二人    連載第7回 最終回




 試演を明日に控えた夜、マヤは早めに床についていた。
深夜、マヤは何かの衝撃で目を覚ました。
手足が冷たい。心臓がどくどくと激しく高鳴る。
速水の声が聞こえたように思った。
ふと見ると、部屋中に飾られていた紫のバラが総て散っていた。
マヤは直感した。速水に何かあったと。

(速水さん! 速水さん、何があったんです!)

マヤは、携帯を取り上げると慌てて速水に電話をした。
しかし、繋がらない。
マヤは留守番電話サービスに、連絡をくれるように吹き込んで携帯を切った。
マヤはあまりの胸騒ぎに聖に電話を入れようとした。
しかし、聖に頼むとなると自分が「紫のバラの人」が速水であると知っている事を話さなければならない。
次に大都芸能の水城秘書に電話を入れようかと思ったがこれも無理だと悟った。
どう言えばわかって貰えるだろう。
速水に何かあったんじゃないかと思うなどとどうして言えるだろう。
仕方なく、マヤはもう一度布団に潜り込んだ。
まんじりともせず、布団に横になっていた。
いつのまにか眠ったのだろう、明け方、扉をたたく水城の声で目が覚めた。

「マヤちゃん、水城です。
 起きてちょうだい、社長が大変なの」

マヤはカーディガンを引っ掛けると扉を開けた。
青木麗が目をこすって起きて来る。

「水城さん、どうしたんです?」

「昨晩、社長が襲われたの。病院でしきりにあなたの名前を呼んでいて……。
 今日が試演だとわかっているわ。必ず、試演に間に合うように会場に届けるから。
 お願い、一緒に来て頂戴」

「失礼ですが、これが大都芸能の罠ではないとどうして言えるんです?」

麗が口を挟む。水城が言い淀む。

「それは……、信じてもらうしかないけど」

「麗、大丈夫、水城さんはそんな人じゃない。あたし、行って来る」

マヤは慌てて着替えるとアパートを飛び出していた。
水城と車に飛び乗る。

「マヤちゃん、落ち着いて聞いて、社長が危篤なの。詳しい事は話せないんだけど」

「速水さんが!」

「夕べ、駐車場でさされたの」

「そんな!」

「怪我そのものは大した事はないの。
 ただね、その刃物に何かの毒が塗ってあったらしくて……」

「毒?」

「ええ、毒。それで、その毒の解毒剤がわからないの。
 真澄様は、さされた怪我よりその毒のせいで生死の境を彷徨っているの」

マヤは絶句した。
病院につくと、そのまま病室に案内された。
マヤは病室の前にパフェおじさんがいるのを見つけた。

「おじさん、どうしてここへ?」

周りにいる人間がひそひそと言い合う。

「速水会長をおじさんよばわりして……」

マヤはその言葉にびっくりした。

「おじさん、速水会長なの!?」

「お嬢さん、隠していてすまなかったな……。
 さ、儂の息子に会ってやってくれないか。
 しきりにあんたの名前を呼んでおるのでの」

病室に入ると、速水がたくさんのチューブにつながれてベッドに横たわっていた。

「……速水さん……」

マヤが顔を近づけると、速水の唇が、マヤと動くのがわかった。

(速水さん、どうしてこんなに……!?)

マヤの眼から涙が、とめどなく滴り落ちる。

「……速水さん……、マヤです。お願い、眼をあけて」

その問いかけに応えるように、速水がうっすらと眼を開けた。

「……マヤ……」

「速水さん! いや、お願い、死なないで、お願い」

「……死な……ないさ……、チビ……ちゃん、試演、試演は……、かならず観に行くから……」

速水は苦しい息の下から答えた。

「もう、いいの、速水さん、何も言わないで!」

「……きかせてくれ……、台詞、阿古夜の……」

マヤは演じた。速水の枕元で。阿古夜の台詞を。

「……あの時と……同じ……だ、夢の……台詞だ、マヤ……」

速水は阿古夜の台詞を聞くと満足したのか、もう一度、速水の意識は闇に落ちて行った。

「いやあ、速水さん、速水さん!
 お願い、死なないで!
 死なないでえー、えっえっえっ」

マヤは何もわからなかった。
総てが夢のようだった。
速水が死んで行こうとしている。
それなのに、自分は何も速水に告げていない。

「速水さん、試演を観て、お願い!
 お願い……、速水さん、いつものようにちびちゃんって言って……。
 速水さん、紫のバラの人、愛してるんです。
 ずっと、ずっと、ずっと、愛してるんです」

マヤの眼から大粒の涙が、とめどなくしたたり落ちる。
マヤの肩をそっと抱く者がいた。
速水の秘書、水城である。
親族でもないマヤがいつまでも、速水の枕元についているわけにはいかない。
水城はマヤの肩を抱き病室の外に連れ出す。
そしてそのまま、病院の通用門からマヤを連れ出すと、水城は自分の車にマヤを乗せ、試演会場に送り届けた。

水城は黒沼に速水が重傷だと告げた。危篤だとは外部には言えない。
黒沼はマヤの様子から速水の若旦那の容態がひどく悪い事を察した。
マヤが口も聞けない程、ショックを受けているのがわかると、黒沼はマヤをそっとしておくことにした。

