青い日々    連載第2回 



 「あ、あたしだって帰りたいんですよ! ホッントにいつも嫌味ばっかり言うんだから! 日舞の先生の所でタクシーを待ってたんだけど、来なくて! それで、歩いてタクシーの拾えそうな所まで行こうを思ったら道に迷ってしまって……、たまたま、速水って表札を見て、その、まさか速水さんの家だなんて思わなかったんです! 道を聞きたくて、呼び鈴を押したんです! 素敵なお家だったし……」

マヤはここまでを、一気に言っていた。真澄はくすくす笑いだしていた。

「そうか、水城君には俺から連絡して置こう。朝倉、このお嬢さんに夕食を用意してやってくれ。俺の分も頼む。ああ、そうだな、和室に用意してくれ」

朝倉と呼ばれた髭の執事は、食事の用意を指図しに館の奥へと引っ込んだ。速水はマヤの前に立って歩きだした。

速水邸は洋館だったが、廊下の奥に和風の離れがあり、廊下で繋がっている。その一室に通された。

「速水さん、あの、風邪はいいんですか?」

「ああ、夕べひどい熱だったから、大事を取ったが、もう、下がった。それに、君の顔を見た途端に食欲がわいてね」

「そ、それ、どういう意味です!」

マヤが顔を真っ赤にして抗議する。

「くっくっくっくっく、君のおかげで元気が出たっていう意味さ!」

「もう、いつも、からかうんだから!」

「さ、こちらだ、入りたまえ!」

和室には真ん中に輪島塗りの座卓が置かれている。床の間には掛け軸がかけられ、椿が生けられていた。部屋には空調が備えられているのだろう、ほんのり暖かい。
真澄は、マヤを上座に座らせた。マヤと真澄は座卓を挟んで向き合う。さっきのお手伝いさん、名前を紀代さんというらしい、が、お茶を持って来た。暖かいお茶にマヤはほっとした。長い時間、外を歩いたせいか体が冷えていた。

マヤは本格的な和室が珍しかった。目の前の速水より、和室の設えが気になった。矢継ぎ早に速水に質問する。
掛け軸を見てマヤが言う。

「この絵はなんて言う絵なんですか?」

「さあな、昔からあるから、興味を持った事がない」

「ふーん、、、きれいなお花! それに、ふすまの絵もきれい! こんなにきれいなお家に住んでて羨ましいです。沙都子もこんな家に住んでたんだろうな」

「武家の娘だったな。セットで大体わかるだろう」

「セットはやっぱりセットなんです。日舞のお師匠さんのお家も凄いけど、大抵、お稽古場に直行だから、あんまり落ち着いて見られないし、、、。速水さんのお家に来て、今日は得しちゃった!」

その時、障子の外から、夕食お持ちしましたという声が聞こえた。
座卓に料理が並べられる。マヤは、健啖家ぶりを発揮した。刺身、さわらの味噌漬け、野菜サラダ、かぶの煮込み、豚の生姜焼き、豆腐のみそ汁、、。マヤは出て来る料理を片っ端から平らげ、ご飯を三杯ほどおかわりをした。そして、最後に出て来た、イチゴのデザートに舌鼓を打ってようやく満足した。
真澄は、マヤに稽古の話をさせながら、料理をすすめていた。内心、マヤの食べっぷりに驚き、呆れつつも、その様子を楽しんだ。デザートが終わり、やがてマヤが帰って行くのかと思うと真澄は一抹の寂しさを感じた。真澄は暖かいお茶を飲みながら、もう少しマヤを引き留めるにはどうしたらいいだろうと考えていた。さっさと、マンションに送り届けなければならないのだが……。

「日舞はどうだ?」

「難しいです、足の運びとか……」

「……、君の練習の成果を今から見せてくれないか?」

「はあ?」

「いいだろう? 社長として、君の腕が上がったかどうか、見ておきたいんだが?」

「う……、でも、でも、お師匠さんに言わせると、武家の娘がなぎなたを持った時の所作がわかればいいんですねって言って、歩き方や、基本動作ばかり練習していて、一曲分の振りはまだ習ってないんです。一応、『藤娘』をしましょうっておっしゃって下さって、先生の舞は拝見したんですけど、習ったのは出だしだけで……」

