白鳥は蒼穹にはばたく   連載第18回 




 「紅天女」、2組の試演は無事に終了した。
姫川亜弓の神々しい演技。
それは亜弓がほとんど見えなくなった目で掴んだ演技だった。
その演技は見ている者の心を揺さぶった。
だが、芝居としての総合評価は黒沼組に軍配が上がった。
協議の末、マヤよりも姫川亜弓の演技が評価された。
月影千草も姫川亜弓を後継者に選んだ。
結果、姫川亜弓が「紅天女」を継承する運びとなったが、姫川の辞退によってマヤが主演女優を演じる事になった。
姫川亜弓の辞退の理由は、健康上の理由(目の手術)によるものだった。

「月影先生、演劇協会の皆様、観客の皆様、私を主演女優に選んでいただいてありがとうございます。
 しかし、私の目が良くなる保証はありません。
 このまま、目が見えなくなれば、『紅天女』という素晴らしい芝居がまた、封印されてしまいます。
 この素晴らしいお芝居を多くの人に観て貰いたい、楽しんで貰いたいと思い、私は、主演女優の役を北島マヤさんに譲りたいと思います」

そう言って、亜弓はマヤにトロフィーを渡した。

「亜弓さん、あたし、やっぱり、亜弓さんに適わなかった。
 あたし、もっと、もっと練習してきっと、亜弓さんよりいい演技が出来るようになる。
 だから、きっと、目を直して戻ってきて!」

「ええ、マヤさん、必ず、戻ってくるわ。
 それまで、そのトロフィー、預かってて」

そう言って、亜弓は舞台を降り、試演会場から直接、病院に向かった。

また、速水真澄は「紅天女上演委員会」を設置、自ら委員長に就任した。
「紅天女上演委員会」を設置する事で上演権は主演女優が所有するが、上演は委員会が許可しない限り上演出来ない仕組みになった。
そして「紅天女」新春公演は一時的に名前をシアター月光座と変えた大都劇場で行われると決まった。


かくして「紅天女」をめぐる舞台の幕はおりたのである。


夕方6時。
試演会場の外ではもう一つの芝居の幕が上がっていた。
観客は既に帰り、プロムナードには誰もいない。
ただ、風が吹いているだけである。秋の夕暮れ時。次期、真っ暗になるだろう。
鷹宮紫織は、速水真澄とともに死のうと思い詰めて歩いていた。目に涙が浮かんだ。
風が正面から吹き付ける。風と一緒に埃が舞い上がった。思わず腕で顔をかばった。
その時、手に持っていたハンカチが飛んだ。
あっと言う間もなかった。
だが、紫織は飛んで行ったハンカチに気づかない。
ひたすら、前だけを見て歩いている。
風が強く吹き付ける。
紫織は思わず立ち止まった。
その時、後ろから声を掛けられた。

「ハンカチ、落としましたよ」

紫織が振り向くと懐かしい名前で呼ばれた。

「しーちゃん! やっぱり、しーちゃんだ!」

紫織は、びっくりして相手を見た。
ハンサムな男が立っていた。
黒髪、涼やかな目元、落ち着いた物腰。スーツをきちんと着こなしたその男は速水真澄のような華やかさはなかったが、端正な顔立ちの男だった。どこか真澄に似ている。

「しーちゃん!、僕だよ!」

「謙一さん!」

瞬間、紫織は10年前の夏の日の光景が、まざまざと浮かび上がった。
湖に落ちた紫織の帽子を、謙一と一緒になって拾い上げた、その光景。
謙一とつないだ手の感触。日差しを反射する波のきらめき。濃い緑の香り。
その思い出が、鮮やかに紫織の目の前に蘇った。
野村謙一。誰よりも紫織を深く愛してくれた人。