楽屋に一人、放っておかれたマヤは、速水の最後の言葉を思い出していた。

(『試演は……、かならず観に行くから……』
 速水さん、試演、必ず観に来るって言った。
 嘘、うそつき、観に来れないくせに。
 約束守るって言ったくせに)

マヤの眼から涙が、大粒の涙が落ちて行く。次々に。
そして、涙はマヤの手の甲に落ちた。
涙の冷たさで、マヤは我にかえった。

(……。
 ううん、速水さんは、今まで、ずっと約束を守ってくれた。
 今度もきっと……)

マヤは狂い始めていた。とうてい、速水の死を受け入れられなかった。マヤは速水が危篤である事を忘れた。

(試演、がんばらなきゃ。
 だって、だって、『紫のバラの人』が観に来るんだもの)

マヤは、既に狂ってしまったのかもしれない。月影のように。
そこに、劇団員がマヤに紫のバラの花束を持って来た。
メッセージカードが付いている。

   ついにこの日が来たのですね。
   あなたの「紅天女」、楽しませてもらいます。

           あなたのファンより

マヤはそれを読むとにっこりと笑った。
花束の中に1本、開き始めた紫のバラがある。マヤはそのバラに口付けをする。
マヤは舞台袖から客席を見た。
もちろん、速水真澄の姿は客席にはない。
しかし、マヤには速水真澄の幻が見えていた。

(速水さん、紫のバラの人、みてて下さい。あたしの阿古夜)

黒沼組「紅天女」試演の幕が上がった。
マヤの紅天女。それは真実、紅の姫神が降りて来ていた。
そして、阿古夜を演じる時は、生き生きとした村娘になった。
一真と引き離される阿古夜の慟哭。
ラスト、神と仏の恋を語るクライマックス。
どこを取っても素晴らしい紅天女だった。

舞台の袖から見ていた黒沼が一言つぶやいた。

「あいつ、化けやがった……」



そして、二組の試演が終わった。
一般投票、審査委員の投票、そして月影千草もまた、黒沼組の「紅天女」が選んだ。
授賞式の後、姫川亜弓は眼の手術の為病院へ、マヤもまた、速水のいる病院へと急いだ。
試演後、マヤは狂気の淵から我に返っていた。
受賞後のパーティは二人の主演女優がいない淋しい物となった。


マヤは速水のいる病室へと歩いていた。手には花束を持っている。
速水が死んだという知らせは、まだ、来ない。
きっと、まだ、生きている。

(速水さん、あたし、紅天女に選ばれたんですよ。
 あなたのおかげです、紫のバラの人)

マヤは病室の扉を開いた。


速水真澄がベッドに横たわっている。
眠っているようだ。
顔色が随分いい。マヤはベッドサイドの椅子に腰かけた。
側についていた看護婦が説明した。

「解毒剤が見つかったんですよ。あぶない所でしたが、間に合いました」

速水真澄がうっすらと目をあけ、マヤがいるのがわかると、静かにマヤに話しかけた。

「やあ……、豆台風の……、おでましだ。受賞……、おめでとう!」

速水が死の淵から生還した後、目を覚まして最初に聞いたのは「紅天女」がどうなったかだった。
部下からの知らせで、マヤが受賞した事は知っていたらしい。

「ありがとうございます。
 速水さん、解毒剤、見つかったんですね。
 よかった……、ほんとによかった……」

マヤの眼から大粒の涙がぽろぽろと流れる。
速水の顔に精気が戻って来た。
目に力強さがよみがえる。

「おや、心配してくれるのか?
 ……そうだ、俺の病気が一発で直る方法があるんだが……」

「えっ!、ほんとに」

「君にしか出来ない方法なんだ……」

「どんな?」

「『紅天女』の上演、大都と独占契約させてくれ」

「速水さん!」

マヤはあきれた。青い顔をして横になっているのに、よりによって上演権の話をするなんて!

「あたしは心配で死にそうだったのに! ひどい!」

速水は、本調子ではないが、低く笑いながら言った。

「俺は死にかかったんだぞ、それが、たかが上演権一つで健康になれると言ってるんだ。
 それとも、何か、君は俺が死んでもいいというのか?」

「う……、それだけ元気なら上演権はいらないでしょう」

「いいや、ちっとも元気じゃない、今にも死にそうだ」

速水は大げさに手のひらを額に押し付けると死にそうなふりをした。
マヤが速水さんの馬鹿と口走りそうになった時、側にいた看護婦が、そろそろ時間ですとマヤに言った。

「看護婦さん、後一分だけ、すぐに済みます」

マヤは、手にした花束を速水に差し出した。
速水が怪訝な顔をしてマヤを見る。
マヤは深呼吸した。しっかりと速水を見つめる。

「速水さん、紫のバラの人、長い間支えてくれてありがとうございました。
 ここまでこれたのもあなたのおかげです。
 今日はあたしからあなたに花束を贈ります。
 あたしの愛情のすべてと一緒に。
 速水さん、あなたが好きです、今までも、これからも。
 そして、あたし……、あたし、あたし、あなたのお嫁さんになります!
 どうせ、なり手がないんでしょ、だったら、あたしがお嫁さんになってあげます」

