさいませ、おまえさま」

う! 阿古夜か!
マヤ、頼む、元に戻ってくれ!
阿古夜にプロポーズするわけにいかない。きっと、おばば様の許しを貰ってくれとか言い出すに決まっている。
どうしたらいい? どうしたらマヤを元に戻せる。
俺は必死の思いで黒沼さんがするようにパンと手を打った。

「そこまで!」

と声をかける。マヤの雰囲気が変わった。マヤは目を数回瞬くと元に戻っていた。俺はほっとした。

「あ! 速水さん、おかえりなさい!」

「マヤ、ただいま、それより話がある」

俺はマヤの前に跪いた。指輪を取り出す。彼女の手を取った。

「北島マヤさん、結婚して貰えませんか?」

マヤがびっくりした顔をして俺を見た。マヤが首を振る。え! 断るのか?

「だ、だめですよー、結婚なんて!」

「何故?」

俺は一瞬不安になった。
マヤは俺が想うほどには俺を愛してくれていないのだろうか?

「だって……、だって、だって大都芸能社長夫人ですよ。そんなの、なれっこない」

君の不安はそこか!

「マヤ、大丈夫だ。君は何もしなくていい。今まで通りでいいんだ。頼む、結婚してくれ。生涯、側にいてくれ」

俺は必死だった。

「でも、でも、あたし、速水さんに恥をかかせるかもしれない。あたし、会社の事ってなんにもわからない。とんでもない所で、大変な事をしてしまうかもしれない。会社を潰してしまうかもしれない」

俺は立ち上がってマヤを抱き締めた。髪を撫で、そっと額に口付ける。

「マヤ、大丈夫だ。社長夫人なんて簡単なんだ。君なら化けられる。ジェーンや阿古夜に比べたら、なんでもないさ。俺が脚本を作らせる。脚本があれば、出来るだろう? な、頼む。君の為なら、なんでもする。頼むから、断らないでくれ」

「速水さん!」

俺は必死にマヤを抱き締めた。マヤが胸の中で囁く。

「ホント? ホントに脚本作ってくれる?」

「ああ、作るとも! いくらだって作ってやる!」

「ありがとう! ありがとう、速水さん……。それならきっと、演じてみせる。りっぱな社長夫人を!」

「結婚してくれるか?」

マヤが泣き出した。涙が止めどなく頬を伝う。

「ホントにいいの? 速水さんの奥さんになってもいいの?」

「もちろんだ、君以外、俺の奥さんはいない」

「う……、う、ううう、はい、結婚します。あたし、あたし、あなたと……」

俺は、マヤの左手を取ると、そっと指輪を薬指にはめた。

「速水さん!」

マヤが俺の首に抱きつく。俺はひしとマヤを抱き締めた。そのまま、マヤを抱き上げる。ふかふかのお布団の上にマヤをそっと抱き降ろした。マヤがうっとりと俺を見上げる。

「あたし……」

俺はキスでマヤの唇を塞いだ。
マヤ、何もいうな!
今夜は……、
今夜こそは、君を抱きたい。
マヤ、俺の恋人!








あとがき


マスマヤ情景シリーズ第3弾です。一緒に暮らし始めた二人を書いて見ました。
お気に召していただけたら嬉しいです。
読者の皆様へ感謝をこめて!


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