2009年お誕生日スペシャル  「瞳に映して」 前編 



 鷹宮紫織は大都芸能に速水真澄を訪ねていた。
6時に待ち合わせだったが、速水の仕事が押してしまい、今日もまた、デートは流れてしまった。
紫織は、新居をどうするか、速水の考えを、今日聞くつもりにしていた。
明日、インテリアデザイナーと打ち合わせをする予定にしていたので、図面だけでも速水に見せたかった。
だが、本当は速水の顔を見たかったのだ。紫織は。
先日、紫織は、北島マヤにまんまと泥棒の汚名を着せた。
その後、マヤがどうなったか知らないが、速水の心がまだマヤに向いているかどうか、確かめたかった。
速水の心から、簡単にマヤを追い出せない事はわかっていた。
なんと言っても7年の長きに渡ってマヤと関わってきたのだ。
簡単に忘れさせる事が出来るとは思っていない。

(真澄様は渡せない。必ず、私の物にしてみせる。)

そう、決心していた。
紫織は大都芸能に着くと守衛に挨拶をして、社長室を訪ねた。
速水は、紫織の顔を見ると、いつもの優しい笑顔を見せてくれた。
それから仕事の手を停め、紫織が持ってきた図面を見る時間を作ってくれた。
速水は、ざっと図面を見ると

「結婚して家庭に入るのはあなたです。
 あなたの好きにして下さい。
 僕は寝る場所があればいいから。」

と言って、仕事に戻ろうとした。

「あの、まだ、お仕事かかりますの? もう、帰りませんか? 」

紫織は、必死の思いで速水を誘った。
真澄と一分でも一緒に居たい、紫織はそう思った。
速水は、少し考えていたが

「いいですよ。時刻も遅いですし送って行きましょう。後は自宅ですればいいですから。」

と言って、今やっていた仕事を片付け鞄に入れると紫織と共に社長室を後にした。
紫織は、大都芸能の玄関に速水を待たせると、自分の乗ってきた車を先に帰らせた。
それから、速水の車に乗るべく速水と共に車の方へ歩き出した。
その時だった。

「おっと待ちな。」

ガラの悪いいかにも暴力団風の3人組が現れた。
一人は金属バット、一人は刃物を持っている。

「今、仕事のお帰りですかい。遅くまでご苦労なこって。」

「ちょいとあんたに用があって待ってたんだ」

男達は口々に凄んでみせる。

「君たちはなんだ。」と速水。

「あんたの強引なやり口にゃみんな泣かされてるって話きいてるよ。
 大体、芸能プロ同士で芸人の引き抜きはルール違反っていうのがこの業界の常識じゃないか!
 おれ達ゃ正義の味方でね。弱い者いじめは許せねえってやってきたわけさ。」

「北斗プロに頼まれたってわけか。」

速水は、そう答えながら、紫織に

「紫織さん、守衛室へ。」と小声で促した。

紫織は、小声ではいと返事をしながら身を翻して守衛室へ走ろうとした。
だが、刃物を持った男が、すばやく紫織の手を捕まえた。

「きゃあー。」紫織が悲鳴を上げる。

「その人に手を出すな!」

「へっへっへ、そうは行くか! 人を呼ばれたら困るんだ。さあ、大人しく言う事を聞くんだな。」

刃物を持った男は紫織を羽交い締めにして刃物をつきつけようとした。

「何をする! その人は関係ない! 離せ!」

紫織は、あまりの恐怖に失神寸前である。
一人が速水に殴り掛かってきた。速水は相手の顎に右ストレートをぶち込む。
バットを持った男が速水に、バットを振り下ろす。
速水はバットをかいくぐり男の背中、腎臓の辺をなぐりつける。
紫織を捕まえていた男は、仲間がやられるのを見て、刃物を速水の方へ向けた。
その時だった。
刃物を持つ男の手に棒が振り下ろされた。マヤだ。マヤは先日の誤解を解こうと速水を訪ねてきた所だった。

「いてえ!」

男が叫び声を上げる。刃物が落ちた。
速水はすかさず、男になぐりかかった。マヤが刃物を蹴って遠くにやる。
紫織は、恐怖のあまり立ちすくんで動けない。
マヤは、紫織の手を引っ張って走らせた。

「早く、こっち!」

マヤは大声を出して助けを呼んだ。

「誰かきて〜。誰か!」

普段から鍛えられたマヤの喉である。声はビルの谷間に響き渡った。
速水は、マヤと紫織が安全な方へ逃げるのを確認すると3人の男達に向き直った。
男達は一斉に速水に飛びかかってきた。
一人目の男の顔面に拳を叩き付ける。二人目がタックルをかけてきた。三人目がバットを振り下ろす。
速水が思わず、膝をついた。
ガードマンがマヤの声を聞いて駆けつけてきた。
3人の男達は、ガードマンに恐れをなしたのか、速水にダメージを与えて満足したのか、逃げていった。

