星空に酔う    連載第1回 




 マヤ。
美しく成長したマヤ。
この1年半の間、彼女の姿をテレビでネットで見ていた。
会いたいと思う気持ちを押し殺し、遠くから見守っていた。
時折、聖が持たらしてくれるマヤの消息が何より嬉しかった。
マヤは変わらないと思っていた。
だが、彼女がこんな風に成長するとは……!
子供っぽく、無邪気に笑っていた君。
今君は微笑みを浮かべて俺を迎える。
女性として成長した君は、落ち着いた態度でたたずみ、俺が来るのを待つ。
マヤ、俺のマドンナ。
美しい君。
一体、何が、君をそんな風に変えたのか?
名残惜しさが胸の内を掠める。同時に美しく成長した君に俺は改めて恋をする。
美しい女(ひと)。
君の前にひざまづいて、その手に口付けしたい。
俺の女神。
俺が唯一、愛を捧げる女。



「速水さーん!」

マヤが俺に手をふっている。
俺はマヤの前にゆっくりと愛車をとめた。
助手席のドアを開ける。

「おはようございます!」

「おはよう、荷物はそれだけか?」

「はい!」

俺はマヤのボストンバックを受け取ると後部座席に置いた。




俺は鷹宮翁の怒りがとけたので、東京に戻った。
俺を拾ってくれたシンクタンクの社長は、ぜひにと引き留めてくれた。

「フリーでコンサルタントをしないか、ぜひ、君に相談したいっていうお客さんがいるんだよ。頼むよ、藤村君」

「そう言っていただけてありがとうございます。向うでどうしてもやりたい事があるんです。でも、ご恩は忘れません」

「そうか、残念だよ」

速水の家に戻った俺を、義父が迎えてくれた。

「ふん、きさまの不始末のおかげで寿命がちぢんだわ!」

義父は悪態をつくと部屋に戻った。
そして、俺は速水真澄に、大都芸能社長に復帰した。
会社に出社すると居合わせた社員達が、拍手で俺を迎えてくれた。
今まで、俺の代わりに社長を務めてくれていた副社長は涙を滲ませて喜んでくれた。

俺の資産、鷹宮翁によって凍結されていた俺の資産は無事戻された。慰謝料として払った金が数億減ってはいたが。

俺は「紅天女」定期公演化に向けて活動を開始した。

「紅天女」は結局、本公演が一度一ヶ月間行われただけだった。千草によって姫川亜弓が選ばれた後、亜弓は目の治療に専念した。結果、治療とリハビリが終わった半年後、本公演が行われた。演出は黒沼、一真役は桜小路、阿古夜は亜弓という組合せだった。黒沼は頭をぼりぼりと掻きながら亜弓と共に新しい「紅天女」を作った。俺がいなくなった結果、義父英介が直接陣頭指揮をとり、大都劇場で「紅天女」は上演された。さすが、演劇界幻の名作と絶賛を浴びた。姫川亜弓は、本公演が終わると、カメラマンのハミルと共にアメリカへ旅立って行った。ブロードウェーの舞台へ出演する為である。その後、「紅天女」は上演されていない。「紅天女」を演じられるただ一人の女優、姫川亜弓がアメリカに行ったのだから上演されなくてあたりまえだ。義父も何故か、その後「紅天女」を姫川亜弓に演じさせようとはしなかった。姫川亜弓がアメリカに行ってしまい、事実上無理なのはわかるが、義父は念願が適って燃尽きたのかもしれない。
或は、月影千草が死んで、どうでもよくなったのか?
それとも、義父は本当に欲しかったのは月影千草が演じた「阿古夜」であり、姫川亜弓の「阿古夜」ではないと気づいたのかもしれない。どちらにしろ、「紅天女」は姫川亜弓と共にアメリカにある。再上演したいのであれば、姫川を呼び戻せばいいのだが、ブロードウェイに、ハリウッドにと波に乗っている姫川を今呼び戻すのは酷だ。
俺は「紅天女」を定期公演にしたいと思っている。まだ、見ていない人々に生の「紅天女」を見せてやりたい。
人生はたくさんの苦しみに満ちている。
その苦しさに立ち向かう勇気を「紅天女」は与えてくれる。金儲けの為ではなく、より多くの人々の為に「紅天女」を上演したい。何故、何の為に「紅天女」を上演したいのか、考えた末の答えだった。



大都芸能社長に復帰した俺に激務が待っていた。
俺は仕事の合間を縫ってマヤとデートをした。
秘書の水城は、そんな俺に

「社長、以前よりずっと顔色もよく溌剌とされていますね」

と眼鏡の奥からからかってきた。

「君の当て擦りも相変わらずで俺も嬉しいよ」

水城の冗談にはこれくらいで返すのが礼儀だろう。

「社長がいなくなった後始末は私達社員が一丸となって切り抜けたんです。
 社長には幸せになって貰いませんと、私たちの努力が無駄になります」

俺は、言葉に詰まった。胸が熱くなる。

「……ああ、そうだな、これからは君たちに頭が上がらないな……とでも、俺が言うと思ったのか!
 軽口を叩いてないでさっさと仕事に戻りたまえ。
 今夜はマヤと食事に行くからな、仕事はいれないでくれよ」

「はい!社長!」

水城が笑いを含んだ返事を残して社長室から出て行った。

その夜、俺はマヤとレストランで食事をした。
一体、何年振りだろう。そうだ、アストリア号での食事以来だ。相変わらず、マヤの健啖ぶりには舌を巻く。
あの時と違って俺達は回りから浮いていない。
場慣れした様子で落ち着いて振る舞うマヤを俺はからかいたくなった。

「マヤ、君は随分落ち着いているが、こういう所にはよく来るのか?」

「え、そうですか? 普通ですよ」

「以前の君なら、浮きまくっていただろう?」

「……ある人が教えてくれたんです。こういう所に慣れる秘訣を」

「秘訣?」

「一度、超一流の所できちんとコースを食べたらいいって。
 そしたら、どこに行っても超一流以下だから自信が持てるって」

「それで、行ったのか?」

「いいえ……、考えたら、あたし、そういう経験、もうしてたんです」

「いつ?」

「あの時は、速水さんも一緒でした。北白川さんとご一緒した時です。
 あのレストランは超一流でした。あの時の経験を思い出せばいいんだって……」

「確かに、あのレストランは超一流だったな」

俺は、思い出していた。
アルディス役を掴めないでいるマヤに紫のバラを使って呼び出し北白川夫人を紹介したのだ。
紫のバラ……。
マヤは俺が「紫のバラの人」だと知っているのではないだろうか?
そして、俺が言うのを待っている?
顔に出さずに?
だとしたら、俺のチビちゃんは確かに大人になった……。

食事が済んでレストランを出た俺達は散歩をする事にした。
しばらく歩くと公園があった。桜の季節である。
桜の花の満開の下で、俺はさりげなく伊豆に行こうとマヤを誘った。
マヤは頬を染めてこくりと頷いた。






続く      web拍手 by FC2     感想・メッセージを管理人に送る


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