炎   連載第9回 




 2年前のあの夜。
真澄はマヤを抱いた後、自分のやった行為を深く恥じていた。


誰よりも愛している人。
誰よりも大切にしている人。
それなのに俺は、彼女の申し出につけ込んで、取り返しのつかない事をしてしまった。
彼女が俺を愛してくれていたら。
愛してくれてその上で俺に抱かれたのだったら、こんな思いはしなかっただろう。
阿古夜の役を掴むだけなら、何も抱く必要はなかったのだ。
キスの一つで誤摩化せたのに。
だが、俺はそうはしなかった。
彼女を抱いた。
千載一遇のチャンスと思い抱いた。
紫織さんとの結婚を前に1度だけ想いを遂げたかった。
その想いで抱いた。
自分の欲で抱いた。
マヤ、すまない。君を穢してしまった。
こんなに後悔するなら抱くのではなかった。
後悔してももう遅い。

俺は罪悪感を忘れる為に働いた。
義父への復讐が俺にマヤにした恥ずべき行為を忘れさせてくれた。
そして、2年。
義父への復讐が成功した取締役会。
俺は勝利に酔っていた。
義父の築き上げた総てを奪ってやった。
そんな時、聖から里美とマヤが付き合い始めたと聞かされた。
マヤの初恋の相手、里美茂。
長かった海外での活動、そして、成功。
成功を手に日本に戻ってきた里美。
聖が隠し撮りをした数点の写真に写る里美とマヤ。
マヤの里美を見つめる眼差しの優しさ。
俺は耐えられなかった。マヤが他の男を愛しているなんて、、、、。
俺は仕事に没頭しようとした。
だが、マヤを忘れさせてくれる義父への復讐は既に達成してしまっていた。
苦しかった。いつのまにか打ち込める目標のない人生になっていた。
その苦しさから逃れる為、女達とのアバンチュールに身を投じた。
マヤとのあの夜の記憶から逃れる為に。
いや、彼女の幻影を探して女達に溺れた。
すると、瓢箪から駒だった。
紫織さんが別れると言ってくれるとは。
そして離婚。
が、自由の身になっても、もう遅い。
マヤは既に他の男を愛していた、、、。

最後のバラを送ろう。
マヤに最後の紫のバラを送ろう。
もう、終わりにしなければ、、、。

俺は、最後の紫のバラを「紅天女」の千秋楽に送った。



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「速水さん、あなたが、あなたが、『紫のバラの人』、、、、。」

マヤはそう言って口付けをした。
速水は信じられなかった。
これは何かの間違いだ。

「、、、違う、、、俺は、、、、君の、、、、足長おじさんじゃない。」

真澄は声を振り絞った。
顔が青ざめて行くのがわかる。

「いいえ、あなたです。 速水さん!
 私、知ってるんです。
 何故、隠すんです。
 どうして! どうして!」

「、、、隠してなどいない、俺は、、、違う、、。
 、、、まさか、、、まさか、、、、君は、俺が、『紫のバラの人』だと思ったから、抱かれたのか?」

「ええ、そう、あなたが『紫のバラの人』だから。
 速水さん、言ったでしょう。
 真実、紫織さんを愛していたら、私を抱いたと思うかって、、、。
 私だって、同じです。
 真実愛している人でなければ、抱かれたりしません。
 初めての人はあなた以外、考えられなかった。
 愛してるんです。速水さん、言って下さい。
 自分が『紫のバラの人』だと。」

(では、俺はマヤを穢したのではなかったんだ。)

この時、初めて、真澄の胸に小さな幸福の波が訪れた。

「、、どうして、、黙ってるんです。」

マヤは泣いていた。泣きながら速水の胸にすがった。

「あたしでは、だめですか?
 恋してくれるのは、舞台の上だけなんですか?
 あたしみたいな、チビで生意気な女の子はあなたに相応しくないから?
 ララのような背の高い美人じゃないと駄目ですか?
 あたしが、紫織さんみたいにお金持ちの御令嬢じゃないから相手にして貰えないんですか?
 速水さん、愛してるんです。」

マヤは速水の胸で泣いた。
速水が振り絞るような声で答える。

「相応しくないのは俺の方だ。
 舞台の上で眩しい程、情熱を燃やす君。
 誰よりも純粋な君。
 俺のように金儲けばかり考える、金の亡者のような人間は君には相応しくない。
 俺はただ、遠くから憧れるばかりだ。」

「そんな、、、。」

「君は、『紅天女』の上演権がどうなったか、知っているか?」

「上演権は、私が持っています。」

「ああ、君が持っている。だが、実際の権利は無いに等しい。
 上演権による権利金は君に入るようになっているが、その他の権利は無いに等しいんだ。」

「よく、わかりません。」

「月影先生から俺は汚い手を使って上演権を取り上げた。」

「!」

「取り上げた権利を武器に月影先生に俺の要求を飲ませたんだ。
 管理委員会の設置。委員長に俺が就任する事。
 そうすれば、『紅天女』は俺のものだ。
 確かに、君が上演権を持っているが、実際の上演は俺が許可しない限り出来ないんだ。
 俺は、そう言う男だ。欲しい物は手段を選ばず必ず手に入れる。
 君には相応しくない。」

