二人 連載第3回
バーテンがマヤのグラスが空になっているのを見ると、別のカクテルを勧めてくれた。
マヤの前におかれた琥珀色のお酒は、ワインをベースにしたカクテルで、名前を「ローマン・ホリデー」と言った。
マヤは一口飲んで、おいしいと言うとさらに啜った。
一杯目のマティーニを飲み干した速水は、二杯目を注文する。
速水は、話は元に戻した。
「君が『紫のバラの人』に恋をしているのはわかったが、相手が決して会おうとしないのにどうするつもりなんだ。
いつか結婚するといいながら、好きな相手は君と会おうとしない。
そのうち君は『紫のバラの人』を諦めて、誰か別の男と結婚するのだろう。
それが、現実という物だ」
そう言いながら、速水は思った。
(まるで、どこかの誰かみたいだ。君をあきらめて、紫織さんと結婚するどこかの馬鹿なファンと一緒だな)
速水は心の中で自嘲していた。
マヤは、そんな速水の一般論に耳を貸さない。
「1%、1%の可能性がある限り、あたし、あきらめません。
月影先生もそう言ってくれたんです。
もし、魂の片割れに出会ったと思ったらあきらめてはいけないって」
マヤは酔っていた。発言が大胆になっているのだが、本人は気づいていない。
「紫のバラの人」、目の前の速水に向って魂の片割れと言っているのだが、本人も言われた速水も気づいていない。
「魂の片割れか……、
君は聞いているか、魂の片割れがどんな相手か?」
マヤは、ぼーっとグラスを見ながら月影の言った事を思い出そうとした。
「……魂の片割れ同士は離れていても、同じ事を感じているそうです」
「同じ事を?」
「ええ、月影先生はそう言ってました。
離れていても、同じ事を感じていると。
どんなに立場が違っていてもどんなに遠く離れいても心と心が通いあい共に一つの人生を生きるのだと。
ただ……」
「ただ、なんだ」
「先生はこうも言っていたんです。
出会うのが早すぎると、出会っていてもわからないんだそうです。時が来るまで。
先生も、一連先生に初めてあったのは子供の時でその時はわからなかったそうです。
大人になるまで待たなければならなかったって、言ってました。
それに、本当に大切なのは魂と魂が結ばれる事なんだそうです。表面上の恋が実らなくても」
「それは、辛い恋だな。魂の片割れに出会っても、結ばれる事がないなんて……」
「あたし、もし、奇跡が起きて、魂の片割れと思える相手に出会えたら、今までの自分がどれほど孤独だったか気付くと思うんです」
速水は桜小路が言っていた事を思い出した。マヤが速水と同じ事を言っていると……。
速水は、マヤの言葉の続きを言った。
「そして、もし、結ばれる事がなかったら……、きっと人は……。
……人は生ける屍となるだろう」
「速水さん!」
マヤは速水の腕を掴んでいた。
「速水さん! 速水さんもそう思います?
あたしもそう思います」
マヤのひたむきな瞳。
速水の魂に真っすぐ向ってくる瞳。
速水は直感した。
梅の里の幻がよみがえる。
あれは、きっと本当にあった事。
速水は思った。
(そうとも、マヤこそ、俺の魂の片割れ!
何故、気がつかなかった。
出会った時から、何故か心魅かれ、いつもこの子の事を考えていた。
あの梅の谷での出来事。
マヤもきっと……)
「チビちゃん、梅の谷で俺は不思議な体験をした。
君もじゃないか?」
マヤは、はっとした。掴んでいた速水の腕を離す。
そして「あっ!」と言うとあわてて口を抑えた。
「ああ、そうだ、あの魂が抜け出したような体験!君と……」
マヤはすぐ隣、肩が触れ合うほどすぐ近くにいる速水真澄の目を見つめた。紫のバラの人!
だが、言えない!
目をしばたたかせ、ゆっくりと目をそらす。
「……あたし……、知りません。もう……、もう、休みます」
「何故だ、何故、言わない。同じ体験をしたと」
速水はマヤの腕を掴みたかった。腕を掴んで揺すぶりたかった。
マヤは、速水に眼差しを合わせ静かに答えた。
「紫織さん……、速水さんには紫織さんが……」
ぴたりと固まった速水はマヤから目をそらした。たった今、触れ合えたと思った魂に、もう触れられない。
「……そうだな、すまない、俺は……、酔ったようだ」
二人は、互いの気持ちに終止符を打つように客室に戻った。
速水はロイヤルスィートに、マヤは速水が取ってくれた一般客室に、それぞれ戻った。
速水はロイヤルスィートに戻ると、用意されたダブルベッドを見て思った。
(紫織さん、何故、こんな事を?
