修復



毎朝新聞XXXX年XX月XX日 朝刊
「鷹宮家ご令嬢、新婚旅行で事故死」
「クィーンエリザベス2世号にて、新婚旅行に旅立った鷹宮家ご令嬢紫織さんは、高波の為船より落ちて死亡した。他に、怪我人もでたが、いずれも軽症。新郎速水真澄氏は、無事だった。葬儀は、、(以後略)」(海から引き上げられた紫織さんを呆然と見守る速水真澄氏の写真)


事件記者田中義男は、疑問に思っていた。鷹宮紫織の死を。
「ヨッシー、何考えてるの。あら、それ、鷹宮家のご令嬢の事故の記事じゃない。それが、どうかしたの。」
同期の鹿島恵子が話しかけてきた。
「ん、なんだかな〜、この記事が引っかかるんだよな〜。」
「何が?彼女、事故でなくなったんでしょ。クィーンエリザベス2世号から落ちて」
「そうなんだよ。だがな、おかげで、速水真澄には、紫織名義の莫大な財産が手に入ったんだぜ。」
鹿島恵子は、記事をざっと読むと
「でも、この記事によると、デッキから落ちる時、速水真澄は、プールサイドにいたって書いてあるじゃない。一人にしなければって、声をふるわせてたって書いてあるわよ。」
「確かに、当日、披露宴をおえて、クィーンエリザベス2世号に乗り込んだ時、花嫁は疲れきっていたらしいんだ。元々、鷹宮紫織は丈夫な質ではなく、よく、発作を起こしていたらしい。ただなあ、引っかかるんだよな〜。だってさ、新婚初夜だぜ。いくら、病気になったからって新妻を一人ほっといて自分だけ外にでるかよ。それに、もう一つあるんだよな」
「もう、何が、ひっかかるのよ〜、早く言いなさいよ。」
鹿島恵子が急かした。
「いいか、ここだけの話だぞ。」田中義男は声を潜めた。いくら社内だからといって安心して話していい内容ではないらしい。
「ふんふん」恵子は生返事をした。
「鷹宮紫織は、結婚する2ヶ月ほど前、速水真澄が、交通事故にあった同じ日に自殺未遂を起こしたらしいんだ」
「え〜〜〜、なんで」とつい大きな声をあげてしまった。
「しい〜〜っ!大きな声を出すなよ。ホントに。自殺の理由はわからないが、速水真澄は、それを聞いて、あせって車を走らせた結果、交通事故にあったらしいんだ。」
「それって、確かな話なの。」恵子も声をひそめる。
「速水真澄が、事故った時、伊豆の病院に入院したろ、その時、記者や来客の相手をしたのが、鷹宮紫織だったんだ。その時、手首に包帯を巻いていたのを何人も見ているんだ。」
「へ〜、でも、一体なんで、自殺なんか。だって、婚約時代って一番幸福な時でしょ。それとも、けんかでもしたのかしら。あっ、もしかしたら、速水真澄に女がいてそれがばれたとか。」
「だとしても、彼女は鷹宮家のご令嬢だぜ。速水真澄に女がいたとしても、彼女と天秤にかけられるような女はそうそういない。あの男みたいに、会社の発展が生き甲斐のような男にだぜ。大都芸能にとって、これほど、いい縁談はないんだ。それを自分から、こわすと思うか?」
「確かに、おかしいわね。どちらかというと、速水真澄が紫織のご機嫌を伺ってしっかり捕まえておかないといけないんじゃない?」
「そうなんだよな〜」
「それに、仮に、速水真澄に女がいたとしても、鷹宮紫織と結局、結婚したんでしょ。紫織からみたら丸くおさまったんじゃないの。あっ、わかった。その女が船にのっていて紫織をつき落としたとか。」
「そうなんだよ、俺も共犯がいたんじゃないかと思ったんだけどさ、落ちたのが、メインダイニングの真ん前なんだよな。メインダイニングにいた客はほとんど見てるんだよ、紫織が気分悪そうに一人でふらふら歩いているのを。ただなあ、誰も、落ちる所は見てないんだ、他の客も高波で大きく船が揺れたもんだから、自分の事で精一杯だったらしい。」
