チョコレート 



鷹宮紫織はクラブ「マスカレード」に来ていた。
速水と関係のあった女の顔が見たかったからである。
速水の心が自分に無いのではないかという不安。
それが紫織を無謀な行動に駆り立てていた。

(婚約者なのに真澄は私を求めようとしない。
 手は握ってくれる。ダンスの時に抱き寄せてくれる。
 でも、それだけ。
 二人きりになれる場所はたくさんあるのに、誘ってはくれない。
 私を求めてはくれない。)

結婚まで大事にしてくれているのだと思い込もうとしたが出来なかった。
その不安が、紫織を無謀な行動に駆り立てた。
見合いをする前、鷹宮家は一応、真澄の身辺調査をした。
真澄ほどの男なら、複数の女性との付き合いがあっても不思議はないと思い、女性問題を重点的に調べたが、見合いをする時点では、つきあっている女性はいなかった。
調査書によると、クラブマスカレードのママ、薫は、すでに、速水と別れていた。
だが、紫織は交際期間が気になった。
8年。

(長いわ。調査書によると切れ切れだったとなっていたわ。
 つまり、他の女性とつきあっても、結局、この薫という女の所に戻ったのだわ。
 どんな女性か会ってみたい。)

薫は、鷹宮紫織を前にして、婉然と微笑んでいた。

「ようこそ、鷹宮様、私、こちらのママをしております薫と申します。」

「はじめまして、紫織です。」

薫の笑顔を見ると、紫織は、何をするつもりだったかわらかなくなった。

「あの、速水さんとお付き合いがあったと聞いたのですが」

「まあ、ほほほ、速水様の大都グループには大変ご贔屓にしていただいております。」

「いえ、そうではなく、個人的にお付き合いがあったと聞いたのです。」

「お嬢様、ここは、銀座でございます。こちらに来られるお客様のお話は他の方とは一切致しませんのよ。それが、ルールでございますのよ。」

「・・・」

「お嬢様、何か、お悩みがお有りのようですね。お聞き致しましょうか?
 どうぞ、このお酒をお飲み下さい。リラックス出来ましてよ。」

そう言って、薫は女性向けのカクテルを勧めた。
紫織は、そのカクテルを一口飲んだ。酒を飲むとのど元から胃の腑までがカッと熱くなった。

「あの、」

紫織は思った。何を話そうとしているのか、自分でもわからなかったが、心の不安を無くしたかった。

「真澄様のあの方の心がよくわからなくて。」

「お嬢様は、他の男の方とお付き合いされた事がお有りですの。」

「いいえ」

「まあ、では、初恋ですのね。」

「ええ、そうなんです。私、体が弱くて家に引き蘢りがちだったんです。それに、学校はずっとミッションスクールで男の方はいませんでしたし。」

紫織はさらに、カクテルを一口啜った。

「あの方、真澄様は、私を凄く大事にしてくれるんです。でも、それだけなんです。いつも笑顔で、優しくて。」

「まあ、おのろけですか、お熱い事ですこと。」

「いえ、それが、そこまでなんです。一度も疲れた顔や愚痴一つ私にはいわないんです。」

「まあ、ほほほ、お幸せですのね。」

「でも、なんだか、心が通った事が一度もない気がして。」

「それで、不安だと」

「ええ、そうなんです。」

「世の中には、悪い男が五万といるんですのよ。お嬢様のお悩みは私共から見ましたら贅沢なお悩みのように思えますが」

「そうなんでしょうか?」

「人の心は結局、わかりませんわ。ですから、最初からそういうものだと思えばいいんですよ。」

「・・・」

「さあ、少しお酒でも召し上がって、この子に愚痴でも言って、ぱーっと発散させれば楽しくなれますわ。」

そう言って、薫は女の子を一人置いて、他の客の相手をしに戻っていった。
薫が残していったホステスは、落ちついた雰囲気の女性で、名を千里(ちさと)といった。

「さあ、どうぞ、こちらもお召しあがりください。」

そういって、チョコレートの皿を勧めた。
カクテルのアルコールに軽く酔って来た紫織は、いわれるままに、チョコレートを食べた。
それは、今までに食べた事がない程おいしいチョコレートだった。
紫織は不思議に思った。大抵の高級チョコは食べた事があるのにこれはどこのお菓子かしらと思った。
千里に聞くと

「ママが懇意にしているパティシエが特別に作ってくれた物なんですよ。」

と言った。

「おいしいわ。」

そう言って紫織は、カクテルを飲みながらそのチョコレートを平らげた。
するとなんだか、元気になった。
くよくよ悩んでいたのが嘘のようだった。紫織は帰る事にした。

「ここはいいお店ね。楽しかったわ。」

紫織がそう言うと、千里はありがとうございますと言って頭を下げた。

鷹宮紫織は、不安になるとクラブ「マスカレード」に行った。
やがて、足繁く通うようになった。
大抵、お付きの者と一緒だったが、お付きの者はカウンターなので、テーブルに一人で座っている紫織は、他の客から一人浮いて見えた。
バーテンダーは、お付きの者にそれとなく注意したが、立場上、紫織に意見を言える立場ではないようだった。
とうとう、薫は、速水に連絡をする事にした。
薫が真澄の携帯に電話をすると、すぐに、真澄が出た。

