トト    連載第8回 



 「なんて事をしてくれたんです、紫織さん」

鷹宮紫織が目を覚ますと速水真澄の怖い顔があった。紫織は何がどうなっているのかわからなかった。ひどく頭が痛んだ。

「あの、私、なにか?」

そして、はっとした。
まわりに着物が散らばっている。
「紅天女」の小袖。
無惨に引き裂かれている。鷹宮紫織は真っ青になった。
そこに英介が車椅子でやって来た。

「何を騒いでいる! こ、これは!」

「おじさま!」

「わしの、わしの小袖!」

車椅子から必死に腕を伸ばして小袖を拾う英介。手がわなわなと震えている。
英介は怒りを露にした。顔が怒りで真っ赤になり、どす黒く変わって行く。目をかっと見開き、紫織を睨みつけた。紫織は恐ろしさに身がすくむ。英介が杖を振り上げた。

「きゃあー!」

咄嗟に紫織は背中を向けた。杖が紫織に向って振り下ろされた。

バキッ

杖は帯のお太鼓にあたって折れた。真澄が慌てて止めに入る。

「いけません! お義父さん!」

真澄は英介の腕を押さえた。

「離せ、真澄! たとえ鷹宮の孫娘でも、これだけは許せん! 儂のたった一枚の小袖を……」

英介の手から杖が落ちた。涙を浮かべ小袖を抱きしめる英介。

「……千草、う……う、う、う……」

真澄は紫織を助け起した。

「さ、紫織さん、こちらへ」

真澄は紫織を英介から庇いながら廊下に出た。玄関へと歩かせる。

「紫織さん、あなたは酒に酔ったんですよ。覚えていませんか?
 酔いを覚ましたいというので僕が応接室に送ろうとしたのです。
 途中であなたが化粧室に行きたいと、一人で大丈夫だからというので、僕は庭に引き返した。
 僕はあなたがそのまま応接室に行ったと思っていた。
 宴も終わり、僕はあなたを探しに行った。しかし、応接室にあなたはいなかった。
 探していたら、あなたがコレクション部屋に倒れていたのです」

鷹宮紫織は無言のまま真澄につかまって足早に歩いていく。
紫織は衝撃を受けていた。

――恐ろしい! 殺される! 私は……、きっと……

紫織は英介の言った言葉を思い出していた。(……小袖だけは助かりましたが……。それで、処分しました……)

――私も処分される! いや、いやよ!

真澄の声が聞こえた。

「……あなたは部屋を間違えたのでしょう。
 そして美しい小袖に袖を通してみたくなった。
 袖を通した所で持病の貧血に襲われたのでしょう。
 倒れる時に着物が釘にひっかかって裂けた……。
 起きてしまった事は仕方ない。
 さ、送りましょう」

紫織は恐ろしくて口がきけなかった。

――私が酔って破いた? 小袖を破いてしまった? 覚えてない、覚えてないわ!
  私……、私……、いや! 怖い!
  おじさまが! 怖い!

鷹宮紫織は恐ろしさのあまり、もう一度気絶した。

トトは気絶した鷹宮紫織が玄関から車へと運ばれて行く様子を見送った。尻尾を大きく振って!


後日、鷹宮家から速水家に使者がやってきた。

「鷹宮紫織様から今度の縁談は無かった事にしてほしいとの事です。
 速水家にとって大切な品を破いてしまい、大変申し訳ないと……」

英介もまた、この申し出を受け入れた。
小袖を破いた相手が嫁に来る。紫織と顔を合わせる度に殴りたくなるだろう。
英介は鷹宮家と縁続きになる野望をあきらめた。


鷹宮紫織の本性が残酷な女だとわかった速水は婚約を解消すべく罠をはった。
月見の宴を開きエキストラを集めて客とした。紫織に薬の入った酒を飲ませ、コレクションの部屋に入れた。
眠っている紫織の上に引き裂いた小袖をおき、あたかも紫織が引き裂いたかのような状況を作り出し、英介に紫織を打擲させた。
真澄にはわかっていた。どんなに真澄が婚約を解消しようとしても決して義父は許さないだろうと……。
それなら義父自身に婚約を解消させてやると真澄は決心した。
犬を殴って殺した義父。
紫織の舅となる男がどんなに恐ろしい男かわかったら紫織は婚約を解消するだろうと真澄は思った。
そして、その通りになった。
恐ろしい義父への恐怖が紫織の真澄への執着を吹き飛ばしていた。
真澄は鷹宮紫織がトトを処分しようとした同じ方法で紫織と婚約を解消したのだった。



