紅燃ゆる 連載第1回
速水英介は驚きの声を上げていた。
「アストリア号で真澄と北島マヤが一緒だっただと!」
速水英介の部下が恐縮して報告する。
「はい、御前。こちらをご覧下さい」
部下は個人のブログのページを英介に見せた。真澄とマヤが華麗に踊るシーンの写真が掲載されている。
「ブログ名;カメタン旅にでる
8月XX日
先日、アストリア号でワンナイトクルーズに行って来ました。
……北○マ○が、ダンスしている所デース。
見ての通り、お相手がすっごく素敵な人でした!
大○芸○の社長だそうです。周りのおばさま達が噂してました〜^^
二人はとってもいい感じでしたよ〜。
実は翌朝、日の出を見に行ったら、二人はうふふって感じだったけど、本人達に悪いし私の感違いかもしれないからここでは書けませ〜ん!^^
アストリア号のお食事はとってもおいしくて……」
英介はその写真を食い入るように見た。
――アストリア号だと!
あれは紫織さんと一緒だと聞いたが……。
実際はどうだったんだ!
何があった!
英介は部下にアストリア号で真澄に何があったか、詳しく調査させた。やがて、英介の元に結果が報告された。
「御前、鷹宮紫織様は渋滞でアストリア号に乗船出来なかった模様です。
何故か北島マヤが乗船、真澄様と一緒だったそうです。
お二人はスポーツデッキ横のロビーで夜を明かしたと、アストリア号のスタッフがそのように申しておりました」
「では二人は何もなかったというのか?」
「はい、食事やダンスで一緒の所は船のスタッフが多数目撃しておりました。しかし、特に恋人同士とかそういう感じではなかったそうです」
「だが、あのブログはなんだ!」
「……御前、北島マヤと言えば、確か真澄様を母親の敵と言って憎んでいた筈。仲良さそうにダンスを踊っていても恋人には程遠いかと……」
しばらく考えた英介は部下に言った。
「……この件は儂が直接調べよう。ご苦労だった……」
部下は、はっと言うと、英介の前を辞した。速水英介は支度をすると出掛けて行った。
一方、北島マヤは稽古を終え、稽古場から自宅に帰ろうとしていた。マヤは桜小路が元気な時はバイクに乗せて貰って帰っていたが、今は一人である。駅への道を急いでいた。そのマヤの前に車椅子が立ち塞がる。
「これはこれは、お嬢さん、奇遇ですなあ?」
速水英介である。英介は偶然を装ってマヤに近づいた。
「おじさん! お久しぶりです! 今日は、どうしたんです?」
「何、近くに野暮用がありましてな。それより、どうです、これから食事でも」
マヤは困った顔をした。
「……ごめんなさい、おじさん……、あたし、今日夕飯の当番なの」
「では、お茶だけでも……」
マヤは少し考えた。15分くらいなら遅れても大丈夫と思ったマヤはその男に付き合う事にした。近くの喫茶店に入る。かつて、鷹宮紫織と共に入った喫茶店である。二人はパフェを注文した。やがて、特大パフェが二人の前に置かれた。
「お嬢さん、稽古はどうです?」
速水英介はパフェのアイスクリームをスプーンですくいながら問いかけた。
「ええ、おかげさまで、ただ、相手役の桜小路君が、あ、ごめんなさい。一真役の俳優さんなんです。
桜小路君が交通事故にあって……」
「ほう、それは大変ですな。試演には出られるんですか?」
「ええ、黒沼先生がちゃんと考えて下さって……」
「そうですか、それは良かったですなあ。なんと言っても一真はあなたの恋人。大切な相手でしょう。……舞台の上だけでなくプライベートでも恋人ではないのですかな?」
英介がにこやかにマヤを煽る。マヤの方は返事をしながらもパフェを食べるのに余念がない。特大パフェは瞬く間にマヤの胃袋へと消えて行く。
「え!(パクパク)そんな!(パクパクパクごっくん)只の芝居仲間ですよ。それより、ずっと前、月影先生の居場所を教えて下さって、ありがとうございました」
英介はマヤに恋人がいないか、アストリア号で何があったか聞き出そうとするが、マヤはするりとかわしてしまう。
「……無事、先生に会えましたかの?」
「はい、おかげ様で!(パクパクごっくん)おじさんは月影先生のファンなんですね〜。みんな知らなかったんですよ、月影先生の居場所……」
パクパクパクパクパクパクパクパクパクごくり、パクパクパクごくん、ぺろりん、パックン、ごくん!
