星空に恋う    連載第1回 




 「社長、今日のスケジュールですが……」

秘書の水城がスケジュールを確認している。
社長室に差し込む朝の光、ブルーマウンテンの香りに今日も一日が始まった。
が、コーヒーの湯気の向うに伊豆の別荘で迎えた朝を思い出す。
水城君の声が一瞬遠のく。

伊豆の別荘で朝を迎えた時、俺は腕の中にマヤがいるという奇跡をなかなか信じられなかった。

 朝の光の中で、俺は腕の中のマヤを眺めていた。
深く規則正しい寝息。美しい黒髪。表情豊かな瞳は閉じられた瞼の向うだ。
マヤ、俺は夕べの君を一生忘れないだろう。
初めて君を抱いた感動。柔らかで滑らかで清らかな君。
俺の女神。
そうとも、一生離すもんか。君は俺のものだ。このまま、ずっと君と一緒にいたい。

唇にキスしようとしたらマヤが何か寝言を言った。

「……おいしい……」

俺は、くっくっくっくと笑い出していた。
夢の中でも何か食べているのか!
そうだな、健康なマヤの為に朝食の用意をしてやろう。
俺は、ベッドを抜け出すとシャワーを浴びた。つい鼻歌が出る。
キッチンで朝食の用意が出来た頃、マヤが降りてきた。
いきなり抱きついて来る。

「うん? どうした?」

「だって、だって、速水さんがいないんだもん、置いて行かれたのかと思った」

「置いて行く訳ないだろう。泣いているのか? 馬鹿だなあ」

「ば、馬鹿じゃないもん。……本当に怖かったんだから……」

「マヤ……」

俺はマヤの涙を指先で拭う。俺がいなくなるのがそんなに怖いのか?
君は俺がいない間、どんな風に朝を迎えていたのだろう。
毎日、毎日、今日は帰ってくるかもしれない、明日は会えるかもしれないと思って過したのだろうか?
テレビ画面で見るマヤの姿はいつも元気そうで、そんな辛さは微塵も感じられなかった。


秘書の水城の声が俺を我に返らせた。

「社長、以上です、従いまして、本日の予定終了はパーティの終わった後、午後9時になるかと思います」

「ああ、ご苦労だった、水城君」

今日の重要事項は10時からのプロジェクト進捗会議だ。俺は「紅天女」定期公演に向けてチームを編成させておいた。
「紅天女」上演準備委員会からの報告が俺は楽しみだった。マヤ、君に「紅天女」をもう一度演じさせてやるぞ。


俺の日常は激務に過ぎて行く。マヤは次の舞台に向けて稽古に入った。俺が帰って来たのでテレビドラマの仕事は断るのだという。

「速水さんが帰って来たから……、もう、メッセージは送らなくていいから」

マヤ、君がお茶の間で人気者になった理由がわかるよ。元気で屈託のない笑顔。俺に向って精一杯元気だと伝えようとしてくれた笑顔が、視聴者の目にとまらないわけがない。恋の演技も同じだ。共演者が必ず恋人気取りになったというのもわかる。マヤ、君が俺の為に演じてくれたアストリア号での阿古夜。あんな恋の眼差しで見つめられたら芝居だとわかっていても君に恋をしてしまうだろう。最高の演技をしながら私生活を守る。いつ戻って来るかわからない俺の為に。切なさが込み上げる。

マヤとのデートはままならない。社長に就任したばかりで、引き継ぎやら、新規プロジェクトにと忙しい。逢えなくても、いや、逢える日もメールや電話をする。朝起きてお早うの挨拶に始まり、ランチの写真を送り、お休みの電話を入れる。
今夜も就寝前にマヤに電話をした。
マヤはすでにマンションに戻っている時間だ。
が、珍しく留守電になった。きっと、シャワーを浴びているのだろう。
だから、携帯の着信音が聞こえてないんだ。
俺は電話をくれるように留守電に入れて電話を切った。
待っている間、俺はベッドサイドの引き出しから母の形見の指輪を取り出した。
いつかマヤに渡したい。受け取ってくれるだろうか?

携帯が鳴る。マヤからだ。
マヤの嬉しそうな声。
案の定、シャワーを浴びていたという。俺はナイトスタンドの灯りを切った。
暗闇の中でマヤと話していると伊豆の別荘の夜を思い出す。
暗闇の中にマヤの白い体が浮かぶ。マヤのふわふわとした感触を思い出す。
俺達は同じ幸せな夢を見て眠りについた。


数日後、俺はいそいそとお気に入りのネクタイをした。
今日は久しぶりにマヤとデートだ。
俺は秘書の水城に感謝した。スケジュールの調整をさせたら右に出る者はいない。俺はさっさと仕事を片付けると待ち合わせ場所に急いだ。食事をし酒を飲み散歩をした。マンションまでマヤを送った俺は、マヤと離れがたかった。

「マヤ、君の部屋に行きたい。行ってもいいか?」

マヤが嬉しそうにうなづいた。
最初は少しおしゃべりするだけのつもりだった。それが、一体何故どうしてこうなったのか?
いや、一度肌を合わせた男女の必然か?
俺はマヤのマンションに泊まっていた。

それからしばらくして、俺はマヤのマンションで一緒に暮らすようになっていた。






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