エピローグ

 北島マヤは試演で勝利し、「紅天女」を継承した。
速水真澄は北島マヤの元に足繁く通うようになった。人々はそれを上演権狙いの為だと噂した。
しかし、実際は二人は付き合い始めていたのだ。
どちらからも告白する事はなかった。ただ、仲の良い友人のように振る舞った。
相変わらず速水はマヤをからかった。マヤはマヤで速水にいい返しながらもどこか嬉しそうにしている。

「チビちゃん、今日の稽古は終わったのか?」

「速水さん、あたしはもう大人です! チビちゃんじゃありません!」

「何をいう。年の差は永遠に変わらないんだぞ。君は俺にとって永遠にチビちゃんだ」

「う! おじさん! 速水さんなんておじさんなんだから!」

「いいね、おじさん! おじさんというのは男盛りと言う意味だ。褒めてくれてありがとう!」

速水はマヤの頭をわしわしと撫でた。
マヤは言い返そうと口をぱくぱくさせたが、言い返せない。
速水はくすくす笑いながら言葉を継ぐ。

「どうだ、おじさんにつき合って食事にいかないか?」

「いいですよ、速水さんのおごりですね」

「いいや、今日は君が俺に奢ってくれるんだ」

「えー?、あたしがー?」

「もうすぐ俺の誕生日だ。少し早いがご馳走してくれ」

「自分から要求します? 普通! ご馳走って、ご馳走って、速水さんが行くような高級料亭にはあたし行けませんよ!」

「もちろんだ。君の部屋で鍋をつつきたい。どうだ?」

「うーん、麗も一緒に食べる事になりますよ。それでいいなら?」

「青木君と一緒か……」

速水はしばらく考えた。
マヤと二人きりで鍋をつつく。いい雰囲気になりたい速水だったが、まだまだ時期ではないらしい。
それでも、青木君が席を離れたり、ちょっとした隙にいい雰囲気になれるかもと淡い期待を抱いた。

「いいだろう。食事は大勢の方が楽しいからな」

「だったら、さやかやみんなも呼んで宴会にしましょう。誕生日は大勢で祝ってもらった方が楽しいですもんね」

「え! あ! ああ、そうだな……」

速水は諦めた、マヤといい雰囲気になれるのを……。

――いいさ、今はこれで……。

二人はどちらからともなく手をつないでいた。



トトは相変わらず元気に速水邸を走り回っている。相変わらず池には近寄らない。
トトを池に引きずりこんだ錦鯉も相変わらず健在だ。
池に引きずり込まれて以来、トトにとってこの錦鯉は天敵である。
長さ70cmに及ぶこの錦鯉には美しい模様があった。白地に黒、赤、金と素晴らしい模様である。
犬の視力は弱い。我々人間とは違い、彼らの世界は白と黒の世界に淡い色がついているだけだ。
錦鯉の美しい模様もトトの目にはモノトーンで見えている。
極彩色の錦鯉をモノトーンで見てみよう。
トトは何を見ていたのか……。
水の中から浮かび上がるモノトーンの模様。
そこには女の顔が浮かび上がっていた。
トトが天敵と理解した女の顔。
左目の下に泣き黒子がある……。
鷹宮紫織の顔が。








あとがき


最後まで読んでいただいてありがとうございました。
トトが何故鷹宮紫織になつかなかったか?
最後に書いてみました。^^
楽しんでいただけたら、嬉しいです。^^

感謝をこめて!



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