紅燃ゆる    連載第6回 




 主演女優の次は、演出家が選ばれた。小野寺対黒沼。
小野寺の南北朝時代を意識したファンタジーな演出。それに対する黒沼のリアルな演出。
どちらも見事な演出だった。
だが、結果は黒沼龍三が演出家として選ばれた。どちらの演出も素晴らしかったが、小野寺の演出はあくまで姫川亜弓の演技に頼った演出であり、そこに差が現れた。
芝居は主演女優一人の物ではない。総ての役者が芝居を作る石垣の一つ一つ。演出の違いはそのまま黒沼組と小野寺組という図式を出来上がらせ、自然、ほとんどの役者が黒沼組から選ばれた。
こうして「紅天女」の試演は無事終了した。
試演の投票に参加した観客達が去り仮設の観客席に人がいなくなった頃、黒沼組は試演に勝った興奮で祝勝パーティになだれ込もうとしていた。その時……、悲鳴が聞こえた。

「誰か、誰か来てーーー!」

人々が駆けつけると月影千草が審査員控え室で帰らぬ人となっていた。
マヤは真澄の元へ駆けつけようとしていた矢先だった。大急ぎで駆け戻る。マヤは千草の遺体にすがりつき、千草の名前を声を限りに叫ぶ。しかし、千草が目覚める事はない。次代の紅天女を決め一人静かに逝ったのである。
マヤは喪失感に心がずたずたになっていた。マヤをささえてくれる筈の真澄もまた生死を彷徨っている。
千草についていたいという気持ちと生死の境を彷徨う恋人の元へ行きたい気持ちでマヤはばらばらになった。
その時、黒沼龍三がマヤに声を掛けた。

「北島、若旦那は無事だ、今、確かめた。いい方に回復している。おまえの血が効いたそうだ。だから、おまえは迷う事なく先生の葬儀に出ろ。若旦那が気が付いたらお前が勝ったと伝えてくれと看護士に頼んだ」

「黒沼先生……」

マヤは泣いた。そんなマヤの側に青木麗を始めとした「劇団つきかげ」のメンバーが寄り添う。皆、号泣していた。


演劇協会の高橋理事は速やかに月影千草の通夜と葬儀の準備に入った。通夜と葬儀は千草縁の寺で執り行なわれた。
多数の演劇関係者が通夜に、葬儀に訪れた。
その中に一人の男がいた。速水英介である。月影千草の遺体に近づきすがろうとした。それを付き人の源造が払いのけた。

「やめろ! 奥様に近づくな」

「な、何をする!」

「あなたは……! あなたという人は……!」

源造は拳を固め震わせている。殴り掛かりたい気持ちを必死に押さえている。

「奥様に何をして来たか! 分かっているのか! 奥様の手前、私は言わなかった。だが、速水会長! あなたの妨害でどれほど奥様が苦しんで来られたか。一蓮先生を自殺に追いやったのはあなただ! 奥様に謝罪しろ!」

源造は興奮のあまり泣き出した。葬儀の客達からひそひそと声が聞こえる。

「『紅天女』の上演権を力づくで奪おうとしたそうよ……」

「尾崎一蓮先生から月光座を取り上げたんですって……」

ひそひそと囁きながら客達は成り行きを見守っている。
マヤは速水英介の姿にぎょっとした。一緒にパフェを食べた人の良さそうなあの男が月影先生の敵、速水英介だったとは……。

――この人が! この人が月影先生から「紅天女」を取り上げようとした人だったなんて!

