炎   連載第1回 




「北島、おまえ、わかっているのか?
 阿古夜が初めて一真を見た時の気持ちを...。
 いいか、阿古夜は、一目で一真が魂の片割れだとわかるんだ。
 何故だ。
 一真は、傷つき気絶している状態なんだぞ。
 それなのに何故、魂の片割れだと思うんだ。
 そこをよく、考えろ!」

黒沼先生の怒声に、あたしは、黙って俯いた。
ここは、KIDSスタジオ。「紅天女」の練習が行われている。
黒沼先生は、さらに続けた。

「阿古夜は若い女だ。恐らく生娘だ。
 その女が、半裸の若い男を見たらどう思う。
 阿古夜は、目に見えない物が見える神女であり、梅の樹の化身だ。
 が、同時に生身の女でもある。
 さあ、阿古夜が初めて一真を見た時、阿古夜はどう思った?」

「えっと、どきっとして、そして、一真の魂が見えたんです。
 阿古夜は、人の目に見えない物が見え、聞こえない物が聞こえるんです。
 一真の純粋で美しい魂が見えたんです。
 その魂の美しさに阿古夜は魅かれるんです。」

黒沼先生はあたしの答に満足したのだと思う。じゃあ演ってみろと言った。

「でも、阿古夜が一真に初めて逢う所は脚本にありません。」

「無くても、やれと言ってるんだ!」

あたしは黒沼先生に言われた通り演技を始めた。





その日の稽古の帰り、桜小路君が話しかけてきた。

「マヤちゃん、今日の稽古、良かったよ。
 一真を初めて見つける所。」

「ホント! ありがとう!
 黒沼先生のおかげで、阿古夜の気持ちが掴めたわ。」

あたしは、桜小路君にそういいながらひっかかっていた。
黒沼先生が言った「阿古夜は生娘だった。」の言葉だ。
阿古夜と一真は一緒に暮らし始める。
互いに惚れ合って夫婦同然に暮らしている。
その二人が男女の仲にならなかったとは思いにくい。
だが、あの頃の男女の仲。
簡単に阿古夜は肌を許しただろうか?
一真の台詞に、「おばば様に認めてもらう」ともある。
きっと、一真はおばば様に認めてもらってそれから祝言をあげようと思っていたのだろう。
互いに相手を意識して、ふと触れ合った手と手に頬を赤くした事もあっただろう。
互いの気持ちが通じて手を取り合う事もあっただろう。
抱き合う事もあっただろう
そして、或る日、一線を超えたのだろうか?
一線を超えたから阿古夜には何も聞こえなくなったのだろうか?
いままで見えていた物がみえなくなったのだろうか?
わからない。
あたしが好きな人と暮らしたら、どうなるだろう。
例えば、紫のバラの人、速水さんと暮らしたら、、、。
速水さんの記憶が無くなって、私と暮らす。
あたしだけの物になる。
あたしは、速水さんの傷の手当をする。
食事の世話をする。
あたしには、速水さんの魂の美しさだけがみえている。
速水さんが、あたしを好きになって、そして、或る日、手をそっと握りしめてくれる。
そしたら、あたしは、すごく幸せ。
胸の内が熱くなって、どぎまぎしてしまう。
触れ合っている手だけが生きているみたいに感じてしまう。
触れ合っている所だけが熱いの。
そして、速水さんの手が延びてきて、私を抱き寄せる。
あたしは素直に彼の胸に抱かれ、彼の顔を見上げる。
端正な顔にどぎまぎしてしまう。
あたしは、目を閉じる。
速水さんの顔が近づいてきて、唇を覆う。
それから、それから、、、、。
まだ、キスもした事のないあたしにはそこから先はわからない。
けど、きっと、とても幸せな気持ちになるのだと思う。

ここまで考えて、あたしはふと思った。
もし、速水さん以外の人とそうなったら、、、、。
例えば、桜小路君と、、、、。
いや、いやだわ。
もちろん、芝居の上だから、実際にキスしたりしない。
だから、演技だけなら、いくらでも好きなふりは出来る。
でも、本当に好きな人だったら。
心底愛している人と抱き合えたら。
そう、あの日、梅の谷で速水さんと抱き合ったように、、、。
心底愛している人と、口付けを交わせたら、、、、。
もし、速水さんがあたしを心底愛してくれたら、、、。
もし、速水さんがあたしにキスしてくれたら、、、。
ああ、どんなにか幸せだろう、、、、。
もし、速水さんと男女の仲になったら、、、。
男の人に抱かれるってどんな感じなんだろう。
私だって、どんな事をするかぐらい知っている。
だけど、速水さんなら、速水さんなら、、、。
どんな風に女の人を愛するのだろう。
どんなキスをするのかしら、、、。
紫織さんとはきっとキスしてるんだろうなあ、、、、。
う、うう、、、、。
あたし、泣かない。泣かないもん。
速水さんが、紫織さんを愛しているのは知っている。
だけど、男の人は好きでなくても抱けるっていう。
社務所では、男の人の激情が速水さんの顔に現れていた。
あたしが怖がったら、速水さんの激情はなくなったけど、、、。
あの時、速水さんに抱かれていたら、、、、。
どうなったのだろう、、、、。
少なくとも、生身の女としての阿古夜の気持ちがわかった筈。
ああ、抱かれたい、速水さんに抱かれたい。
一度でいい。
あの人の胸にすがりたい。
初めての人は速水さんがいい。
ううん、速水さんじゃないと嫌!
速水さんに抱かれたい。



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或る日、マヤは早めの夕飯を済ませ銭湯で身を清めた。
新しい下着を身につけお気に入りのワンピースを着ると出掛けた。
大都芸能の近くまで来るとマヤは公衆電話に向かった。





続く      web拍手     感想・メッセージを管理人に送る


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