紫の薔薇の花嫁 



 見上げると青い空が広がっていた。
昨日のまでの嵐は嘘のように晴れ渡っている。
速水真澄はため息をついた。
一体何度目だろう。

――今日、マヤが結婚する……
  俺は……
  考えてもどうにもならないとわかっている
  忘れようと……、忘れてしまおうと……

そのループした思考は、秘書の水城が部屋に入ってくる音で中断された。



北島マヤは花嫁の控え室で式が始まるのを待っていた。
白薔薇のウェディングブーケに目を落とす。ほうっとマヤはため息をついた。

――これでいいの。これでいいのよね。

誰に強制されたわけでもない。自分で選び取った道。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。

「どうぞ……」

ドアを開けて速水真澄が入って来た。

「速水さん! どうしてここへ!」

「チビちゃん、君に渡したい物がある」

真澄は後ろ手に持っていた一本の薔薇をマヤに差し出した。

「!」

マヤは大きく喘いだ。

「それ……、紫の薔薇……」

「ああ、そうだ……、俺が君に薔薇を贈っていた。紫の薔薇を……、……最後の薔薇を君に贈るよ、結婚おめでとう!」

マヤは紫の薔薇を受け取ると黙って見つめた。その目にみるみる涙が溢れる。真澄はあわててハンカチを取り出し、そっと花嫁の涙を拭った。

「泣くんじゃんない、ほら、せっかくの花嫁が台無しになる。幸せになるといい。彼は誠実でいい男だ。君を理解し、愛してくれるだろう」

マヤは真澄を見上げた。喉元に熱い物が込み上げる。

「……今まで、支えてくれて、ありがとう……ございました……、紫の薔薇の人。あたし、長い間、御礼がいいたかった」

「ああ、わかってる。俺は……、ずっと、君のファンだ。恐らく一生……。これからも君の舞台を楽しみにしている」

真澄は愛しいマヤを見つめた。他の男になど嫁がせたくない。真澄は本音が溢れそうになるのを鉄壁の理性で押し殺した。
マヤは真澄のハンカチで目頭を押さえた。嗚咽が込み上げて来る。息を吐いて、誤摩化した。

「速水さん……、あの、名乗ってくれて、嬉しかったです。……あの、あたしの話を聞いて下さい。笑わないで下さいね」

マヤは笑わないでと言いながら、真澄が笑わないのがわかっていた。

「なんだ?」

「あたし、ずっと、速水さんが好きだったんです」

「!」

真澄は声も出なかった。真澄は、今でこそマヤから大嫌いと面と向っていわれる事はなくなったが、それでも、憎んでいる事にかわりはないと思っていた。

「あなたが紫織さんと結婚したから、あたし、あなたを諦めたんです。結婚を前に速水さんが名乗ってくれて良かった。今ならまだ独身だから……」

マヤはふふふと笑った。

「あの、一度だけ抱きしめさせて下さい。速水さん、紫の薔薇の人……」

マヤは真澄を抱きしめた。真澄のコロンと煙草の入り交じった香りがする。

「さようなら、速水さん、あたしの足長おじさん……、あたし、あなたが魂の片割れならどんなにいいかって思ってました。あたしの見果てぬ夢です」

マヤは真澄を見上げた。真澄の驚いた瞳。
マヤは真澄から離れると、ウェディングブーケに紫の薔薇を差した。白い花束にただ一つの紫の薔薇。

「北島さん、お時間です」

式場の付き添い係が呼びに来た。

「はい、今、行きます。……あたし、あなたの元からお嫁に行きます。最後に紫の薔薇を貰えて良かった」

「マヤ……」

真澄は行きかけたマヤの腕を掴んだ。

「待て! 待ってくれ!」

マヤは怪訝そうな顔をして真澄を見上げた。

「1分でいい、待ってくれ。俺も君に告白しよう。マヤ、俺も君を……。俺は、君が俺を憎んでいると……ずっとそう思っていた。俺は君を諦め紫織さんと結婚したんだ。紫織さんを嫌いではなかったが、愛していたわけではなかった。結局、うまく行かなかった。妻とは今朝離婚した。もう、遅いのはわかっている。それでも言わせてくれ。俺は君をずっと愛していた。これからもこの気持ちは変わらない」

「速水さん!」

マヤは驚きに目を見張った。
係の者がドアを開けて入ってきた。

「北島さん、急いで下さい。お式が始まります」

マヤは付き添い人に手を取られた。ドレスの裾を持ち上げ静々と歩くマヤ。数歩進んでマヤは振り返った。部屋を出ながらマヤは真澄の瞳を見つめていた。

真澄の前で控え室のドアが閉まった。
真澄は永遠にマヤを失ったのだ。行ってしまった花嫁。
真澄は立ち尽くしてドアを見つめていた。
チャペルの鐘の音が聞こえる。式が始まった。


速水は式場を後にすると、大都芸能社長室に戻った。やりかけの仕事を始める。
しかし、全く手につかない。書類の同じ箇所を何度も読み返している。

――マヤが俺を愛していた、なんて事だ……、マヤ……、マヤ!

ドアをノックする音が聞こえた。

――水城君か? どうせ、また、俺に小言を言うのだろう。今日は聞きたくない気分だ……

真澄はパソコンに目を落としたままぶっきらぼうに言った。

「どうぞ!」

社長室のドアが開く音がした。
衣擦れの音がする。不信に思って見上げるとマヤが立っていた。

「マヤ!」

ウェディングドレスを着たマヤが、はにかみながら立っている。手にはただ一輪の紫の薔薇。
真澄は驚きのあまり立ち上がった。椅子がひっくり返る。

「ここで何をしている? 結婚式はどうした? 花婿はどこだ? 披露宴は?」

マヤは速水の怒鳴り声を嬉しそうに聞いていた。ドレスの裾を持ち上げ、マヤはするすると真澄の側に行った。

「彼があたしにあなたの側に行けって……。速水さん、あたし……、結婚式をキャンセルしたの。」

「マヤ!」

マヤは手を伸ばして真澄の顔を両手で挟んだ。

「速水さん……」

マヤは爪先立ちをすると、そっと真澄に口付けした。
真澄の中の何かが最後の抵抗をする。

――コンナ事アッテハイケナイ。コノ子ノ為ニ俺ハ身ヲ引カナケレバ……

「で、出戻りの花嫁なんかいらん!」

マヤは微かな微笑みを浮かべた。そのまま、真澄の胸にその身を預ける。

「居てもいいでしょう? ここに……、あなたの側に……」

真澄の胸に当てられたマヤの小さな手。真澄の胸に熱い想いが流れ込んでくる。
真澄はとうとうマヤを抱きしめた。

「ああ、居てくれ、ずっと……、ずっと俺の側に……」

真澄はマヤの柔らかな唇に熱い口付けをした。







あとがき


最後まで読んでいただいてありがとうございました。
絵描きの猫ママさんが「愛を探して」の挿絵を描いてくださっているのですが(2011年11月30日現在未完成)、下絵を拝見させていただいた時、ぽんとこのお話が浮かびました。
切ないお話がかけたらなあと思って書いてみました。
読者の皆様へ感謝をこめて!


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