紅の恋 紫の愛    連載第1回 




 一台の車が伊豆半島、海岸沿いの道路を走っている。
よく晴れた初秋の早朝。海はどこまでも青く陽光にきらめいている。
海鳥が舞い、穏やかな平日の早朝。
車はかなりのスピードで東京に向って走っていた。
が、車を運転する男の目には、海の青もきらめく陽光も映らない。
むしろ、彼の心の目には真っ黒な雲が東京上空に見えていた。

男の名前は速水真澄。大都芸能の社長である。
美しい婚約者との結婚を1ヶ月後に控え、はたから見ると羨ましいほどの人生である。
が、今、男はその婚約者の信じられない行動の確証を掴み、善後策をうつべく東京に向っていた。

――紫織さん、信じられない。
  何故、あなたがこんな事を……?

婚約者鷹宮紫織が、速水真澄が長年、影から支えて来た北島マヤに、マヤが「紫のバラの人」に送ったアルバムを真澄の別荘から勝手に持ち出し、びりびりに引き裂きマヤに送り返していたのだ。
真澄は紫織がアルバムを引き裂いた行動に寒気がした。
美しく聡明で優しい婚約者。
その彼女が、他人の家に無断で侵入し、人の物を盗みだしただけではなく、びりびりに引き裂きマヤに送り返す。
そして、恐らくマヤに指輪泥棒の汚名を着せドレスを汚させた。

――俺がマヤの「紫のバラの人」だと気がついたのだろう。
  俺からマヤを引き離すために、マヤに泥棒の汚名を着せるとは!
  なんて女だ!
  俺がまんまと彼女の罠にはまり、マヤを疑い、彼女の前でマヤを非難した。
  紫織さんはそれで安心したのだろう。
  ところが、北斗プロの襲撃の時、俺が体を張ってマヤを庇った。
  焦った彼女は俺と無理矢理既成事実を作ろうとしたのだろう、ワンナイト・クルーズで。
  なんて女だ!
  そんな女はこちらから願い下げだ。
  婚約を解消しよう!

が、速水は事の重大さを自覚していた。
各界が注目した婚約披露パーティ。大都芸能が鷹通傘下に入った事実を広く知らしめすパーティだった。

――紫織さんと婚約を解消したら、俺は恐らく、社会的信用を無くす。
  ……紫織さんから婚約を解消してくれたら……。
  これは俺の身勝手だな。
  自分の気持ちをわかっていて紫織さんにプロポーズしたのは俺なのだから。

速水は、港の救護室で紫織が目を覚ました時を思い出した。


真澄は救護室に眠っている紫織の容態が軽いと聞くと、運転手に後をまかせ帰ろうとした。
ところが、紫織が目を覚まし、真澄の姿を見つけると嬉しそうに言った。

「真澄様、私についていて下さったのですね!
 私を選んでくださったのですね! マヤさんではなく、私を! 嬉しい!」

紫織が真澄に手を延ばす。
その手を取る事もなく真澄は紫織の勘違いを聞き流した。

「紫織さん、仕事がありますので、僕はこれで……。
 お元気になられたら、改めて挨拶に伺います」

真澄はそれ以上、何も言わずに救護室を出ていた。

――あの言葉も今考えてみれば、明らかにマヤを敵視した言葉だった。
  ……
  水城君が紫のバラを切り落とす紫織さんを見ている。
  どう考えても、異常だ。
  マヤへの憎悪が感じられる。
  俺の責任か……。
  俺が隠しきれなかったばっかりにこんな事になってしまった。
  どうすればいい……。

速水はまた、桜小路の事故を思った。

――このままでは黒沼組は確実に負けるだろう。
  或は、棄権する事になる。
  ……
  月影千草の病状を確認しなければならないが、姫川亜弓は試演をせずに「紅天女」を継承しようとは思うまい。
  彼女の性格から考えて、必ず、試演を行うよう主張するだろう。

速水は試演を延期させるよう協会に働きかけようと思った。

――マヤ、君は今、どうしている?
  俺はこれから戦いを始める。
  何があっても俺を信じてついてきてくれ!

速水は心の中で、マヤの面影に向って話しかけていた。

車はさらにスピードをあげて、東京に向った。

伊豆半島上空に舞う数羽のかもめは、人の世の争い事をはるか遠くに見下ろしながら大空をはばたいていた。






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