恋物語    連載第1回 




 「きゃあ、真澄様よ。今日も素敵ねぇ」

ここは大都芸能本社、エントランス。
各部署の一般女子社員は、用もないのに早出をして社長の速水が出勤するのを待っている。
やがて出勤してきた社長の速水を女子社員達が出迎える。

「社長、お早うございま〜す」

女子社員達が一斉に朝の挨拶をする。速水は彼女達に軽く会釈をしながら通り過ぎる。
いつのまにか定着した朝の風景だった。
速水は会社の営業時間より1時間以上早く出勤する。
時には重役達と早朝会議を開く為だが、会議がなくても一般社員より早く出て仕事に取りかかる。
一般の女子社員は社長に会う機会はほとんどない。社長の速水に会えるのは入社式や会社の行事がある時だけである。もちろん、人によって好みの差はあるだろう。それでも、女子社員達はイケメン社長を自分達のアイドルに仕立てていた。
最初は速水に熱を上げた総務の女子社員が1人だけだった。
速水は有能な経営者である。全社員の名前と顔を覚えている。速水は出迎えた女子社員の名前、杉下京子と言ったが、「やあ、杉下君、早いね」と気軽に声をかけた。ところが、女子社員は感激した。総務のコピー取りやお茶汲みしか出来ない容姿も今一の自分を、平凡な自分を、雲の上の人である社長が名前を覚えていてくれた。
感激した女子社員は毎日早く出勤するようになった。速水は杉下を見かけると声をかけた。そして、噂が噂を呼び社長に名前を呼んで貰えるのが嬉しくて女子社員達が一人増え二人増えと今の人数になった。さすがに人数が増えたので、速水も一人一人に声をかける事はなくなった。

「社長はご結婚されないのかしら」

「まだまだ紫織様を忘れられないんだわ。いいわあ、たった一人の人を想ってずっと独身なんて!」

「あら、そんなの不健全よ。亡くなられた方をずっと想っているなんて!」

「でも、まだ、一周忌も終わってないから仕方ないんじゃない」

「そうよね。あのほとんど笑わない社長が紫織様には優しそうな笑顔をしてらしたものね。愛してらしたんだわ〜」

「それに、紫織様が亡くなられてから社長ずっとダークグレーのスーツよ。喪に服されてるんだわ」

大都芸能の女子社員達は口々に言いあい、社長の心中を憶測した。

鷹宮紫織の死。
昨年、「紅天女」の試演が行われ姫川亜弓が主演女優となったが、姫川亜弓は自身の目の不調を公表、手術の為「紅天女」本公演を演じられないと演劇協会に訴え、亜弓はマヤに主演女優の座を譲った。
そして、試演後、まず、月影千草がその夜、息を引き取った。さらに3日後鷹宮紫織が死んだ。

10月。秋晴れの美しい日。
鷹宮紫織は出来上がった花嫁衣装の試着中に倒れそのまま帰らぬ人となった。
結婚式を2週間後に控え、幸せの絶頂での死だった。
人は若い彼女の死を悼んだ。
婚約者だった速水は、鷹宮紫織の突然の死にとまどった。
嫌いではない相手であった。
では、鷹宮紫織の死によって魂が引き裂かれる程の慟哭に突き落とされたかというと、そうではなかった。
速水は鷹宮紫織危篤の報せを受け病院に駆けつけたが紫織は既に亡くなっていた。
亡骸を前に速水が感じたのは非現実感だった。
そして、通夜の席。
鷹宮家の人々は速水を遠巻きにした。婚約者を失い沈痛な表情の速水に、その心中を察し速水を一人にしておいた。
葬儀が終わり、出棺され荼毘に伏された時、真っ青な秋空に消えて行く煙を見上げた時、速水は初めて鷹宮紫織の死を受け入れ涙を流した。

日々が過ぎて行く。
速水は鷹宮紫織を自ら思い出す事は無かったが、鷹宮グループとの関係上足繁く鷹宮家を訪れては紫織の思い出話を鷹宮家の人々とした。あくまでビジネスの範囲だった。


