毛糸玉ころがして 前編





 速水さんの誕生日まで後5日。
あたしは、速水さんにマフラーを編んであげようと毛糸を買った。そこまでは良かったのだけれど、、、。
毛糸は玉のまま。
太めの糸を勧めてくれた店員さん。これなら、すぐに編めますよと言ってくれたのだけれど……。

あたしと速水さんは、速水さんの婚約が無事解消されたのを機に付き合い始めた。
そして、二人の最初のイベントなのだ、速水さんの誕生日は……。

あたしは、グレーの毛糸に紫のバラを模様として編み込むつもりでいた。
だって、速水さんはまだまだ、言ってくれそうにない。自分が紫のバラの人だとは……。
あたしは言ってほしいのに。

あたしは今「紅天女」の新春公演に向けて稽古に励んでいる。
言い訳をするわけではないが、稽古で疲れて帰ってくるとなかなか編み物に手が出ない。それにバラを編み込むのは難しい。難しいと思うとますます編むのが億劫になった。
その上、試演で「紅天女」の上演権を獲得したあたしは、なんやかやと忙しかった。
そう、わかっているのだ。こんな事は総ていい訳で、結局、手をつけなかったのだ。
あたしは不器用だ。「若草物語」の時は、セーターを編むふりで良かった。仕上げなくても良かったのだ。
あたしは、とうとう諦めた。バラの模様をいれるのを。
模様を入れなければ、きっと大丈夫。
あたしは毛糸玉を手に取った。まん中から糸を引っ張り出す。しこしこと編み出した。


「マヤ、あんまり根をつめると良くないよ」

深夜2時。麗が眠そうに声をかけてくれた。

「うん、でも、後5日なんだもん」

「そうか、後五日か……。しかし、あんたが速水さんの為にマフラーを編むなんてね」

麗はくすくすと笑った。

「もう、麗ったら! ……そういえば、増田さんとはどうなの?」

麗には最近恋人が出来た。増田幸雄。テレビの制作会社に務めるサラリーマンだ。増田に言わせると、麗の中性的な容姿の中に時々現れる女らしさがたまらないのだという。

「あいつとはそんなんじゃないよ。ただの友達さ。あ! そういえば、あいつももうすぐ誕生日なんだ。忘れる所だった」

「えー、いいのかな。忘れてて……。増田さん、がっかりするよ」

「いいよ。あたしとあいつはなんでもないんだから!」

麗は照れくさそうに言うと布団に潜り込んだ。


あたしは誕生日の当日までかかって、なんとかマフラーを編み上げた。紫の毛糸を編み込まなくなった分短くなったけど。
あたしは前から用意しておいた空き箱にマフラーをいれた。ギフトショップで買ったペーパーで箱を包もうとしたらうまく包めない。ちょうどそこに増田さんへのプレゼントを買いに行った麗がご機嫌で帰ってきた。あたしの不器用さを見てあきれた麗が綺麗に包装してくれた。青いリボンをかけて紙袋にいれる。あたしは大急ぎで支度をすると待ち合わせ場所に急いだ。

11月3日。世間は休みだ。でも、速水さんは違う。今日も仕事だ。だけど、あたしの為に早めに仕事を切り上げてくれた。
待ち合わせ場所に急ぐと、速水さんが先に来て待っていた。

「速水さ〜ん!」

あたしは、走った。速水さんの元へ。手を振ると、速水さんも気が付いた。速水さんが大股でこっちに歩いてくる。嬉しい!

「速水さん、誕生日、おめでとう!」

速水さんはびっくりした顔をした。

「え! 何故知ってる?」

「へへへ、水城さんが教えてくれたの。はい、これ、プレゼント」

速水さんはプレゼントを受け取ると、嬉しそうに笑った。

「いいのか?」

「うん、大したもんじゃないけど」

「今、開けてもいいか?」

「だめ、帰ってから開けて!」

「何故?」

「だって、だって、恥ずかしいんだもん」

「なんだ? 恥ずかしいって? 恥ずかしい物なのか?」

「え!」

あたしは頬が赤くなるのがわかった。恥ずかしい物って、恥ずかしい物って何?

「ううん、そうじゃなくて、あの、あの、作ったの、あたしが、だから……」

「だったら、よけい見たいじゃないか!」

「と、とにかく、今はだめえ〜! 後で! 後であけて!」

速水さんはくすくす笑いながら、承知してくれた。その後のデートはご機嫌だった。評判のお芝居を見て、散歩をして食事をした。速水さんと二人で歩く街は今までとは違って見えた。

その夜、あたしをアパートまで送ってくれた速水さんは、あたしのプレゼントを抱えて帰って行った。

翌朝、速水さんからメールが入っていた。

――マヤ、プレゼントありがとう。今度のデートに着ていくよ。

あたしは早速メールを返した。

――気にいって貰って嬉しいです! 速水さんに似合っていましたか? 見てみたいです。

メールの返事はなかなか返って来なかった。夕方、やっとメールが返って来た。

――ああ、そうだな。似合っていると思う。よくわからないが。 君は、その……、俺がこれを着ている所を見たいのか?

あたしは、早速返信した。

――ぜひ、見たいです! 話は変わるけれど……

あたしは、プレゼントの話から今日の出来事に話を変えた。あたしが編んだマフラーを速水さんが気に入ってくれたと思うと照れくさかった。

次の土曜日、速水さんは稽古場に迎えに来てくれた。嬉しい! 速水さんはマフラーをしてなかった。きっと、寒くないからだろう。今は11月の始め。マフラーをするには、まだ早い。
速水さんはあたしを都内でも有名なフランス料理のお店に連れて行ってくれた。ホテルの最上階にあるその店は夜景が綺麗で、昼間来ると遠く富士山が見える時もあるのだという。食事は最高においしく、速水さんが普段より無口に感じたけれど、普段からぺらぺらしゃべる人ではないので気に留めなかった。
あたしは速水さんに勧められるままにワインを飲んだ。食事が終わる頃にはかなり、酔っていた。
速水さんは酔ったあたしの肩を抱いてレストランを出た。最上階から下に行くエレベーターに乗る。下に行く! 当たり前だ。最上階なのだから。あたしは、くすくす笑った。

「何がおかしい?」

「だって、エレベータが降りてる」

「だから、おかしいのか?」

速水さんが酔ったあたしの頬に触った。速水さんの手が冷たくて気持ちがいい。
あたし達が乗ったエレベーターが止った。あたしはてっきり、地下駐車場だと思った。

「さ、降りるぞ」

「? ここは?」

あたしは促されるまま、速水さんと一緒に歩いた。速水さんはずっとあたしの肩を抱いている。廊下の絨毯がふかふかだ。やがて、速水さんが止った。ポケットから鍵を取り出す。ドアを開けた。中は真っ暗だ。速水さんが灯りをつけた。あたしは、何も考えずに中に入った。広い部屋だ。天井にシャンデリア。大きな窓。素敵なソファーに家具。あたしはあたりを見回した。ベッドが置いてある。あたしはそれを見た途端、さーっと酔いが醒めて行くのがわかった。

カチャ

静かな部屋に速水さんが鍵を閉める音が響いた。




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