「真澄、薫です。お久しぶり!」

「珍しいなあ、あなたから電話だなんて!」

「ふふふ、真澄、あなたの婚約者、ここ1ヶ月ばかり、当店でお酒をお召しになっているの。
 いつも、一人で。」

「紫織さんが! 一人で!」

「このままだと、うちの他のお客様が、あなたの婚約者に興味をお持ちになりそうよ。」

「すぐに、引き取りに伺うよ、薫、連絡ありがとう!」

「どう致しまして!」

速水は、社長室で書類仕事をしていたが、途中で切り上げると、クラブ「マスカレード」に向かった。
店に着くと、ボーイが紫織のテーブルに案内してくれた。

「紫織さん!」

「真澄様? 何故ここに?」

「久しぶりにここで一杯飲もうかと思いましてね。あなたに会えて良かった。」

「そう、、、。ごめんなさい。真澄様、私、ここのチョコレートがあんまりおいしい物ですから、つい、、、」

「女性が一人でこういう店に来るのは関心しませんね。チョコレートがお好きなら毎日送って差し上げますよ。
 さあ、帰りましょう。」

そう言って真澄は、強引に紫織を店の外に連れ出した。
お付きの者が車を回してくるのを待っていると紫織が、泣き出した。

「私、私、不安だったのですわ。あなたが、何もおしゃって下さらないから。」

「紫織さん、僕の話は仕事の話がメインになってしまうんです。
 それでは、あなたが退屈すると思って話さないでいるんですよ。
 それとも、話しましょうか? 例えば、今日の大都劇場の観客動員数の話とか。
 あなたには興味がない話でしょう。さあ、涙を拭いて下さい。
 次のデートの時にゆっくり話しましょう。」

速水はそう言って、紫織を車に乗せた。
走り去る車を見ながら、速水はやれやれと思った。
そして店に戻るとカウンターに座りバーボンを注文すると、紫織が食べていたチョコレートがどこで手に入るかバーテンに聞いた。

「ママが懇意にしているパティシエが特別に作ったものなので、、、、。」

とバーテンが済まなそうに言った。仕方なく、薫を呼んで貰う事にした。

「薫、仕事中、すまない。このチョコレート、どうやったら手に入る?」

「ふふふ、仕方ないわね。このチョコレートを扱っているお店を紹介してあげる。紫織さんをそこに連れて行きなさい。
 真澄、愛してないならさっさと別れた方が二人の為よ。鷹宮系列の人脈くらいもう抑えているのでしょう。
 あなたが鷹宮と結婚する理由なんて、差し詰めそれだけでしょうから。」

「さすがに、薫はお見通しだな。閨閥に入るには結婚が一番簡単な手段なんだ。」

「じゃあ、結婚すると決めたなら、ぼろを出さないようにしなさい。
 紫織さんは不幸よ、このままでは。
 でも、あなたに取っては紫織さんの幸福は二の次でしょうけど。
 さ、ここが、そのお店よ。」

「薫、怒ってるの?」

「いいえ、ただ、、、、。
 真澄、あなたには幸福になってほしいの。」

そう言って薫は、ドレスの裾を翻して他の客の元へ戻っていった。


速水は、翌日、紫織に連絡すると薫が教えてくれた店、とあるネイルサロンに紫織を案内した。
紫織は、そのネイルサロンに足繁く通うようになった。
そこは、爪の手入れをしながら、担当者が客の愚痴話を聞いてくれるサロンだった。
紫織は、そこでチョコレートを食べ、おしゃべりをした。
酒は無かったがそれでも、自身の不安を話すとほっとした。

紫織は通った。そのネイルサロンに。何度も何度も。そして、チョコレートを食べた。
やがて、彼女の体重は増加、顔には吹き出物、美しかった彼女の歯は虫歯だらけになった。

次に紫織が足繁く通ったのは、もちろん歯医者だった。

数ヶ月後、速水と婚約を解消した紫織は、以前の美貌を取り戻していた。
新しい恋人と共に。

恋人の職業は歯科医。

紫織の前歯には美しい差し歯が並んでいた。




最後まで読んでいただきありがとうございます。
「別冊 花とゆめ 11月号」を読んだ後、紫織をいたぶってみたくて、書いた作品です。紫織の為に壁紙を作るのが面倒だったので、ブログにアップしていたのですが、昔の壁紙を流用すればいいかなと思ってサイトにアップしました。
お楽しみいただけましたでしょうか?
読者の皆様へ 心からの感謝を込めて!




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