「このメッセージ、しーちゃん?」

謙一は、ポケットから手紙を出してみせた。


「10年前の夏の日、湖に落ちた帽子をもう一度拾いたいと思いませんか?
 『紅天女』試演会場プロムナードにて、6時にお待ちしています」


カードには紫のバラが描かれていた。

「これ、もしかして、しーちゃんかと思って」

「いいえ、私ではありませんわ。
 でも、誰がこれをあなたに贈ったかはわかるわ」

紫織は、紫のバラを見た時、真澄が謙一にカードを贈ったのだとすぐにわかった。

「そうか、しーちゃんじゃないのか、てっきりしーちゃんだと思ったんだけどな……」

謙一は紫織がカードを贈ってないとわかると落胆してそう言った。
が、すぐに気を取り直して紫織に言った。

「しーちゃん、誰がこれを僕に贈ったかわかるの?
 御礼をいわなきゃね。
 しーちゃんに会わせてくれた人に」

「ええ、でも、その人は今、きっと、取り込んでいるわ。
 さ、私達もどこか暖かい所でお茶を飲みながら、久しぶりにお話しましょう。
 謙一さんとお話するのは、何年振りかしら?」

「でも、ここには、何か用事があってきたんじゃないの?」

「用事は……」

紫織は言い淀んだ。

「用事は、もう、いいの」

真澄と共に死ぬ夢。真澄を自分だけのものにする。
が、野村謙一を前に、真澄の魅力が急速に色褪せて行くのがわかった。

「いいの、大した約束じゃないし、約束した相手も待っていないわ」

紫織は謙一と並んで歩いた。
紫織は、先ほどまでの、思い詰めた感情が嘘のように拭いさられているのがわかった。
長い間、自分が探し求めていたのは、この人だったのだとわかる。
しっかり、自分をみてくれる人。
自分と相対してくれる人。
ただ、優しくしてくれる人ではない。
自分と対等に愛し合える人。
互いに安らぎを分ち合える人。
自分に真心を捧げてくれる人。
そんな相手を紫織は求めていたのだ。

紫織が望んだ物。
真心。
速水真澄はそれを届けた。
真澄は確かに約束を守ったのである。



速水真澄と鷹宮紫織の父親は紫織の様子を建物の陰から見ていた。
そして、謙一と並んで歩く紫織を見て、二人はほっと胸をなで下ろした。

「真澄君、ありがとう、君には感謝してもしきれないな。
 紫織はこれで幸せになれるだろう。
 うちは、女の子は皆、政略結婚させるんだ。
 従兄弟同士の結婚は、難しくてね。
 父(鷹宮翁)がそう決めてるもんだから」

「紫織さんと野村君は、鷹宮翁が別れさせたんですか?」

「ああ、謙一君は大学の受験を控えていたから、簡単だった。
 謙一君と紫織が互いに好き合ってるとわかると、父は謙一君を急遽、東京に戻したんだ。
 紫織は謙一君が東京に帰った後、しばらく落ち込んでいたが、謙一君の事をほとんど、話題にしなくなってね。
 私は、紫織の想いをその程度だと思っていたんだ」

鷹宮社長はふーっとため息をついた。

「だが、どうして、紫織がまだ、謙一君を忘れてないとわかったんだい?」

「実は、アストリア号に誘われて僕は、お嬢さんの人柄がよくわからなくなりまして……。
 それで、お嬢さんの過去を調べさせて貰ったんです。
 そしたら、野村謙一という男性の名前が上がって来まして……。
 で、野村謙一君の写真を見たら、僕と似てるんです。雰囲気が……。
 僕とお嬢さんは、生まれも育った環境も違う。
 どうして、お嬢さんが僕のような男を気に入って下さったのか、以前から疑問に思っていました。
 野村君の写真を見て、合点が行きました。
 お嬢さんは僕が、初恋の人に似ているから気に入って下さったんだと……。
 お嬢さんは野村君の事を恐らく、ずっと想っていたんでしょう。
 お嬢さんが僕と心中したいと思う程の狂気に陥ったのは2度目の失恋だからじゃないかと思いまして……。
 なんとか救いたいと……。
 野村君の方も調べてみますと、独身ですし、紫織さんに会わせたらうまく行くんじゃないかと……」

