恋物語    連載第2回 




 春、花の季節。マヤは珍しく、大都芸能社長室に呼ばれていた。この日、マヤは桜色のワンピースに白のボレロ。ローヒールのパンプス。薄くルージュを引いている。そして、紫のバラの花飾りのあるバレッタで髪をまとめていた。マヤはこの日の為に精一杯おしゃれをしていた。
試演の日以来、マヤは速水と会っていない。千草の葬儀や仕事の絡みで遠くから見かけた事はあったが速水は常に忙しそうにしており、顔を合わせても話す時間はなかった。久しぶりに会う速水に、マヤは少しでも綺麗に見てほしかった。

試演の日、マヤは速水が「紫のバラの人」だと名乗ってくれるのではないかと期待していた。
だが、結局、マヤの楽屋に紫のバラが届けられただけだった。
マヤは速水が名乗らないのは、自分が亜弓に負けたからだと思っていた。マヤは、それが悲しかった。
大都の所属になった時、そんなマヤの気持ちを見透かすように、マヤのスケジュールには日舞からダンス、パントマイムのレッスンがびっしりと組まれていた。

今、社長室の前でマヤは深呼吸した。

「マヤちゃん、どうしたの、大丈夫、社長は別にあなたをとって食おうというわけじゃないから」

水城がくすくすと笑った。

「社長、マヤちゃんですよ」

水城はマヤを社長室にいれた。

「北島です、お久しぶりです」

部屋の中には朝日が一杯にさしていた。マヤはぺこりと頭を下げた。

「やあ、チビちゃん、久しぶりだな。仕事の方はどうだ」

「はい、おかでさまで、充実したお仕事をさせて貰ってます」

マヤは速水の深く豊かな声にドキドキした。速水もまた、久しぶりにあったマヤにドキドキしていたのだが、お互い自身の心臓の音が相手に聞こえないように祈るばかりで相手の心臓の音にまで思いをはせる余裕はなかった。
マヤはソファに腰を降ろし速水の話を待った。

「今日、来て貰ったのは他でもない『紅天女』の次期公演についてだ」

「次期公演?」

「君も知っての通り、前回は試演そのままという事で、旧汐戸水駅の跡地を使った。しかし、跡地は再開発されて既に無い。そこで、一般の劇場でとなるわけだが、うちの大都劇場を使うにあたって君の許可がほしい」

速水は書類を並べた。マヤは書類を並べる速水の手元を見た。速水の手。男らしい大きな手。あの手で肩を掴まれた事があった。手をつないだ事も……。マヤは記憶を吹っ切った。

「あの、演出は?」

「黒沼さんだが……」

「じゃあ、黒沼先生に聞いて下さい。先生の演出に相応しい劇場の大きさなのかどうか……」

「くくくく、さすがだな。黒沼さんにはもう許可を取ってある。安心しろ」

「だったら、あたしの方から反対する理由はありません」

「……そうか」

そこに、水城がコーヒーを持って入って来た。

「マヤちゃん、お話を聞いた?」

「ええ、水城さん……」

「そう、良かったわね、久しぶりで……」

「え?」

「水城君、その話はまだだ」

速水は水城の出過ぎた発言に固い声で答えた。マヤは多少、身構えた。速水と仕事の話をする時は常に足下をすくわれないよう注意しなければならない。

「なんの話です?」

速水が言い淀んだ。

「……一真役だ」

「? 桜小路君では?」

「ああ、そうなんだが、桜小路が蹴って来た」

「え?」

「桜小路と何かあったのか?」

「……」

「とにかく、君と組めないと言ってきてな、説得してみたんだが……。黒沼さんは、やる気のない奴はやめてしまえと怒っていてな。最初からトラブルがあるのもと思って相手役を探した。里美君だ。彼となら君もうまくやれるだろう」