「つまり、紫織がデッキを歩いていた時、ちょうど、高波が起きて船をゆらし彼女が落ちたって事?」
「そうなんだよな〜、偶然なのはわかっているんだけどな。鷹宮紫織は運が悪かったんだろうと思うんだ。だがな〜、落ちて死んだのは、彼女だけなんだよ。大体、クィーンエリザベス2世号みたいな大きな船から人が落ちるほど傾いたのにだぜ、他に落ちた人間が一人もいないんだぜ。確かに、その時間はちょうど、メインダイニングでは食事の始まった時間だし、となりのラウンジではショーもやっていたし、ほとんどの人が船内にいたんだ、一体なんだって、一人でふらふらあんな所を歩いていたのか、わからないんだよな。」
「そうはいっても、船が傾いたのは、高波のせいで速水真澄が高波を起こしたわけじゃないじゃない。それに、こんな美人、どうせ殺すんだったら、十分、彼女の体を楽しんでから殺すんじゃない、男ってさ」
「それをいわれると、辛いな〜。そうだよな、新婚初夜の前に殺すって事はないよな〜。」
「でも、女だったらありえるけどね。好きな男が自分以外の女を抱くのはいや〜って」
「で、高波を起こすのか?」
「それこそ、ありえないわね」恵子は笑った。
「とにかく、あの2人は、何かあったのさ、俺の記者としての勘がそういってるんだ。調べてみるよ。」
「何か、わかったら教えて」

田中義男は、警察庁に行き、鷹宮紫織の死因について聞いた。発表の通り、「高所からの落下による頸椎骨折による死亡」だった。それでも、検死官に食い下がって他に異常な所はなかったか聞いた所、紫織は、いつもの発作の薬と船酔いの薬、それに抗鬱剤に睡眠薬を服用していたらしい。ちなみに、彼女は処女だったと検死官は付け加えた。
田中は、(そんなに飲んでいたらそりゃ、意識も朦朧とするだろう。)と思った。
(しかも、抗鬱剤だと)。

田中は、次に、懇意にしている捜査一課の刑事を訪ねた。斉藤芳信という一見、刑事に見えない小男は、薄くなった髪をなでつけながら、田中に言った。 「あれは事故だね。どこにも不振な所はなかったよ。確かに、薬の飲み過ぎだったかもしれないが、死因が服用した薬による中毒死なら、事件性が高いが、今回は、船から落ちるという事故だからな。しかも、唯一の容疑者の夫は、プールサイドにいて、突き落とす事なんか、まず出来ない。まあ、運が悪かったのさ。」
「でも、抗鬱剤を飲んでたんですよ。鷹宮紫織は、鬱病だったんですか?」
「さあな〜。仮に、そうだとしても、今回の事件とは、関係ないんじゃないか。そういえば、保険屋が同じような事を聞きにきてたよ。自殺じゃないかって。」
「自殺!?」
「そりゃそうだろう、抗鬱剤を飲んでいて事故死したら、まず、自殺を考えるだろう。」
「でも、新婚旅行ですよ。普通は幸せいっぱいじゃないですか?」
「ああ、そうだ。だから、自殺の線はないって事さ。つまり、自殺でも他殺でもないなら、事故死しかないだろう。しかも、もし、誰かが殺そうとしていたとして、あんなにタイミングよく高波を起こせるか、神様でもなければ無理だろう。しかも検死した結果、死体には、争った跡もなければ、自殺によくあるような跡もない。」
田中は唐突に質問をかえた。
「じゃあ、速水真澄は、プールサイドでなにをしていたんです?食事の時間じゃなかったんですか?」
「それも、聞いたよ。えっと、ちょっとまってくれ、メモがあった筈だが。」
斉藤は、がさがさと、書類の山からメモを探し出した。
「ああ、これだ。読んでみろよ。」
田中は、速水真澄のコメントを読んだ。
