青い日々    連載第1回 



 「鬼の撹乱!」

北島マヤは独り言を言った。

「なあに、マヤちゃん」

マネージャーの水城がマヤに話しかける。

「ううん、なんでもない……。速水さんが風邪で会社を休むなんて、鬼の撹乱だって言ったの」

「真澄様だって、人の子よ。病気になる事だってあるわ!」

「ないない。あの冷血漢に限ってあるもんですか!」

北島マヤ。高校生女優として売り出し中である。現在、MHKの大河ドラマ「天の輝き」、田沼沙都子役に出演している。
水城は大都芸能、速水真澄の秘書だったが、今は、マヤのマネージャーをしている。学校帰りの車の中。水城がマヤに「真澄様がお風邪を召して珍しく会社を休まれたのよ」と言ったのを受けてマヤが答えていた。「鬼の撹乱」と……。

「まあ、いいわ。でも、そういうわけだから、会社に寄って、副社長のお手伝いをしなければならないの。日舞の先生のお稽古が終わったら、タクシーを手配しておくから一人でマンションに帰って頂戴。出来るわね」

「はーい! 大丈夫でーす」

「一人で勝手にどこかに行ったりしたら承知しないわよ。わかった!」

「わかってます」

マヤは神妙に答えた。
水城はマヤの性格から、一人で夜遊びをするような子ではないとわかっていたが、それでも、演技の為なら時々、とんでもない事をするのでそれが心配だった。

マヤは水城と別れた後、日舞の稽古を受けた。
日舞の所作を身につけるのは難しい。マヤは何度となくお師匠の真似を繰り返した。

やがて、稽古が終わりマヤは稽古場を出た。ついて来たお師匠さんのアシスタントがマヤを門の外に出すとぴしゃりと乱暴に門を閉めた。マヤを気に入らない様子である。マヤはそっと、ため息をついた。
稽古場の前には水城の手配したタクシーが待っている筈だった。が、まだ来ていない。マヤは稽古場の前でしばらく待っていた。が、タクシーはいつまで立っても来ない。マヤはどうしようと思った。
稽古場は日舞のお師匠さんの自宅に併設されている。その為、住宅街の中にあった。閑静な住宅街である。辺りに人はいない。マヤはアシスタントの女性にタクシーがどうなっているのか聞きたかったが、先程の様子に聞くのは気がひけた。マヤは仕方なく、鞄と練習用の着物の入ったバックを持ったまま歩き出した。幹線道路まで出たらタクシーを拾えるだろうと思った。季節は冬。すでに暗い。マヤはとぼとぼと歩き始めた。

「ほぉーっ」

息を吐くと街灯の灯りに息が白い。道は緩やかな上り坂になっている。遠くまで見通せない。恐らくこっちの方角と野生のカンで歩いてみたが、坂を上りきった先は今度は右にカーブしていてやはり、見通せない。幹線道路の気配もない。歩けど歩けど、高級住宅街の高い塀に囲まれた道は続く。30分ほど歩いただろうか、さすがに不安になって来た。日舞の教室まで戻ろうかと思ったが、すでに、その場所さえ怪しい。高級住宅街の広い庭に植えられた大きな樹々が風にざわざわと音を立てる。マヤは心細くなって来た。お腹も空いている。それでも、道なりに歩いていけば、どこかに行き着くだろうと思った。どうしてもわからなくなったらこの辺りの住人に道を聞けばいいだろうと思って、もう少し歩く事にした。和風の土塀の続く道である。が、急に洋風の鉄柵に変わった。ふと見ると、柵の間から洋館が見える。おしゃれな建物だなあ、沙都子が訪ねた大使の洋館もこんな感じだったのかしらと思いながら塀に沿って歩いていると門に出た。門の表札をみてマヤは、まさかと思った。表札には「速水」とあった。歩き疲れたマヤは、表札の名前に嫌悪感よりもむしろ親しみを感じた。ここがあいつの家であるわけがない、こんな偶然あるわけない、それに道を聞くぐらいなら、怒られないだろうと思ってマヤは呼び鈴を鳴らした。

「はい?」

女性の声だ。

「あの、あの、すいません、あたし、困っていて、道がわからなくなったんです。あの、タクシーを拾いたいんですけど、道路はどっちの方角でしょうか?」

「まあまあ、それはお困りですね。ちょっと待ってて下さいね」

しばらく門の前で待っているとお手伝いさんらしい人が出て来た。お手伝いさんはマヤにバス停までの道を説明してくれた。そこまで行けばタクシーも走っているでしょうと言った。マヤは礼を言うと、ふと聞いてみた。

「あの、あのう、速水さんって、まさか、げじげじ、じゃない、えーっと、大都芸能の速水真澄の家じゃないですよね」

「あら、うちのぼっちゃんをご存知?」

「えええ!!! ま、まさか、あの速水さんの家だなんて! あ、ありがとうございました」

マヤは駆け出そうとしたが、風邪を引いていると言っていた水城の言葉を思い出した。

「あの、速水さん、風邪を引いてるって聞いたんですけど、もう、いいんですか?」

「えっ、まあ、よくご存知ね、ええ、夕べひどい熱をお出しになって大変だったんだけど、お医者様に看て貰ってもう随分いいのよ……。どうして、ぼっちゃんの事を?」

「あの、水城さんが、あの、あたしのマネージャーやって下さってるんです。それで、今日、聞いたんです」

「まあ、それじゃあ、大都の方?」

マヤは思いっきり、嫌な顔をした。

「ええ、そうなんです」

――大都の方で無かったらどんなにいいか……。

「だったら、ぼっちゃんにお知らせしなくちゃ。このまま帰したら私が叱られます。さ、どうぞ」

「いえ、あたし、いいんです」

ぐ、ぐぐぐう〜。

その時、マヤのお腹が盛大に鳴った。

「ま、ほほほ、お食事、まだなんでしょ。さ、お上がりなさいな」

マヤは断ろうとしたが、お手伝いさんの私が叱られますと言った言葉を思い出し、仕方なくそのまま、付いて行った。

玄関に入るとお手伝いさんは、マヤをその場に残し奥へと入っていった。マヤは、豪華な玄関をあっけに取られてみていた。広い玄関である。正面左に2階に続く階段がある。天井にはシャンデリア。マヤがぼーっと見ていると、咳が聞こえた。

「やあ、どうした、チビちゃん。今日は日舞の稽古の後は、マンションに帰るんじゃなかったのか?」

速水真澄だ。



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