炎   連載第2回 




 俺の人生はもはや、どうにもならない所まで来ている。
このまま、鷹宮翁の手駒として生きる人生なのだ。
紫織という女を与えられ、仕事の成功という餌を与えられ俺個人の意志など関係なく駒の一つとして動かされている。
いや、紫織さんとの見合いを承知した時から、いや、父への復讐を誓った時から俺の人生のレールは決まっていたのだ。
義父への復讐。
それを果たすまでは、義父に逆らうわけにはいかない。
そして、今はその時期ではない。
「紅天女」
あれを義父から取り上げる事が出来たら、その時、俺の復讐は始まる。
その時だ。その時、俺の人生はもう一度始まるのだ。
後少しだ。

深夜の社長室、電話が鳴った。

「もしもし」

「、、、あの、、、速水さん、、、」

「、、なんだ、ちびちゃんか? どうした?」

「、、、今、、、大都の近くの公衆電話にいるんです。
 今から、ちょっとだけ、逢ってもらえませんか?」

「いいとも、社長室に来なさい。」

しばらく待っているとマヤがやってきた。

「どうした? こんな時間に?」

「お願いがあるんです。」

マヤは、紅天女の演技がなかなか掴めない話を始めた。
そんな話を何故、俺にするのかわからなかったが、俺は、黙って聞いていた。

「黒沼先生が、阿古夜は生娘だったって言うんです。
 阿古夜は神女だけど、同時に生身の女だって言うんです。
 一真と二人で暮らす内に、あの、あの、男女の仲になったんじゃないかって、、、。
 でも、あたし、経験がなくて、、、。
 それで、あの、途中までしか想像できないんです。
 その、あの、えーっとつまり、、、、。」

俺は、はっとした。
まさか、マヤが、、、。いや、そんなわけない。マヤは俺を嫌っている。

「は、速水さん、あの、えーっと、その、い、言いにくいんですけど、
 あ、あたしの相手をしてくれませんか?
 その、あの、えーっと、えーっと、、、。」

マヤが真っ赤になっている。

「俺に一真役をやってほしいと、、、。」

「そ、そうです。」

マヤが消え入りそうな声で答えた。

「桜小路を相手にしたらどうだ。
 相手役だし、彼は君に惚れてるんだし、、、。」

「ええ、一応考えて見たんです。
 でも、彼は生真面目だからそういう関係になったら結婚しようっていいそうで、、、。
 あたしは、阿古夜の気持ちが掴みたいだけなんです。
 それに、桜小路君とそういう関係になった所を想像してみたら、すごく、嫌だったんです。」

嫌なのは、俺の方だ。桜小路と君が男女の仲になるなんて、、、!
マヤが桜小路とそんな仲になったら、俺は気が狂う。

「、、、、なんだか、すごく気持ちが悪くて、、、。
 それに、恐らく、桜小路君は経験がないんじゃないかと思って、、、。
 初めて同士でうまくいくとは思えないし、、、。
 それに、一真は、盗賊をやっていた時期があるんです。
 あの時代の盗賊です。きっと、いろんな女の人を抱いたと思うんです。
 つまり、一真は経験豊富な男の人だと思うんです。」

「それで、何故、俺に?」

「あの、速水さんって、結婚相手をコンピュータで選ぶって言ってたし、、、、。
 紫織さんと婚約していても、あなたなら婚約者を大義名分の為に裏切るのに抵抗がないだろうし、、、。
 速水さんならきっと経験豊富だろうし、、、。」

「くっくっくっく、はーっはっはっは!」

俺は、マヤのその答えを聞いて、笑い出していた。

「わ、笑わなくたっていいじゃないですか!
 こ、こっちは真剣なんです。」

マヤにそう言われても、俺の笑いは止まらなかった。
涙が出て来た。

「そ、そんなに笑うなら、もう、もう結構です。
 つまらない事を頼んですみませんでした!」

マヤが帰りそうになったので思わず腕を掴んで引き留めた。

「くっくっくっく、、悪かった、、、笑って悪かった。
 もう、笑わないから、、、。」

俺は苦しい息の下から答えた。

「相手に選んでくれて光栄に思うよ。
 大っ嫌いな男と寝たいなど、、、、。くっくっくっく、、。」

俺は笑いの発作をやっとの思いで収めると言葉を継いだ。

「演技の為とはいえ、君も変わった子だな。
 君さえ後悔しないなら、お相手しよう。
 据え膳食わぬわ、なんとやらと言うからな。
 それに君の観察眼はかなり正しい。
 経験は確かにある。豊富かどうかはわからんがな。
 『紅天女』の成功の為なら、君と一度寝るくらい紫織さんを裏切ったと思わないのも確かだ。
 、、、、では、行こうか?」

「は?」

「ホテルだ。それとも、ここでやるか?」

「え、いえ、あの〜ホテルにします。」

ホテルに行ったらマヤはきっと逃げ出すだろう。
処女が簡単に男に身を任せる訳が無い。
現実がどういう物か判れば、帰ると言うだろう。
それまでからかってもいいな。
もしかしたら、キスの一つも出来るかもしれない。
そしたら、、、、