「船に乗る時から妻はとても疲れていました。船が出ると、今度は、船酔いになったらしく、気分が悪いというので船室で休ませました。もともと丈夫な質ではないので、いっそ、新婚旅行を中止した方がいいのではないかと妻にいったのですが、部屋で休めば、大丈夫だというのでそのまま部屋で休ませました。こちらも、疲れていたのですが、シャワーをあびるとさっぱりしたので、食事の前に、煙草が吸いたくて、部屋の外にでました。妻から室内で煙草を吸わないでくれと言われていたので。デッキに出ると、夜風が気持ちよく、軽く一杯飲みたくなったんです。プールサイドに確かサイドバーがあったと思ったので、そちらに向かいました。一杯飲みながら、一服していました。そしたら、突然、船が大きく揺れたんです。びっくりしましたが、バーテンが落ち着いていましたし、こちらも、水がかかったくらいだったので、特にあわてる事もありませんでした。プールサイドの客達も悲鳴をあげていましたが、揺れがすぐに納まったので、皆、すぐに落ち着きを取り戻しました。妻の様子が心配になりましたので、部屋に戻ろうとしたら、誰かが落ちたという叫び声が聞こえました。部屋に戻ると、妻がいなくなっていて。まさかと思って、探しに行くと、デッキに人が集まっていて。誰が落ちたのかと聞くと、女性らしいというので、なんとなく胸騒ぎがして。引き上げられるのを見ていたんです。そしたら、、、」
「な、どうだ、まあ、筋が通っているし、特に怪しい所もないだろ。だから、今回はきれいな事故死なんだよ。」
田中は、警察庁を後にした。社に戻ると、恵子がまっていた。警察庁でわかった事を話してやると、恵子は、ほら、やっぱりという顔をした。

田中義男は、気になった山はとにかく気の済むまで調べる事にしている。何故、鷹宮紫織が、婚約時代に自殺を図ったのか、そこから調べる事にしたが、鷹宮邸の使用人達は、口が固かった。そこで、速水真澄側から調べる事にした。自殺のあった14日前後の速水真澄の行動を調べたのだ。こちらも難航したが、やっと、前々日、鷹宮紫織と速水真澄が一緒にいたレストランを見つける事ができた。ボーイに話を聞くと、
「あの日、速水様は、深刻そうな様子でした。食事にもあまり手をつけられず、お連れの女性に何か話されたんですね。そしたら、いきなり、その女性が、声をあらげて、速水様にコップの水をかけられたんです。バシャって。」
「何を話していたかわかる?」
「よく聞こえませんでしたが、『育った環境が』どうとかって、ただ、女性の方はよくわかりました。大きな声で『今になって、私ききません、ききませんことよ』といってらっしゃいました。上品な人っていうのは、怒った時も言葉使いがきれいなんだなって思いました。」
田中義男は、なんとなく合点がいった。速水真澄は、養子である。義父の速水栄介に引き取られ経営者として厳しい英才教育を受けた。そんな速水真澄と蝶よ花よと育てられた鷹宮紫織に共通点があるわけがない。速水真澄は鷹宮紫織との婚約を解消しようとしていたのか。だが、お嬢様は婚約解消を苦に自殺未遂を起こした。それでやむなく結婚したのか。
つまり、速水真澄にほれていたのは、お嬢様の方で、速水真澄は、会社の為と思って割り切って付き合っていた。しかし、それでは、紫織も自分も不幸だという事に気がついて婚約を解消しようとしたのか。
(あの、仕事人間が。)
義男は、ここで、またわからなくなった。あの仕事人間が、そんな、人間的なことをするだろうか。しかし、ボーイの話が本当だとすると、そういう事になる。
田中義男は、速水真澄の女性関係を洗うことにした。もし、他に女がいて鷹宮との結婚を反故にしようとしたのだったら、どんな女性か、そして、その女性が紫織の死に関わっていないか調べることにした。
 ところが、速水真澄のまわりに女性がいないのである。三十二にもなる男のまわりに女性が一人もいないなんて事があるだろうか?まさか、ホモセクシュアルか?
