2009年お誕生日スペシャル  「瞳に映して」 後編 



 試演を控えたある日、速水真澄は北島マヤをナイトクルーズに招待した。
先日、助けてくれたお礼だと言って。

速水は2階の個室を取っていた。個室には専用のバルコニーがあり、そこから夜景が見えた。
ディナーの間中、紅天女の稽古の事や、たわいのない冗談で会話が弾んだ。
速水は会話の楽しさに久しくマヤに会っていなかった事を思い知らされた。
会話の弾む楽しい食事、そんな食事をしたのは一体いつの事だっただろう。
ディナーも終わり、二人でバルコニーに出ると夜景を眺めた。

「速水さん、今日はありがとうございました。
 とても、おいしかったです。」

とマヤは満足そうに礼を言った。

「どういたしまして。」

「今日、紫織さんと一緒だと思ってました。いいんですか? 婚約者をほったらかしにしておいて。」

マヤは、自分で言った言葉に傷つきながら、務めて明るく振る舞った。
(速水さんには、婚約者がいる。私の気持ちなんて迷惑なだけ、、、)
心の中でそうつぶやきながら。

「その紫織さんから、ぜひ、君とディナーに行って来いといわれたんだ。」

「紫織さんから?」

「マヤ、聞いてくれ。話したい事がある。
 実は、、、、。」

速水は、マヤのあどけない顔を見ると、やはり、言えなくなってしまった。
自分の気持ちを。一言、好きだと。

「いや、その、、、、君は、、、、マヤ、俺の事をどう思っている?」

「えっ? どうって?」

「憎んではいないと言ってくれた。」

「ええ、憎んでいません。」

「以前、君は、俺に梅の枝をくれた事があった。
 あれは、どういう意味だったんだ。」

「えっ、あ、あれは、その、えーっと、えーっと、き、きまぐれです!」

マヤは、下を向いて顔を赤くした。
その様子を見て速水は、はっとした。

(もしかしたら、、もしかしたら、、、。
 いや、しかし、彼女は紫のバラの人に恋をしているのだ。
 俺を好きなわけがない。俺が紫のバラの人だと気がついているのなら別だが。
 さあ、もう、さっさとけりをつけてしまおう。
 そうすれば、一歩踏み出せる。
 これは、俺自身へ引導を渡す為だ。
 それに、紫のバラの人が俺だと気づかれない限り、彼女に援助し続ける事は出来る。)

速水は、息をつめて、声が振るえるのを意識しながら、囁いた。

「マヤ、俺は、君の事をずっと、ずっと、以前から、好きだったんだ。
 愛している、マヤ。誰よりも、深く、君の事を愛している。」

だが、マヤは、速水のあまりの告白にびっくりしてしまった。
びっくりしたあまり、つまらない事を口走っていた。

「嘘、信じられない! そんなの!
 あんなに、美しい婚約者がいて!
 お金持ちで、速水さんとすごくお似合いで、、、。
 そういう人がいるのに、、、。
 その上、誤解だったけど、いきなり、私の事を疑った速水さんが!
 速水さん、また、あたしをからかってるんですか?」

(速水さん、お願い。『紫のバラの人』は自分だと言ってください。
 そしたら、私は素直にあなたの胸に飛び込んでいける。
 今の言葉を信じられる。)

「あの時は、本当に悪かった。
 君が、俺の言葉を信じられないのも無理はない。
 だが、信じてくれ。
 ずっと、君の事が好きだったんだ。」

「じゃあ、じゃあ、今になって、何故言うんです?
 紫織さんはどうするんです?
 紫織はものすごく、速水さんの事、好きなんですよ。
 そんなの、そんなの変です。」

「紫織さんは、気がついたんだ。
 俺が君を愛している事を。」

「紫織さんが!」

「ああ、この間の指輪の件も彼女が仕組んだんだ。
 俺から君を忘れさせる為に。」

「そんな!」

「だが、君が紫織さんを助けただろう。
 それで、彼女も考える所があったようだ。
 自分が濡れ衣を着せた相手から命を救われたんだ。
 普通の人間なら、何か感じる所が有ってあたりまえだろう。
 それで、俺に勧めてくれた。気持ちを打ち明けろと、、、。」

