火加減はドイツ製オーブンで! 



「こちらは、フランツ・シュミットさん。ドイツ館の職員の方です」

通訳の女性が女優北島マヤに一人の男性を紹介した。長身、黒髪、緑の瞳。ブラウンのトレンチコートを手に持ち濃紺のスーツに身を包んだがっちりとした男。
マヤは、速水さんと同じくらいの年かしらと思った。
「北島マヤです。えーと、グーテンターク!」
紹介された男は、微かに口元に笑みを浮かべると右手を差し出した。マヤの手を強く握る。
「グーテンターク! フロイライン マヤ」
マヤはドイツのボンで開かれた万国博覧会の日本館に来ていた。日本文化紹介の為である。
「シュミットさんが北島さんに頼みたい事があるというのです」
通訳が説明する。話はこうだった。
ロシア大使夫人は日本人である。「紅天女」のファンでぜひ、今夜のパーティに出席してほしいと言うのだ。
「エスコートは、シュミットさんがされるそうです」
マヤは思った。

――ロシア大使夫人のパーティなんて、肩凝りそう。
  それに、シュミットさんだって初めてだし、一人で行くのは……。

「あの、あたし一人なんでしょうか?」
マヤがいささか、出席を断りたいという風情で言った。
「では、他の人もどうぞとシュミットさんが言っています」
「じゃあ……」
マヤは黒沼龍三と数人の役者の名前を上げた。隣で聞いていた桜小路がすぐにマヤと一緒に行くと言い出した。
結局、黒沼龍三とマヤ、桜小路優と楠役の戸部、お婆役の女優と5人で行く事になった。

マヤ達がパーティに出席する為にホテルのロビーで待っているとシュミットと通訳がやってきた。
二台の車に分乗、一行はパーティ会場に向った。
マヤはアストリア号で真澄から贈られたドレスと黒のボレロを着ていた。シュミットもタキシード姿だ。
会場に着くとシュミットはマヤの手を取り、大広間にエスコートした。大広間では大使夫人が多くの客達の相手をしていたが、マヤを見ると満面の笑みを浮かべ自ら出迎えた。女優北島マヤに会えたのがとても嬉しいらしい。
ロシア大使夫人は40代前半の美しい人だった。名を明子と言った。夫人は聞き上手で黒沼やマヤから次々に話題を引き出した。マヤは夫人との会話に時間が立つのも忘れて話し込んだ。
ロシア大使夫人と歓談していたマヤは気が付かなかった。そばにいた筈のシュミットがいつのまにか姿を消しているのを……。

