炎   連載第8回 




 大都芸能に着くとマヤは社長室へと向かおうとした。
深夜である。玄関ではなく通用門から入ろうとした。
いつもの守衛が声をかけてきた。

「北島さん、今日は誰もいないよ。
 みんな帰ったよ。」

「えっ、社長の速水さんも?」

「ああ、速水社長だったら、会食じゃないかな?
 6時頃、車で出て行ったよ。」

「、、、おじさん、ありがとう。
 あの、どこで会食するかわかる?」

「○○ホテルって聞いたけど、、、。
 小耳にはさんだだけだから違うかもしれない。」

マヤはそれだけ聞くと、○○ホテルへ駆け出していた。
冬の夜。
風が冷たい。
だが、マヤには何も感じられなかった。
やっと、ホテルに着いた。
ホテルには着いたが、会食はすでに終わっていた。
当たり前だ、夜の11時。すでに夜中だ。

マヤは仕方なく帰ろうとした。
エレベーターホールの前を通りすぎようとしたらエレベーターが開いた。
一分の隙もなくタキシードを着こなした速水が降りて来た。
速水は紫のバラを抱きしめたマヤを見ると、一瞬、こわばった。
だが、いつものポーカーフェイスになると

「おや、ちびちゃん、こんな所で奇遇だな。
 一人? 里美君は?」

「は、速水さんこそお一人なんですか?」

「いや、、、、。」

そう言って、振り返った。
速水の後ろから美しい女性が姿を現した。イブニングに毛皮のコートを羽織っている。
サングラスをしているが、モデルのララだとすぐにわかった。

「さてと、ちびちゃん。ここでしばらく待っていなさい。いいね。」

速水はララをホテルの玄関口まで送ると、社用車にララを乗せた。
ララとの別れ際、ララが速水の首に腕をからませ何事か耳元で囁いているのが見えた。
速水が笑いながらララの頬に唇を寄せる。
マヤは思わず目をそらした。胸が痛い。

速水は、ララを見送るとマヤの元に戻ってきた。

「待たせたね、ちびちゃん、所属事務所の社長として言うが、こんな時間に一人でこんな場所にいるのは関心しないな。
 さ、送って行こう。」

マヤは迷った。が、劇場を飛び出して来た時の勢いは、マヤにはもうなかった。
逆に妙に冷めていた。
ララの存在が気持ちを冷やしたのかもしれない。
冷静に速水を観察出来た。
今、ここで、速水を追求してもはぐらかされるだけだと感じた。

(恋愛って戦いなんだ。
 男と女の、、、。
 負けられない。負けたら生涯、速水さんを失ってしまう。)

「はい、送ってください、すいません。」

速水はマヤと共にタクシーに乗るとマヤのマンションの住所を運転手に告げた。

「それで、、、、何故、あんな所にいた?
 千秋楽の後、打ち上げに参加、その後帰宅の予定じゃなかったのか?」

「・・・」

「言いたくないか、、、。彼とあのホテルで待ち合わせていたのか?」

「いいえ。」

「じゃあ、何故、あんな所にいた?
 若い娘が深夜一人でホテルのロビーをうろうろすると誤解されても仕方ないぞ。
 この間、気をつけろと言わなかったか?」

「言われました。」

「では、君の行動は軽卒だとは思わないのか?」

「申し訳ありません。」

「まあ、いい、次からは気をつけるんだぞ。」

「はい、わかりました。」

速水はマヤのマンションに到着するとマヤ一人を下ろして帰ろうとした。
マヤは必死だった。

「速水さん、折り入って御相談したい事があるんです。
 今から少しお時間いただけませんか?
 あの、ご迷惑でなかったら、、、。
 お願いです!」

「今日はもう遅い。
 水城君に君との時間を取らせるから明日にしなさい。」

「そんな、、、。
 お願いです。
 どうしても、今、聞いてほしいんです。」

マヤは思わず、速水の腕を掴んでいた。

「、、、いいだろう、、、。
 そんなに言うなら相談にのろう。」

速水はマヤと共にタクシーを降りた。
マヤは必死で考えていた。
どうしたら、速水に本音を言わせられるか?
「紫のバラの人」は自分だと言わせられるか?

エレベーターに乗り、部屋に着く。
鍵を開けマヤは速水を部屋に招じ入れた。



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 速水さんと一緒。
速水さんが居間にいる。
嘘みたい。
そう思いながら、紫のバラを花瓶に投げ入れ、エアコンのスイッチを入れた。
暖かい空気が部屋に吹き出して来る。
薬缶に水を入れ火にかけた。

「今、お茶を入れます。」

「お茶はいいから、話をしたまえ。
 相談事とは?」

マヤの部屋は2LDK、キッチンから居間が見える。
居間には布張りのベージュのソファーがおいてある。
マヤはお茶をいれる手を止めコンロの火を消すとガラステーブルを挟んで速水の前に座った。
思わずクッションの上に正座してしまう。

「あの、あの、紫のバラの人の事なんです。」

マヤは俯いて話し始めた。

「君の足長おじさんだろう。」

「ええ、今日、最後の紫のバラが届いたんです。
 里美さんと幸せになって下さいって。
 もう、紫のバラは必要ないでしょうって!
 あたし、紫のバラの人に見捨てられたんです。
 あたし、あたし、どうして、見捨てられたんでしょう?」