速水は、ここで、言葉を切った。まもなく船は港に着く。
町の灯りできらきらと輝く川面を見ながら速水は続けた。

「俺は、君の母親を死に追いやった男だ。
 君が、俺を憎んでいるとずっと思ってきた。
 生涯、俺を憎み続けると。
 紫織さんと見合いをする前、よほど、君に打ち明けようかと思った。
 以前、一緒にプラネタリウムに行った時の事を覚えているか?
 あの時君に打ち明けようと思って誘ったんだ。
 だが、君に断られるのが怖くて言えなかった。」

「じゃあ、どうして、今なら言えるんです。」

「さあ、どうしてだろうな。
 君が、俺を憎んでいないと言ってくれたからかもしれない。
 俺が墓参りに行っている事を知っていて、気にするなと言ってくれた。
 だから、少し、勇気が持てたのかもしれない。」

「紫織さんは、どうして、速水さんが私を、す、好きだって思ったんですか?
 あ、あたしは、まだ、信じられないけど。」

そう言って、マヤは顔を赤くして下を向いた。

「それは、、」

ここで、速水は、はっとした。
紫織が何故、気がついたか、それを言ったら、紫のバラの人が自分だと話す事になってしまう。

「さあ、何故だろうな、俺が君に冷淡にしていたから、おかしいと思ったのかもしれない。」

「ふ、ふーん、それで、もし、あたしも速水さんが好きだって言ったら、速水さん、どうするんです。」

「紫織さんと婚約を解消する。」

「そんな! 紫織さんがかわいそう!」

「ああ、そうだな。だが、このまま、他の女を愛している男と結婚しても不幸になるだけだろう。違うか?」

「そ、それは、そうかもしれないけど。」

「今、すぐに、返事をくれなくてもいい。黒沼さんから、君が、紫のバラの人に恋をしている事は聞いている。」

「は、速水さん。し、し、知ってたんですか? ひどい、黒沼先生! よりによって速水さんに言わなくても。」

マヤは、赤い顔がさらに、真っ赤になった。

「教えてくれ、一体、どうしたら、一度も会ってない相手に恋が出来るんだ。」

「それは、、、。」

マヤは、マヤで、やはり、はっとした。

(言えない。言ったら、あたしが紫のバラの人は速水さんだって知ってるって、話す事になってしまう。
 でも、でも、でも、あたし、速水さんが好き。ああ、もう、いい。
 速水さんが紫のバラの人は自分だって言えないのはきっと、理由があるんだ。)

「だって、だって、紫のバラの人は、いつも、あたしがくじけそうになった時に支えてくれて、、、。
 いつだって、味方になってくれて、、、。
 あたし、やっぱり、一度もお会いしてなくても、紫のバラの人が好き。
 ごめんなさい。速水さん。
 それに、それに、仮に、速水さんを好きだとしても、紫織さんを不幸にする事がわかっていて、
 好きだなんて、、、そんな事、言えません。」

紫織は紫織の優しさでこの三角関係にまさに勝利しようとしていた。
マヤのまっすぐな魂は、紫織の優しさを踏みにじってまで、速水を求めるわけには行かないと重々承知していた。
今、一歩の所で、速水はマヤをあきらめ紫織と結婚する道を選ぶ事になっただろう。
だが、二つに別れた一つの魂。その一つになりたいという思いが、奇跡を起こした。

がつん!

下から付き上げるような衝撃が伝わった。
船が揺れた。大きく揺れた。
マヤは手摺から落ちそうになった。
速水は手を伸ばし、反対方向へ思いっきりマヤを突き飛ばした。
あっという間もなかった。
マヤを突き飛ばした反動で、速水はバルコニーの手摺から、バランスを崩して、外に放り出された。

「速水さん!」

パシッ

速水は、なんとか、手をのばして手摺を支えている支柱の一つに、片手でぶら下がった。
海面まで数十メートルある。
マヤは、悲鳴を上げながら、速水を助けようとした。
手を伸ばし、速水のスーツの袖を懸命に引っ張る。
速水は、マヤが支えてくれている間に、どうにか、両手で支柱に捕まった。

「マヤ、人を呼んでこい! 早く!」

マヤは、半狂乱になって、人を呼びに行った。

「誰か、だれか、きてーーー!」

船員が、マヤの叫び声を聞いて、飛んできてくれた。
3人掛かりで、速水は引き上げられた。
速水が怪我はないというと、船員達は他の乗客の世話をしに戻って行った。
マヤは、速水を抱きしめて泣きじゃくった。