速水英介は源造の言葉にぎりぎりと歯噛みした。だが、そこは長く人の上に立って来た男である。空気を読む事を知っていた。更に、一般大衆を敵に回す恐ろしさも知っていた。
英介は月影千草の遺体の前で正座しようとした。足が悪くなかなか正座出来ない。ようやく正座をし、月影千草の遺体に頭を下げ謝罪した。

「千草、すまなかった……」

謝罪が終わると英介は部下に支えられて葬儀場を後にした。


雨である。ぽつぽつと雨が降り始めていた。
葬儀場の駐車場に向う速水英介をマヤは追いかけた。駐車場で追いつく。

「おじさん! 速水会長!」

雨の中、マヤは英介と介添えの部下に傘をさしかけた。

「これは、お嬢さん……、先程はみっともない所をお見せしましたな」

「おじさんが速水会長だなんて……!」

「驚かれたようですな、お嬢さん。……お嬢さんと一緒にパフェを食べるのは楽しかったですよ。そうそう、『紅天女』主演女優おめでとう」

英介はマヤに祝いを言うがその目は笑っていない。

「それで……、今度はあたしから上演権を取り上げるんですか?」

マヤは固い声で英介に言った。
真澄が上演権を持っている。しかし、今、この男にそれを悟らせる訳にはいかない。瀕死の真澄に何をするかわからない。マヤは必死だった。

「わーはっはっは、なんとも話の早いお嬢さんだ。その話はいずれまた……、そうだ、お嬢さん」

「はい?」

「礼をいいますよ、お嬢さん。血を提供していただいて……」

「え?」

「息子の為に輸血用の血液を提供していただいたのでしょう」

マヤははっとした。この人は真澄の義父なのだと……。

「あたし……、覚えてなくて……」

「ほう……、それが良かったのでしょう。あれだけの血を提供して、よく演技が出来ましたな」

マヤは突然、目眩がした。事故にあった時の記憶がフラッシュバックのようによみがえる。

――あたし、あの時……。


真澄ががっくりと頭を垂れた時、マヤはもう一度真澄の手を取り神に祈っていた。

――お願い! 神様、お願い! 速水さんを死なせないで! お願い! お願いだから!

マヤの祈りが通じたのか、救急隊員が駆けつけた。応急処置を施す。その結果、真澄はなんとか命をつないだ。予断を許さない状態ではあったが……。
マヤは怪我をした真澄と共に救急車に乗っていた。輸血用の血液が足りないと言われ、マヤは自分の血を調べてもらった。同じ血液型だった。マヤは取れるだけ取ってくれと言っていた。大量の血を抜かれたマヤの体は、演技の出来る体ではなかった。だが、マヤはやりぬいた。

 真澄への愛
 真澄との別れ
 真澄からの愛
 真澄への哀しみ
 真澄との喜び……

総て阿古夜に昇華していた。


「大丈夫ですかな? お嬢さん」

マヤは速水英介の言葉に、はっとして我に返った。速水英介は車に乗ろうとしていた。マヤは傘を置くと雨に濡れるのも構わず英介が車に乗るのを介助した。英介がなんとか車に乗り込む。マヤは心配そうに英介を見た。そんなマヤに向って英介は静かに言った。

「お嬢さん……。息子とは別れていただきますよ、鷹宮紫織という立派な婚約者がいますのでね。あなたも落ち着いて芝居に打ち込みたいでしょう?」

速水英介は真っ青な顔をするマヤを見て冷たく笑った。

「最近は便利になりましたな。こういう物が簡単に取れる」

速水英介はマヤに向って携帯の写真を見せた。マヤと真澄が別荘のバルコニーに立ち抱き合っている写真である。

「これを公表してあなたが『紅天女』女優に相応しくないと演劇協会に抗議する事も出来ます。何と言っても婚約者のいる男性を誘惑したのですからなあ。しかし、今回はやめておきましょう。お嬢さんは息子の命を助けて下さったのでね。息子が死んでは元も子もなかったのですからな。だが、儂はいつでもあなたを潰す事が出来る。覚えておいて下さい。……それでは、ごきげんよう、お嬢さん」

マヤの前で車のドアが閉められた。車はゆっくりと駐車場を出て行く。マヤは、次第に強くなって行く雨の中、呆然と立ち尽くしていた。





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