「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」

と、マヤが言うと、紫織は はっとしてマヤの手を振り払った。

「え、ええ、大丈夫。」と言って、すぐに速水の方を振り返った。

速水もまた、ガードマンと共にマヤ達の方に歩いてくる所だった。
紫織は、速水に駆け寄った。泣きながら。

「真澄様、お怪我は? 私を守る為に、、、。紫織は、、、紫織は、、、。」

紫織は、はっとした。真澄の頭から血が流れている。

「真澄様、血が!」

速水は、頭に手をやって、傷を触った。
手についた血を見ると、ハンカチを出し、傷にあてた。

「大丈夫です。かすり傷ですから。」

それから、速水はマヤの方をちらりと見て紫織に視線をもどし

「紫織さん、何か忘れていませんか?」

と速水が問うた。

「え?」

「あの子に礼をいいましたか?」

とマヤの方を見た。
紫織は、あっと思った。

「ごめんなさい。マヤさん。私、気が動転していて、、、。
 ありがとう。おかげで、怪我をせずに済みましたわ。」

「いいえ、お礼なんて、、、無事で良かったです。」とマヤ。

「ちびちゃん、どうした? こんな時間に。俺に何か用か?」

「、、、あの、あの、あたし、、、いえ、今日は、その、こんな事になったから、、、あの、また、日を改めます。」

「そうか、君、」と速水はガードマンの方を振り返ると

「この子にタクシーを呼んでやってくれ。」と指示した。

マヤはそのまま、ガードマンと共にタクシーに乗るべく道路の方へ歩いて行った。
速水は、マヤを見送ると、紫織と共に社長室に戻った。少し、休む為に。

紫織は、洗面所でハンカチに水を浸して戻ると、真澄の傷口にあてた。
速水は傷口は大した事がないからと拭くのをやめさせた。

「紫織さん、今日はあなたをとんだ事に巻き込んでしまって、、、。
 おじいさまになんと言って詫びたらいいか。」

「いいえ、真澄様、どうぞ、お気になさらないで。」

「実は、最近、自宅や会社に脅迫電話がかかったり、爆弾まがいの物が送られたり、物騒な気配がしていたんです。
 あなたとのデートを控えていたのは、あなたを巻き添えにしたくなかったからだったんですが、申し訳ない。
 きちんと理由を説明するべきでした。」

「まあ、真澄様。そうでしたの。私ったら、そんな事情も知らずに、、、。」

「僕の仕事では、よくある事なんです。これからも、あるかもしれません。
 どうか、僕が会えないと言った時は、素直に従って下さい。お願いします。
 あなたに何かあったら、ご両親やおじいさまに言い訳のしようがない。」

「ま、真澄様、、、。」

速水は紫織に、少し休んだら送って行きましょうと言った。

紫織は、先ほど、マヤに助けられた時の事を思い出していた。
あの無頼漢に掴まれた腕の痛みがまだ残っている。肌が粟立った。
あのまま、自分が人質に取られていたらと思うと更に恐怖が増す。
恐らく、速水は抵抗しなかっただろう。そしたら、速水はもっとひどい目にあっていたかもしれない。
殺されていたかもしれない。
紫織は思った。

(あの子、泥棒の汚名を着せた私を助けてくれたのだわ。
 何故、あんな子に真澄様が惹かれているのかわからなかったけど、、、、。
 あのまっすぐな魂。
 私だって、借りを返す事くらいは出来ますわ。)

「あの、真澄様、私、マヤさんの事、見直しましたわ。
 真澄様を憎んでいて私に意地悪したと思ってましたけど、誤解だったみたいですわ。
 だって、私達の事を憎んでいたら、身を呈して助けたりする筈がありませんもの。
 実は、私の指輪、以前から少しサイズが大きくて外れやすかったんですの。
 マヤさんとお話した時、マヤさんのバックが床に落ちて中身が床にばらまかれたのですわ。
 私、拾って差し上げましたの。その時、指輪がバックの中に滑り落ちたんだと思います。
 マヤさん、届けに来たと言っていましたし。
 考えたら、私の手にあった指輪を私に気づかれずに抜き取るなんて出来る筈がないのですわ。
 今日のマヤさんの行いを見て、私、確信しましたの。彼女は泥棒をするような子じゃないって。
 それに、ブルーベリージュース、本当に、私の不注意ですの。
 あの時、気が動転して。自分のミスを認めたくなくて、彼女が意地悪をしたと言ってしまったんです。
 ごめんなさい。私、マヤさんに謝らないと。
 もし、真澄様が彼女を誤解していたら、そう、思って、私、、、、。」