ロシア大使夫人の話にマヤが夢中になっていると、そこに、美しい金髪の青年が現れた。
「失礼ですが、あなたは『紅天女』を演じたミス・キタジマではありませんか?」
ドリアン・レッド・グローリア伯爵と名乗った青年は、マヤのファンだと言った。流暢な日本語を話し、マヤの「紅天女」に如何に感銘を受けたか、とうとうと語り出す。
マヤは伯爵の話術に引き込まれ、いつのまにか、テラスで二人きりで話していた。
「ところで、一緒に来ていたシュミットさんは?」
「えーっと、さっきまでいたと思ったのですが?」
「そうですか、彼は僕の知り合いなのです。たまに話をしようとするといつも逃げられ、いえ、行き違いになってしまって……。ところで、シュミットさんがケーキ作りの名人だと知っていましたか?」
「え! そうなんですか? あたし、ケーキ大好きなんです」
「だと思いました。若い女性は大抵好きですからね。シュミットさんはそれは上手に作るんですよ。ただ、滅多に作らないんです……。今日はシュミットさんに頼まれてパーティに出席したのでしょう? 彼に作ってほしいと頼んでみたら如何です? 彼は、ああみえてサービス精神旺盛な男がですからね、あなたが頼めばきっと聞いてくれるでしょう。ちょうど、明日は土曜日。彼も仕事は休みの筈です」
「でも、そんな事、あたし、頼めません」
「良かったら、僕が頼んで上げますよ」
「ホントですか? 嬉しい! あ、もし、頼めるなら作っている所を見せて貰えたらと思うんです」
「ほう?」
「あの、あたし、あの、あの、ケーキを作りたいんです。でも、すっごく下手で毎年失敗して……。シュミットさんがお上手ならぜひ、教えてもらいたいなって……」
「それはいいですね。きっと、承知してくれますよ。そうですね、こういってご覧なさい。『ロシア大使夫人は、とても楽しそうでしたね。今夜、私たちはとてもお役に立てたと思います』」
「え、でも、あたし達も素晴らしいパーティに出席出来たし、来年、モスクワで『紅天女』を上演出来そうだし……、あの、誘っていただいてありがたかったのはあたし達の方なんです」
「マヤ、君はいい子ですね。でも、相手を自分の思った通りに動かそうとしたら、駆け引きがいるんですよ。さ、彼が戻って来たみたいです。言ってご覧なさい」
伯爵は、マヤを連れてシュミットの元へ行った。シュミットは、パーティ会場の角で白髪のひげの男と歓談していた。伯爵はドイツ語で話しかけた。シュミットも白髪の男も明らかに嫌そうな顔をしたとマヤは思ったが、伯爵は無視して親しげに話している。白髪の男はマヤに軽く会釈をすると、慌ただしく立ち去った。
「ミス・マヤ、さ、シュミットさんに頼んでご覧なさい。きっと承知してくれますよ」
「シュミットさんにお願いがあるのです。ケーキ作りがお上手と聞きました。あたしにケーキを作っている所を見せてくれませんか?
 『ロシア大使夫人は、とても楽しそうでしたね。今夜、あたしたちはとてもお役に立てたと思います』」
シュミットは、伯爵が通訳した内容を聞いて凄い目で伯爵を睨みつけた。マヤはどうしようと思った。言葉が通じなくても、シュミットの表情を見れば怒っているのがわかる。
「あの、あの、嫌だったらいいんです。ごめんなさい、あたし、無理なお願いをして……」
伯爵がマヤの言葉を通訳する。さらに伯爵が何か言っている。とうとう、シュミットが愛想笑いを浮かべた。ドイツ語で何かしゃべり始めた。
伯爵が通訳する。
「マヤ、シュミットさんは承知してくれましたよ。どんなケーキがいいですか?」
「えーっとですね、大人向けのケーキがいいんです、あまり甘くない……」
「恋人に上げるんですか?」
「ええ……」
マヤは頬を染めた。恋人! この言葉に真澄の顔を思い出す。
伯爵はそんなマヤを微笑ましく思った。伯爵がシュミットに何か言った。少し考えていたシュミットが、おもむろに二言三言言うと、伯爵の顔がほころびた。
「マヤ、シュミットさんが甘くないケーキがいいなら『NYチーズケーキ』がいいだろうと言っています。作り方も簡単だそうです。中に入れるチーズによってはワインと合うケーキになるそうですよ」
「え、そんなケーキがあるんですか! ではぜひぜひそのケーキの作り方を教えて下さい!」
「シュミットさんは教えましょうと言っています。会場は私が手配をしましょう」
伯爵がにこやかにマヤに言った。