・・・止まらないのは俺の方かもしれんが・・・


俺とマヤは駐車場に向かった。
マヤは終始うつむいて俺の後からついてくる。
俺はいつも利用しているホテルへマヤを連れて行った。


ホテルのスィートルームに落ち着き、しみじみ彼女を見た。
愛しいマヤ。俺の物だったら、どんなにいいだろう。
マヤと共に人生を歩めたら、、、。
見果てぬ夢だな。

「速水さん、あの、あの、、、、。」

俺は、あらかじめ用意させておいたシャンパンをグラスについだ。
マヤにグラスを渡す。
かちりとグラスを合わせた。

「二人の夜に! 乾杯!」

「か、乾杯!」

マヤが頬を染める。

俺は部屋に備え付けられている音響設備を調節した。
ソフトなジャズが流れ始めた。
ついでに照明を暗くする。

「おいで。」

俺は手を差し出した。

「踊ろう、ちびちゃん。」

マヤの手を取った。小さな手だ。震えている。
下を向いているマヤを抱き寄せる。
手が熱い。

「下を向いてないで、、、。
 俺を見てご覧。」

マヤがおずおずと顔を上げる。
顔が赤い。黒目がちの瞳が潤んでいる。

「音楽に合わせて体を揺らせてごらん。俺に合わせて、、、、。」

アルディスの舞台では、軽やかに踊っていた。
リズム感がいいのはわかっている。

やがてマヤが俺に体を合わせてきた。
ダンスには心の枷を外す要素がある。
男と女が体を寄せて音楽に合わせて体を揺らす。
女は男に触れられるのに慣れ、男を受け入れやすくなる。
こんな風にマヤを口説く事になろうとはな。
信じられないような甘い夜だ。
そうとも、生涯忘れられないだろう。

曲が変わった。
俺はゆるやかに歩を止めると、マヤの手を取ったままソファに腰を降ろした。
マヤを隣に座らせる。
マヤがまた下を向いている。

「目を閉じて、、、。」

彼女のほほに沿って指を滑らせる。
上を向かせようとした。
マヤが俺の手の上から自分の手を重ねた。
まるで、愛しそうに俺の手のひらにほほを押し当てる。
まさか、まさかな、この子が俺を愛しているわけがない、
ああ、そうか、すでに彼女の演技は始まっているんだ。
では、合わせるとするか、

「阿古夜。」

マヤがはっとしたように俺を見上げた。

「うん、どうした?
 俺は一真役だろう?」

マヤの顔が一瞬、能面のように固まった。
それから、うつむいたマヤがもう一度顔を上げた時、甘くとろけるような瞳があった。
阿古夜が愛する一真を見つめる瞳。

「、、、おまえさま、、、。」

そう言ってマヤは、俺の瞳を甘く見つめ台詞を紡ぎ出す。。

「おまえさまのことを思うだけで胸がはずむ
 声を聞くだけで心が浮き立つ
 おまえさまにふれているときは
 どんなにか幸せ!

 捨てて下され
 名前も過去も
 阿古夜だけのものになってくだされ!

 おまえさまはもうひとりのわたし
 わたしはもうひとりのおまえさま」

俺は何も言えなかった。
からかおうと思った俺が馬鹿だった。
馬鹿だと思った時はすでに遅かった。
彼女の演技は相手が優れた役者であっても本気にさせてしまう。
台詞一つで空気がかわる。

俺を本気にさせる。

駄目だ、呑まれる。

聞かなければ良かった。

阿古夜の台詞など、、、。

誘いにのらなければ良かった。

一真役など、、、。

後悔してももう遅い。


   マヤ、愛している!


胸の内で叫びながら抱きしめていた。
マヤ!
マヤの髪に手を差し入れる。
手のひらで背中を撫で上げる。
両の手のひらでさらに背中を、腕を、肩を撫でる。
唇を求めた。
マヤの唇に唇を押しあてる。
マヤの口に舌を差し入れる。
初めてマヤの体が、緊張した。
その緊張に俺ははっとする。舌もこわばった。
だが、マヤはすぐに体を柔らかく融かし俺に身をまかせてきた。
初めてのディープキスなのだろう。
動きがぎこちない。が、そこがたまらん。
もう、駄目だ、、、、。



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真澄の理性は吹き飛んでいた。
何も考えられなかった。
マヤが、

「灯りを、、、消して、、、」

と言うのを聞いた時も、夢うつつのまま手を伸ばし電気のスイッチを切っていた。

真澄もマヤも同じ嘘をついていた。
同じ嘘で互いの本音を隠していた。
「紅天女」の為という嘘。
大義名分の影に自身の愛を隠したつもりでいた。
正直に気持ちを打ち明ければ、真実の愛に酔いしれただろう。
だが、二人共言えなかった。
互いに相手を誤解していたから。
真澄はマヤが自分を嫌っていると思い、マヤは真澄が紫織を愛していると思っていた。
誤解と嘘の間に真実の愛が垣間見えていたのに。





続く      web拍手     感想・メッセージを管理人に送る


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