「じゃあ、出来る所だけでいいから見せてくれ」

「それは、社長命令ですか?」

「いや、一食を提供したからな、その分だ」

「げ! おごりじゃないんですか?」

「当たり前だ、誰がご馳走すると言った」

「う! 食べさせた後で、それってひどい!」

「何がひどいだ。さ、そっちの部屋で支度しろ」

マヤはしぶしぶ、隣の部屋に行って、着物に着替えた。真澄はマヤが着替える間、縁側に出て、庭を見ていた。先日降った雪の名残がそこここに残っている。

「速水さん、始めてもいいですか?」

速水は振り返った。練習用のウールの着物を着たマヤ。紺色の絣地に赤い帯を文庫に結んでいる。可愛い。

「馬子にも衣装だな、くくくくく」

「もう、いつも、からかうんだから。それより、そっちに座って下さい。始めますから……」

「ああ、頼む」

マヤは、隣の部屋のふすまを両側にあけ、中央に立つと基本動作を始めた。それから、「藤娘」の習った所まで、やってみせた。終わるとマヤは畳に座り手をついて、一礼した。

パンパンパン、真澄が拍手をする。

「始めたばかりにしちゃあ、上出来だ。それに、君は……、習ったのは途中までだと言ったが、振りは全部覚えているんだろう」

マヤははっとして真澄を見た。思わず、視線を庭にそらせる。

「それは! でも……、まだ、ぜんぜん、体が動かないから」

「くくくくく、はーっはっはっは!」

その後、真澄は激しく咳き込んだ。まだ、本調子ではないらしい。

「速水さん、大丈夫ですか?」

マヤがおろおろとする。やっと、咳きが納まると、真澄は

「いや、君は正直だな」

と言った。

「今日、タクシーが来なかったのは、だからだろう」

「は?」

「意地悪をされたのさ。これからは、君専用の車と運転手を付けよう」

「え! ええええ!!!」

マヤは大袈裟に手を振った。

「いりません、いりません、そんなの……。それに、それじゃあ、ますます息抜き、あわわわわ」

「なんだ、さぼれないって?」

「ち、ちがう! ちがうの! そうじゃなくって……」

マヤはうまく言えなかった。芝居は好きだ。いい演技をする為に日舞が必要なのもわかる。でも、と思う。

――こんなに見張られてたんじゃあ、息がつけない!

「あの、あの、うまく言えないんですけど、さぼりたいって言うんじゃなくって、ほっとする時間がほしいんです」

ふと、マヤは真澄のたばこを見た。

「そうそう、速水さん、たばこ吸うでしょう。それと一緒で、今日、あたし、一人でほてほて歩いていて、なんか、久しぶりにほっとしたんです。休みたいとかそういうんじゃなくて……」

「ふむ……。よし、一息つく時間は別に取るように水城君に言っておこう。人間、休まないといい仕事が出来ないからな。だが、運転手はつける。君の安全の為だ」

「……それは、あたしが、大都の商品だからですか?」

「……」

「ねえ、速水さん、だからですか?」

「……そうだと言ったら……」

「いえ、別に……」

マヤは泣きたくなった。

――結局、あたしの事を心配してくれる人はいない。この男にしても、あたしが、商品だから……。商品に傷がつかないよう、心配してるだけなんだ。あたしは何を期待したんだろう……。

「あの、速水さん、今日はご馳走様でした。もう、帰ってもいいですか?」

マヤは涙が滲みそうになった目をしばたいた。横を向く。

――こんな男に涙を見せるもんか!

「ああ、そうだな。引き留めてすまなかった」

真澄は立ちあがると、言った。

「君の日舞、なかなか良かった。このまま、稽古を続けるんだな。いつか役に立つかもしれんからな」

マヤははっとして、真澄を見上げた。だが、真澄はすでに廊下に出ていた。障子が、タンと言う音と共にしまった。



続く     web拍手 by FC2       感想・メッセージを管理人に送る


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