小切手といい、襲撃事件の話といい。
何かおかしい。
紫織さんはマヤが逃げるようにいなくなったと……、
一晩中、自分が側にいたと言った。
だが、マヤの話では、紫織さんは貧血で倒れていたと言う。
……戻ったら、警備員に確認してみよう)
速水は、ダブルベッドで眠る気になれなかった。
シャワーを浴び、すっきりするとソファに枕を置いて横になった。毛布にくるまる。
(魂の片割れはいつも同じ事を感じていると言う。
マヤは俺の魂の片割れではないのだろうか?
それとも、俺にはわかっても、マヤにとっては早すぎる出会いなのだろうか?
だから、マヤの恋の相手が俺の作り出した幻影になってしまったのだろうか?
もし、片割れだったら、マヤも一人でいるのを寂しいと感じているのだろうか?
共に、夜を過したいと……)
速水は起き上がると船内電話の前に立った。
船内電話はフロントに電話する為の物だが、客室同士をつなぐ事も出来る。
(もし、マヤが同じように寂しいと感じていたら……。
俺と同じように電話をしようとするだろうか?
馬鹿な! 第一、彼女にはこの電話が客室同士を繋いでいるとは思ってはいまい。
機械は苦手な筈だ)
マヤの客室番号を押そうとした途端、電話が鳴っていた。
速水にはマヤだとわかった。受話器を取る。
「もしもし、速水さん?」
愛しいマヤの声。
一本の電話線が魂をつなぐ。
速水は胸の熱い思いを声には出さず、気軽に答える。
「ああ、そうだ。どうした? 眠れないのか?」
「……いいえ、その、速水さん、海から上る朝日、見た事がありますか?」
「いいや、無いが……」
「明日、朝日を一緒に見ませんか?」
「君が俺を誘うのか? 珍しい事を言うな……、まだ、酔っているのか?」
「……、はい、そうです、まだ、酔ってるんです。
客室の船内案内を見たら、朝日がきれいだって書いてあって……、
一人で見るより、二人の方が楽しいかもって思って……」
速水はくすくすと笑った。
「いいとも、俺で良ければ一緒に見よう」
「……」
マヤの沈黙に速水は、喜びを抑えられない。
(今、わかった。マヤこそ、俺の魂の片割れ。同じように寂しいと思っているんだ。共に夜を過したいと)
速水は確信した。
「チビちゃん、少し話すか?」
「はい!」
マヤの嬉しそうな声が響く。
二人はそれから、とりとめのない話をした。
30分程話した二人は、満足して電話を切った。
速水は思った。
(マヤは気がついてないだけなんだ。
俺がマヤの魂の片割れだとは!
俺の作った幻に恋をしているのだから。
俺が恋の相手だとは思ってもいないのだろう)
そして、速水は落ち込んだ。
(相手が俺だと分かったら、マヤはどうするだろう。
いや、彼女は俺の魂の片割れなのだから、きっと、マヤもわかってくれるだろう)
速水はマヤの言った言葉を思い出した。
(『紫織さん……、速水さんには紫織さんが……』
そうか、マヤは俺の魂の片割れは紫織さんだと思っているんだ。
……婚約を解消しよう。必ず!)
そして、翌日。
二人は上っていく朝日を見た。
二人は朝食を共にした。
二人は船のデッキを散歩した。
二人は残りの時間をただ、ただ、楽しんだ。
やがて、船は港に着いた。
港には、速水の社用車が迎えに来ており、速水はマヤをアパートまで送った。
マヤは別れ際、速水に礼を言った。
「速水さん、いろいろありがとうございました。
ドレスまで買っていただいて、本当にありがとうございました。
ドレス、大切にします」
「なに、君のおかげで退屈しなかったからな、礼を言うのは俺の方だ。
試演、楽しみにしてるからな」
速水はそう言って、帰って行った。
マヤは速水の車が行ってしまうのを見ていた。
昨夜の事を思い返し、まるで、夢のような一夜だったと思った。
速水はマヤと別れた後、気持ちを引き締めた。
これから、しなければならない事を思った。
紫織さんと婚約を解消する。
速水は闘志を奮い立たせた。
続く
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