紅燃ゆる 連載第2回
速水真澄と北島マヤは、試演を控えた土曜日、速水の伊豆の別荘で一ヶ月半振りに会っていた。
「速水さん!」
「マヤ!」
抱き合う二人。固く抱き合い互いの熱を確かめる。背中に回したマヤの手は愛おしそうに真澄の背を撫でた。真澄もまたマヤをしっかりと抱き締める。
マヤは昨夜、真澄から連絡を受けていた。
「マヤ、やっと君を伊豆に招待出来るようになった。試演の前で忙しいと思うが、来て貰えないだろうか?」
「速水さん……! はい! 伺います!」
マヤはその日、速水が差し向けた車に乗って伊豆にやって来た。
アストリア号以来の逢瀬である。互いに相手を想って過していた。マヤは阿古夜の台詞の中に、真澄は見上げる星空に……。
真澄は別荘の居間でマヤを迎えた。胸に飛び込んで来たマヤを真澄はしっかり抱き止めた。真澄の腕の中でマヤは会えなかった時間の辛さを思った。が、そんな辛さは真澄の腕の中にいる幸福に吹き飛ばされていた。目に涙が浮かぶ。
真澄が囁く。
「会いたかった……」
「速水さん、あたしも……」
見上げるマヤの瞳に映る真澄。情熱に頬を紅潮させている。
「さ、おいで、別荘を案内しよう……」
居間には大きな花束が飾られ、男一人の別荘にしては華やかだ。白百合、ガーベラ、トルコ桔梗……。甘い香りが辺に漂う。
「速水さん、このお花、キレイ!」
「そうか?! それは良かった!」
真澄は嬉しそうに言った。花を飾って良かったと真澄は思った。好きな子に喜んで貰う。それだけでこんなに嬉しいものなのかと真澄は改めて思った。
二人は午後の日が降り注ぐベランダに出た。マヤが歓声を上げる。
「うわー、凄い! キレイー!」
「ははは、太平洋が一望だろう」
二人は海を眺めた。青い海が茫漠と広がっている。水平線が見えた。空の青と海の碧が出会う場所。海は午後の日を受けきらきらと輝いている。真澄はさりげなくマヤの肩を抱いた。マヤもまた真澄の腰に腕を回した。いつも相手の体温を感じていたい。二人は恋に溺れ始めていた。いや、既に虜になっていた。甘美な咲き誇る恋に……。
二人が幸せそうに海を見ている時、遠く、別荘のバルコニーを望む林の中から密かに二人を見張る人影があった。速水英介の部下である。バルコニーで二人が抱き合う姿を確認した部下は英介に指示を仰いだ。
「……はい、御前……、写真を取りました。今からメールで送ります。……は! 引き続き監視を続けます……」
監視されているとも知らず、二人はベランダで寄り添い、いつまでも他愛ない話をした。
マヤはふと足下に目をやった。ベランダの端から下は断崖絶壁である。その向うに砂浜が見える。
速水もまたマヤの視線を追った。
「海岸に降りるのは明日にしよう。それより、君にプレゼントだ」
速水は居間に入ると、マヤの前に桐の箱を置いた。
「明後日の試演で着てみてくれないか?」
マヤが箱を開けると紅梅の打掛けが入っていた。
「速水さん、これ!」
「以前から用意していたんだ。貰ってくれないか?」
真澄は「紫のバラの人」としてマヤに贈ろうと思っていたのだが、今、マヤに正体を打ち明けるのは照れくさかった。
「ありがとうございます! あたし、これを着て阿古夜をやります!」
貰ったマヤは、頬を紅潮させ喜んでいる。
――紫のバラの人、あたしの只一人のファン!
マヤは何故真澄が自分が「紫のバラの人」であると打ち明けないのか不思議に思った。きっと何か訳があるのだろうとマヤは思った。
マヤには分からなかった。
冷血漢の仮面を被りマヤに辛くあたっていた真澄。仮面の下で贈った数々のプレゼント。最初は感動を伝えたくて。そして、彼女を愛し始めてからは愛を託した紫のバラ。鷹宮紫織と婚約してからは、それすらも押し殺した日々。だが、姫川亜弓と比較され「お粗末なライバル」と書かれた週刊誌の記事に思わず贈った紫のバラ。
紅梅の打掛けを前にマヤは速水の「紫のバラの人」を思った。真澄もまた「紫のバラの人」を思っていた。自分の分身。あまりにピュアな自分である故に照れくさくて言えない紫のバラの正体。
真澄はマヤの様子に目をそらした。
「さ、それより腹が減ったろう。そろそろ夕食の準備をしよう」
強引に話題を変える真澄。マヤは桐の箱に小袖を戻すと真澄の後をついてキッチンに行った。
「速水さんが料理を作るんですか?」
「いや、別荘番が作ってくれた。暖めるだけだ。それとも、君が作ってくれるか?」
「ははは、いえ、あたしは……」
マヤは笑って誤摩化した。マヤの言葉に真澄がくすくすと笑う。
二人は台所に立つと一緒に夕食の準備をした。シチューを暖め、サラダを盛りつける。テーブルにシチューを運び、ワインの栓を抜いた。
席に付くと、真澄がマヤのグラスに香り高い赤ワインを注いだ。
「乾杯しよう、二人の再会を祝って!」
グラスを合わせ二人は乾杯した。
「このワイン、おいしい!」
「そうか、それは良かった。だが、あまり飲み過ぎるなよ!」
「もう、速水さんったらまたからかう!」
二人は目を合わせて吹き出した。
――速水さん、速水さんとこうして会えるなんて、なんて、幸せなんだろう。
速水さん、紫織さんと婚約を解消出来たんだろうか?
きっと出来たのね。そうでなければ、速水さんがあたしをここに呼んだりしない。
食事が終わり、バルコニーに出て星空を見上げる二人。頭上には満天の星空である。その時、星が流れた。
「あ! 流れ星!」
マヤが歓声をあげる。
「速水さん、何か願い事をしました?」
「いや、間に合わなかった」
「あたしも! でも、いいんです! だって、速水さんに会いたいって願いはもう適ったから……」
「マヤ……」
真澄はマヤを抱きよせた。
星空をバックに二人のシルエットが一つになる。
波の音、星屑の震える音が二人を包んだ。
続く
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