白鳥は蒼穹にはばたく   連載第1回 




 人はいつ恋をあきらめるのだろう。
速水真澄が北島マヤをあきらめたのは、少女の口から母親の死を責める言葉をぶつけられた時だったかもしれない。
少女への恋をあきらめ、速水は鷹宮紫織と見合いをする。
そして、様々な思惑から速水は紫織と婚約する。
速水は紫織を愛していなかったが、紫織には一生誠意を持って報いるつもりでいた。
そして、客船アストリア号に紫織の誘いで乗り込み、船のスタッフに案内され、紫織と共に一晩を過さなければならないとわかった時、速水は悟ったのだ。
紫織に対して恋は出来ないと。
仲良く並んだ枕に象徴される、婚約者紫織の願い。愛する人と一夜を過ごしたいという願い。
それは、恋人同士なら普通の願いだったのだが、紫織を愛していない速水には生々しく感じられた。
これが、結婚後の新床であれば別の意味を持っただろう。
義務という意味を。
誠意を持って報いるとは何を意味するのか。
誠意を持って義務を果たす。
愛していない女を義務として抱く。
現実をつきつけられた速水だった。


客船アストリア号のロイヤルスィートのドアを激しくたたきつけて閉めると速水は乗船口へと踵を帰していた。
船のホテルマネージャー正木が慌てて声をかける。

「速水様、なにか部屋のことでお気にさわることでも?」

「いや……! 急用を思い出しただけだ。帰る」

「そんな……! まもなく出港でございます!」

「出港?」

「はい!」

「だが、紫織さんはまだ、乗船していないのだろう。
 彼女が乗るまでは、船を出港させないのではないか?」

「いえ、それはありません。
 出港時間は絶対です。
 お乗りいただけないのは残念ですが、一人の乗客の為に出港時刻を遅らせるわけには参りません」

「とにかく、乗船口に急いでみよう。まだ、間にあうかもしれん」

「しかし、紫織様はすでに乗船されているかもしれません。しばらくお待ちになられては?」

「いや、引き留められても困る。とにかく、船を降りないと困るんだ」

ホテルマネージャーと降りる降りれないの押し問答をしながら、船のデッキを足早に歩いていると、スタッフ達と争う見慣れた姿が目に入った。

マヤだ。
何故、マヤがここにいるのか、速水はわからなかったが、マヤが困っているのは一目でわかった。
スタッフ達は乗船券を持たずに乗り込んだマヤを急いで船から降ろそうとしていた。
速水はホテルマネージャーやスタッフに声をかけ、マヤを離すように言った。
速水の知り合いだとわかると、スタッフ達はマヤを離しホテルマネージャーに促されて皆散って行った。
一人取り残されたマヤは立ちすくんでいる。

「どうした? ちびちゃん、こんな所で。切符も持たずに何をしている?」

「あの、あたし、あの……」

「それより、船がもう出るぞ! ちびちゃん! 走るぞ! まだ、間に合うかもしれない」

「で、でも、あたし!」

ぐいっ
速水はマヤの手を掴むと走り出していた。
マヤも思わず一緒に走り出した。
二人は5Fの乗船口へと急ぐ。
が、後一歩の所で船はすでに出港していた。
速水は乗船口にいた係の者に鷹宮紫織が乗船したかどうか確認した。

「いえ、鷹宮様はご乗船されておりませんが……」

「え! 紫織さん、いないんですか?」マヤが思わず叫ぶ。

「君は、紫織さんに用事があったのか?
 ……ちょうどいい、この子がまだ、チケット代を払ってないんだ。
 次の寄港地までのチケット代を払いたいんだが……」

「速水さん!」

マヤは断ろうとした。チケット代を出して貰うなんて、これ以上、速水に迷惑はかけられない。
係員の落ちついた声が速水に応える。

「速水様、申し訳ありませんが、この船は、明日ここに戻ってくるまでどこにも寄港致しません。
 フロントの方で相談されてはいかがかと思います」

速水は係員のアドバイスに従ってフロントで相談する事にした。
それから、マヤに向き直ると

「さて、ちびちゃん、君がここにいる理由を説明してくれるか? 紫織さんに会いに来たのか?」

「あの、あの、あたし……」

マヤが返事に困っているので速水は話は後にする事にした。

「まあ、いい。どうやら、俺達は明日までこの船にかんづめのようだ。
 話は後でゆっくり聞く事にしよう。
 それより、まず、君の部屋の確保だ。フロントに行ってみよう」