「ははは、その通り、大ファンですよ!」
パクパクごっくん!
「あ、おじさん、ごめんなさい、あたし、もう、行かないと! 今回はあたしに奢らせて下さいね。ごめんなさい、おじさん」
マヤはぺこりと挨拶して席を立った。パフェはしっかり完食されている。マヤの頭には今夜の夕飯を何にするか、それしかなかった。きわどい所で、マヤは英介の牙に掛からずに済んだ。マヤは一歩間違えれば、真澄の立場を不利にするとは夢にも思っていなかった。
速水英介はマヤの態度に天然の小娘はやりにくいと感じた。むしろ真澄の側を攻めるべきだと思った。真澄ならどこをどう押せばどう動くか育てた自分が一番よく知っていると英介は思っていた。
或る朝、速水真澄は鷹宮邸で鷹宮紫織と会っていた。
滝川によると鷹宮紫織の食欲はほぼ、自殺未遂前の状態に戻り、散歩やお琴の練習、蘭の世話も始めたという。
「紫織さん、随分回復されたようですね。あなたの育てている蘭を見せてくれませんか?」
紫織は真澄と共に庭に出た。温室へ案内する。真澄は紫織の育てた蘭を見事だと褒め、紫織の努力に感心して見せた。紫織は頬を染めて喜んだ。真澄は紫織の様子に、紫織の元を訪ねるのは毎朝ではなく3日に一度に減らして行こうと思った。
「紫織さん、随分回復されたようですし、そろそろ僕の支えが無くても大丈夫でしょう」
「真澄様! いや、嫌です! どうか、お願いです。 紫織に会いに来て! 婚約は解消します。だから、お願い……」
速水真澄は逡巡した。
――紫織さんが直接、婚約を解消すると言う。しかし……、随分回復したようだが、まだまだ不安定に見える。
「……わかりました。もうしばらくは毎日来ましょう。しかし、永遠に毎日というわけには行きませんよ、僕がいなくなる事に慣れてもらわないと……」
紫織は泣き出した。激しく泣きじゃくる。
「いや!……、真澄様と会えなくなるなんて! いや……」
真澄は紫織の両腕を掴むと強く揺すった。
「しっかりしなさい、紫織さん! 人は皆一人です。僕もあなたも……。辛い人生に一人で立ち向かうのです! 皆、そうやって生きている。
さあ、あなたも一人で人生に立ち向いなさい。そうやって凛々しく人生と向き合って生きて行けば、必ず、あなたを真実愛してくれる人が現れる」
「……真澄様!……」
さらに泣きじゃくる紫織。
――辛い人生に皆、一人! 真実愛してくれる人が現れる?
「紫織さん、強くなるんです。大丈夫、あなたなら出来ます」
真澄は紫織を励まし鷹宮邸を辞した。
真澄を見送りながら紫織はもう一度、真澄の言葉を反芻していた。
――辛い人生に一人で立ち向かうなんて、紫織には出来ない。
お願い、真澄様、私を一人にしないで……。
鷹宮翁は紫織の様子になんとか速水真澄を引き留めようとしていた。速水英介から一旦、婚約解消に応じると速水真澄に言ってくれと言われ、紫織から言わせて見た鷹宮翁だった。鷹宮翁は速水英介に電話をした。
「いいのかね、英介君……。これではますます、真澄君は離れて行ってしまうのではないか? 現に紫織が回復して来たので、そろそろ毎日来るのはやめると言って来た」
「大丈夫です。こちらに考えがあります」
真澄は紫織が婚約解消に応じたので、周囲に対し婚約解消の通知と後始末をするよう秘書の水城に命じた。
水城は速水英介に連絡、指示を仰いだ。
「水城君、真澄の相手の検討がついた。婚約解消の通知はしばらく出すな。真澄には通知の準備中と言っておけばいいだろう」
「会長、真澄様のお相手とは……?」
「まだ、はっきりしておらん。それをこれから確かめるんじゃ」
水城は英介の言葉に青ざめたが、何も言わずただ挨拶をして電話を切った。
続く
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