狼の夏 第3部 連載第1回
真澄とマヤの朝は早い。
マヤは、発声練習の為6時起き。真澄も朝のトレーニングに6時起きの毎日である。
だが、その朝は違った。
試演を終え、速水が新婚用に買ったマンションに拉致さながらに連れてこられたマヤ。
さすがに疲れきっていて、翌日は、起きれなかった。
いつもと同じように目が覚めた真澄は、マヤの寝顔を見ると、もう少し寝かせておいてやるかと思い、一人トレーニングに向かった。
速水が改装した新居、新速水邸には、4階に小さな劇場が作ってあった。壁は全面鏡張りとなっており普段は練習場として使えるようになっていた。
そこで、真澄は軽くストレッチをすると、ボディガードと共にジョギングに行った。
早朝の河原は気持ちいい。人もほとんどいない。
ひとっ走りして戻ってくると、マヤが玄関先で待っていた。目に涙をためて。
「お願い、速水さん、一人にしないで!
朝起きて、速水さんがいないんだもん。
どっかに行っちゃったかと思った。」
マヤは、涙を手の甲で拭きながら呟いた。
「マヤ、すまない。よく寝てたから声をかけなかったんだ。寂しかったのか?」
マヤは、何も言わずこっくりと頷いた。
速水は、この一ヶ月半、マヤがどんなに寂しい思いをしてきたか理解した。
マヤを抱き寄せると背中を撫でた。
「どこにも行かないさ!
君をおいて、どこに行くんだ。」
マヤは、目を閉じ黙って速水の胸に頭をこすりつける。
「さ、シャワーを浴びたら食事にしよう。
冷蔵庫に朝食用のケータリングが入ってた筈だ。」
マヤは、やっとにっこり笑って速水を見上げた。二人は互いの体に腕を巻つけ、キッチンに向かった。
速水は朝食を食べながら、今日の予定と今後のスケジュールについてマヤに話した。
「今日の予定だが、まず、義父に紹介しよう。それから、式は11月10日にあげるからな。
式場と披露宴会場を見に行こう。
大都不動産が今春オープンしたハウスウェディングの会場がある。そこを確保しておいた。
後、君の方の招待客のリストだが、大体の所は俺の方で作っておいた。チェックしてくれ。
最後に君のアパートによって荷物を運ぼう。」
マヤは、速水が何故そんなに自分との結婚を急ぐのか不思議だった。
世間知らずのマヤでも、普通、恋人同士になってからプロポーズ、そして婚約時代を経て結婚という事くらいわかる。
速水と紫織の付き合いが随分長かった事を考えると、自分と速水の結婚はいわゆる電撃結婚に近いのではとマヤは思った。
そこで、素直に疑問を口にした。
「速水さん、どうしてそんなに急ぐんですか?」
速水はマヤとの「甘い生活」を早く送りたいと思っていた。
だが、そんな照れくさい事、言えるかと思い無難な返事をした。
「・・・言ったろう、義父がうるさいんだ。婚約だけだと横やりが入るかもしれん。
かといって、入籍だけなんていう味気ない結婚を君にしてほしくない。
君にも夢があるだろう。」
「ここまで、勝手に準備しておきながら、今更、私の夢を聞かないでくださいよ。」
そう言ってマヤは、口を尖らせた。速水は笑いながら、
「希望があれば聞こう。それと、ウェディングプランナーに紹介するから、細かい所は君の方で決めてくれ。
仲人は、うちの取引先の銀行の頭取に頼もうと思っている。
相手の都合も聞かないとならないが、挨拶の日取りが決まったら一緒に行こう。」
「お仲人さんなんて、なんだか、まだ、実感がわかない。
それより、『紅天女』の上演権の手続きはどうするんですか?」
「上演権は急がなくていい。俺の仕事の一環で出来るからな。だが、結婚は俺のプライベートなイベントだ。
仕事を休むわけにいかん。
今日1日休暇を取ったから、今日出来る事は全部やっておきたいんだ。
さ、朝食を食べたら支度して、出かけるぞ。」
マヤは、精力的に問題を片付けようとする速水に、やっぱり、速水さんだ〜と脱力した。
だが、速水はマヤに言わないでいる事があった。
速水がマヤに言わない結婚を急ぐ理由。
「甘い生活」を送りたいという自身の望みだけではなかったのである。
月影の病状が思わしくなく、もし、結婚式に出席して貰うとしたら、式は急がなければならなかった。
そして、速水には、ストーカーがいた。
近衛雪子。
元華族のお嬢様で、あの芸能週刊誌に情報をリークした女。
しつこく、見合いを申し込んで来ているだけでなく、とうとう、速水の前に直接、姿を現し、行く先々に現れるようになっていた。
速水は、婚約を発表したのだから、これで諦めるだろうと思っていたが、懸念材料である事に違いなかった。
そういった諸々の事情が速水を結婚に駆り立てていた。
続く
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