令嬢 鷹宮紫織   連載第1回 




 雨が降っている。
街路樹を濡らし、街全体を灰色に沈めている。
速水真澄は、仕事の手を止めぼんやりと窓の外を眺めていた。
速水は先日行われた「紅天女」試演の舞台を思い出していた。
マヤの素晴らしい演技。
速水の胸はマヤの演技で満たされ熱くなった。
同時に、一昨日行われた月影千草の葬儀を思い出した。
マヤの小さな体がますます小さくなったように思った。
抱きしめて慰めてやりたいと思ったが、速見にそれは許されない事だった。
そして、速水は明日の事を思った。

(明日、紫織さんと結婚する。
 すでに、決められた事だ。
 スケジュールをこなすだけだ。
 ただ一度だけ想いは遂げられた。
 もういい。十分だ。
 彼女の、マヤの愛を得られなくとも……。
 義父への復讐。母の無念をはらす為、義父の総てを奪ってやると誓ったのだ。
 その為には、紫織さんと結婚しなければならない。
 義父へ復讐するには鷹宮の名前がどうしても必要なのだ。
 手に入らないマヤの愛を思って紫織さんとの結婚を破談にするわけにはいかない。
 そうとも、義父への復讐。これこそ、俺の人生の目標ではないか。
 何を迷う事がある。)

速水は、そこで自身の迷いを断ち切った。
そしてより実務的な考えに集中した。

(新婚旅行中のスケジュールはどうなっているのか、水城君に確認しなければ)

速水は秘書室の水城を呼ぶと、

「水城君、新婚旅行中のスケジュールはどうなっている?」と問うた。

「えー、披露宴の後、ホテルにて一泊。
 翌日、10時の羽田発の飛行機にて那覇に向かっていただきます。
 ホテルのチェックインは3時の予定です。
 お部屋でお休みいただいた後、夕食はホテルにて琉球舞踊のディナーショーとなっています。
 2日目はホテルにて、ゆっくりおくつろぎいただきます。
 3日目は、熱帯・亜熱帯都市緑化植物園をご見学。紫織様のご要望です。
 4日目は、離島へ移動していただきます。
 宿泊先は石垣島から30分程の島にありますリゾートホテルです。
 石垣島観光の後夕方、チェックインです。
 5日目はホテルにてごゆっくりしていただきまして……」

「わかった。そしたら、2日目と5日目は仕事ができるな。
 書類仕事を入れておいてくれ」

「しかし、新婚旅行です。仕事をいれるのは……」

「別に構わんだろう。第一、紫織さんと二人で何をするんだ」

「えー、新婚旅行ですし、紫織様とお話をしたり、プールで泳いだりしてはいかがでしょう」

速水はしばらく考えてみた。紫織さんと話をするのはいい。彼女の好きな話はリサーチ済みだ。
しかし、紫織さんがプールで泳ぐ?
速水は考えられなかった。

「水城君、助言をありがとう! だが、俺の仕事のスケジュールは入れてくれ」

承知しましたと水城は言うと社長室を後にした。



翌日、速水と紫織は結婚した。
速水は文金高島田に髪を結い綿帽子をかぶり白無垢の花嫁衣装に身を包んだ紫織を見て、素直に美しいと思った。
こういう美しい花嫁を貰う俺はきっと、果報者なのだろうとまるで人事のように考えている自分がいた。
神主が詔を唱え、三三九度の杯をかわす。
杯の中に、マヤの面影が浮かんだ。
その面影のまま、速水は杯を飲み干した。



披露宴が終わりその日は都内のホテルで一泊した。
二人にとっては新床であったが、紫織の体調が悪かったので、その夜、速水は紫織とは別の部屋で眠った。ベッドルームが2つあるロイヤルスィート。これからの二人の夜を象徴しているようだった。

新婚旅行先は沖縄だった。宿泊先は最近出来たリゾートホテルで沖縄の中央に位置する岬の突端にあった。
部屋はコテージになっていた。ホテルの敷地内にありながら、もっとも見晴らしのいい場所に立てられたロイヤルスィートコテージ。
二人のプライバシーは完全に守られながら、それでいて、最高のサービスが受けられるようになっていた。
紫織の世話をする秘書と速水のボディガードは別棟に詰めた。
速水は、ボディガード達が控えている別棟の一室を執務室に決めた。
紫織はホテルに到着早々、疲れたからと言ってコテージの1室に引き蘢った。
速水は紫織を心配してその枕元を見舞ったが、紫織が速水に気を使ってかえって休めないでいるのがわかったのでそっとして置く事にした。
その夜、ディナーショーを見る予定だったがキャンセルして二人は部屋で夕食を取った。
紫織は相変わらず疲れた様子だったので速水は早めに紫織を休ませた。
紫織が休むと速水は仕事を始めた。深夜まで仕事をこなし指示書をFAXするとやっと眠りについた。
翌朝も紫織は顔色が悪く疲れた様子をしていた。
そんな紫織を心配した速水だったが、紫織が

「真澄様、どうかお気になさらずお仕事をされて下さいませ。
 私はこちらで美しい海と花を見ながらゆっくりしていますわ」

と言ったのでその言葉に速水は甘える事にした。

紫織は一人ほおって置かれると、ぼんやりと海を見て物思いに耽った。
病気がちだった紫織は一人、そっとしておかれるのには慣れていた。
大自然の光景を退屈だと思う人も多いだろう。
だが、紫織は違った。
雲の動く様を見ているだけで時を忘れた。
ましてや、ここは沖縄である。
珍しい動植物の宝庫である。紫織は退屈する事は無かった。
紫織が眺めていると蝶がやって来た。
赤いハイビスカスにとまり羽を震わせる蝶。黒い羽にオレンジ色の斑点が入っている。
やがてその蝶は何処かに飛んでいったが、また、別の蝶がやって来る。次から次へとやって来た。
2匹、3匹、ひらひらと舞いながら楽しげに飛んで行く蝶達。
紫織は、ここは蝶の道になっているのだと思った。
ふと、紫織は真澄に見せたいと思った。この美しい光景を、蝶が飛び回る様を速水に見せ二人で美しいと思いたいと思った。だが、仕事中の速水を邪魔してはいけないと思い速水を呼びに行くのはやめた。
それはとても寂しい事だった。
紫織は軽くため息をついた。

ランチの時間に紫織は蝶の話を速水にした。

「蝶の道がありますのよ。ちょうどコテージの前に。
 次から次へと蝶がやって来てそれは美しゅうございました」

「それはぜひ、見たかったですね。
 午後からも蝶は来るでしょうか?」

「さあ、どうでしょう。
 しばらく、私と一緒に海を眺めますか?」

そう言って紫織は、ほほと笑った。

「そうですね。食後のコーヒーを飲みながら蝶がやって来るのを待ちましょうか?」

30分ほど紫織と一緒に過ごした速水だったが、蝶は現れなかった。
会社からの電話が入ったのを機に速水は、仕事に戻った。

夕食の席で速水は、紫織がかなり元気になってきたと思った。
その夜、さすがに花嫁を抱くのが花婿としての責務だろうと思った速水は紫織を抱こうとした。
だが、やはり、紫織は体調が悪いと言って速水の手をそっと押しとどめた。
速水は、紫織の体調の悪さはここ数日忙しかった為だろうと一人納得、さっさと別室に引き上げた。

速水は紫織が、速水がマヤの「紫のバラの人」であり、マヤを愛している事を知ってしまったとは夢にも思っていなかった。





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