マヤは一気に言っていた。顔が赤くなる。

「マヤ!」

マヤは、照れたように笑った。

「また、来ます」

そう言って椅子から立ち上がると、踵を返して小走りに病室の外へと出て行った。
マヤは幸せだった。
速水が無事で生きている。
これ以上の幸せがあるだろうかと思った。

病室に残された速水はあまりの衝撃に唖然としていた。
マヤから、愛の告白を受けるとは思ってもいなかった。
マヤが自分が「紫のバラの人」だと知っていたとは思ってもいなかった。


エピローグ

速水真澄が刺された夜。
速水を刺した犯人、鷹宮紫織は速水を刺した後、倒れた速水にとどめを刺そうと逡巡していた。
美しい懐剣を振り上げた瞬間、曲が鳴った。
携帯の着信メロディーである。マヤが速水の携帯に電話した音だった。
曲は「星に願いを」。
紫織は我にかえった。懐剣が紫織の手から落ちる。
そして、自分のやった事に唖然とした。
悲鳴を上げる紫織。
紫織の運転手、大都芸能のガードマンがそれぞれ駆けつける。
ガードマンは事の重大さに、怪我の応急処置をすると同時に速水の家に連絡、指示を仰いだ。
朝倉は病院を指定、速水を運ばせた。
警察沙汰にするわけには行かない。
事件は隠密に処理され、紫織は運転手と共に鷹宮家に戻った。
鷹宮家は紫織の運転手から詳細を聞くと、紫織を問い質した。
そして、毒の事を知ると速水を助けるため解毒剤を手配した。
刃物に塗られていた毒はある蘭の花の根から抽出された物で、その花の種から解毒剤を抽出出来た。
紫織の父親、鷹宮慶一郎は解毒剤を持って病院にやってきた。
鷹宮慶一郎は速水英介に深々と頭を下げると、何卒、穏便に取りはからってほしいと言い、その通りになった。
そして、鷹通グループの大都への妨害行為も止まった。

今、紫織は遠くパリにいる。


マヤの楽屋に届けられた紫のバラの花束は聖が用意した物だった。
聖もまた、マヤが紫のバラの人の正体を知っているとは思っていなかった。
主人が生死の境を彷徨っている間、主人のかわりにマヤに紫のバラを届けたのだ。
メッセージは聖が真澄の筆跡を真似たものだった。
マヤは聖からだとは思っていなかった。
少し狂っていたマヤは、真実、速水が用意したものだと思いこんだ。
マヤは思った。

(あの時のあたしは、速水さんが危篤だという事実を受け入れられなかった。
 もし、あの時、紫のバラが届けられなかったら、あたしはきっと落ち込んで、演技が出来なかっただろう)


北島マヤは、入院している速水真澄の元へやって来た。
先日の花嫁宣言から初めて速水に会う。
さすがにマヤは照れくさかった。
それでも、速水に会いたくて、病室にやってきたマヤだった。
そっとドアを開ける。

「速水さん……」

速水は起きていた。

「やあ、ちびちゃん!」

速水が嬉しそうに呼びかける。
マヤは、速水の笑顔に引き込まれるようにベッドの側に寄る。
マヤが照れくさそうにもじもじしていると

「マヤ、手を出して」

と速水が言った。

「え?」

速水は、怪訝そうにしているマヤの左手を掴むと引き寄せた。
どこから取り出したのか、指輪を持っている。
速水はマヤの左手の薬指にそっと、指輪をさした。
マヤが唖然として、指輪と速水を見比べた。

「うん? どうした? 何を驚いている? 俺の嫁さんになってくれるんだろう。
 これが返事だ」

「速水さん!」

速水真澄は北島マヤを抱き寄せ口付けをした。


魂の片割れ同士はこうして出会い一つになった。
これからは離れていても、いつも一緒の二人だった。









あとがき
 最後までお読みいただきありがとうございました。

 さて、解説です。
今後の本編の流れを推測して、2011年1月号の続きから書いて見ました。
本編の今までの流れからいって、おそらく、速水真澄は北島マヤが魂の片割れだと確信すると思います。
また、速水真澄のロイヤルスィートへの反応から言って、速水は婚約者鷹宮紫織を妻に出来ないことにも気づくでしょう。
この二つが強烈な動機となって、速水は鷹宮紫織と婚約を解消しようとするでしょう。
本誌では、おそらく、船から下りた後、マヤの元にアルバムが返された事を聖から知らされ伊豆の別荘に確認しに行くでしょう。
そこで、紫織と会い、紫織が崖から飛び降りると脅して速水が婚約を解消できなくする上に、二度と「紫のバラ」をマヤに贈らせないようにするのではと思います。
未刊行の流れから行くとそうなるかなと思います。

今回、その辺りを考慮して書いてみました。
上記のように考察しましたが、紫織さんにビシバシ言うカッコイイ速水さんを書きたくてこのパロでは変更しました。

お気に召していただけたらうれしいです。

心からの感謝をこめて!



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