二人 連載第4回
速水真澄は自宅に戻ると義父英介に昨夜の顛末を報告した。
「夕べは紫織さんに騙されて船に乗せられましたよ。とんだお嬢様でした」
義父英介も執事の朝倉も真澄の言動にたじろいだ。
朝倉が恐る恐る尋ねる。
「それで、その……」
「なんだ……。ああ、大丈夫だ。紫織お嬢様は船に乗り遅れたからな。間に合っていても、俺は手をださん!」
真澄は冷笑を浮かべて答えた。
そして、義父英介に事の顛末を報告した。
「なんでも、高速で渋滞にまきこまれて間に合わなかったそうです。おかげでお嬢様の罠にかからずに済みました」
「真澄! なんだ、その物言いは? 好きな女から誘われたんだ。良かったじゃないか」
真澄は皮肉な笑みを浮かべた。
「そうですね。彼女がこんな事をするまでは僕は紫織さんを嫌いではありませんでしたよ」
「どういう意味だ」
「女の方からベッドに誘うような尻軽な女を僕は妻にしたくありません。
百年の恋も一遍に冷めるといいますが、その通りでした。
婚約を解消します。
朝倉、人を立てて鷹宮家に正式に婚約の解消を申し入れてくれ」
英介は絶句した。が、声を振り絞る。
「尻軽がなんだ。鷹宮のたった一人の孫娘だ! あの鷹宮翁が溺愛している娘だぞ!」
「だから何だと言うんです。
僕はいやですね。最初の印象がとても慎ましい人のようでしたから、よけい失望したんですよ。
婚約を解消します。式が迫っていますから、早い方がいいでしょう。
すぐに手配して下さい」
「紫織さんには話したのか?」
「いいえ、まだです。僕から話さない方がいいと思いまして」
英介は何か考えているふうだった。
「紫織さんはお前にぞっこんだぞ。向うが承知すまい」
「とにかく、使者をたてて下さい。
自分から男をベッドに誘うような女とは結婚出来ないと」
「真澄、一度、紫織さんと話し合え! それからだ」
「……わかりました、しかし、僕の気持ちは変わりません」
「それでも、話し合え。
いいか、あの令嬢がこんな手を打って来た。
何か事情があるんだ。そこを見極めた方がいい。
下手に婚約を解消してみろ、こっちの弱みを握られかねん。
常に大都側が有利なように動くんだ。
……お前の気持ちはわかったから。
結婚を無理強いしたりはせん……。
ま、紫織お嬢様以上の結婚相手は見つからんと思うが、万が一という事もあるからな」
真澄は英介の言う事も最もだと思ったので、取り敢えず、紫織が何故あんなはしたない真似をしたのか、事情を聞く事にした。
そこに紫織から、連絡が入った。
今夜、レストラン「グラナダ」で6時に待っていると。
英介が言う。
「ちょうどいい、よく話し合ってこい。真澄、まず、相手の意向を聞き出せ。いいな」
「わかりました」
真澄は、支度をする為に部屋に戻った。
時間があったので、仕事上のメールをチェックする。
花屋からもメールが入っていた。
件名:先様からお預かりのアルバムの件
内容:
先日、先様にお伺いしました所、以前からお預かりのアルバム、紫のバラと共に写真が引き裂かれた状態で送り返されたと同じ劇団員の方々から聞きました。一緒に送られたメッセージには「これが最後のバラです。女優としてのあなたに失望しました。もう二度とあなたの舞台を観る事はないでしょう」と書かれていたそうです。ところが、ご本人と面談致しました所、気にしていないご様子で、大変明るい感じでした。尚、先様から伝言です。「信じていますから」と伝えてほしいとの事でした。アルバムの件、何かお心あたりはございますか?
速水は聖のメールに驚愕した。
まさかと思った。
速水は、あわてて別荘番に電話を掛けた。
「もしもし、速水だが……、何かそちらで変わった事はないか?」
「変わった事と申されますと?」と別荘番。
「そうだな、誰か来なかったか?」
「あっ! あの、えー、そのう」
「なんだ、誰か来たのか? 君の責任は問わないから話してくれ」
「あのう、パーティの件でしょうか?
紫織様が、びっくりパーティをしたいので別荘を見せてほしいと言われて来られました」
「紫織さんが!? パーティ?」
「はい、広さを確認したい、お一人になりたいとおっしゃられたので、そのまま、別荘に……。
びっくりさせたいので、真澄様には黙っていてくれと紫織様から頼まれまして……。
その後、紫織様から連絡がないのですが、パーティは中止になったのでしょうか?」
「いや、俺は聞いてない。そうだな、連絡がないなら中止になったのかもしれんな。
他には誰か来なかったか?」
「いえ、紫織様以外はどなたも」
「そうか……、そうだな、これからは別荘に来た人間は、別荘に通す前に総て報告してくれ。誰が来てもだ。頼んだぞ」
「はい、承知致しました」
速水は、何かがおかしいと思った。
(マヤの所に、あのアルバムが送り返されたという事は、俺の別荘から誰かが持ち出した事になる。
別荘番の話では、別荘に来たのは紫織さんだけだという。
つまり、紫織さんが俺の別荘から勝手に俺のアルバムを持ち出し、写真を引き裂いてマヤに送り返したのか……!
信じられん!)
速水は、紫織とワンナイトクルーズに行く事になったとわかった時より、もっと驚いていた。
(紫織さんが? あの聡明で美しく優しい人がそんな事をするなんて!)
速水は、紫織がそんな事をするとは思ってもいなかった。
速水は船で会ったマヤを思った。
(『紫のバラの人』からアルバムが引き裂かれて送り返されたなんて、あの子は一言も言ってなかったぞ。
聖の言うように、小切手の事で怒っていたが、明るかった。
長年、あんなに大切に思っていたファン、しかも恋をした相手。
その相手から大事なアルバムを引き裂かれて突き返されたんだ、もっと、落ち込んでいい筈なのに……。)
速水は、もう一度、聖からのメールを読んだ。
(「……『信じてますから』と伝えてほしい」
……マヤからの伝言か……
紫のバラの人が大事な写真を破いたりしないと、信じているというわけか)
速水は逡巡した。
(紫織さんか……。
この頃、紫織さんとマヤが絡む事が多くて、一体、どういう事なのかと思っていたが……
恐らく、紫織さんは気がついたのだろう。
俺が、マヤの『紫のバラの人』であり、マヤを愛していると。
恐らく、ウェディングドレスも、指輪も彼女が仕組んだんだろう。
俺とマヤの仲を遠ざけようとして。
北斗プロの襲撃の時、俺がマヤをかばっているのを見て焦ったんだろうな。
それで俺を船に誘い、体で引き留めようとして失敗したわけだ)
速水は深々とため息をついた。
(あの美しく聡明で優しい人にそこまでさせたのは俺なのだろう。
俺の責任だ)
速水は時計を見た。
そして、支度を始めた。
続く
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