令嬢 鷹宮紫織   連載第2回 




 新婚旅行3日目、真澄と紫織は植物園に来ていた。
ホテルでゆっくりしていたおかげで紫織の体調はやっと回復していた。
蘭の栽培に熱心な紫織は、学芸員の説明を一生懸命聞いていた。
真澄は自分の出る幕が無いのがわかると、煙草を吸いたいからと言って喫煙所に向かった。
通路を道なりに進むと喫煙のスペースが区切られていた。
喫煙所の向うに小径が続き、その先は海岸へと続いているようだった。
真澄は一服すると海へと降りていった。
天気は快晴である。海が美しい。秋とはいえ、沖縄はまだまだ暑かった。
しばらくぼんやりと海を見ていた。波がしらが砕けちる様はそれだけで絵のように美しかった。
そろそろ、説明も終わった頃だろうと真澄が戻ると珍しい光景を目にした。
学芸員の内の一人、若い男が蘭の花の影から紫織を熱いまなざしで見つめていた。
そうか、紫織さんに恋をする男もいるのだなと真澄は思った。
まるで人ごとのように思う自分がいた。
夫として妻に懸想する男に牽制をかけるべきなのだろうが、そんな気にもならなかった。
ただ、その男がストーカーまがいに紫織さんにつきまとうようになると困るので一応咳払いをしてその男の気を払った。
男ははっと我にかえりバツが悪そうにそそくさと建物の奥へ姿を消した。
紫織もまた、真澄に気づくと説明を受けていた学芸員に礼を言って話を切り上げ、真澄に近づいてきて、今聞いた蘭の話を真澄にかいつまんで話し始めた。
真澄には専門的な事はわからなかったが、紫織が嬉しそうに話すのが微笑ましく穏やかな笑顔を浮かべながら聞いていた。
紫織は、ショップでいくつか蘭の花の苗を買い求め秘書に命じて東京の自宅に送るように手配させた。
その後、植物園に併設されたレストランで食事をすると、午後は水族館を見学、ホテルに戻った。


 翌日、真澄と紫織は、石垣島へと移動した。
島内を見て回っていると黒真珠の店があった。ふと真澄は気まぐれに紫織に真珠を送ろうと思った。
そのきまぐれは昨日見た、紫織に熱いまなざしを送っていた学芸員と関係があったのかもしれない。
好むと好まざるとに関わらず、真澄は一瞬、その学芸員と同じ目線で紫織を見てしまった。
紫織を一人の女として見た時、確かに魅力的だと真澄はこの時初めて思った。
それが、真珠を送るという行動に駆り立てたのかもしれない。
真澄は紫織を伴って店に入ると店員を呼んで黒真珠のネックレスをいくつか出させた。

「紫織さん。いかがです? この島特産の黒真珠。あなたの黒髪に似合うと思うのですが……」

「まあ、ほほほ、真澄様。嬉しいですわ。でも黒真珠は不吉な気がして……。
 出来たら他の色を」

店員が八重山ゴールドと呼ばれるイエロー系の真珠を出して見せてくれた。
一粒の大きな真珠が金色に輝き、金具にメレダイヤが敷き詰められたペンダントを店員は勧めた。
真澄は試しに紫織につけてみようと、みずからペンダントを取り上げる。
紫織は促されるまま、髪をあげた。
真澄の前に紫織のうなじが露になる。
金具を留める真澄の指先がかすかに紫織の肌に触れた。
その感触に紫織はどぎまぎする。
紫織は髪をおろし鏡を覗き込んだ。ペンダントは紫織の肌にとてもよく似合っていた。

「きれいだ。よく似合っている。」

真澄に褒められて紫織は頬を染めた。
真澄はそのペンダントを買い求め紫織に贈った。
店を出ると風が強くなっていた。
一行は石垣港からさらに離島へと向かった。

離島に建てられた高級リゾートホテルのロイヤルスィート。
このホテルもやはり各部屋がコテージになっていた。
コテージ毎にプールやジャグジーが備えられている。
中央にホテルのフロント、レストラン、バー、スパを備えた建物がある。
フロントでチェックインをする際、台風が近づいているので今夜は出来るだけ早く各コテージに戻って下さいと注意を受けた。
二人はレストランで早めの夕食をとりコテージに戻った。コテージに広く開けられた窓には総てシャッターが下ろされている。
そして、深夜、天気が急変した。
風が強くなってきたと思っていたが、フィリピン沖で発生した台風はあっと言う間に石垣島までやって来た。
そうなると海辺のコテージは恐ろしい。
あの穏やかな美しい海がどす黒くかわり海面がせり上がり大波がビーチに押し寄せる。
風が何もかもを吹き飛ばしそうである。
雨が叩き付けるように降り始めた。
遠くで雷がなる。
窓にシャッターがおろされていても、風の音、雨の音が部屋に響いてくる。
真澄は紫織の寝室をたずねた。二人はまだ寝室を別々にしていた。