そう思って、こちらも調べてみたがいないのだ。
 もう一度、田中義男は、中学時代から遡って調べる事にした。
 そこまで遡ると確かにいたが、それも単なるクラスメイトの域を出ない付き合いでガールフレンドというほどでもなかった。しかし、母親を亡くした辺からそんな話もなくなったのだ。そして、大学時代になると多少はぽつぽつ出てきたが、これも、3ヶ月くらいですぐに別れてしまい、長続きした試しがなかった。どちらかというと女性の方が惚れて付き合うが真澄に失望して別れていくといった感じだった。大学を卒業、大都芸能に就職した後は、仕事だけやってきた感じだが、どうやら、銀座の高級クラブのホステスあたりと関係していたみたいだった。それも口が固く、後腐れのない女とばかり付き合っている。
こんな男によく鷹宮紫織をほれさせる事が出来たもんだ。
自宅につれて来たのは、北島マヤという女優だけ。それも、未成年だった彼女を保護する為だった。
田中義男は思った。
(速水真澄は、結局、仕事の鬼だったが、多少、年齢のせいで性格が丸くなったのだろう。鷹宮紫織を自分の女房にしても、きっと、幸せにする事ができないと気がついて紫織のため、自分の為に別れようとしたのだろう。そうでなければ説明がつかない。  もし、本当に冷血仕事人間なら、紫織が自分に惚れているのをいい事に、結婚。適当に浮気しながら、紫織は妻として大事にする。そういう、典型的政略結婚をしていただろう。
という事は、紫織の死は事故死という事だな。あとは、紫織が何故、鬱病になったかだな。)
義男は、いくら考えても、紫織が鬱病になった原因はわからなかった。
好きな男と結婚出来るのに、一体何故、鬱病になったのか、義男はわからなかった。
(自殺未遂をする事で、しっかり、速水真澄をつかまえる事ができたのに、何故だ。)
自殺未遂から結婚までの間に何が起きたのか、もう一度調べる事にした。
田中義男は、角度をかえて、新婚の2人がどこに住む事にしていたのか、週刊誌や新聞をあたってみた。
二人は、鷹宮邸の東の棟を改築して済む事にしていたらしい。インテリアデザイナーに話をきいてみた。
「紫織さんはとても素晴らしい方でしたわ。今度の事は、本当に残念です。私共もせっかく改築した新居にどなたもお住まいにならないなんて、実に残念です」
「その紫織さんなんですが、打ち合わせの時に何か、かわった事に気がつきませんでしたか?」
「といいますと」
「なんというか、結婚を心待ちにする女性が、しないような事とか。」
「特にそんな事はなかったですけど。そういえば、新郎の方が仕事人間で、当方との打ち合わせにも全く参加されず、なんでも、『寝る場所さえあればいい』と言っていたそうです。紫織さんはそれを気に病んでいました。」
「では、新郎とは、一度もお会いになった事がないんですか?」
「はい、私共は、お会いしておりません。なんでも、仕事がものすごく忙しいらしく、紫織さんとのデートも秘書がスケジュールを組んでいたそうです。」
「えっ、では、婚約時代特有の二人で新婚生活を始める準備の楽しさとかそういうのは、なかったわけですか?」
「そうなんですよ、そうそう、思い出しましたわ、電話をかけるのは、いつも、紫織さんの方からで、婚約者の方からは一度もなかったそうです。なんだか、冷たい方だなと思った事を覚えています。それに、『紅天女』の試演を成功させる為に奔走していて、私の事は二の次だと嘆いておられました。」
義男は、デザイナーに礼をいって、社に戻った。
義男は、速水真澄の大学時代のガールフレンド達を取材したノートをもう一度読み返してみた。

遠藤郁子のメモ
(彼とは同じ学科をとっていて、私が病気で休んだ時、ノートを貸してくれたの。とても親切だったのでこれは、てっきり気があるのかなと思ったの。でも、後で考えるとみんなに親切だったの。それでいて、代返とか不正な事を頼むと絶対断ったわ。それでも、いろいろ誘うと結構つきあってくれて、楽しかったわ。ただね、なんというか、物足りないのよね。なんかの折にふっと、別の事を考えている事がなんとなくわかるの。特に、その、一夜を過ごした後なんかにさ、ぼんやりしている彼をみた時。とにかく、愛されない事に疲れたの。それで、私の方から誘わなくなったらそれっきり、自然消滅したわ。)

春日雪江のメモ
(彼とは、同じゴルフ部の仲間でした。彼、すごく目立つから、最初、先輩に目をつけられてよくしごかれていたわ。でも、少々のしごきにもネをあげないの。まだ、10代だったのにとにかく、根性が座っていたの。後で聞いたら、家に鬼将軍がいるからなって言っていたわ。彼、小さい頃からお義父さんにすごい、英才教育を受けていたんですって。後から聞いてなるほどって思ったわ。それに、組織をまとめるのがうまいの。いつのまにか、先輩達よりゴルフ部をまとめていたわ。それも、絶対、彼がやったとは思われない方法で。私もよくダシに使われたっけ。彼、年下だったけど、私の方からアプローチしたの。快く応じてくれたわ。でも、それも、私が卒業するまでだった。卒業したら、それっきり。結局、惚れていたのは私の方。彼が私を好きだったかどうか、今でも、疑問に思うわ。)

