二人    連載第6回 




 鷹宮紫織と速水真澄は、正式に婚約を解消した。
鷹宮家から紫織が倒れたとか、自殺未遂をしたとかいう話が流れてきたが真澄は取り合わなかった。
そういった紫織の行動は総て、真澄を引き留める為の狂言だとわかっていたからである。
婚約を解消した速水は、取り敢えず、自由になれた事を喜んだ。
アストリア号でマヤと会って以来、結局、自分の心は偽れないと気付いた真澄だった。
英介は、

「少々の事には眼をつぶって紫織さんと結婚すれば、将来、鷹宮グループの総帥になれたかもしれんものを……」

と、さぞ、もったいないと言った調子で小言を言った。
朝倉は、ごほんと一つ咳払いをすると真澄に尋ねた。

「若、それで、ご結婚はどうされます?
 お見合いは紫織様の後という事で、かなり難しいと思います」

真澄は、

「義父さん、朝倉。
 紫織さんと見合いをしたおかげで女性と付き合う事がどういう事かよくわかりましたよ。
 僕の仕事に理解をしめしてくれる身持ちのいい慎ましい女性がいたら、また、付き合ってみます。
 そういう女性が現れたら、家に連れて来ますよ」

と無難に応えた。
英介は、真澄を、自分の事業を継がせ大きくする為のコマとして使ってきた。
親子の情はないと思っていた。

(だが、真澄は……。真澄は、こんな儂に親子の情を見せてくれた。
 儂をおぶって、山道を運んでくれた。
 結婚ぐらい好きにさせてやるか。
 あんまりひどい女だったら別れさせるが、あの紫織さんさえ、身持ちが悪いと言って蹴った真澄だ。
 心配する事はないだろう。
 それに……)

英介は真澄の北島マヤに対する執着を思った。

(単に役者としてかっているのか、それとも……)

英介は結婚の件は真澄にまかせる事にした。

自由になった速水だったが、仕事には、多少どころか、何かと支障が出初めていた。
鷹通グループとの取引にキャンセルが相次いだ。
だが、速水は平然としていた。
自社のタレントは一流だ。その内、向うがぜひ使わせてほしいと言ってくるだろう。
鷹通グループ経営者サイドのプライベートな出来事などでビジネスが左右されるとしたら、鷹通グループも大した事はないと思った。

速水は社長室から夜の街を眺めながらマヤの事を思った。
もし、自分が「紫のバラの人」だと打ち明けたら、俺こそマヤの魂の片割れなのだとマヤに打ち明けたら、マヤはどんな反応をするだろうと思った。
速水は試演が終わったら、たとえマヤが「紅天女」に選ばれなくとも、マヤに自分の気持ちを打ち明けようと思っていた。
その前に、紫織によって、地に落とされた「紫のバラの人」の名誉を回復しなければと速水は思った。

(マヤが信じてくれていても、やはり、ちゃんとするべきだろう)

速水は、以前から用意していた試演の衣装、紅梅の打掛けを紫のバラと共に、マヤに贈るよう花屋に連絡した。
本当は自分で持って行きたかった。
婚約が解消され自由になったのだから、マヤに速水真澄として贈りたかった。
だが、大都芸能の社長がこの時期、紅天女主演女優候補に個人的に高価な贈り物をするなど、言語道断である。
むろん、試演後、マヤが選ばれた場合の布石と言えば世間は納得するかもしれない。
しかし、あえてリスクを取る事もないだろうと速水は思い「紫のバラの人」として贈る事にした。



一方、マヤは、アストリア号で速水と幸せな時間を持てた事が演技に影響していた。
恋の演技が抜群によくなったのだ。
一真と幸せな生活を送るシーン。
恋する乙女の可憐さ。恥じらい。喜び。
相手役、桜小路の一真の仮面が思わず外れそうになる程だった。
黒沼は、期待以上の仕上がりに満足だった。

そんな或る日、紅梅の打掛けが届いた。紫のバラと共に……。


  先日は、こちらの手違いであなたからいただいた大事なアルバムを
  送り返すという大変失礼な事をしてしまいました。
  何卒、お許し下さい。
  この打掛けは試演の為にと作らせた物です。
  先日のお詫びです。
  どうか、受け取って下さい。

         あなたのファンより


阿古夜の舞台衣装。
紅梅の打掛け。
マヤは打掛けの前で、静かに涙を流し感激に胸をふるわせた。
その後も、「紫のバラの人」からのプレゼントは続いた。
まるで、今までプレゼントを贈れなかったのを埋め合わせるように贈り物が届けられた。
洋服に始まって、アクセサリー、靴、バック、帽子。
とうとう、マヤは聖に言っていた。