「紫織さん、大丈夫ですか?」と真澄がドア越しに問うと

「ええ、真澄様、大丈夫です」

と紫織はそう言ったが、声の調子から震えているのがわかった真澄は、ドアを開け室内に入ると

「少し話でもしませんか?」と言って紫織の枕元に座り身を起こした紫織の肩を抱き寄せた。

紫織は素直に真澄の胸に頭をもたせかける。

「大丈夫ですよ。台風は明日の朝には、九州の沖合に行ってしまうそうです。
 今夜一晩荒れるかもしれませんが……」

「昔から、台風が苦手で、、、私の実家は古い木造家屋でしょう。
 大風が吹くと家の隙間を風が抜ける音がしたり、雨や雷の音がすぐ近くに聞こえて……。
 ふふ、子供みたいでしょう」

「いつも落ち着いているあなたにそんな所があるなんて、思いもしませんでしたよ」

ふと真澄は、今なら花婿としての責務を果たせるのではと思い紫織を抱きしめようとした。
紫織が体を硬くする。

「体の力を抜いて……。僕に任せて……」

真澄は紫織の耳元で囁いた。
真澄が紫織の唇にキスしようとした刹那、紫織が、

「い、いやあー」

と言って真澄を突き飛ばした。

「紫織さん!」

真澄は訳がわからなかった。
それよりもっと驚いているのは紫織自身だった。

「ご、ごめんなさい!」

そういうと、紫織は泣きながらコテージを飛び出した。
外は嵐である。
ホテルの照明が所々にあるが、ほとんど真っ暗である。
紫織は自分が寝間着姿なのも裸足なのもわからなかった。
雨と風が一緒になって自分自身に吹き付けている事も感じなかった。
頬を伝う水滴が雨なのか自身の涙なのか、何もわからなかった。
何がなんだかわからないまま走っていた。

「あぶない!」

後ろから追いついた真澄が紫織を捕まえた。
足下にプールがある。
もう少しで落ちる所だった。

「さあ、部屋に戻りましょう」

紫織は、泣きながら真澄に抱きかかえられるようにして部屋に戻った。
体が冷えきっていた。
真澄はジャグジーに熱い湯をため紫織につかるよう促した。
真澄自身も濡れた衣服を脱いで着替えた。

しばらくして紫織が出て来た。
真澄は、熱いココアを作って待っていた。

「さあ、これを飲んで」

紫織は言われるまま飲んだ。
紫織が落ち着いた所で真澄は言った。

「落ち着きましたか? 今日はもう休みましょう」

「ま、真澄様!」

「話はいずれ日を改めて……」

「……え、ええ……」

紫織は一人、寝室に引き上げた。
ココアに入っていたブランデーがきいたのだろう、紫織はやがて眠りについた。
外では相変わらず嵐が吹き荒れていた。
真澄は一人まんじりともせず紫織とは別の寝室で横になった。
真澄は戸惑っていた。

(一体、なんだっていうんだ。
 こっちは、花婿の責任を取ろうとしただけなのに。
 紫織さんが初めてなのはわかる。
 しかし、あそこまで拒絶されるような事を俺はしたか!)

真澄は紫織とのデートを出来るだけ思い出してみた。
いつの頃からか、紫織は積極的に体の接触を求めて来た。
腕を組んできたのも彼女だった。
最初はすごく嫌だった。
だが、彼女の重さにも香りにもそのうち慣れた。
義父が梅の谷で行方不明になった時、気弱になった俺の背中を抱きしめてくれた。
あの時は紫織さんの暖かさがありがたかった。
さっきは、初めてでこわかったのだろう……。
しかし、結婚を望んだのは彼女だ。
彼女と結婚などしたくなかったのに……。
それでも復讐の為と自分自身に言い聞かせて、必死にマヤへの思いを押し殺して結婚したのに……。
結婚したらするに決まってるじゃないか!
俺だってやりたくないんだ!
それを鷹宮の実家を思って責任を果たそうとしたのに!
いずれ子供の話がでるだろうし、鷹宮翁がひ孫の顔が見たいなどと言い出すに決まっている。

そこまで考えた時、真澄は紫織に突き飛ばされる前、素直に真澄の胸に身を寄せて来た紫織を思い出した。

幼子のようだった。
そうだ、幼子を守るようにあの人に接すればいいんだ。
いつも落ち着いていて大人の女性だと思っていたが、以外に弱い所があるのかもしれない。
彼女が本当に俺を受け入れられるようになるまでのんびり待つことにしよう。
子供が出来ないのは彼女の体調が悪いようなのでと言っておけばいいだろう。
そうだ、そうしよう、明日、紫織さんに話そう!
真澄はこの問題に結論を出すと、さっさと紫織の事は忘れて眠りについた。





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