皆、こんな調子だった。ただ、付き合っている時はいつも一人で、二股をかけるという事はなかった。それなりに律儀な男のようだった。好きではないが、付き合っている以上、付き合っている相手を尊重したようだ。
どの女性達も言っているように、愛されない事に疲れたというのだ。
この図式は、どうやら、紫織にも当てはまるらしい。
結婚を前にして、紫織は、自分が愛されていないのに気がついたのだ。
愛されていると思っていたのは、ただの「親切」だった。
週刊誌の記事によると、それでも、最初の頃は、随分と熱々だったような書き方をしている。という事は、紫織の自殺未遂で、速水真澄は、親切に接する事もやめてしまったという事か。
それでも、紫織は、自分は婚約者なのだから、いずれ愛されるだろうと思ったのだろう。しかし、速水真澄のような男が自殺未遂を起こして自分をしばるような女を愛するようになるだろうか。むしろ、嫌悪するだろう。それでも、プロポーズした責任感からつきあっていたのだろうが、デートのスケジュールを秘書に組ませるというのは、行き過ぎじゃあないかと義男は思った。
とにかく、紫織の鬱病の原因は、速水真澄から愛されていない事に気がついたのが原因のようだった。
義男はひとりごちた。「かわいそうに。速水真澄が婚約解消を申し入れた時、きいていれば、もっと、幸福な人生を歩めたかもしれないのに、こんな、人を愛する事のない男を好きになるなんて気の毒に」
そんな一人言をいっていると、恵子が、コーヒーをもってきた。
「どう、その後、調査は進んでる?ところで、あんた、自分の仕事はどうなってるのよ。課長から何もいわれないの。」
「先月の少女誘拐事件なら、今、捜査が煮詰まってるんだよな、それで、今、ちょっと、暇なんだよ。こういう時は、課長はけっこう、好きにさせてくれるんだ。今までの実績があるからな。」
義男は、今までの調査結果を恵子に話した。
「ふ〜ん、人を愛さない男ね。そんな男っているかしら。いるとしたら、何か使命感に燃えているからかもね。昔見た映画でそんなのがあったわ。」
「もともと、冷血仕事虫といわれていた男だからな。だが、そうすると、この写真、悲嘆にくれる速水真澄の写真だが、これは、演技だという事になるが、そうは見えないな。」
義男は、しみじみと遺体のそばに佇む速水真澄の写真をみて言った。
「結局、紫織を愛するようになったが、紫織はそれに気がつかなかった、あるいは、速水真澄は、今まで人を愛した事がないので、どう表現したらいいかわからなかったのかもな。」
義男は、速水真澄に会ってみたくなった。
 だが、その前に、速水真澄が入院していた病院に聞き込みに行く事にした。
看護婦達は、口が固くまず聞き出す事は出来なかったが、掃除のおばさんから面白い話をきく事が出来た。
「あの奇麗な人なら、よく覚えてるよ、給湯室で、なんだか、ぶつぶついいながら、手紙をよんで、写真を破ってたね。また、紙くず散らかしてと思ったんだけどね。そしたら、その破いた写真をまた封筒に入れ直してるんだよ。変な事するなあと思ったんで覚えているよ。しかも、その時の顔が、すごかったんだよ。こう、き〜〜〜っとなってて、もうもう、般若のような顔だったね。」
「ふ〜ん、で、手紙の方はどうなったの」
「捨ててたよ、ぐしゃぐしゃに丸めて」
「その手紙、だれが持ってきたか、覚えてる?ねえ、おばちゃん、思い出してくれよ」
「誰からのかなんて、それは、わからないよ。こう見えても、人様の手紙を盗みみるような下劣な女じゃないんだからね、私は。」
おばちゃんは心外そうにそういった。
「ごめんよ、おばちゃん。そういう意味でいったんじゃないんだ。ただ、その手紙、きっと大切なものだと思ったんだ。だから、持ち主に返してやりたいんだよ。」
「でも、もう随分前の事だし、とうの昔に、ゴミは捨てちまってるよ」
「そうか、そうだよな〜」
「でも、待って。もしかしたら、あの男が持ってるかもしれない。」
「え〜っ」
おばちゃんによると、手紙は紙なので、分別してリサイクルゴミにだしたかもしれないというのだ。そして、リサイクルゴミを回収する業者の職員に、少し頭の弱い男がいて、自分が天涯孤独なので、捨てられている他人の手紙を収集するのが生き甲斐という男がいるのだという。その男が持っているかもしれないというのだ。
義男は、その男を訪ねてみる事にした。
車を走らせながら、紫織が破った写真というのは、どんな写真だったのだろうと思った。もう一度、封筒に戻したという事は、差出人が破ったという事にして速水真澄に渡したのだろう。何故、紫織がそんな事をしたのか?
