二人    連載第2回 




 二人はバーに入ると、バーカウンターに並んで腰掛けた。
背の高いカウンターチェアにマヤは足をぶらぶらさせる。
速水はバーテンを呼ぶと、自分にはドライマティーニを、マヤにはホットワインを注文した。

「速水さん、あたし、飲めます! ウォッカでも焼酎でも」

マヤの言動にバーテンが困った顔をした。

「いや、彼女にはホットワインを」

速水はくすくすと笑いながらマヤに向き直ると言った。

「気持ちはわかるが、今は俺の勧める物を飲んでおけ」

マヤは、速水がそういうので渋々気持ちを納めた。
やがて、目の前に注文した酒がおかれた。
耐熱ガラスに注がれたホットワインは湯気をだしている。

「では、改めて乾杯しよう。そうだな、大人になった君に乾杯!」

「あ、ありがとうございます」

二人はグラスをカチリとならした。
マヤはホットワインを、フーフーいって飲んだ。

「これ、おいしい!」

「だろ」

「それに、体があったまる!」

「カクテルは体を冷やす酒が多いからな、君は大事な舞台の前なんだ、体は大事にしないとな……」

速水とマヤは酒を間に様々な話をした。話をしている間に、マヤのグラスは減って行く。
速水はマヤが軽く酔った頃合いを見計らって以前から聞きたかった事を聞いた。

「君に聞きたい事があるんだが……」

「はい?」

「……君は……、さっき、いづれ結婚すると言ったな。誰か好きな人でもいるのか?」

「えっ!」

マヤは真っ赤になった。胸元から首筋から耳まで真っ赤である。酒も手伝ったのかもしれない。
マヤは思わず速水から顔をそむけた。
好きな人本人から、誰か好きな人がいるのかと聞かれる。
マヤはパニックになった。

「いえ、いません、いません、そんな人。さっきのは『いつか』という話です」

「桜小路とはどうなんだ?」

「桜小路君ですか、いい相手役です」

「桜小路から申込まれているのだろう、水城君が言っていたぞ」

「ええ、待って貰ってるんです。桜小路君は優しい人です」

「それで、君の気持ちは?」

「いい人だと思うんですけど……」

「ふむ……、いい人か……、難しいな。
 ……ところで君は好きな人はいないと言うが、『紫のバラの人』に恋をしているんじゃないのか?
 桜小路や黒沼さんから聞いたんだが」

マヤはさらに、慌てふためく。恥ずかしさで死にそうである。思わず、椅子から落ちそうになった。
慌てて速水が腕を掴む。
マヤは体勢を立て直すと羞恥で赤くなった顔を手のひらで覆いながら言った。

「……そんな! ひどい! 先生ったら……、
 でも、どうして桜小路君が? 桜小路君は知らない筈!」

「君の様子を見てわかったんだろう、で、好きなのか?」

マヤは、逃げ出したかった。
マヤにしてみれば、好きになった本人から、俺が好きなのだろうと言われているのと一緒だった。
だが、マヤは酔ってはいたが、「紫のバラの人」の正体をマヤが知っているとは速水が思っていない事はわかった。
マヤは、落ち着いて落ち着いてと自分に繰り返した。
手が震えているのがわかる。

「……、そんな事、どうして速水さんに言わないといけないんです!」

速水はマヤの抗議を無視し自身の疑問を口にした。

「一度も会った事のない相手にどうやったら恋が出来るのか不思議に思ってな」

マヤは速水の疑問を聞いて納得した。
ほーっとため息をつく。

「……、一度も会ってなくても、魂には触れていますから……」

「魂?」

「ええ、魂。
 メッセージカードに、それから、贈り物や、高校に入学させてくれた事、月影先生を病院に入れてくれた事、北白川さんに会わせてくれた事。
 あたしの為にしてくれた総ての事。
 そこにあの方の魂が垣間見えるんです」

マヤは視線を落とした。
「紫のバラの人」が魂の片割れであればいいと思った。速水が魂の片割れであれば……。
だが、速水には紫織がいる。
マヤは涙があふれそうになった。息を吐き出してこらえる。速水の声が聞こえる。

