星空に抱く    連載第1回 




 「君もわかっているだろう」

姫川亜弓にとって、その一言がどれほど残酷か俺はわかっていた。芝居において役者は石垣の石の一つ。きちんと調和しなければ、すべてが崩れてしまう。姫川亜弓、黒沼龍三演出の「紅天女」は失敗作だった。本人達が一番よくわかっていた。わかっていても、上演せざるを得なかった。演劇協会の要請。何より月影千草が亜弓を「紅天女」にと望んだ。が、望んだ本人は舞台を見る事なく死んでしまった。速水英介は、次代の紅天女が姫川亜弓に決まって小躍りして喜んだ。これで大都で上演出来る。速水英介は、姫川亜弓や黒沼龍三の苦悩をよそに、喜々として姫川版「紅天女」の制作を部下に命じた。舞台を見た一般観客は、姫川亜弓の美しさに心奪われ、そこそこ、舞台を楽しんだ。評論家達は大都芸能の速水英介の怒りを恐れて舞台を絶賛した。

俺はもう一度姫川亜弓に言っていた。

「君もわかっているだろう、あれが失敗だったと……」

電話の先で、ハリウッドは夜だ。

「ですが、速水社長、私の紅天女は完璧でした」

「ああ、完璧だった。演出とのずれがなければな。確かに僕は実際に舞台は見ていない。ビデオを見ただけだ。それでも、わかったよ」

「……」

「姫川君、何も、君から上演権を取り上げようというんじゃない。北島マヤ、黒沼龍三演出の紅天女を上演したいから許可をくれと言ってるだけなんだ」

「……、わかりました、速水社長。上演を許可します……」

「ありがとう! 君はきっとそう言ってくれると思っていたよ」

俺は電話を切ると、キッズスタジオに向った。黒沼龍三は次の芝居の稽古の最中だったが、俺を見ると稽古を中断した。

「やあ、若旦那、あんた、とうとう、北島と婚約したんだってな。良かったな。おめでとう」

「はは、ありがとうございます。ところで、今日は、『紅天女』再演の話なんです」

「『紅天女』?、まだ、こだわってるのか? 若旦那」

「ええまあ……、今回は姫川でなく北島でやります」

「じゃあ!」

「はい、試演の時の芝居を再現して下さい。大都がバックアップします」

「そうか! いやあ、ありがとう! 若旦那! 姫川が悪いとはいわんが、どこか無理があってなあ、そうか、北島でやれるのか、で、いつだ。俺はすでに次の舞台の予定が入っている」

「今年の秋、11月の公演を目指しています」

「そうか! だったら十分時間があるぞ。時に、あんたん所の小野寺先生は知ってるのか? ま、いずれわかるだろうが……」

「大丈夫です。小野寺には別の仕事を与えてあります。彼好みの名誉と名声が手に入る仕事を……」

「ふーん、相変わらず人が悪いな、わっはっはっは」

「不安要素は取り除いた方が落ち着いて仕事が出来ますからね」

俺は、黒沼龍三と細かい点を打ち合わせると、キッズスタジオを出て、速水の家に帰った。義父、速水英介に「紅天女」再演の報告をする為だ。義父は居間でくつろいでいた。いつのまにか雨が降り出している。室内は薄暗い。

「お義父さん、姫川亜弓は北島による再演を承知しました。黒沼龍三もです」

「そうか……、で、劇場はどうする?」

「僕は……、大都ではなく別の劇場を考えています。大都がいいですか?」

「ふむ、まず、お前のプランを聞こう……」

「晴美埠頭に仮設の舞台を設置したいと思っています」

「ふむ、仮設か」

「はい、黒沼龍三も承知しています。仮設ですから芝居が終わると共に舞台も無くなる。一期一会を舞台で表現出来ます」

「……ふむ、一期一会か……、いいだろう、そのプランでやれ」

「はい、承知しました……、しかし、月影千草は何故、姫川亜弓を次代の紅天女に選んだのでしょうね。北島の方がリアルな紅天女だったと思ったのですが……」

義父は俺をちらりと見た。ため息をつく。

「……、真澄、わからぬか?」

「は?」

「復讐じゃよ」

「復讐?」

「本物の『紅天女』は北島マヤだった。だが、月影千草は姫川亜弓を指名した。姫川亜弓が指名された結果、北島マヤは「紅天女」を演じられなくなったんじゃ。つまり本物の「紅天女」を封じたんじゃよ。姫川を指名する事でな。よほど儂には、渡したくなかったんじゃろう、本物の『紅天女』を……」