その答は、手紙が見つかればおのずとわかるだろう。
リサイクル業者を訪ねたら、目的の男はすぐにわかった。男の自宅を訪ねて手紙を収集している事を褒めると男は嬉しそう見せてくれた。男は几帳面な男で、見つけた順に日付を書いてファイルしていたのだ。速水真澄が事故った日から考えて20日前後ではないかとあたりをつけて探すとあった。
 田中義男は、男に手紙を譲ってくれるようにいったが、だめだという。男をなんとかなだめて、かわりに俺が書いた手紙をやるからという条件でやっと手に入れたのだった。

「お体の具合はいかがですか?少し心配しています。
 クルーズ船で一緒に撮ってもらった写真が送られてきました。
 速水さんの分をお渡しします、
 一日も早く元気な顔を見せてくださるように...
              北島マヤ」

田中義男は、総ての回答を手に入れたと思った。
鷹宮紫織は、北島マヤに嫉妬していたのだ。誰も愛さない人間はいないと恵子が言っていたではないか。速水真澄が愛している女性が北島マヤだという事に紫織は気がついたのだ。何が、彼女に気づかせたのか、わからないが。とにかく気がついたのだ。だから、北島マヤを遠ざけようと破った写真を速水真澄に渡したのだ。
つまり、他のガールフレンド達は、単に速水真澄が、自分を愛さないという理由で別れたが、紫織は、愛されないだけでなく、他の女を愛している速水真澄を知ってしまったのだ。
しかも、紫織以上に優れた女性を愛するのなら、まだ、あきらめもつくだろうが、女優風情に負けたのが、よけい、彼女をいらいらとさせたのだろう。
田中義男は北島マヤの事を調べてみる事にした。北島マヤの事は、すぐに、わかった。
速水真澄との関係は、表面上は、犬猿の仲という事になっている。速水真澄が北島マヤの母親を死に追いやった為、北島マヤは、速水真澄を憎んでいるというのだ。
では、一体、いつ、一緒にクルーズ船にのるような仲になったのかと思ったが、これも、すぐにわかった。なんでも演出家黒沼氏のせいで、偶然、船にのる事になったのだそうだ。
北島マヤの事をまとめたら、A4一枚で終わった。何もないのだ。
唯一、「紫のバラの人」という謎の人物がでてくるが、マヤ自身には何もなかった。
田中義男は思った。
「手紙は、速水真澄に持っていこう」
そうすれば、少なくとも、紫織さんがついた嘘の修復が少しは出来るだろう。
最初は、鷹宮紫織の死に疑問をもって始めた調査だったが、結局事故死という結論に達した。鷹宮紫織は運が悪かったのだ。自殺の原因は、速水真澄を引き止める為の狂言だった。結果として、彼に冷たくされるようになり鬱病になってしまった。速水真澄がいつ頃から北島マヤを愛するようになったかはわからないが、おそらく、母親を死に追いやった責任を感じての事だろう。同情が愛情にかわる事はよくある事だ。おそらく、速水真澄の片思いだろう。だから、よけいにやっかいなのだ。つきあっていたなら、いづれ別れるという事もあるだろうが、密かに思いを寄せているとなると、その思いを断ち切らせる事はむづかしい。紫織もそれに気づいていたのだろう。そんな絶望感が彼女を鬱病にしたのだ。こうなってくると、自殺の線もあるかもしれないなと田中は思った。
田中は、大都芸能に電話を入れた。自分のような記者の扱いはなれているのだろう、水城という秘書が対応してくれた。
「鷹宮紫織が本来、御社の社長さんにお渡しする筈だった手紙があります。それが、今、私の手元にあります。これを、お渡ししたいのです。それ以上、他意はありません。郵送でもいいのですが、大変、貴重なものだと思いますので、直接、お渡ししたいのです。どうか、会っていただけませんか?お手間はとらせません。5分で終わります。」
水城は、「少々お待ちください」というと電話を保留にした。しばらくまっていたが、やがて、保留がきれ、「お待たせ致しました。社長がお会いになるそうです。本日、6時にこちらにお出でください。」という声がした。
 6時に大都芸能に行くと、速水社長がまっていた。
「はじめまして、速水です。」
「毎朝新聞の田中です。はじめまして」二人は名刺を交換した。
