紅燃ゆる    連載第7回 




 速水真澄は混濁した意識の中で試演会場にいた。夢現つの中で真澄はマヤの芝居を見ていた。真澄は、ああ、夢かと思ったが、夢よりもリアルだった。一瞬、死んだのかと思った。そして約束を思い出した。試演が終わるまでは死なないと……。
溌剌と演技をするマヤを見て安心した真澄の意識はもう一度暗闇の中に落ちていった。

真澄は早めの応急処置と輸血によって命を取りとめた。意識が回復した時、辺は闇に包まれていた。真澄は暗闇を見上げた。わずかな非常灯の灯りと自身の体の痛みから事故に遭った事を思い出した。そして、ここは恐らく病院だろうと思った。そして、もう一度、目を閉じた。真澄は安らかな眠りに落ちて行った。

翌朝、目覚めた真澄の目に鷹宮紫織が映った。

「真澄様、お気がつかれたのですね」

鷹宮紫織の喜びの声。しかし、真澄は冷たい目で紫織を見上げた。ふいっと視線をそらす。他の人間を探し朝倉を見つけると言った。

「朝倉、試演は?」

「北島マヤ様がお勝ちになられました。それから、千草様がお亡くなりに……。旦那様はその為ずっと東京に……」

ベッドに固定された体で真澄は言った。

「そうか、月影さんが逝ったか……」

そして、初めて真澄は鷹宮紫織の自殺未遂を思い出した。

「紫織さん、お体は大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。ごめんなさい、真澄様、私、もう真澄様に会えないんじゃないかって思って……」

思わず真澄は怒鳴っていた。

「紫織さん、もう2度とこんな事はしないと誓って下さい! ……う……つう」

「真澄様!」

朝倉が鷹宮紫織に言う。

「紫織様、申し訳ありませんが、あなた様が居られると若の気が高ぶるようです。こちらは大丈夫ですのでお引き取りいただけませんか?」

鷹宮紫織は泣きそうになった。しかし……。苦痛にゆがんだ真澄の顔、執事の朝倉の厳しい視線。鷹宮紫織は肩を落として病室を後にした。


真澄が事故にあったという報せを聞いた時、鷹宮紫織は半狂乱になった。
人前には、まだまだ出られない鷹宮紫織だったが、祖父に無理を言って伊豆の病院へと向った。そこで黒沼に付き添われ東京に戻る青い顔をした北島マヤとすれ違った。鷹宮紫織は黒沼からマヤが真澄の為に血を提供したと聞いた。

「明日は試演ではありませんか?」

「北島は明日の事など考えてないンですよ。今、速水の若旦那が死にそうだから、血が必要だから、だから差し出した。それだけなんですよ。こいつは芝居バカなもんでね」

鷹宮紫織は思った。

――私には出来ませんわ。後先考えずにそこまでするなんて……

鷹宮紫織は自分の行いを恥じていた。手首を発作的に切った事を……。わかっていたのだ、何故、手首を切ったか。
真澄が訊ねて来ない朝。
そんな日が何日も続くのかと思うと耐えられなかった。

――私が自殺しようとしたら真澄様は必ず会いに来てくれる。真澄様を引き留められる……。

紫織は女中が忘れていった生け花の剪定鋏を発作的に手首に突き刺した。が、二度目である。死ぬつもりのない人間に深くは切れない。それでも、周りは慌てた。お付きの滝川は水城に連絡を取った。結果、水城から連絡を受けた真澄は東京に戻ろうとして事故にあった。
鷹宮紫織は悔いていた。

――何故、あんな事をしたのかしら、あんな事をしなければ、そしたら真澄様が事故に合う事もなかったのに……。

だが、北島マヤと病院ですれ違った後、どこか違和感を覚えた。最初はマヤの行動に感銘を受けた。しかし……。

――何故、マヤさんがここに? 

鷹宮紫織は、はっとした。

――真澄様はマヤさんと伊豆の別荘で会っていたのかしら?

さらに祖父の言った言葉を思い出した。

――(英介君から頼まれた。何故かは知らないが、真澄君に婚約を解消すると紫織から言ってくれというんじゃ)
  もしかしたらおじさまは、真澄様とマヤさんの事に気が付いたのかもしれない。
  それを確かめる為に私に嘘を付かせた……?

鷹宮紫織は、自殺しかけた人とは思えない行動力を発揮していた。その日から鷹宮紫織は泊まりがけで真澄に付き添った。
鷹宮紫織は試演を観る事もなく、月影千草の葬儀に出る事もなかった。速水の家からやってきた執事の朝倉と交代で真澄の看病にあたった。

だが、目覚めた真澄の冷たい目。それは婚約者を見る目でも体の弱い女性を見る目でもなかった。
厄介者を見る目。
鷹宮紫織は真澄の目に恐怖した。

――真澄様に嫌われた、いいえ、嫌われただけじゃない。真澄様は私にうんざりされたんだわ。

鷹宮紫織は朝倉に帰るように言われ病室を出たが、それ以上に真澄の視線に耐えられなかった。
そして、1週間が過ぎた。
真澄が東京の病院に転院したと聞いた鷹宮紫織はそろそろ結婚式をどうするか聞きたいと思った。紫織は真澄に婚約解消に同意すると言ったが、速水英介は自分と真澄を結婚させるつもりでいる。
結婚式はどうなるのだろうと思った。真澄に嫌われた以上、結婚はないだろうと思っていたが英介の言葉に様子を見ようと思った。そして、転院先の東大付属病院に出掛けて行った。