「紫織さん。そうでしたか。実は、僕も、おかしいと思っていたのです。
 あの子は泥棒するような子ではないと思っていましたから。
 僕も、あの子に謝らないと。
 頭ごなしに疑って悪い事をしてしまった。
 紫織さん、よく言ってくれました。自分のミスを認めるのは、辛かったでしょう。」

「真澄様。」

紫織は、自身の嘘にずきりとした。
一点の翳りもなく紫織を信じる速水を前にして、罪悪感がじわりと心に沸き上がってきた。

「さあ、これからマヤの所に二人で行って謝りましょう。」

「えっ? これからですの?」

「善は急げと言うでしょう。それに、泥棒の汚名は早く雪がないと。」

速水はそう言うと、怪我にも関わらず、紫織を車にのせ自ら運転してマヤのアパートへ向かった。
速水達がマヤのアパートに着くと、マヤの部屋に灯りがついているのが見えた。
速水は、紫織を車に残すとマヤを呼びに行った。

紫織は思った。

(マヤさんを貶めようと思ったけど結局無理なのだわ。
 あの子を貶める事は出来ない。
 それより、あの子より魅力的になって真澄様の心を虜にすればいいのだわ。
 でも、どうやって? マヤさんの演技。あの演技の前には、私のような女の魅力など無いに等しいのに。
 真澄様、ああ、あなたが私を愛してくれたら、、、、。
 でも、真澄様は私が鷹宮の者である限り婚約を解消はすまい。
 どんなに、あの子を愛していても、私と結婚するだろう。
 私は、私を愛していない、他の女を愛している男と結婚して人生を歩むのだわ。
 いつか、私を愛してくれるかもしれないと言う淡い希望を抱いて。
 なんて、虚しい、、、。)

紫織の目から涙がこぼれ落ちた。
その涙でにじんだ瞳で、紫織は見ていた。
マヤと速水が並んで歩いて来るのを。
二人の間に暖かく通い合う空気があるのを。
紫織は涙をそっと拭った。

速水が近づいてきて車の中を覗き込み、

「さあ、紫織さん、さっきの話をマヤにしてやって下さい。」と言った。

紫織は車から降りると、先ほど速水にした話をした。

「助けて貰った恩人の汚名を雪げるのは私だけだとわかったのですわ。
 ごめんなさい、マヤさん、一時でも速水が誤解するような事を言ってしまって。」

「紫織さん、いいんです。どうか、気にしないで下さい。
 今日は、お怪我がなくて本当に良かったです。
 速水さんの大事な人が怪我しなくて本当に良かった!」

(この子、私が速水から愛されていると思っているのだわ。
 自分が速水から愛されているとは露ほど思っていないのだわ。)

「ちびちゃん、俺も謝るよ。
 この間はひどい事を言って、いきなり疑って悪かったな。
 許してくれ。
 と言っても俺の事を憎む気持ちに変りはないだろうが、、、。」

紫織は、速水の言葉を聞いてはっとした。

(速水は、自分を憎んでいる少女を愛しているのだわ。なんてこと!
 決して愛される事がないとわかっているのに愛し続けるなんて!

 ・・・他の女を愛している男と結婚するのと、、、どちらが、、、悲惨かしら! )

マヤの声が聞こえた。

「速水さん、、、、。あの、あたし、あの、、、。
 速水さん、誤解です。私、もう、速水さんの事、憎んでなんかいません。
 本当です。
 速水さん、母さんのお墓参りにずっと来てくれてるでしょう。
 速水さんが苦しんでいる事、私、知ってますから。
 もう、もう、、、、気にしないで下さい!
 紫織さん、今日は誤解を解いてくれてありがとうございました。
 もう、遅いので、今日はこれで失礼します。」

そう言ってマヤは、ぺこりと頭を下げるとアパートに帰っていった。
速水は、その後ろ姿を見ていたが、紫織が見ているのに気がつくと

「さあ、ご自宅まで送りましょう。」

そう言って、いつもの笑顔を見せると紫織を車に乗せ、発進させた。
助手席に座り、ぼんやりと前を見ていた紫織は、唐突に話し始めた。

「真澄様、真澄様は、あの子の母親のお墓参りに行ってらっしゃいますの?」

「ええ、僕が殺したようなものですからね。
 あの子が、、、僕が墓参りに行っている事を知っていたとは思いませんでしたよ。」

「贖罪の気持ちが通じたのですわ。真澄様は、本当はお優しい方ですもの。」

「そう言ってくれるのは、紫織さん、あなただけですよ。」

「・・・真澄様、真澄様は、マヤさんを愛していらっしゃるのでしょう。」

「えっ! な、、、何を言い出すんです。」

「私、存じておりますのよ。」

「紫織さん、それは誤解ですよ。もし、あなたが、そう思ったんだったら、僕の落ち度です。
 婚約者のあなたに他の女を好きだと思わせるなんて申し訳ない。
 ここの所、デートもままならなかったですからね、それで、誤解されたのでしょう。
 デートは、先ほど説明したように、ここの所、身辺が物騒だったからなんです。
 どうか、わかって下さい。」

