ロマンチックは似合わない 連載第9回
その夜、真澄はマヤを帰したくなかった。
深夜である。
真澄はさらうようにマヤをタクシーに乗せた。
マヤは真澄がタクシーの運転手に行き先を告げた時、唖然とした。
「……今から?」
「ああ、そうだ。君に見せたい物がある」
タクシーのバックシートで真澄はマヤの肩を抱き寄せた。
「時間がかかる、しばらく眠ってろ!」
マヤは眠るどころではないと思ったが、どこか安心していた。
「だったら……」
真澄はえっと思った。マヤはするすると横になると真澄の膝に頭をのせバックシートにまるまった。
「くくくく、マヤ、君には負けたよ、はははは」
マヤはふっと勝利の笑みを浮かべ、そのまま眠りに落ちた。
マヤが目を覚ますと星空が見えた。
潮騒の音が聞こえる。マヤははっとして飛び起きた。真澄の声が聞こえた。
「起きたか?」
マヤが振り向くと、真澄が椅子に座って寛いでいた。マヤはどこかのバルコニーにいた。ソファに横になっていたらしい。毛布がかかっていた。
「ここは?」
「俺の隠れ家だ」
「隠れ家?」
「ああ、俺の別荘だ」
真澄は立ち上がると、バルコニーの端に立った。
「マヤ、こっちに来い!」
マヤは真澄の隣に立った。寄り添った二人は海を眺めた。暗い海。海風がマヤの髪をなびかせる。
「寒いか?」
マヤは真澄を見上げた。
「少し……」
真澄はマヤの背後に立つと懐の内にマヤを納めた。腕を回し軽く抱き締める。
マヤは真澄のするがままになっていた。
――暖かい、ここは本当に……、暖かい……
マヤはこの腕の中が永遠に自分の物であればいいと思った。そう思うと、また泣けて来た。ゆっくり息を吸って吐いた。
「どうした?」
「いいえ……」
「……、君が泣き虫とは知らなかった」
マヤは涙を指先で拭き取った。
「海が大きくて……」
「それで泣けるのか? 女の子はわからんな……」
夜明け前の暗い空に太陽の訪れを告げる最初の光が雲を照らした。
闇が払われた。
刻一刻と明るさを増して行く空。バラ色の雲が広がる。
やがて、最初の曙光が海を照らした。
「マヤ、太陽が登る!」
二人は登る朝日を見つめた。
大きく力強い太陽。
まるで真澄のようだとマヤは思った。
限りなく大きな愛で自分を包んでくれる真澄。
真澄もまた、登る朝日にマヤの情熱を見た。
マヤが真澄を見上げた。
真澄もまたマヤを見つめた。
「速水さん……、亜弓さんとの二人芝居、大都劇場で演じたい。劇場、押さえられますか?」
真澄はふっと笑った。
「こんな時に仕事の話か、もっとロマンチックな話は言えんのか?」
「ロマンチック? 速水さんにロマンチックなんて似合いませんよ。あたし達は、芸能社の社長と女優。あたし達の間に芝居がある限り、繋がっている」
「ああ、そうだな、芝居がある限り……」
二人は黙って、空を見上げた。二人が見ている間にも太陽はどんどん登って行く。
「……あたし、こんなにきれいな空、見た事ない」
「君にこの空を見せたかった……」
「速水さん……」
「君が気に入ってくれて良かった……。俺はロマンチックな男じゃない。そうだな……、好きな子に影からこっそりバラを送るような男だ……」
マヤははっとした。真澄を仰ぎ見る。真澄が照れくさそうにマヤを見つめている。
「そのバラの色は?」
「紫だ……」
マヤは真澄の胸に飛び込んだ。思い切り真澄を抱き締める。真澄もまたマヤをしっかり抱き締めた。大きな手がマヤを包み込む。
マヤは泣いていた。
「速水さん、紫のバラの人! ありがとう、どれほど感謝しているか……、あなたが、いてくれたから……! あたし、女優になれた……」
真澄はマヤの髪をなでながら言った。
「……いつからだ? いつから知っていた?」
マヤははっとして真澄を見上げた。
「え? え? どうして? どうして、あたしが知ってるって?」
「地下劇場で君と里美が話しているのを聞いた」
「……!」
「いつから知っていた?」
「……最優秀演技賞をジェーンで受賞した時から……」
「そんなに前からか……、何故わかった?」
「あの時……、紫のバラの花束につけられていたメッセージ。メッセージには、『ジェーンの握りしめた青いスカーフ』って書いてあった。でも、青いスカーフを使ったのは初日だけ……。初日のお客さんは、台風の中来てくれた速水さんだけ……。それで……」
真澄はくすりと笑った。
「そうか……、まさか、初日にしか使ってなかったとはな……。
……
さ、俺は全部話したぞ、君も話してくれ!