速水は、とんだハプニングに見舞われたとはいえ、マヤと二人でワンナイトクルーズに行けるのがだんだん嬉しくなってきていた。
速水はマヤを伴って5Fのフロントに行った。
先ほどのホテルマネージャーの正木に紫織が乗船していない事を話した。
それから、マヤの為に部屋を用意してくれるよう頼んだ。
正木は空き部屋を検索、1室確保するとマヤに鍵を渡した。
マヤの部屋は、9階のステートルームだった。

「速水様、お食事ですが、サロンダイニングでご用意できますので、ぜひ、当船のシェフの料理をお楽しみ下さい。
 サロンダイニングは7階にございます。7時までにお越し下さいませ。
 本日のドレスコードはフォーマルとなっております。
 服装の方、宜しくお願い致します。」

「しかし、僕も彼女も船に乗るつもりがなかったので用意していないんだが……」

「ご衣装でしたら、鷹宮様のお付きの方がすでにお持ち込みになっておられます。
 クローゼットにタキシードをお掛けするのをお手伝い致しました。
 お部屋に戻られてはいかがでしょう?」

「そうか、それは助かった。
 だが、この子の衣装がないんだ。
 ブティックか貸衣装かこの船にそういう設備はあるか?」

「はい、4階美容室の隣に貸衣装の部屋がございます。スタッフに案内させましょう」

「その前に社の方に電話を入れたいんだが」

「承知しました。こちらをお使い下さい」

速水は秘書の水城に電話を入れ、いまの状況をかいつまんで話した。

「水城君、速水だ。 実は、紫織さんからぜひと言われて来てみたら、船の上だったんだ。
 降りようと思ったんだが、間に合わなかった。
 当の紫織さんは、乗ってないし、正直、困ってる。
 明日の2時に東京に戻ってくるまで、船にかんづめなんだ。
 緊急事態が起こった場合は、明日の2時過ぎまで持ちこたえてくれ。
 俺が出て行かなくてはならん緊急事態は起こらんと思うがな。
 まあ、そういうわけだ、後は頼んだぞ!」

マヤは、

(速水さん、紫織さんと待ち合わせていたんじゃないの?)

と不思議に思った。速水は電話が終わると

「マヤ、君はいいか? 青木君に連絡を入れた方がいいんじゃないか?」

「ええ、はい、そうします」

マヤもまた、麗に電話をして事情を話した。

「マヤ、さっき、桜小路君から電話があったよ。
 私から連絡しておこうか?」

「うん、麗、お願い。あたし、1時間で帰るって言って出て来たからきっと心配してると思う」

「OK! 連絡しとくよ」

電話が終わると速水とマヤは、スタッフに案内されて4階の美容室へと向かった。
貸衣装室で速水はドレスを見繕う。
マヤは速水に

「速水さん、あの、ドレスくらい自分で選べますから」

と言ったが速水は、

「まあ、俺にまかせとけ。滅多にない機会だからな」

と口元に笑いを浮かべながら近頃にない生気に満ちた瞳でマヤに答えた。
速水は心の内で、

(マヤのドレスは以前にも選んだが、本人を目の前にして選ぶのは初めてだな)

とわくわくしながら次々とドレスを探して行った。
速水は何着かドレスを選ぶと

「これを着てみろ」

と言ってマヤにドレスを渡した。
マヤは速水に促されるまま、着替えて見せた。
速水はソファにどかっと座るとマヤのドレス姿を一つ一つ吟味してはコメントした。
1着目のブルー系は、優しい女性の雰囲気をマヤに与えた。

「孫にも衣装だな、一応女に見えるが、青がきつくて君には似合わんな」

2番目の黒のドレスは、落ち着いた大人の女性の雰囲気だった。

「ちびちゃん、君に黒はまだ早かったな、もう少し大人になってからだな」

「速水さんが着てみろって言ったくせに!」

マヤは言い返しながら速水と普通に軽口がたたけるのが嬉しかった。
3番目は桜色の上品なロングドレスだった。
上半身はぴったりとした総レースだが腰から下はふわふわとした生地がくるぶし近くまであった。
襟はボートネック、袖は五分丈のベルスリープ。やはりふわふわとした生地で出来ている。
そのドレスを着たマヤを見て速水は、はっとした。

「そこで、一回転して見せてくれるか」

マヤは、くるりと回って見せた。
ドレスの裾がふわりと広がる。

(いい感じだ)と速水は思いながらも口では憎まれ口をたたいていた。

「そのドレスでメイクして貰ってくれ。女優なんだからうまく化けられるだろう。
 そうだな、アルディス風に頼む。間違っても狼少女はやめてくれ」

「大丈夫です、うまく化けますから! どうぞ、ご心配なく!」

「ははは、楽しみにしているよ!」

速水はマヤと軽口をかわすと自身もタキシードに着替えに10階のロイヤルスィートへ向かった。





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