白鳥は蒼穹にはばたく   連載第2回 




 速水真澄はタキシードに着替えると、サロンダイニングの入り口でマヤが来るのを待っていた。
やがてスタッフに共なわれて現れたマヤを見て速水は目を細めた。

「ほう、豆だぬきがよく化けたじゃないか!」

「ま、豆だぬきって、そっちこそ、えーっと、えっと!」

「どうした、言い返す言葉がみつからんか!」

「言えるわよ! 速水さんのいやみ虫!」

「くっくっくっく! いや、懐かしくて涙が出るよ! 相変わらず元気だな!」

「おかげさまで!」

ぐ、ぐ、ぐ、ぐうう〜!
マヤのお腹が盛大に鳴る。マヤの顔が真っ赤になった。

「お腹の方も準備OKだな。さ、食事にしよう」

速水はくすくすと笑いながら、マヤに手をさし出した。
マヤは、はっとして速水の手を、それから速水の顔を見上げた。速水の優しい瞳とぶつかる。
そのまま、速水の手にマヤはおずおずと自らの手を重ねた。
速水はマヤの手を取ると、そのまま歩き出した。
ボーイが二人をテーブルに案内する。
ディナーはフレンチのコース料理だった。
速水が酒を注文する。
やがて食前酒が運ばれてきた。ピンクシャンパン。ピンクの泡の向うに互いが見える。

「君には、ジュースの方が良かったか?」

「いえ、大丈夫です。お酒くらい飲めます。ウォッカでも焼酎でも!」

くっくっくっく、速水がまたしても笑い出す。

「もう、すぐ、子供扱いするんだから! 速水さん、あたし、もう子供じゃありません」

「ああ、そうだな、子供じゃない。乾杯しよう、ちびちゃん!」

マヤはむっとしたが、速水が

「乾杯! 再会を祝して」

というとマヤもつられて

「祝して」

と言っていた。
グラスをかちりと合わせる。
マヤは一口飲んで喉を潤すと速水に話しかけた。

「はやみさん……」

「ちびちゃん……」

同時に口を開いた二人は目をあわせて笑い出していた。

「お先にどうぞ!」

速水がマヤに話を促した。

「え〜っと、あの、あの、暴漢に襲われた時の傷、大丈夫でしたか?」

「ああ、大丈夫だった。病院に行って精密検査を受けたが、打撲だけだったよ。」

「良かった、心配してたんです。
 あの、あの、あの時は、守って下さってありがとうございました。
 あたし、御礼を言わないとって思ってたんです。
 怪我の事も心配で……。
 紫織さんがいらしたから大丈夫だと思ってたんですけど……」

速水は、内ポケットのハンカチを思い出した。速水はマヤにあの時の事を聞きたかった。
だが、オードブルが運ばれ、話が途切れた。
料理の説明をボーイがする。

「本鯛のタルタル アボガド仕立て、うに添えでございます。山椒風味のソースをお楽しみ下さい」

マヤはちんぷんかんぷんだったが、食べると実にうまかった。

「これおいしい!」

マヤはご機嫌である。
速水はマヤの笑顔に襲撃事件の話を聞くきっかけを失った。
マヤは無邪気に食べている。

「速水さんは? 速水さんは何を言おうとしたんですか?」

「……、君は何故この船に? 紫織さんに会いに来たと言っていたが……」

「えっ、あの……、そのー、なんて言えばいいか……」

「順番に話してごらん」

「でも、順番て言っても……」

「まず、ここに紫織さんがいるとどうして知ったんだ?」

「それはその、あの、運転手さんと滝川さんが話しているのを聞いたんです」

「滝川? 滝川って紫織さんの世話係のあのばあさんか?」

「ばあさんって、ばあさんはないでしょう、しっかりしたおばさんでしたよ」

「ああ、しっかりしてる。しっかりし過ぎて、とにかくうるさ型だ。
 君は何故、あのおばさんと運転手の会話を聞いたんだ?」

「あたし、あたし、誤解を解こうと思って……」

速水ははっとした。

(マヤの口調が変だ、今にも泣きそうな顔をしている。)

「マヤ?」

マヤが答えようとするとボーイが2品目のオードブルを運んできた。

「フォアグラ ソテー・リゾット添え トリュフソースでございます」

2皿目のオードブルと共に、赤ワインがつがれた。

「話しにくそうだな、後にしよう。この料理も食べてごらん、うまいぞ!」

マヤは速水に言われるまま食べてみた。これも、おいしかった。
マヤは、速水が慰めてくれたように思った。

(ううん、だめ! 何か期待してはだめ! 影で親切にしてくれているからって勘違いしてはだめ!
 速水さんは、紫織さんをすごく愛しているんだから!)