「しかし、月影千草は『紅天女』を再演したがっていました」

「儂に渡すくらいなら、本物の『紅天女』を永遠に封じる道をえらんだのじゃろうよ」

俺はぞっとした。親父のいう事が本当なら、月影千草の恨みはなんと深いのだろう。偽物を渡してまで本物を守ったわけか。

「儂はの、千草が死んで、姫川亜弓の『紅天女』を大都で上演してやっとわかった。千草の恨みの深さをな……。
 おまえはマヤさんに生きている内に許されて良かったな。
 儂は千草が死んで、もはや許される事はない」

肩を落とした義父は、以前より小さく見えた。
俺は義父の前を辞して久しぶりに実家に泊まった。俺は義父に同情したが、所詮、身からでた錆ではないかと思った。尾崎一連を、月影千草を、「紅天女」を自分の欲望のままに取り込もうとして失敗したのだ。彼らに対して義父は謝罪するべきだったのだ。それをしなかった。
……。
マヤ、君の愛が俺に幸福を持たらしたように、「紅天女」の愛が人々に幸福を持たらすと俺は信じている。





 翌朝、俺はマヤとの結婚について考えていた。いろいろと準備があるのはわかるのだが、マヤは結婚の準備をどうするつもりなんだろう。普通は親がするのだろう。だが、彼女は天涯孤独だ。結婚前に女性がどんな準備をするのかリサーチしてみようと思った。そう言えば、昔、紫織さんが家具を揃えたり衣装を選んだりしていたなあ。マヤもそうしたいんだろうか? 女の子だからしたいんだろうなあ? 俺は秘書の水城君に相談する事にした。

「水城君、ちょっと、相談があるんだが……」

「はい、社長?」

「プライベートな話なんだが……」

「はい?」

「普通、女性というものは、その、なんだ、結婚の準備はどうするんだ?」

「はあ? ああ、マヤちゃんですね」

俺はまあ、そうなんだがと口の中で言った。

「そうですね、私も結婚の準備をした事がありませんので、なんとも言えませんが、二人の巣作りの準備をするんじゃないですか? 家具を選んだり食器を選んだり、親御さんは着物を揃えたりされると思います。女の子の財産分けの意味もありますから。社長の場合、今住まわれているマンションにそのまま住まわれるのでしょう?」

「確かにそうなんだが……」

「では、特に、準備はいらないのでは?」

「うーん、それでいいのかと思ってね。マヤは、その……、結婚に夢がないのだろうか?」

「それはご本人に聞いてみれば?」

「今、彼女は次の舞台に夢中なんだ」

「ああ!、『風と共に去りぬ』」

「スカーレット・オハラになってる」

「あの舞台、もし、姫川亜弓が日本にいたら、一緒にやってほしかったですね」

「うん? ああ、そうだな、面白い舞台になっただろう。亜弓君がスカーレット、マヤがメラニーをやって……」

「……逆でも、面白いように思いますわ」

「……とにかく、このままでは、籍だけいれる結婚になってしまう。それだけは避けたいんだ」

「住まいはこのままで、式と披露宴と新婚旅行に力を入れたらいかがです?」

「ふむ」

俺は水城君の意見を考えて見た。式と披露宴と新婚旅行か……。

「そうか、そうだな、そうしよう! ありがとう、水城君」

俺はその夜、仕方なくマヤを舞台の世界から現実の世界へ呼び戻した。スカーレットになりきっているマヤ。マヤと呼びかけても反応しない。

「スカーレット、君に話がある」

「まあ、速水社長、光栄ですこと!」

前髪をセンターから分け、両サイドにアップ、後ろの黒髪はパーマをかけゆるやかに垂らしている。その姿は、ビビアン・リーその物だ。俺はマヤが差し出した手を取ると口付けした。ゆっくりと。白く可愛い手。マヤがつんとすました笑顔で俺を見つめている。俺は口付けをやめると手を握ったまま言った。

「『紅天女』の件だ」

「紅天女」の一言に、一瞬にして戻った。スカーレット・オハラから北島マヤへ!





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