「『紫のバラの人』が男かどうかもわからないんだろう? 女の人だったらどうするんだ?」

「メッセージカードからわかるんです。男の人だって……」

「野獣のような男だったら? 老人だったら?」

「姿形なんて関係ないんです。
 だって、あたしが好きになったのは、魂なんですから」

「そうか、そんなものかな?」

「速水さんは紫織さんのどんな所が好きなんですか?」

マヤは胸にずきりと痛みを感じながら、それでも、速水の気持ちを聞きたかった。
聞かれた速水は、マティーニを啜りながら、しばらく考えていた。
そして、おもむろに応えた。

「さあ、そうだな……、よくわからんな」

「え? だって、速水さん、ものすごーく紫織さんの事、愛しているじゃないですか」

「俺が?」

「ええ」

「何故、そう思うんだ」

「だって、この間、あたしに怒ったもの。あんなに怒った速水さん、初めてだった。
 だから、わかったんです。速水さん、紫織さんの事、すごく愛してるんだって!」

速水はマヤに言いたかった。
それは誤解だと。
あれは、マヤに対して怒ったのは、はずみだったのだと。只の成り行きだったのだと。

「そうだな、紫織さんは俺には申し分ない人だ。美しく聡明で、優しい。
 こんな俺を好きだと言ってくれるしな……。
 彼女の父親は中央テレビの社長だ。
 大都にとっても、すばらしい花嫁だ」

「それが、紫織さんを好きになった理由なんですか?」

マヤは不思議だった。
マヤが婚約披露パーティに行った時、速水と紫織は自分達は二つに別れた一つの魂だと言ったのだ。
それなのに、今、速水の口からは紫織を愛している様子が微塵も感じられない。

(きっと、照れてるんだ、速水さん)

マヤはそう思い、速水をからかった。

「またまた、そんな冷たい事言って!
 ……今日、紫織さんが船に乗れなくて、速水さん、がっかりしているんでしょう」

言いながら、マヤは自分が傷ついているのがわかった。
酔いが全身に回り始めていた。アルコールのフィルターがマヤの傷を和らげる。

「俺は紫織さんを嫌いじゃない。それだけだ。
 今日は彼女に行き先を言われずに、ここに連れて来られたんだ。
 俺の意志で来たわけじゃない。
 船を降りたかったが間に合わなかった。
 そしたら、君がいた。
 俺は君と一緒になれて良かったと思ってるんだがな。
 君は面白いからな、一緒にいて退屈せんよ」

速水は優しい眼差しで隣に座るマヤを見つめた。
そんな速水にマヤは、ぷんぷんと抗議をする。

「もう、また、子供扱いする!
 あたしは、もう、子供じゃありません!
 ……でも、あたしも速水さんと一緒で良かったです……。
 あたし一人だったら、こんな楽しい夜を過せなかったと思います。
 きっと、警備室かどっかに閉じ込められてお説教されてた」

マヤと速水は目を合わせて、くすくすと笑った。

「……速水さん、上演権ほしいんですよね!
 もし、あたしが、主演女優に選ばれたらどうします?」

「さあ、どうしよう。その時は正式に君に申込むさ」

マヤは酔った頭で考えた。埒もない事を考えた。

(もし、あたしが上演権のかわりにあたしと結婚して下さいって言ったら、速水さんはどんな顔をするだろう。
 やっぱりあたしが速水さんを憎んでいると思うんだろうな。
 だって、最愛の紫織さんを取り上げるんだもん。
 これ以上ない復讐だって思うんだろうな)

マヤは落ち込みそうになったので話題を変えた。

「……何故、月影先生はあんなに大都を毛嫌いするんですか?」

「君は……、知らないのか?
 尾崎一連を自殺においやったのは、俺の義父、速水英介だ。
 月影先生が義父を許す筈がないんだ。
 魂の片割れを殺されたんだからな……」

「そんな!」

マヤは絶句した。そして、のろのろと言った。

「……あたし、知りませんでした」

二人の間に沈黙が訪れた。
速水に取っては義父英介、マヤに取っては親代わりの月影。
二人の親世代の確執が自分達の間に横たわる。
マヤは、ホットワインのグラスを両手で握りしめた。
なんだか、やりきれなかった。



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