翌日、伯爵がマヤを迎えに来た。
伯爵はマヤを料理教室に連れて行った。教室は古びたビルの2階にあった。
「ここは、私の知り合いがやっている料理教室です。今日一日、場所を借りたから、ゆっくり使えますよ。道具も材料も揃えておいたから」
「いろいろ、ありがとうございます」
やがてそこに、シュミットが現れた。
シュミットがドイツ語で話す。伯爵が通訳した。
「まず、こちらの映像を見なさいと言っています」
シュミットはマヤにケーキの作り方を映したビデオを見せた。あまり甘くない大人のNYチーズケーキ。
マヤはビデオを見て思った。
「このチーズ、特殊じゃないですか?」
「そうですね、日本には売っていないかもしれませんね。このチーズはお土産に上げましょう」
「ホントですか? 伯爵はとっても親切なんですね」
隣にいたシュミットが咳払いをする。マヤはシュミットの咳払いが、ビデオを見ろと言っているのだと雰囲気でわかった。
マヤはビデオをしっかり見た。伯爵が全部通訳してくれる。ビデオが終わると、シュミットがスーツの上着を脱ぎ、白衣を着た。
手術用のゴム手袋。髪をキャップにまとめマスクをする。さらにゴーグルをした。マヤはシュミットの姿に唖然とした。
「シュミットさんがマヤにも同じ格好をするように言っています」
マヤは戸惑いながらも同じ格好をした。
ーーとにかく、シュミットさんの真似をしよう。そしたらきっとおいしいケーキが作れる。
その時、シュミットと伯爵が何やら口論を始めた。
どうやら、伯爵が負けたようだ。
「あの、伯爵、何かあったんですか?」
「いえ、マヤ。私も同じ格好をしろとうるさいんですよ。彼は完璧主義なんです。ケーキに私の髪が落ちたらいけないとシュミットさんに言われました」
伯爵もまた、マヤやシュミットと同じ格好をした。伯爵の青い瞳がゴーグルに隠れ、豪華な金髪はキャップに納められようとしている。伯爵の金髪をキャップに納めるのはとても大変そうだ。伯爵は必死になって詰め込んでいる。マヤが伯爵の様子を見ていると、シュミットに声をかけられた。
「マヤ。コノヒョウノトーリニ、ザイリョウ ヲ ハカッテクダサイ」
片言の日本語である。マヤはシュミットににっこりと笑いかけた。
「シュミットさん、日本語、話せるんですね」
シュミットは紙を出してマヤに見せた。ローマ字と発音記号が書いてある。マヤは察した。話せるのではなくこれを読んだだけなのだと……。
「えーっと、材料の計量ね」
マヤは材料を計った。しかし、計る度にシュミットが駄目出しする。
「セイカクニ!」
シュミットはスパルタ式だ。マヤは月影千草や黒沼龍三の厳しい稽古を思い出した。
マヤは何度も材料を計り直した。材料を計るだけで、30分もかかってしまった。
着替えた伯爵がやってきた。こちらも髪をキャップに詰め込むのに30分かかったようだ。キャップがパンパンに膨らんでいる。思わず吹き出すマヤとシュミット。伯爵が一人憮然とする。
材料を計り終えたら、次はチーズケーキの土台になるビスケットの粉砕だ。シュミットがやってみせるので、マヤも同じようにする。
伯爵がマヤに話しかけた。
「あなたは、一度見ただけで芝居の台詞やフリを総て覚えるとか」
「はい!」
「だったらシュミット氏の動作を芝居のフリだとおもえばいいのではないですか?」
「ええ、でも、はやり、芝居とは違うんです。あたし、不器用で!」
マヤはシュミットのやり方を見ながら、粉砕したビスケットを型に敷き詰めた。さらにチーズと砂糖を練り込んでチーズケーキの種を作る。種が出来たら、型に流しこんだ。
オーブンにいれ焼き上がるのを待っている時、料理教室のドアが開いた。
「速水さん! どうしてここに?」
開いたドアの先に速水真澄が立っていた。濃いブルー系の三つ揃いを着た真澄はいつにも増して鮮やかだ。
「君に会いたくて……、ホテルに聞いたらこちらだと……」
伯爵がマスクとゴーグル、キャップを慌てて取った。豪華なイギリス青年に戻る。
「マヤ、こちらが君の恋人?」
「ええ、伯爵。あたしの恋人、速水さんです」
マヤは頬を染めて伯爵に真澄を紹介する。
「初めまして、私はドリアン・レッド・グローリア伯爵」
「初めまして、大都芸能の速水です」
二人は握手をした。さらに、伯爵がシュミットに真澄を紹介する。シュミットと挨拶を交わす真澄。
「速水さん、あたし、シュミットさんからチーズケーキの作り方を習っていたの。もうすぐ焼き上がるわ。一緒に食べましょう。速水さんの為に作り方を教わったの。明日誕生日でしょう。1日早いけど……。
誕生日おめでとう、速水さん!」
「ありがとう、マヤ。嬉しいよ!」
伯爵とシュミットが見ているのも構わずマヤを抱き締める真澄!
残念そうな顔をする伯爵。
シュミットはそんな伯爵を見て、くすくすと笑った。