一方、北島マヤは姫川亜弓から上演権を譲り受け黒沼組が勝利した試演終了直後、桜小路から交際を申込まれたが、心に密かに想う人がいる以上、桜小路とは付き合えなかった。
例え相手がまもなく結婚してしまい、手の届かない人になるとわかっていても、自分の想いを簡単に変えられないマヤだった。
月影千草の死。
試演が終わったその夜、月影千草は疲れたからと言って、普段より早めに休んだ。
そして、翌朝、すでに帰らぬ人となっていた。千草の葬儀が終わりマヤがぼんやりと過している中、鷹宮紫織の死の報を聞いた。
マヤが最初に思ったのは、「速水さんは大丈夫だろうか?」という想いだった。
(あんなにお似合いの二人だったのに、速水さんはどんなに悲しんでいるだろう)とマヤは思った。
そんな風にマヤが思っているとは知らずに、速水は「紅天女」上演交渉をマヤと進めるべく秘書の水城に交渉させた。速水は鷹宮紫織の死によって様々に鷹宮家と関わらなければならず、速水自身がマヤと交渉する余裕はなかった。


月影千草が死んで十日程たった或る日。水城はマヤの元を訪れた。

「マヤちゃん、ぜひ『紅天女』新春公演はうちでプロデュースさせてほしいの。条件はこちらよ。出来たらうちの所属になってほしい所だけど、マヤちゃん?」

「……あの、速水さんはお元気ですか?」

「ええ、何故?」

「だって、紫織さんが亡くなられて気落ちしてるんじゃないかって……」

マヤは一番聞きたい疑問を水城に投げかけた。そんな事を聞いて変に思われるじゃないかとは思わなかった。後先考えずに行動するいつものマヤだった。
水城は黙った。眼鏡をかけた目の奥にどんな思惑が去来したのか……。そして、おもむろに口を開いた。

「そうね、とても気落ちしてらっしゃるわ。なんと言っても婚約者を亡くしたのですものね。結婚を目の前にして……」

「やっぱり……。いくら冷血漢でも、きっと堪えてるんでしょうね」

「マヤちゃん、いい気味だって思ってる? お母さんを亡くした時の事、これでリベンジ出来たって……」

水城の問いにマヤは憤りを露にした。

「あたし、そんな事、思ってません! ひどい! 水城さん! あたし、速水さんの事、もう憎んでいません」

水城はマヤの様子にやはりねと思ったがそんな気持ちを表に出しはしない。

「……ふふふ、いい子ね、マヤちゃん。……社長を元気にする方法があるわよ。新春公演ををうちがプロデュースするの。そしたら社長は忙しくなって紫織さんの事を忘れられると思うわよ」

「ホントに! 水城さん、それホント!」

「ええ、ホントよ。さ、この契約書を読んで。特にここ。試演で勝利した黒沼組の舞台そのままって書いてあるでしょ。試演そのままでいいのよ。ね、うちの劇団『オンディーヌ』は一切関係ないの。この条件なら問題ないでしょう」

結局、マヤは水城秘書の巧みな戦略にいいように翻弄され、大都芸能と契約するに至った。結果、マヤは大都所属の女優となっていた。
だが、マヤもまた、水城に条件を出していた。

「あたし、速水さんの事、憎んでません。でも、劇団つきかげがつぶれて、団員がばらばらになって苦労したのも事実です。あたし、また、劇団つきかげのみんなと一緒に暮らしたいんです。どこか一軒家をみんなでシェアして……。お願い、水城さん」

「う〜ん、いいわ、なんとか実現出来るようにするわ」

「ありがとう、水城さん」


そして半年が過ぎた。
マヤは青木麗、水無月さやか、沢渡美奈、春日泰子と共に一軒家「満月荘」に住んでいる。
マヤは紅天女新春公演の成功と大都の巧みな宣伝によって一挙に一流女優の仲間入りを果たした。桜小路だけでなく、マヤの演技に魅かれマヤとぜひ共演したいという俳優達が多数名乗りをあげていた。





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