マヤはそう言って泣きながら言葉を継いだ。

「どうしたら、また、ファンになって貰えるでしょうか?」

「君のファンをやめると書いてあったのか?」

「いいえ! 紫のバラは必要ないでしょうって、、、。」

「里美君に遠慮したんじゃないか? 
 男っていうのは独占欲が強い。
 君が、紫のバラの人を気にしていては、里美君も気分が悪いだろう。
 君に幸せになってほしいから、紫のバラを送るのを止めるんじゃないか?
 君の舞台を忘れられる人は少ないさ。
 きっと、いつまでも君のファンだよ。」

「本当に! 本当に!」

「ああ、俺はそう思うね。君が里美君と幸せになればその人も喜んでくれるんじゃないか?」

「速水さん!」

「さ、話は終わった。俺は帰るよ。」

速水は帰ろうとした。

「待って! 待って下さい。
 もう一つ、ご相談があるんです。」

マヤは速水を押しとどめた。

「なんだ?」

速水は不信そうにマヤを見た。

「次のお芝居の事です。」

「君の次の芝居は、4月から始まるテレビドラマだったと思うが、、、。」

「あの、あたし、シェークスピアの『十二夜』がやりたいんです。
 最後がハッピーエンドで終わる、明るい話がやりたいんです。」

「ふむ、里美との幸せな恋をダブらせるか!
 それもいいな。
 興行的にも成功しそうだ。
 里美君に君の相手役をやって貰おう。
 君に取ってはイメージチェンジになるがいいのか?」

「ええ、もう、悲しい恋の話は十分なんです。」

「テレビドラマの方はすでに決まっているが、夏か秋の公演に考えておこう。」

「あと、『シラノ・ド・ベルジュラック』もやりたいです。」

「シラノは幸福な恋とは言えないんじゃないか。」

「ええ、でも、最後に恋をしていた相手に気がつく所、あのシーンをやってみたいんです。
 、、、速水さん、一体、シラノという人は何故、自分の鼻にあそこまでこだわったんでしょう。
 だって、ロクサーヌは、シラノの心に恋をしていたのに。
 どうして、男の人はこんな身勝手な恋をするのでしょう。」

「それが、シラノの男気だったのさ。」

「でも、でも、もっと早く告白していれば、二人で幸せな人生を歩めたのに。」

「ロクサーヌがハンサムなクリスチャンに恋をしなければ、シラノももう少し勇気が持てたかもしれんな。
 嫌われるとわかっているのに、恋心を打ち明ける馬鹿はおるまい。」

「そんなの、言ってみないとわからないじゃありませんか?
 だって、ロクサーヌはクリスチャンから来る手紙に恋をしていたのに。」

「それでも、シラノは死んでしまったクリスチャンとの友情を全うしたのさ。
 それに、もし、自分の正体を打ち明けて彼女に嫌われたら、2度と彼女に逢えなくなってしまう。
 それを恐れたのさ。
 或は、クリスチャンを愛しているロクサーヌを愛したのかもしれない。
 自分達の仕掛けた罠に見事にはまってしまい疑おうともしない無邪気なロクサーヌを愛したのかも知れないな。」

「じゃあ、紫のバラの人があたしの前に現れないのも、2度と私の舞台を見られなくなるかもしれないと思っているのでしょうか?」

「さあな、俺にはわからんさ、君の足長おじさんの事情は。
 さあ、今日はもう遅い。早く休みなさい。」

速水はそう言うとソファから立ち上がりコートを取り上げた。

「シラノと『十二夜』の件は考えておこう。
 君も紫のバラの人の事は忘れて休みなさい。
 気まぐれなファンに振り回されない方がいい。」

(速水さんに紫のバラの人の話をしても駄目なんだわ。
 するりと逃げてしまう。
 『舞台のあなたに恋をしていました』って書いてあった。
 お芝居、お芝居で引き留めよう。)

速水はコートを着ながら玄関に向かった。
マヤは速水の後ろ姿に向かって叫んでいた。

「捨てて下され
 名前も過去も
 阿古夜だけのものになってくだされ!

 おまえさまはもうひとりのわたし
 わたしはもうひとりのおまえさま」

速水がびくりとして立ち止まった。
そして、ゆっくりと振り向いた。
瞳は鋭く冷たい。

「なんだ、抱いてほしいのか?
 それなら、そうと言えばいいのに、、、。」

速水は皮肉そうな笑みを口元に浮かべるとマヤに歩みより手を取って強引に抱き寄せた。

「あっ!」

マヤは思わず声を上げた。
速水はマヤを抱きすくめ唇を奪う。
まるで、抑えに抑えてきた欲望を一気に解き放つように。
あの夜と同じに。
ひとしきり、マヤの唇を攻め立てると、融けて来たマヤの体をやおら引き離し、

「里美を裏切っていいのか?」

と唐突に聞いた。
速水の瞳がマヤの体をつき刺すように見つめている。

(ああ、もうどうなってもいい。
 この人を永久に無くすことになっても、今、言わなければ、一生後悔する。
 炎に飛び込んでみよう、この人の炎に!)

「速水さん、あたし、『紫のバラの人』が好きなんです。
 本当は、里美さんではなく、『紫のバラの人』に恋をしているんです。
 わかってるんです。どうにもならない事は。
 それでも、好きなんです。
 あたしが悲劇の恋を誰よりうまく演じられるのはあたしの片思いと重なるからなんです。
 速水さん、あなたが、あなたが、『紫のバラの人』、、、、。」

そう言ってマヤは速水に口付けをした。

マヤはやっと、自ら炎に飛び込む蛾の気持ちがわかった。




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