チンという音がオーブンからした。
シュミットは焼き上がったケーキを8分割の線が引いてある紙の上に置いた。マヤにも同じようにするよう促す。
「あ、なーる。こうすれば正確に八等分できるんですね」
しばらくケーキを冷ました後、8等分するシュミット。マヤも自分のケーキを8等分する。
シュミットは、ケーキを切り分けると、自分はケーキは食べないからと言って、マヤと真澄に挨拶をして帰って行った。
出て行ったシュミットを追いかける伯爵。料理教室の前、シュミットの車の側で話す二人。
フランツ・シュミットとは名ばかり。
本名、クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐。NATOの将校だ。
「少佐!」
「なんだ、伯爵! 今回はよくも人にケーキを作らせたな!」
「君のケーキを食べたかったんだよ」
「まあ、いい。フロイライン・マヤには世話になったからな。それより、貴様、マヤの恋人に手を出すなよ」
「もちろんだとも。彼は素敵だけどノーマルだからな。それより気がついたか?」
「ああ、気が付いた」
二人は車のバックミラーに映る影に目をやった。
「あれは、松本というジャーナリストなんだそうだ。マヤの知り合いだと言っていた」
「ジャーナリストか……」
少佐はたばこに火をつけた。
「尋常ではない身のこなしに不信に思ってな、部下に調べさせた。最初は日本の内閣調査室の者かと思ったんだが、調べた結果、本名、聖唐人。マヤの恋人、速水がマヤにつけたボディガードだ」
「そうか、聖というのか。素敵な名前だ。今度、口説いてみよう」
「やめとけ。ああいう男はおまえのようなチャライ男には落ちん」
「へえー、彼はどういう男だというんだ」
「日本には武士道というストイックな考え方があるが、彼は武士ではないかと思う。主君の為に死ぬ覚悟が出来た人間だ。おまえには無理だな。
 ……ああいう男に命をかけさせる。マヤの恋人は凄い男のようだ」
「君こそ、ずいぶんと聖に興味を持つじゃないか?」
「俺は常にスカウト出来る人材を探しとるだけだ。あれなら、東洋圏のスパイに対向出来る……。
 伯爵、ケーキを食べたら、俺の前からさっさと消えろ。ロンドンに帰れ。ドイツの空気が汚染される!」
「ははは、マヤの紅天女を見たから帰るさ。君にまたインターポールに通報されたら適わないからね」
「フン!」
少佐は車のドアを音高く閉めると走り去った。

――今回の盗みの目的は君の作ったケーキさ!
  素晴らしいケーキをありがとう、わが愛する少佐殿。
  エロイカより愛を込めて  Good Luck!

伯爵は少佐の焼いたケーキを食べた。マヤと真澄も食べた。
マヤは思った。どうして同じように作った筈なのにシュミットさんのケーキの方がはるかに美味しいのだろうと!
「俺は君が作ったケーキの方がうまかったぞ!」
「そうそう、やはり愛する人が作ったケーキが一番おいしい物です。それに彼は特別ですからね。気にする事はありません」
食べ終わると伯爵はマヤにチーズとレシピ、作り方のメモ、ビデオや使った調理器具まで全部パッケージしてホテルに届けると約束した。
「マヤ、これで日本でも作れますよ」
「伯爵、親切にして下さって、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、あなたのような芸術家と知り合えて幸運でした」
伯爵はさらに真澄と握手をする。真澄をさわさわとさりげなく撫でる伯爵。ぎょっとする真澄をおいて笑いながら伯爵は立ち去った。
「速水さん、伯爵って豪華な人でしたね。まるでアポロンのような人でした」
「ああ、そうだな……」
「速水さん?」
「君は、その……、彼が男色家と知っていたか?」
「ええ! 伯爵が!」
「恐らく、シュミット氏も普通の人じゃないな。軍人だろう。握手した時の握力が半端じゃなかった。伯爵の目当てはシュミット氏だな」
「ええ!!!!」
ドイツの街角にマヤの驚きの声が木霊した。


エピローグ

日本に帰ったマヤは、真澄の為にケーキを焼いた。
そして失敗した。
マヤの失敗の原因!
材料もレシピも手順も全く一緒だったのだが……。
マヤが持って帰れなかった物。
それは……。
料理教室作り付けの……。
ドイツ製オーブン!

しかし、真澄はマヤの作ったこげたNYチーズケーキをおいしく食べた。
真澄にとってマヤの作ったケーキはどんなケーキでも最高のケーキだった。

愛する人が想いを込めて作った世界に只一つのケーキ!





あとがき

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
速水さんの誕生日に何を書いたらいいかわからなくて、お誕生日ネタを募集した所、お友達のプリモ様からリクエストがありました。「エロイカより愛をこめて 35周年メモリアルブック」に載った美内先生のイラストにあったマヤの言葉「少佐のケーキ食べたーい」を読みたいというリクエストでした。
パロを書いた後にメモリアルブックをよく見たら、イチゴのショートケーキだったのですね。(^^;;)
NYチーズケーキ、みなさんにおいしく楽しんで貰えると嬉しいです。
感謝をこめて!



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