マヤは気を取り直してあたりを見回した。

「この船、すごい船ですね。あ、ほら、速水さん、窓の外、東京の夜景があんなにきれい!」

「ああ、綺麗だな……。稽古の方はどうだ? 進んでいるか?」

「それが、なかなかうまく行かなくて……」

「どこがうまく行かないんだ?」

「一真と対決する所なんです。一真が斧を持って梅の樹を伐りに来るんです。
 そこの気持ちが掴めなくて……」

「黒沼さんはなんと言ってるんだ?」

「台本をよく読んで考えろって!
 あたしの演技を見て観客は魂の片割れってほんとにいるんだなって思うんだっていうんです。
 魂の片割れから斧をつきつけられた時の気落ち!
 それが掴めたらきっとやれると思うんですが……」

そこに、スープが運ばれてきた。そらまめのスープだった。これもおいしいとマヤは思った。
スープを味わいながら、二人は話を続けた。

「難しそうだな。現代では、死は想像でしか経験できないからな」

「死にそうになる演技なら何度かしたんですけど……」

「若草物語のベスか?」

「ええ、あの時もそうだったし、狼少女の時も毒団子を食べて死にかかる所があって……。
 狼少女の時は黒沼先生から息を止められて……」

マヤは、なつかしそうな笑顔を浮かべた。

「黒沼さんらしいな!
 だが、今回は実際に斧で怪我をするわけにはいかんからな」

速水の言葉にマヤは一瞬、怪我をしたらどうなるかと想像した。
マヤの表情に不穏な物を感じた速水は慌てて言葉をついだ。

「まさか、本当に怪我をしようとか考えてるんじゃないだろうな」

マヤは図星をさされてドキっとしたが、しっかり否定した。

「やだなあ、速水さん、そんな無茶しませんよ〜、ははは」

「君は本当に舞台を降りると大根だな。
 笑って誤摩化してもすぐにわかるぞ。
 今一瞬、本当に斧で怪我しようと思っただろう」

「ははは、ばれました?」

「ああ! しっかりばれてるぞ。駄目だぞ! そんな無茶をしたら! 俺が許さん!」

「う、だって、だって、今までだって、無茶して演技を掴んで来たんです。
 これが、私のやり方なんです!」

「しかし、怪我をして演技が出来なくなったらどうするんだ」

「そこまでひどい怪我をするつもりはありませんけど……」

そこにボーイが、魚料理を運んできた。

「オマール海老のカダイフ包み焼き、アメリカンソース仕立てでございます」

ボーイは料理の説明をすると白ワインをついだ。

「ああ、君、彼女にはミネラルウォーターを頼む」

「速水さん、あたし、まだ、大丈夫です、飲めます」

「いいや、駄目だ。ペースを落としたまえ。飲み過ぎるとデザートがはいらんぞ」

マヤはデザートにつられて飲み過ぎないように注意した。

「斧で怪我をするのではなく愛する者から殺される演技だろう」

「えっと、あっ、そうか。
 あれ? どこで勘違いしたんだろ」

「くっくっくっく、はーはっはっはっは。
 君にかかると悲恋もコメディになるな」

「もう、速水さん、からかわないで下さいよ。
 えーっと、阿古夜と一真は二つに別れた一つの魂なんです。
 出会って一つになってそして引き裂かれて……。
 魂の片割れと引き裂かれる苦しみを知ってるんです。一真も阿古夜も……。
 それでも、一真は阿古夜を殺そうとするんです。
 使命の為に。
 阿古夜を殺せば、引き裂かれた苦しみの中で一生、生きて行かなくてはならない。
 それがわかっていても、一真は使命を優先しようとするんです。
 魂の片割れなので阿古夜にも一真の苦しみがわかっているんです。
 一生苦しむとわかっているのに使命を優先しようとする一真。
 その一真に対して阿古夜がどう思うか……。
 何度考えてもわからなくて……」

「そうだな、難しそうだな、君ならどうなんだ?
 魂の片割れから使命の為に死んでくれと言われたら?」

「よくわかりません……。
 だって、あたしには魂のかたわれがいませんから。
 でも、あたし、魂のかたわれって本当にいると思うんです。この世のどこかに。
 時々、あたしの魂のかたわれは今なにをして、何を考えているんだろうって思うんです。
 月影先生が魂のかたわれ同士は同じ事を考えているって言ってらしたんです。
 それで、きっとあたしと同じ事考えてくれてるんじゃないかって。
 あたしの魂のかたわれは、あたしと同じように相手に会いたいと思ってるんじゃないかって?
 ふふ、馬鹿みたいでしょう」

「いや、そんな事はない」

「速水さんは、魂のかたわれって本当にいると思います?」

「ああ、そうだな、いるかもしれないな」

「あ! ……あたし、気がつかなくて!
 速水さんには、もう、紫織さんていう魂のかたわれがいるじゃないですか。
 羨ましいです。
 やっぱり、お二人は同時に同じ事を考えたりするんですか?」

「さあな、俺にはよくわからん。それより、次の料理が来たぞ」

速水は紫織が自分の魂のかたわれだとはとても思えなかった。
ボーイが料理の説明をする間、小さな沈黙が二人を包んだ。
ボーイが立ち去ると、速水は桜小路に言った言葉を繰り返していた。

「もし、奇跡が起きて魂のかたわれと思える相手に出会えたら、それまでの自分がどれほど……」

「孤独だったか気づくと思うんです」

マヤは、速水の言葉の先を引き取って答えた。
マヤは速水を見つめた。
視線をそらしたのは速水の方だった。
まだまだ若く純粋なマヤは守る物も怖い物もなかった。
勇気があれば一言の真実を速水に告げる事が出来た。
だが、11歳年上の速水には様々なしがらみがあり、真実は常に隠しておかなければならず、真実が露見しそうになれば逃げ出すしかなかった。






続く      web拍手     感想・メッセージを管理人に送る


Buck  Index  Next


inserted by FC2 system