田中は、ほれぼれと速水真澄をみた。なんども、写真でみていたが、実物をみると、また違った印象を受けた。長身、ギリシャ彫刻を思わせる均整のとれた肢体、もの柔らかな物腰、甘いマスク、涼やかな目元、深く響きのいい声。いかにも好青年だ。この男が、眉一つ動かさず、あちこちの会社を潰してまわっているとは、信じがたかった。
「今日は、突然、お伺い致しまして、お忙しい所、申し訳有りません。」
「いいえ、どうぞ、そう恐縮なさらず、おかけください。」
「ありがとうございます。」
水城が、コーヒーを二つ煎れて持ってきた。
田中は、軽く頭を下げた。
「速水社長、この度は、ご愁傷様でした。さぞ、お力を落とされた事でしょう。紫織さんは大変お気の毒でした。」
「ありがとうございます。」
「紫織さんは、美しい人でしたなあ〜。あなたは、10代の頃の紫織さんをご存知ですか?」
「いいえ。」
「僕がまだ、若かった頃、かれこれ10年ほど前になりますが、箱根の方で、事件があって、私達事件記者は現場近くで待機していたんです。事件は大した内容ではなく、とにかく、待ってるのにあきあきした私は、付近をみてやろうと、車で、うろうろしたんです。そしたら、道に迷ってしまって、おまけにガス欠になって。仕方なく、当時は携帯がまだ、普及していませんでしたから、電話を借りようと、遠くに見えた別荘まで歩いていったんです。そしたら、木々の間から、少女の姿が見えるんです。最初、妖精かと思いましたよ。それくらい、この世ならぬ美しさでした。肌は抜けるように白く、髪が濡れたように輝いて。私は夢を見ているのかと思いましたよ。そしたら、その少女が、大きな声で、叫ぶんです。『ばあや、ばあや、熊がでたわ。』って。」
速水は、「熊ですか」とおかしそうに言った。
田中「そうなんですよ、確かに、ひげはそらず、ぼろぼろの格好でしたから、熊に見えたかもしれません。で、その後、ばあやさんが、庭師と一緒に飛んできて、なんとか、熊ではない事はわかって貰えましたがね。はっはっは」
速水は、黙って聞いていた。
田中「あの時の可憐な少女が、今回、こんな形でまだ若いのに、死んでしまった事に僕は納得できなくて、今回の事故死について調べさせて貰いました。」
「で、何か、不信な事でも。」
「いいえ、何も、ただ」少しいいよどんで、田中は続けた。
「速水さん、あなたは、紫織さんを愛していなかった。愛そうと努力した事は認めます。しかし、出来なかった。そこで、婚約を解消しようとした。ところが、紫織さんは、狂言自殺であなたをしばり、その上、あなたの心まで支配しようとした。おそらく、あなたはさぞ、紫織さんを疎ましく思った事でしょう。あなたは、あの事故の日、煙草を吸いたくて外にでたといっているが、本当は、紫織さんと二人きりになるのが嫌だったんでしょう。陸にいれば、仕事で逃げられたが、海の上ではそうはいかない。私はね、クィーンエリザベス2世号の写真や図面をみたんです。あなた方が泊まっていたインペリアルスィートには、専用のバルコニーがあったんです。煙草をすいたければ、そこで吸えばよかった。でも、あなたは、部屋の外にでた。それも、出来るだけ、部屋から離れた、プールサイドまで逃げたんだ。今夜、しなければならない最大の難所、初夜を迎えなければならなかったから。むろん、その日は、紫織さんの体調が悪い事を理由に逃げられたでしょう。だけど、いずれ抱かなければならない。あなたは、嫌悪している女に指一本ふれたくなかったんだ。違いますか?速水さん」
「あなたはそんな事をいう為に僕に会いにきたのですか?早く用件をおっしゃってください。なんでも、何か手紙をお持ちとか。」
「はぐらかすんですか?速水さん。まあ、いいでしょう。僕はね、箱根であった、あの可憐な少女が忘れられなかった。僕が、熊ではないとわかった時のびっくりした顔が、間違いに気づいた時の済まなそうな顔が、忘れられなかった。まさに、一目惚れだったんですよ、紫織さんに。直接話したのも、後にも先にもあの時だけだった。心根の優しい美しい可憐な少女だったんですよ。だから、僕は、自分の思い出が穢されるのがつらいんです。今日、ここにきたのは、紫織さんのついた嘘をあなたに告げたくてきたんです。そして、紫織さんを許してやってほしくてきたんです。元のやさしい紫織さんのまま、きれいな思い出のまま、僕の心に生きてほしいから」