昨日陸橋で、どうして泣いていた?」
マヤは真澄の胸に顔を埋めた。
「銀座で……、紫織さんといるのを見ました。速水さんが、紫織さんを支えて……。あたし、苦しかった。紫織さんを忘れられないんだろうって……。婚約解消したのだって、紫織さんからだって聞いてましたから……」
「それで泣いていたのか?」
小さく頷くマヤ。頬は赤く染まっている。
「マヤ……!」
真澄はマヤを愛しそうに撫でた。
「……、見合いは男から断れないんだ。俺の意志は関係ない。だが、紫織さんといろいろあって……、どうしても結婚出来ないと気付いたんだ。それで、婚約を解消すると言った……。世間体があるから紫織さんの方から断った形にしたんだ。
……
昨日、俺は……、紫織さんに確認しに行ったんだ。君に『紫のバラの人』は俺だと教えたのは紫織さんじゃないかと思ってな。彼女は知っていたから……。彼女のスケジュールを調べ、偶然を装って彼女に会った。そしたら、彼女は俺を見た途端、気絶したんだ」
真澄は、ため息をついた。
「お付きの滝川に罵倒されてな、結局、何も聞けなかった。
……
最初から君に聞くべきだったんだ」
マヤは背中に回した手で真澄のワイシャツをぎゅっと握った。
「俺は、君のスクラップブックを見た時、君の気持ちに気付いた。君ははっきりとは言わなかったが俺を好いてくれていると……。それなのに、君が『紫のバラの人』の正体を知っているとわかって、好きになったのは『紫のバラの人』で俺じゃないと思ったんだ。俺は苦しくて、君に会うのが辛かった。君が何故、知っているかわかったら気持ちが楽になれそうな気がした。
……
君が俺を好きになった理由なんて、どうでもよかったんだ。今、君が俺を好いていてくれる。それだけで良かったんだ」
「速水さん……」
「マヤ、愛している。君こそ、魂の半身……」
真澄は、そっと身をかがめた。ゆっくりとマヤの唇にキスをした。最初の光のようにマヤの全身が幸福で満たされた。唇と唇。夢中でキスを返すマヤ。
二人は抱き合い、口付けを繰り返した。
朝の光の中、バラ色の雲は白い雲へと変わっていた。青い空。鴎の鳴き声、潮騒の音。穏やかな伊豆の海である。
バサバサバサ、トン、トーン!
二羽の鴎がどこをどう間違えたか、バルコニーに飛んで来た。
真澄とマヤは抱き合ったまま、振り向いた。鴎がぐぇっぐぇっと鳴く。鴎を見る二人。
二人は目を見合わせ、くすりと笑った。
とたんにマヤのお腹がぐぅっと鳴った。
「くくくく、こんな時に腹の虫か? 君こそ、ロマンチックは似合わんな」
「う! そりゃあ……、魂の片割れ同士ですもん、似てるんです!」
「そうか、ゲジゲジの女房はゲジゲジか……」
「ゲジゲジ?! あたしがゲジゲジだっていうんですか! ひどい」
マヤがぽんぽんと真澄の胸をたたく。
真澄はうっかり口を滑らせていた。しかし、マヤは気付いていない。
――今度こそ、隠し通さないとな。プロポーズくらいはロマンチックに決めるぞ!
真澄はマヤを抱き締めて、笑った。マヤもつられて笑った。
二人の笑い声が、いつまでも伊豆の海に響いていた。
終
あとがき
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
今回のお話、他サイト様に納品した「梅の谷より愛をこめて」を久しぶりに読んだ所、もう一度エレベーターネタで書きたくなったんです。最初はSSの予定でした。しかし、久しぶりに長編を書きたくなって、それも普通のラブストーリー。というわけで出来たのがこのお話です。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。^^
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