「でも、でも、でも、それは、『紅天女』を守る為でしょう。
 黒沼先生が言ってました。速水さんが委員長になってくれて良かったって。」

「違う、守る為じゃない。義父から取り上げる為だ!
 俺は、養子だ。子供の頃、義父からひどい仕打ちを受けた。
 母は、義父が大事にしていた紅天女の打掛けを火事から救おうとして怪我をした。
 義父は母の怪我より打掛けを大事にしたんだ。
 結局、その時の怪我が元で母は死んだ。
 俺は母が死んだ時誓った。必ず、義父に復讐すると。
 義父の総てを奪ってやると、、、。
 『紅天女』を俺の手で上演するのが復讐の第一歩だったんだ。
 紫織さんと結婚したのも、義父が築いた大都グループを俺の物にする為だった。
 俺は、俺は、君に相応しくない!」

マヤは、速水の全身から感じられる炎の正体を垣間見たように思った。

「速水さん、、、。」

マヤは、もう一度、速水を抱きしめた。

「でも、あなたは、ずっと、私を援助してくれました。
 高校に進学させてくれて、ずっと、支えてくれました。
 あたしが女優になれたのはあなたのおかげです。
 あたしがどんなに感謝しているか。
 本当に悪い人だったら、そんな事できません。
 あたし、あたし、あなたがどんな人でもいいんです。
 前にも言ったでしょう。ギャングのボスでもいいって。
 あなたを、今のまま、丸ごと愛しているんです。」

「だが、俺は、君のお母さんを死に追いやった。
 そんな俺が君から許され、その上愛されるなんて、そんな奇跡が起きていいわけがない。」

「いいえ、もう、奇跡は起きてます。
 あたし、あたし、母さんの事、もうなんとも思ってません。
 とうの昔に速水さんの事、許してました。
 速水さん、母さんのお墓参り、ずっと来てくれてるでしょう。
 あたし、知ってるんです。
 速水さん、あたしの事、嫌いじゃないでしょう?
 以前、社務所では、あたしの事、嫌いになった事ないって言ってたじゃないですか?
 今すぐ、愛してとは言いません。
 でも、でも、あたしが愛してる事だけは、忘れないで。」

マヤは泣きながら、速水を抱きしめた。

「マヤ!」

真澄は、やっとこの信じられない状況を受け止めた。
そして、愛し愛される幸せを噛み締めた。
マヤを抱きしめると、耳元で囁いた。

「そうだ、、、俺が、、、君の足長おじさん、『紫のバラの人』だ。」

「速水さん!」

「マヤ、愛している!」

マヤの愛の炎が真澄の心の鎧を焼き付くした瞬間だった。
真澄はマヤに優しく口付けをした。



エピローグ


 マヤは、里美茂に恋人になれないと話した。
速水が「紫のバラの人」であり、やっとお互いの気持ちが通じたと。
里美茂はマヤが、以前から「紫のバラの人」に並々ならぬ想いを寄せていたのを知っていたので、

「あ〜あ、また、振られた!」

そう言って笑いながらマヤの前から去って行った。
今はアメリカで活躍している。


速水真澄は、義父と和解、義父と協力して会社を経営、利益を上げている。


4月の或る日、桜吹雪が風に舞い春の日差しが人々の心を暖めるそんな或る日、速水真澄は、マヤが現れるのを今か今かと待っていた。

場所は、教会の祭壇の前。

二人は今日、結婚する。










あとがき
 最後までお読みいただきありがとうございました。

 1組の愛し合う男女が互いの気持ちを知らないまま、関係を持って分かれる。その後どうなるか?
 それが書きたくて書いてみました。
 男は自分のした事を恥じ、仕事(復讐)に専念する。
 やっとの思いで復讐を遂げるが、長年の想い人に恋人が出来る。
 男が自堕落になった結果、復讐の為に結婚した妻は別れると言い出す。
 妻と別れ自由になって見たものの、想い人はすでに他の男を愛している。
 やがて、男は人生の目的を見失っている事に気づく。
 一方、女の方は、嫉妬に気が狂いそうになるが、その思いをやはり仕事(演劇)に昇華する。
 失恋の苦い思いは、時に癒されやっと、昔の恋人と再出発をしようとする。
 そこに、男が離婚したと聞く。
 二人はどうなるか?
 この辺りを書ければいいなあと思って書きました。
 ちなみに、携帯の無い時代です。

 皆様のひと時のお慰めになれば幸いです。
 心からの感謝をこめて!





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