「いいえ、違います。私、知っているのですわ。あなたが紫のバラの人だと。」

「!」

速水は、路肩に車を寄せて停めた。

「どういう事です?」

「覚えておいでですか? デートの帰り、花屋で紫のバラの花がほしいと私がねだった時、あなたは、それは怖いお顔をして『その花だけはだめだ』っておっしゃったのですよ。
 私、真澄様はこの花に特別な思い入れがお有りなんだって思ったんです。
 或る日、マヤさんのお稽古場を訪ねたら、紫のバラの花束を貰ってらして、、、。
 黒沼先生が、マヤさんには『紫のバラの人』という熱心なファンがいると言われたのですわ。
 私、なんとなくそれを聞いて不安になったんです。
 それで、劇団つきかげの方達に『紫のバラの人』のお話をお聞きしたのですわ。
 そのお話の中に、マヤさんは、舞台写真のアルバムを紫のバラの人に送った事があると言われました。
 私、それを聞いて思い出しましたの。
 以前、あなたの伊豆の別荘で、偶然見たのです。本棚から落ちたマヤさんのアルバムを。」

速水は、青ざめた顔をして紫織の話を聞いていた。
紫織の目から、涙があふれた。

「愛しておいでなのでしょう? マヤさんを。
 それなのに、何故、、、何故、、、私と、、、お見合いをされたのです?
 何故、私にプロポーズをされたのです?
 同情などほしくないと言ったのに、、、、。」

紫織は、俯き肩を振るわせて泣いた。泣きながら、速水の答えを待った。

「僕は、、、。僕は、養子です。義父から、会社の為に結婚しろと言われたら逆らえません。
 それでも、最初は見合いを断ったのです。結婚の決心がつかないと言って。
 だが、僕は、あの子の母親を死に追いやった男だ。
 あの子が僕を振り向く事は決してないと、、、。
 生涯、僕を憎み続けると、、、。そう思って諦めて見合いをしたのです。
 自分の気持ちを知っていて見合いしたのは僕です。
 あなたに気に入られるよう、口説いたのも僕です。
 それでも、あなたが僕を気に入らないかもしれないと思っていました。
 育ちも何もかも違うから。
 だが、あなたはこんな僕を気に入ってくれた、、、。
 ・・・僕は、早く、あなたの気持ちに応えたいと思っているのです。
 応えられなくても、努力で報いようと、、、。
 プロポーズをした責任は取ります。」

「真澄様、私ね、あなたにマヤさんを忘れさせようとしたのです。
 泥棒の濡れ衣を着せて。
 仕組んだのは、私ですわ。」

「紫織さん!」

「ええ、あなたの愛を勝ち取る為なら、なんでもしますわ、私。
 でも、駄目だった。
 あの子は、私の命を救ってくれたのですわ。
 泥棒の濡れ衣を着せた私を。
 あの、素朴でまっすぐな魂。
 私、借りを返すつもりで、誤解を解くお話をしましたの。
 そしたら、その話をまったく疑わずあなたは信じた。
 私の仕組んだ罠だとは露ほども疑わずに。
 私、負けたと思いましたの。お二人に。
 先ほど、あなた方が並んで歩いて来るのを、私、見ていましたの。
 お似合いですわ。」

紫織は、ハンカチで、そっと涙を拭った。

「真澄様、マヤさんにお気持ちを打ち明けてご覧なさいませ。
 先ほど、あの子、言っていましたでしょう。もう、憎んでないと。
 それに、マヤさんと会った時、私、速水は優しい人なのよって申しましたの。
 そしたら、あの子、『ええ、知ってます』って。そう、言ったんですよ。
 ね、打ち明けてご覧なさいませ。
 でも、『紫のバラの人』の事を言っては駄目ですよ。
 だって、そうでしょう。恩人に愛を打ち明けられたら、マヤさん、断れないでしょう。
 『紫のバラの人』を隠して打ち明けるんです。
 恩人だという事を隠して、マヤさんに打ち明けて、、、。
 打ち明けて、、、。
 もし、駄目だったら、その時は、、、、。」

紫織は、一旦言葉を切ると、ことさら明るく続けた。

「私が、、、。私が拾って差し上げますわ。」

そう言って、紫織はプイッと横を向いた。
速水は驚いた顔をして紫織を見た。

「真澄様、さあ、お車を出して下さい。
 私、頭痛がして参りましたの。
 早く、家に帰りとうございますわ。」

真澄は、無言のまま、紫織を鷹宮邸まで送って行った。



web拍手        感想・メッセージを管理人に送る


Index  Next


inserted by FC2 system