田中は嗚咽した。
「これを」田中は手紙を出した。
速水はすばやく一読した。
「これは一体どういう事です。」
「あなたが入院中、北島マヤがお見舞いにきたのですよ。そして、恐らく花束と手紙を紫織さんに預けたんです。直接渡したかったんでしょうが、紫織さんが、きっと、追い返したのでしょう。その後、手紙をかってにあけ、中の写真を引裂き、手紙を抜き取ってあなたに渡したのです。さも、北島が今もお母さんの事であなたを恨んでいるかのように言ったのでしょう。違いますか?」
「そうです。」
「だから、僕は、紫織さんのついた嘘を修復したくて、今日、ここにきたんです。どうか、紫織さんを許してやってください。僕は、ぼくの惚れた女が、夫に嫌悪される女だったとは、思いたくないんです。どうか、この小さな嘘を許すといってやってください。」
田中はテーブルに手をついて頭を下げた。
速水は、田中にいった。
「どうか、頭をあげてください。許すも何も、あなたに頭を下げられる覚えはありませんよ。」
「でも、ぼくの気がすまないんだ、どうか、どうか、許してやってください。」
「わかりました、あなたに免じて紫織さんを許しますから、どうか、頭をあげてください。」
田中は頭をあげ、速水を見た。田中は、速水の目に、男同士の共感があるのがわかった。
二人とも、報われない愛に殉じた二人だった。
田中は、今日、速水に会いにきてよかったと思った。
速水はいった。
「紫織さんも、あなたのような人と添い遂げられたら幸せだったでしょうに。」
「ぼくなんか、釣り合いませんよ。年は、十以上離れているし、ハンサムでもない、金のない、しがない事件記者ですよ。女なんて、みんな相手にしてくれませんよ。そう、あなたのような人こそ、紫織さんに相応しかったのに、世の中うまくいきませんなあ」
「あなたはぜひ、『紅天女』を見るべきだ。」唐突に速水はいった。
「身分や立場を超えて、相手の魂をこうるのが恋なのだそうです。劇の中にそういう台詞が出てくるのです。きっと、あなたの慰めになりますよ。秘書に言っておきましょう。この名刺の住所に必ずチケットを送るように。」
「いえ、いいんです、そんな気を使わないでください。それに、事件記者なんて、いつ仕事が入るかわからんのです。悠長に芝居を見ている暇はありませんよ。」
「そういわず、もしかしたら、ちゃんと見られるかもしれないじゃないですか。とにかく、送っておきますから。それに、僕は、あなたにお礼がしたいんだ。貴重な手紙を届けてくれたお礼を。」
「そうですか、ありがとうございます、では、遠慮なく頂いておきます。それと、その手紙ですが、ある男が保管してたんです。少し頭の弱い男で。その男は、天涯孤独で、だれからも手紙を貰う事がないかわりに、ゴミになった他人の手紙を集めるのが生き甲斐なんです。その男のおかげで、その手紙は無事だったんです。どうか、その男に年賀状でも出してやってくれませんか。名刺の裏に住所を書いておきますから」
「わかりました。出しておきましょう。どうです、田中さん、一杯飲みにいきませんか?」
「えっ、速水さんの行く所といえば、お固い所でしょ。遠慮しますよ。」
「いえいえ、今の僕らにぴったりの場所がありますよ。」そういって、田中をつれて速水は、黒沼ごひいきの屋台へ向かった。
二人は、紫織の思い出を話し、しみじみ酒を酌み交わしたのだった。

そして、速水真澄は、その日、初めて鷹宮紫織の死を悼む事ができたのだった。




あとがき

怒りにまかせて「紅の姫神」を書きましたが、結局、人一人の死は、軽々しく扱うべきではないと思ってこの物語をかきました。
また、紫織さんのような美人に崇拝者がいないのを不思議に思ったのも、書いた理由の一つです。
大学時代の真澄さんを書けたのが何より楽しかったです。


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