青い日々    連載第8回 



 「狐! 速水さん、あれ、狐じゃないですか?」

マヤは思わず窓辺に駆け寄った。真澄はマヤの隣に立ち、ガラス越しにマヤの言った方向を見た。真澄にもわかった。庭に何か黄色い生き物がいるのを。犬によく似ているがあきらかに違う。狐だ。雪の降り積もった庭の奥。木立の間からこちらをじっと見ている。

「ああ、狐だな」

「こんな住宅街に狐なんて! 速水さん、飼ってるんですか?」

真澄は吹き出した。

「くくくく、さすがに、狐は飼ってないな。……そういえば、昔、子狐を助けた事がある。柵に引っ掛かっててな。子犬だと思って近づくと、顔が長くて尻尾がふさふさとした子狐だったんだ」

「へえー、子狐?」

マヤが目を丸くして真澄を見上げた。

「柵の丸い穴に引っ掛かってもがいていてな、かわいそうだから引っ張って柵から抜いてやったんだ。そしたら、自由になった途端、一目散に逃げて行ってな」

「へえー、その時の狐でしょうか? あの狐は?」

「さあな」

「こんな住宅街に、狐なんて? 一体どこに住んでるんでしょうね?」

「この辺りは広い庭を持つ家が多い。少し歩くと、神社もあるしな。うちの柵にもどこか、抜け穴になるような穴が空いているんだろう。……お稲荷さんのお使いかもしれんな」

真澄がくすくすと笑った。

その時、木立の間に居た狐が、庭を突っ切ってマヤ達の方へ駆けて来た。口に何かくわえている。マヤははっとした。

「速水さん! あれ、まさか!」

狐は二人の近くまで来ると、口にくわえていた物をぽとりと落とした。

真っ白な雪の上。
紫のバラの花が一輪。

マヤは、テラスの窓を開けて飛び出した。つっかけを引っかけるのももどかしく駆け寄る。真澄は驚きのあまり微動だに出来ない。

――何故、狐が紫のバラを……?

真澄の頭の中で同じフレーズがリフレインする。

狐はマヤがテラスから降りて来ると、後へぴょーんと飛んだ。が、逃げようとしない。まるで、マヤが紫のバラを拾うまで待っているようにマヤをじっと見ている。マヤは、跪くとそっと紫のバラの花を拾い上げた。香しいバラの香りが匂い立つ。マヤは狐の方へ思わず一歩踏み出した。すると、狐は身を翻して逃げて行く。マヤは「あ! 待って!」と叫んで狐を追ったが、二三歩走って、何かに躓いた。「あぶない!」という声が聞こえたような気がしたが、遅かった。

バッシャーン!

マヤは、ものの見事に池に突っ込んでいた。雪に覆われて池の淵が見えなくなっていたのだ。マヤはじたばたともがいて立ち上がった。と思ったら、速水真澄に抱き上げられていた。

「このバカ娘! 何をやってる!」

真澄が大声でマヤをどなった。マヤは驚いて真澄を見上げた。真っ青な顔。心配で引きつった目元。
真澄はマヤを抱き上げたまま母屋へ走った。

「紀代さん、風呂にお湯を張ってくれ。この子が池に落ちた!」

マヤは寒さでがたがたと震えていた。手には紫のバラをしっかりと握りしめている。震えながらマヤは囁いた。

「あの、降ろして、、、降ろして下さい、速水さん、、、スーツが、、、汚れます」

「そんなのはどうだっていい!」

マヤを抱き上げたまま、真澄は速水邸の風呂場にマヤを運んだ。待っていた紀代さんがマヤを風呂場へ入れる。真澄は風呂場のドア越しに怒鳴った。

「君は考えが足りない。君は! ……もっと、慎重に行動しろ!」

「はいはい、ぼっちゃん、心配なのはわかりますが、ぼっちゃんもスーツを着替えて下さいね。濡れている服を着ていてはお体に触ります」

真澄は、ドア越しに聞こえて来る紀代の声に仕方なく自室へ戻り、普段着に着替えた。朝倉が濡れたスーツをクリーニングに出すべく片付ける。

真澄は水城に電話をした。マヤの着替えを持って来させる為だ。が、水城は外出していて連絡が取れない。留守電に用件をいれると真澄は電話を切った。
真澄は、マヤが風呂に入っている間、書斎から庭を見ていた。

――マヤが池に落ちた時、心臓が止るかと思った。
  あの子に何かあったらと思うと……、俺は……。
  これが、愛なのか? 俺は彼女を愛してしまったのか?
  いや、違う。決して愛などではない。

真澄は抱き上げたマヤの小さな体を思った。

――そういえば、以前、劇団「オンディーヌ」で犬に襲われた時も抱きあげて、運んだな。あの時、マヤは13歳。あれから3年。子供はすぐに大人になる……。後、3年たったら……。3年たったら少しは女らしくなっているのだろうか?