「ありがとう、真澄君。
 家族ですら気がつかなかった、紫織の気持ちをわかってやってくれて、ありがとう。
 紫織を救ってくれて感謝してるよ。
 ……女の子は難しいな……」

鷹宮社長は、言葉を切り何事か考えていた。

「そうだ、真澄君、話は変わるがこの間の企画、採用させて貰うよ。
 大都芸能とは、今後共いいパートナーでいたいね。
 君が経営者である内は、協力させて貰うよ」

「ありがとうございます。今後共、宜しくお願い致します」

そう言って真澄は頭を下げた。

鷹宮紫織と野村謙一は半年後、婚約を発表する。




エピローグ

 人気の無くなった試演会場で北島マヤは一人ぼんやりと舞台に立っていた。
自然と台詞が口をついてでる。


「おまえさまのことを思うだけで胸がはずむ
 声を聞くだけで心が浮き立つ
 おまえさまにふれているときは
 どんなにか幸せ!

 捨てて下され
 名前も過去も
 阿古夜だけのものになってくだされ!

 おまえさまはもうひとりのわたし
 わたしはもうひとりのおまえさま」


パンパンパン。
拍手が聞こえる。
振り向くと、速水真澄が立っていた。
紫のバラの花束をかかえている。

「速水さん!」

マヤはそう言いながら速水に駆け寄った。
速水はマヤに紫のバラを差し出した。

「マヤ、いい演技だった。素晴らしい紅天女だった」

マヤは、速水真澄から紫のバラの花束を受け取った。

「速水さん、あたし、あたし!
 速水さんから、直接、紫のバラを渡してもらうのが夢だった」

「俺もだ。
 俺も君に、直接、紫のバラを渡すのが夢だった」

マヤは、紫の花束を持ったまま速水の首に両腕を投げかけ抱きしめた。
速水もマヤを抱きしめる。
二人は抱き合い互いに相手を抱きしめる幸せを噛み締めた。
速水はマヤにそっと囁いた。

「マヤ、俺の嫁さんにならないか?」

マヤは思わず、速水から体を離した。
目を見張り、速水を見上げ立ち尽くす。
頭の中が真っ白だ。

「君は昨日言ったろう。
『僕の妻はあなた一人だ』なんて台詞を俺が他の女性に言うのを聞きたくないと。
 他の女性に言えないなら君に言うしかあるまい。
 うん、どうした、ちびちゃん。
 台詞を忘れたか?」

速水が優しい声音でマヤをからかう。

「は、速水さんのいやみ虫! げじげじ!」

「それから」

「あ、あなたなんて!」

「あなたなんて?」

「あなたなんて! あなたなんて、大っきらい!」

速水の顔がマヤにゆっくりと近づく。
マヤの唇は真澄のキスで覆われ、それ以上、愛の言葉を言えなくなった。













あとがき


読者の皆様、読んでいただいて、ありがとうございました。
今回、「別冊 花とゆめ5月号」の続きから書いてみました。
アストリア号で、二人は気持ちを打ち明けあい、愛し合うようになります。
速水は鷹宮紫織と婚約を解消すべく画策します。
しかし、自分の意志とは無関係に婚約を解消した鷹宮紫織は納まらない。
この人の気持ちを納め無い限り、この物語は終わらない。
どうやって、速水さんがこの問題を解決するか書いてみました。
紅天女試演の最中の話も書こうかと思ったのですが、長くなるので今回は割愛しました。
また、「紅天女上演委員会」の設置にまつわる話は「銀河の岸辺にて」で書いたのでやはり割愛しました。
詳しく知りたい方は、「銀河の岸辺にて」を読んで下さいね。
連載を書き始めたのが、4月末。連載をネットにアップしたのが5月20日。最終回をアップしたのが本日、6月20日。
こんなに長い話を書いたのは初めてでした。
その間にたくさんの拍手と励ましのお言葉をいただき、感無量です。
一ヶ月間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。



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