続・狼の夏 第1章 夏の日の恋   連載第7回 




 翌朝、緑の三角屋根の別荘で、マヤは目覚めた。前日の幸福感がマヤを満たしていた。
その思いのまま、顔を洗い鏡を見たマヤは、はっとした。
台詞が口をついて出ていた。

「おまえさまが好きじゃ...」

掴んだ。これが、阿古夜が一真に恋を語る時の表情。恋をした乙女の華やぎ。
マヤは、台本に飛びついた。

「恋とは、相手の魂を乞うること
 ひとが神になる為に...」

掴んだ、掴んだ。これが、阿古夜の気持ち。阿古夜の恋の表情。私は演れる。
マヤは、ぶつぶつと台本を読み始めた。
速水が訪ずれた時、マヤには阿古夜が降りて来ていた。
そして、速水を見るなり、その手を取って台詞を語った。

「あの日、谷ではじめておまえを見たとき
 阿古夜にはすぐにわかったのじゃ
 おまえがおばばのいうもう一人の魂のかたわれだと...」

はずむような恋の歓び、華やかさがあふれていた。
速水は、思わず抱きしめていた。
マヤは、はっとして我に帰った。

「マヤ、今の演技、最高だった。」

「速水さん、、、。」

「俺のマヤ。離したくない。」

「速水さん、、、。私も。」

しばらく抱き合っていた二人だったが、マヤのお腹がぐーっと鳴ったのを機に我に帰った。
速水は笑いながら、言った。

「朝食は食べたのか?」

「えーっと、まだ、食べてないんです。つい忘れて。」

「君は天女を演じるかもしれないが、生身の人間なんだから、ちゃんと食べろよ。」

速水は笑いながら、マヤにミルクとクロワッサン、目玉焼きにサラダを出してやった。
マヤが朝食を食べるのを眺めながら速水は言った。

「出来たら、一緒に帰りたいが、今は一緒にいる所を見られない方がいいだろう。」

「そうですね。速水さん。」

「君は携帯を持っているか?」

速水に言われてマヤは携帯をだした。速水は、マヤの携帯の番号とメールアドレスを自身の携帯に登録するとマヤの携帯にも同様に自身の番号とメールアドレスを登録した。名前はゲジゲジにしておいた。
それからマヤにパスワードの設定の仕方を教えた。
その時、マヤの取った自分の写真、馬に乗っている写真を見つけた。

「マヤ、この写真は削除するぞ。」

「え〜、速水さんの写真、持っていたいのに。」

速水は仕方なく、自身の携帯にその写真を移動させると、マヤに、

「二人の事を公に出来たら、この写真を送るから。それまで、我慢しろ。
 それと、携帯やメールは緊急の時だけ使うんだぞ。
 わかったな。」

マヤは仕方なく承知した。マヤは思った。
(とにかく、試演だわ。試演が終われば、速水さんと大手を振って会えるんだもん。がんばろう!)
写真の事でマヤはアルバムの事を思い出した。

「あの、速水さん、あのアルバム、結局、何があったんですか?」

「あまり、いい話じゃないんだ、、、。」

そう言って、速水は紫織が何をしたか話した。
速水の別荘から、勝手にアルバムを持ち出し、写真を引き裂いてマヤに送り返した事を。

「俺は君を傷つけた紫織さんを許せなかったんだ。
 それで、初めて紫織さんに本音を話した。
 愛していないのに、何故、プロポーズしたか。
 そしたら、それがきっかけで紫織さんの心が俺から離れて行って婚約解消となったんだ。」

速水は紫織の口を塞ぐ為に淫らな写真を作って脅した事をマヤには話さなかった。
マヤが知らなくてもいい事だった。

速水は続けた。

「俺が悪いんだ。君を愛していながら、紫織さんにプロポーズしたんだからな。
 彼女がああいう行動に走ったのも無理のない事だったんだ。
 許してやってくれ。」

そう言いながら、速水自身は、マヤを傷つけた紫織を決して許すつもりはなかった。

「速水さん、私、もう、なんとも思ってません。ただ、写真がだめになったのが残念で。」

「聖にアルバムを渡しておいてくれ。プロに頼んで修復できるかどうかやってみるから。
 ネガがあるといいんだが。」

「芝居仲間が取ってくれた写真は、ネガがあると思うんです、、、。聞いてみます。」

そして、心配そうな顔をして言った。

「あと、桜小路君の事なんですけど、彼、私の事が好きなんです。
 試演が終わるまで返事を待ってって言ってあるんですけど。
 もし、今、付き合えないって言ったら、やっぱり試演に影響すると思うんです。
 でも、このまま、演技をして行ったら、桜小路君、勘違いしそうで。
 演技だってわかってくれたらいいんですけど。」

「君がしっかりしていれば、大丈夫だろう。断る時はきちんと断るんだぞ。
 下手に希望を持たせるより、ちゃんと断った方がいいんだ。
 その方が彼の為だ。わかったな。
 もし、手に負えないようだったら、黒沼さんに相談するんだぞ。」

「速水さん、ええ、そうします。」

そんな話をしているうちに、時間がせまってきた。
速水はマヤと離れたくなかったが、車で東京に戻るので、そろそろ出発しなければならなかった。
マヤは、最後に聞いた。

「あの、あの、速水さん、今度はいつ、、、あの、会えるんですか?」

「試演が終わるまでは会えない。」

「そんな、10月ですよ、試演は。1ヶ月以上、先なのに。」

「仕方が無いだろう。それとも、君は、大都芸能の社長に媚を売って『紅天女』の役を取ったと世間に言われたいのか?」

「でも、でも、今回の試演は、演劇協会主催です。大都芸能の社長に役の決定権はありません。」

「確かにそうだ。理屈はな。しかし、何も知らない人々はそうは思わない。マヤ、辛いだろうが我慢しろ。」

そう言って速水はマヤを抱き寄せ

「俺だって、辛いんだ。」

と言った。
マヤは黙ってこくりと頷いた。
速水は、最後にもう一度、マヤを抱きしめて口付けをすると東京へ出発して行った。

マヤは思った。

(速水さん、紫のバラの人、夢みたい。あなたの恋人になれるなんて。信じられない、、、。)

マヤは幸福な夢を見ているようだった。地に足がつかない気がした。

マヤは、出発の時間に間に合うよう荷造りをした。
時間になると別荘番の川瀬が迎えに来てくれた。
マヤは、名残惜しそうに、別荘を見上げた。
まるで、何ヶ月もたったような気がした。たった3日の出来事だったのに。
マヤは思った。この夏の日を一生忘れないと。

一方、速水もまた、高速道路を一路、東京に戻りながら、同じ思いを抱いていた。
この夏の日を一生忘れないと。



ただ、二人共、意識的に、或は、無意識にさけていた話題があった。
上演権の事である。
マヤは、マヤで、速水に牧場で言われたように、上演権の事は勝ち取ってから話すべきだと思っていたし、速水は速水で今、話すべきではないと思って話さなかった。

結局は「紅天女」、結局は「上演権」。
二人の間には、まだまだ、爆弾が潜んでいたのである。



続く      拍手する      感想・メッセージを管理人に送る


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