速水は里美茂を一真役にしたくなかった。マヤの初恋の相手、特別な相手である。しかし、桜小路が断ってきた理由を考えると選択肢はあまりなかった。
桜小路が断った理由。
(僕は自分がプロだと思っていました。だけど、マヤちゃんと芝居をすると巻き込まれるんです。その、彼女の演技に……。僕は舞台の阿古夜とマヤちゃんを混同してしまって……。本公演までは耐えられたんです……。だけど、芝居が終わったらマヤちゃんは僕の恋人ではなくなる。魂の片割れと思っていた相手が、仮面を外して赤の他人、いや、もっと悪い、ただの友達になるんです。そのギャップに耐えられない。魂の片割れに出会え、共に生きる喜びとそれを失う悲しみを舞台のたびに味わうんです。あの苦しみをもう一度味わうかと思うと……)



「里美さん……」

マヤは結局別れてしまった里美茂を思い出した。初めてのデート。幼い愛。

「里美さんは承知したんですか?」

「ああ、昔の事もあるが、今をときめく北島マヤとぜひ共演したいと言って来た。黒沼さんに里美君のビデオを見て貰ったらOKが出たよ」

「……あの、桜小路君なんですが、あたしに説得させて貰えませんか?」

「いいが……。あまり時間はないぞ。里美君もスケジュールの都合があるだろうし……。一体、桜小路と何があったんだ?」

「それは……」

「社長、若い女性の心に土足で入りこむような真似をしてはいけませんわ」

水城は速水を嗜めた。そんな風に聞いては、相手はますます固くなるだけだろう。マヤは水城の配慮を喜んだが、逆にマヤは速水に話しておきたかった、桜小路の事を。速水に誤解されているのではと前々から気になっていたからである。
速水は速水で、煙草に手を伸ばしていた。速水はマヤの気持ちを知りたかった。マヤと桜小路の演技。二人は恋仲なのではと疑っていた。だが、今、マヤの口からマヤの本心が聞ける。速水は内心の動揺を隠したかった。

「いいえ、いいんです、水城さん……、そうですね、社長には知っておいて貰った方が……。あたし、その、断ったんです。桜小路君と付き合えないって……」

速水は内心、ほっとした。声にも顔にも出しはしなかったが。

「いつだ?」

「試演が終わってすぐです。以前から付き合いたいって言われていて……。桜小路君、本公演の間、ずっと、『僕は諦めない』って……。舞台であんな想いのこもった演技が出来るんだから、君は僕を好きなんだろうって。あたし、芝居だってずっと言ってたのに……」

「それでか……。桜小路は舞台の度に魂の片割れに出会えた喜びと失う悲しみを同時に味わうのが耐えられないと言っていたよ。しかし、プロならそれくらいの気持ちの整理くらいつけられる物だがな……。若いな……」

「……」

「それで、なんと言って説得するつもりだ」

「わかりません……」

「あやういな……、君が桜小路の申し込みを蹴ったのは、他に好きな人がいるからか?」

マヤは真っ赤になった。本人を前に、言える訳がなかった。マヤは真っ赤になりながら大きく頭を振った。

「いません、そんな人!」

「君は誰も好きではないという……。それなのにあの演技か。さすが、天才だな、君は。まるで、本当に一真と恋人同士であるかのような演技だった。阿古夜の演技は……」

速水は一呼吸おいた。ゆっくりと何か思い出すかのように言った。

「……俺の経験から言うとだな、女性は強引にせまってくる男に押し切られる可能性がある。特に好きな人がいない場合はそうだ。言い寄られて、ついなびく。……好きな相手がいないのにそこまでしっかりと自分自身を保てるとはな……」

「朴念仁の速水さんと恋愛談義をする事になるとは思いませんでした。速水さんがそんなに恋愛経験があるなんて信じられません。まるで……、強引に恋人を作った経験があるみたいです」

「くっくっくっく、恋愛経験がなくとも人生経験からこれくらいはわかるさ。桜小路の説得はしなくていい。本人が嫌がってるんだ。説得しに行ったら君は桜小路からくどかれるぞ。付き合ってくれるなら引き受けると……」

「桜小路君はそんな人じゃありません。ただ、その……、混乱してるだけなんです。それに、里美さんと息があうかどうかわかりませんし……」

「だったら……、水城君、桜小路と連絡をとってくれ」

マヤは速水の前で桜小路と話した。しかし、結局、桜小路の気持ちを変えられなかった。





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