「あの、あたしの大事なファンの方に言って下さい。
 アルバムの事は気にしていませんからと。
 こんなに毎日贈られたら、あたし、どうしていいか……」

「わかりました。では、こちらに、どうぞ」

聖はボイスレコーダーを取り出し、マヤに向けた。

「あの、毎日、たくさんの贈り物をありがとうございます。
 でも、こんなにいただいたら、あたし、どうやってお返しをしたらいいかわかりません。
 お気持ちはよくわかりましたから、どうか、もう、気を使わないで下さい。
 ……あたし、試演、がんばります。
 ぜひ、観に来て下さいね」

マヤからのメッセージに恐縮したのか、「紫のバラの人」からの贈り物は途絶えた。
ただ、紫のバラだけは、毎日小さな花束となって届けられた。
毎日届けられる紫のバラは、マヤのアパートの部屋を少しづつ埋めて行く。
あたかも、マヤの心を紫のバラが埋め尽くすように。

そんな或る日、マヤは稽古の帰り週刊誌に小さく掲載された記事により、鷹宮紫織と速水真澄の婚約が解消された事を知った。
原因は性格の不一致となっていたが、鷹宮紫織が速水真澄の強引な会社経営に嫌気がさしたのが原因ではないかと週刊誌は伝えていた。
マヤは速水の心を思った。

(速水さん、あんなに紫織さんの事、愛していたのに……。
 婚約が解消されるなんて……。落ち込んでいるんだろうなあ……。
 失恋って辛いから……)

マヤは、どうしようと逡巡したが、電話をする事にした。
時間は夜、速水がまだまだ、仕事をしている時間である。
マヤは携帯から大都芸能の社長室に電話を入れた。
案の定、速水は仕事をしていた。

「あの、速水さんですか? マヤです」

「やあ、ちびちゃん、どうした? こんな時間に?」

「あの、えーっと、婚約を解消されたって週刊誌に出てたから、もしかして、冷血仕事虫でも落ち込んでるんじゃないかって思って……」

「なんだ、心配してくれたのか?」

「いいえ、別に! でも、この間は速水さんにお世話になったし、その、それでちょっとだけ気になったんです!」

「……俺は元気だが」

「あの、あの、どうして婚約を解消されたんですか?」

「うん? そんな事を聞いてどうする?」

「べ、別に、やっぱり、振られたのかなって思って」

「ああ、そうだな、冷血仕事虫の嫁さんになってくれる人はなかなかいないさ!」

「……、 あの、元気ならいいんです、それじゃあ」

「待て、ちびちゃん! 電話だが、この電話に表示されている君の携帯に俺から電話するから。番号を登録してくれ」

「速水さんと携帯の番号、交換しなくたって……」

口では抗議しながら、マヤはどきどきする。速水さんと、紫のバラの人と携帯の番号を交換する。嬉しさで笑みがこぼれた。
速水はマヤの抗議を無視すると、さっさと電話を切って自分の携帯からマヤの携帯に電話をした。

こうして、二人は携帯の番号を交換した。
マヤは速水と携帯の番号を交換出来て嬉しかったが、なんとなく速水の手際の良さを何故だろうと思った。

(まるで、あたしが断る事がないと確信してるみたい)

マヤは不思議に思ったが、番号を交換出来た事が嬉しかったのでそんな疑問はすぐに忘れた。

一方、速水はマヤと携帯の番号を交換出来た事を喜んだ。
携帯の先にマヤがいる。そう思うと、胸が熱くなった。

試演の日はどんどん近づいていた。
速水は、鷹通グループによる仕事の妨害に悩まされながらも、紫織の事はすっかり忘れて仕事にいそしんでいた。
試演を明日に控えた深夜、いつものように仕事を終え速水は駐車場に降りて行った。
すると、駐車場の柱の陰から名前を呼ばれた。
速水は振り返った。そして、驚いた。

(何故、こんな時間にこの人がここにいるのだろう?)

それが、速水が最初に感じた疑問だった。

「どうしたんです? こんな所で」

相手は無言である。
そして、そのまま、近づいた。速水真澄に。そして……。
速水は脇腹が熱いと感じた。さわると、べったりと手に血がついていた。

「……!」

眼の前が暗くなる。速水はその場にくずおれた。



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