病室の外で鷹宮紫織は、こもった悲鳴を聞いた。
慌ててドアを開ける。
速水英介が真澄の傷口にぎりぎりと杖を押し付けていた。

「何をしているのです!」

「おや、これは紫織さん。……これが言う事を聞きませんのでね。折檻をしておったのですよ」

「真澄様は病人なのですよ、なんていう事をするのです!」

「大した事ではありませんよ。昔から儂はこうして躾をしてきたのです。さ、真澄、その書類にサインをしろ。ちょうどいい、紫織さん、これは婚姻届けの書類ですよ。これに、今サインさせますのでな。あなたもサインをして下さい。披露宴はこれがキャンセルしてしまいましたが、何、会場くらいすぐに押さえられます。式は真澄の怪我で遅れたと招待状を出し直せばいいでしょう」

鷹宮紫織はぞっとした。

――病人に対してなんていう事を……! 真澄様はこんな虐待を受けていたのだわ。子供の頃から……。
  だから、笑った写真がなかったのだわ!

鷹宮紫織はふいに悟った。速水真澄をこの状況から救えるのは自分だけだと……。愛する男をこんなひどい男から救えるのは自分だけなのだと……。
鷹宮紫織はつかつかと歩み寄ると婚姻届けを取り上げた。びりびりに引き裂く。

「な、何をする。あなたも結婚を望んでいたではないか!」

「おじさま、私、真澄様に失望しましたの。婚約は解消しますわ。理由は……、性格の不一致。それで宜しいわね、真澄様。さ、婚約解消の通知を皆様にお配りしなくては! 私の方から出しておきますわ。ご縁が合ってお付き合いしましたのに……。こんな形でお別れするなんて、残念ですわ」

速水英介は慌てた。

「紫織さん、待ってくれ。北島マヤとの事を言っているなら別れさせた。頼む、儂の倅と結婚してやってくれ!」

「いいえ、結婚しないと言ったらしませんの。私、しつこくされるのは嫌ですわ。おじさま、真澄様は例え婚約を解消したからといっても私にとっては縁のあったお方。その方を折檻するなど、言語道断ですわ。お爺様に言いつけます!」

速水英介は鷹宮紫織の言葉にたじたじとなった。
鷹宮紫織はハイヒールの音高く病室を後にした。
その後、速水英介は鷹宮紫織の元へ再三、真澄と結婚してくれと嘆願しに行ったがことごとく断られた。鷹宮紫織は水城と連絡を取り婚約解消の通知を関係者全員に配った。とうとう、速水英介は鷹宮紫織と真澄の結婚を諦めた。
速水真澄は鷹宮紫織に一度だけ電話をした。感謝の言葉を鷹宮紫織に告げる速水真澄。
鷹宮紫織は愛する人の役に立つ喜びを初めて知ったのだ。

「真澄様、真澄様のお役に立てて紫織は幸せでした」

二人は2度と会う事はなかった。




エピローグ



10月の或る日。
晴れて自由の身となった速水真澄はマヤの見舞いを受けている。

「速水さん、りんご剥いてあげますね」

マヤがリンゴを取った。しかし、真澄はマヤからさりげなくナイフとリンゴを取り上げる。マヤに怪我をさせない為だ。

「リンゴを剥くとリハビリになるんだ。俺が剥くよ」

真澄が器用にリンゴを剥く。いくつかに切り分け皿に乗せた。その一つにフォークを突き刺しマヤの前に差し出す。

「マヤ、あーん」

つられてリンゴを食べながら、マヤははっとして我に帰った。

「これじゃあ、お見舞いにならないです!」

真澄はくすくすと笑う。

「何故? 俺は……、君がそばに居てくれるだけでいいんだが……」

ぽんと赤くなるマヤ。幸せな笑い声が病室を満たしていた。









あとがき


最後まで読んで下さってありがとうございました。
2012年「別冊花とゆめ」4月号の続きを未刊行部分を参考にしながら、書いてみました。当初、大体の粗筋っぽい話を全4回で御送りするつもりでした。
発表直前に第3回を書き、連載を開始してから字書きの皆様より好評なコメントをいただき、もう少し書き込もうと思って内容を膨らませました。
後、書き残しているとしたら、真澄対英介の上演権をめぐるバトルでしょうか?

当初、速水真澄が死ぬのではと思い、死ぬシーンから書きました。
しかし、速水真澄のいない「ガラスの仮面」は「ガラスの仮面」ではありません。
それで、こういった形になりました。

「ガラスの仮面」はどんな終を迎えるのか?
これは大変難しいです。
先生は私達ファンの予想の斜め上を行く方です。
今回書いていて思ったのは、試演の後も先生は書かれるつもりじゃないかなという事なんです。
「紅天女」の主演女優が選ばれて終わりってみんな思ってるけど、それを裏切るのが先生!^^
それはそれで楽しみなんですけどね。^^

読者の皆様に楽しんでいただけたら嬉しいです。

感謝をこめて!





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