「速水さん、、、紫のバラの人、、、あ、あなたが死んだら、生きて行けない!」

マヤは半狂乱で泣いていた。
速水は、泣きじゃくるマヤの背中をずっと撫でていた。
やがて、マヤが落ち着いて来たのがわかると囁いた。

「知っていたのか? 俺が、紫のバラの人だと。」

「あっ!」

思わずマヤは速水を見上げた。

「マヤ、愛している。」

そう言って、速水は、マヤの上にかがみ込むと長い長いキスをした。
マヤの閉じられた瞼の裏で、紫のバラが、鮮やかに咲き誇った。



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その夜のニュースで、ナイトクルーズ船が、居眠り運転をしていた漁船と接触事故を起こした事が小さく報じられた。
怪我人はなかった。

翌日、速水は、鷹宮紫織に事の次第を伝えた。
紫織は、泣きに泣いたが、愛の無い結婚が不幸な事は両親を見て知っていった。
速水と紫織は、よく話し合った末、紫織の方から婚約を解消する事にした。
先日の襲撃事件を、婚約解消の理由とした。
速水英介は、反対したが、破談の理由が襲撃事件の話に及ぶとそれ以上強く反対はしなかった。
紫織の方から破談にした事で、ビジネスへの影響はほとんど無かった。
むしろ、鷹宮との提携は大都側に有利に運ぶ事がわかった。
紫織は、速水との婚約を解消すると、一人、パリへ旅立った。

試演は、黒沼組の勝ちとなり、紅天女の主演女優はマヤが演じる事となった。

姫川亜弓は、試演が終わるとすぐに、手術に入った。
手術は成功、再び目が見えるようになった亜弓は、入院中、愛を育んだカメラマンのハミル氏と共にアメリカに渡った。
ブロードウェーでの活躍が期待されている。



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後日、速水は、黒沼といつもの屋台で飲んだ。

「若旦那、試演の成功は若旦那のおかげだ。ありがとう!」

「僕は、何もしてませんよ。」

「いや、マヤを泥棒扱いしてくれただろ!」

「面目ない。とんだ事をしてしまって。」

「いや、あれで良かったんだ。
 あんたが、泥棒扱いしてくれた事で、北島は、一真が、自分を切り倒しに来た時の阿古夜の逡巡を理解出来たんだ。
 男は自分の使命の為に、最愛の女を殺そうとする。最愛の男が自分を殺す。
 あの愛の日々は嘘だったのかと思う。
 自分を殺そうとする一真を許し愛し続ける事ができるか、
 一真の愛を疑い、自分の愛を疑う。だが、結局、阿古夜は一真の総てを許し自らの命を差し出す。
 その逡巡への理解。
 自分を長い間、愛し支えてくれた紫のバラの人が自分を泥棒と疑った。
 自分を支えてくれたあの愛は真実だったのか?
 自分を疑う男を許せるのか?
 それでも愛し続けられるのか? 
 自分の愛は本物か?
 その逡巡が、阿古夜の逡巡とシンクロしたんだ。
 クライマックスの一真との対決。凄まじかっただろう。あれは、北島の逡巡があってこそ出来た演技だったんだ。
 それに、結局、あんたとうまく行った。
 相思相愛になった事で、一真と二人で暮らすシーン、愛を育む所もうまくやれた。
 若旦那、あんたのおかげだよ。」

「そう言っていただけると、肩の荷が降りたようですよ。」

「人はな、人によって傷つき、人によって癒されるのさ。」

スモッグに覆われた東京の空。
その遥か上空では、満天の星がいつも変わらず煌めいている。
紫織によって、曇ってしまった速水の目は、マヤのまっすぐな魂によって清められ2度と曇る事はなかった。




最後まで読んでいただきありがとうございます。
「別冊 花とゆめ 12月号」の続きを書いてみました。
お楽しみいただけましたでしょうか?
読者の皆様へ 心からの感謝を込めて!

追伸:速水真澄様
 お誕生日おめでとうございます。
あなたの曇った瞳をなんとかきれいにしてみました。
どうか、2度と曇りませんように!!!




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