真澄は今のマヤからは想像がつかないと思った。

――待つのは楽しいかもしれんな……。あのチビちゃんが成長して大人になる……。

くくくくと真澄は笑いだしていた。

――そうだな、どんな大人の女性になるか、楽しみだな……。……待ってみようか、彼女が大人になるのを。
  俺がその時彼女を愛しているかどうか、彼女が大人になった時、もう一度考えてみよう。
  それまでは、このままでいい。

一方、マヤは風呂につかりながら、先程の真澄の顔を思い出していた。

――あいつ……。あたしの事、心配してくれた。本気だった。……あたしが、商品だから。そうよ、商品だから心配したのよ。

それでもとマヤは思った。

――それでも、心配されるのは嬉しい……。そうだな……、あたし、あいつの商品になってやってもいいな。こんな風に心配して貰えるなら……。

マヤはなんとなく嬉しかった。


マヤは風呂から上がり、紀代さんのニットワンピースを借りた。紀代さんは太めだ。だぶだぶのニットのワンピースはマヤの踝まである。マヤが真澄の待つ書斎へ行くと、真澄はマヤの格好を一目見るなり笑い出した。マヤはむっとしたが、真澄の差し出したココアを素直に受け取った。

「そのココアを飲んだら送って行こう」

「はい……」

「……そんなに『紫のバラの人』に会いたいのか?」

「え? ……はい」

「何故だ」

「だって、だって……」

マヤは急に涙が溢れて来たが、目をしばたいて、心を落ち着かせた。

「『紫のバラの人』は、、、、あたしを高校にやってくれました。世界中でただ一人のファンです。会って御礼を言いたいんです」

真澄はマヤの答えにしばらく黙っていた。煙草に火をつけ、深々と吸う。紫煙を吐き出すと言った。

「あのな、匿名っていうのは、大抵、事情があるんだ。事情があって、匿名なんだ。君には『大人の事情』はわからんだろうが……。時期が来たらきっと向うから正体を明かすさ」

「そうでしょうか?」

「ファンっていうのは、大抵、相手に知って貰いたくていろいろするのさ。逆の立場で考えてみろ。例えば……、そうだな、君の好きなスターは?」

「トシちゃんです」

「じゃあ、トシちゃんにファンレターを送ったとしよう。君はその他大勢の一人に過ぎない。だけど、君はトシちゃんに気が付いてもらいたいだろう。私はここにいて、あなたの歌が大好きだと。そして、出来たら個人的に知り合いたいと思う。……だから、『紫のバラの人』もその内、連絡して来るさ」

「ううん、速水さん、『紫のバラの人』は違います。『紫のバラの人』にはそういう下心はないと思う」

マヤは視線を下に落として、手に持った紫のバラを見つめた。

「何故、そう思う?」

「だって、それなら、高校に入れてくれる必要なんかないもの。あたしみたいな女優の卵、花束やチョコレートだけで十分です」

「ふむ、一理あるな。とにかく、あまり詮索せずにほっとけ」

「……」

「今回みたいに、狐が紫のバラを持って来たからって、闇雲に追いかけるような真似はするんじゃない」

「……速水さん、あの狐なんだったんでしょうね」

「ああ、そうだな……。世の中には不思議な事もあるさ。それより、どうだ? 髪は乾いたか?」

マヤは髪に手をやった。

「あ! はい、もう、大丈夫だと思います」

真澄はマヤに暖かい格好をさせると車で送って行く事にした。濡れた服は生乾きのままビニール袋にいれた。
別れ際、マヤは紀代さんに礼を言い、迷惑を掛けた事を詫びた。

「いいんですよ。狐が出たら、誰だって追いかけたくなりますよ」

と紀代さんは笑った。

「また、遊びにいらしてね」

「はい、また、ケーキをご馳走になりに来ます」

「まったく、君はケーキに目がないな」

マヤはにーっと真澄に笑って見せた。

「だって、紀代さんのケーキ、すっごくおいしいんですもん。あ、決して速水さんに会いに来るわけじゃありませんから」

「ああ、わかってる。水城君に俺がいない日を聞いて来るんだろう。どうせ!」

「へへ、わかります!」

マヤはけらけらと笑った。が、急にまじめな顔付きになった。

「あの、速水さん、じゃない、速水社長、紀代さんの所に遊びに来るのを許していただいてありがとうございます」

そして、ペコリと頭を下げた。

「いいえ、どう致しまして。繁華街をうろうろされるより、安心出来る。さ、送って行こう」

二人は速水邸の玄関を出た。



エピローグ


数年後、真澄の花嫁となったマヤは速水邸で暮らすようになった。真澄とマヤは近所の神社へ時々お参りに行く。

二人は日舞の先生の家から真澄の家までマヤが通った道を歩こうとした事があった。しかし、そんな道はどこにも無かった。二人はあの日、近道を作りマヤを導いたのは、真澄が助けた子狐ではないかと思っている。恐らく真澄へ御返しをしたのだろうと。真澄の為に、未来の花嫁を連れて来てくれたのだと二人は信じている。

「どうせ、花嫁を連れて来てくれるなら、もっと育ってから連れて来てほしかったな。おかげで君が大人になるまで随分待たなければならなかった」

「あー、ひどい、あの時だって十分、育ってました!」

「何を言う! まだまだ、子供だったじゃないか。君は俺が頭を撫でると顔を真っ赤にして喜んでいたっけ!」

「もう、また、そんな昔の事を言ってからかう!」

マヤは、今でも、あの時と同じように顔を赤くして喜んでいる。あの時と同じように真澄の大きな手が大好きだ。
そして、真澄は……。

マヤの何もかもを心から愛した。










あの日、紫のバラを届けた狐は遠くから、真澄がマヤを抱き上げるのを見ていた。
二人が母屋に入るのを見届けると、満足そうにケーンと鳴いて走り去った。
狐は、その後、妖力を使って人間になると、真澄の部下になった。

名を聖唐人と言う。









あとがき


最後まで読んでいただいてありがとうございました。
マヤが大都と契約していた期間は「千の仮面」さんの年表によると、高校1年の12月から3年の8月までなんです。意外に長いんですね。
いろいろなエピがあったんだろうなと思い原作を離れて書いて見ました。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。^^

感謝をこめて!



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