ヴァリエーション    連載第2回 




 大都芸能社長室付きの水城秘書は、困惑していた。
社長の速水から仕事のスケジュールを詰めるように言われその通りにしたのだが……。
ほとんど、休む暇のないスケジュールだった。
今も、社長室にこもる速水の元には、続々と決済書類の山が押し寄せている。
水城は思わず、速水に言っていた。

「真澄様、これではあんまりです。
 食事をする暇も寝る暇もないではありませんか?」

「大丈夫だ、君には寝る暇も食事をする暇もある」

「真澄様! 一体どうされたのです? こんなにスケジュールを詰め込んで」

「君が作ってくれたスケジュールだが」

「それは、社長の指示に従っただけで……」

速水は、パソコンの画面から眼を離して水城を見た。
秘書の水城が眼鏡の奥から心配そうに速水を見ている。
速水は、ふっとため息をついた。煙草に手を伸ばす。流れるような動作で火をつけた。
深々と一服する。

「……忙しいと言う字は心を亡くすと書くんだ……」

「真澄様、差し出がましいとは思いますが、紫織様と何かあったのですか?」

「別に。……予定通り結婚する。それだけだ」

「……あの子はどうされるんです? 紫のバラは?」

「あの子の足長おじさんの役はやめた。紫織さんから止められたよ」

「それでは……」

速水は水城の言葉を遮った。

「水城君、この話はここまでだ。僕のプライベートな事にこれ以上口を出さないでくれ」

「真澄様! ……わかりました。では最後に一つだけ。
 キッズスタジオから流れてきた噂によると、マヤちゃんの元に紫のバラの人からアルバムが送り返されてきたそうです。写真がびりびりに引き裂かれて……。
 マヤちゃんにアルバムを送り返したのは紫織様だったのですか?」

「ああ、そうだ。その通りだ。だから、これ以上の説明はいるまい」

水城は秘書のポジションに戻った。
確かに、真澄のプライベートな問題であり、秘書の水城が口を挟む問題ではなかった。


一方、鷹宮紫織は速水真澄を大都芸能に訪ねていた。
あれ以来、真澄から連絡は来ない。
以前から予定していたデートも仕事が忙しいからと断られた。
デートが中止になった時は必ず贈られていた花束も来ない。
紫織は焦った。

(何故、愛されないの。私は鷹宮の娘。人はそれだけで、私にひれふすわ)

紫織は大都芸能の社長室に向っていた。
上質のスーツに身を包み薄く透けるスカーフを首の周りに巻いている。
ハイヒールを高らかに鳴らして大都芸能秘書室の前を通ろうとすると、秘書の水城から止められた。

「紫織様、社長はただいま、会議中です」

水城の言葉に紫織は振り返った。

「お式の前に話し合わなければならない事が山程あるの。水城さん、すぐに真澄様を呼んでいただける」

「承知致しました。お呼びしますので、こちらへどうぞ」

水城は側にいた後輩の秘書に社長を呼んで来るように指示をすると紫織を応接室に通した。
応接室に入るなり紫織は水城に向ってまくしたてていた。

「水城さん、真澄様は本当にお仕事で忙しいの? 電話をする暇も無いの?
 あんまりだわ、ちっとも連絡を下さらないなんて!」

紫織がヒステリックに騒ぎ立てていると応接室のドアがあき、そこに真澄が現れた。
長身、均整のとれた体躯、大都芸能のモデル達よりも立ち姿が美しい真澄。
その真澄が、やはり、他の女性とは一線を画す美しさを備えた紫織に向って一言発した。

「ああ、君か」

真澄の冷たい瞳。氷の瞳は婚約者を写していない。
真澄の様子に紫織は絶望しながらも、駆け寄り気丈に言った。

「真澄様! お仕事中、ごめんなさい。どうしても相談したい事があって……」

「紫織さん、あなたとの時間は取ってあります。水城君」

水城がスケジュール表を確かめる。

「次回の紫織様との会見は今週金曜日7時からレストラン『グラナダ』となっております」

「紫織さん、そういう事です。それでは、金曜日に」

真澄は踵を返し応接室から出て行こうとした。紫織が食い下がる。

「嫌よ。今夜、今夜会って下さらないと嫌!」

「無理です!」

速水は紫織が言い終わるのを待たずに言っていた。

「我慢して下さい。僕のプライベートな予定より優先しなければならない仕事があるんです」

「そんな!」

「あなたが我が儘を言っても出来ないものは出来ません。それとも、鷹宮の令嬢ならどんな我が儘でも通るとでも。
 さあ、聞き分けて下さい。鷹宮の令嬢がこんな所で騒ぎを起してはみっともないですよ」

「真澄様! ひどい!」

鷹宮紫織は速水の前から駆け出していた。

(私は、鷹宮の娘。みんな、みんな、私の名前を聞くだけでひれふすのに。
 何故、真澄様は私の思い通りにならないの。
 ……そうよ、あの女が悪いのだわ。北島マヤ。あの子を無茶苦茶にしてやりたい!)

紫織は自家用車のバックシートにその身を沈めながら、北島マヤへの憎悪に燃えていた。
運転手に車をキッズスタジオに向わせようとした。
しかし、お付きの滝川が、黒沼と北島に小切手を渡した事を紫織に思い出させた。
紫織は滝川の意見を取り入れ、思い直すと自宅に戻った。



 金曜日、レストラン「グラナダ」で鷹宮紫織と速水真澄は食事を共にしていた。
だが、二人の間に会話はない。
いや、鷹宮紫織の一方的な話があるだけだ。
新居の事、招待客の事、引き出物の事、そして、ウェディングドレスの話になった。

「ほら、先日、マヤさんに汚されたドレス。新しく作り直しましたのよ」

そこまで、話して、紫織ははっとした。真澄が恐ろしい目をして鷹宮紫織をにらみつけていた。

「忘れたんですか、あれは、あなたが自分からジュースに倒れかかったんでしょう。
 あなたがそう言っていましたよ」

「そ、そうでしたわね」

紫織は口を閉じた。そして、他の話題を探す。

「あの、新居なんですけど、鷹宮の家の東の棟を改築しますの。一緒にデザイナーの方に会っていただけません?」

「君の好きにしなさい」

速水はメインディッシュの皿に視線を落としたままだ。

「まあ、何故ですの。二人で住む所ですのに」

紫織は引きつった笑いを浮かべた。

「家庭に入るのは君だ。僕は寝る所があればいいから」

速水は紫織を見ようともせずに答えた。

「わ、わかりましたわ。デザイナーと相談して決めておきます」

紫織はそう言うしかなかった。

「そういえば、北島からこれを預かっていました。あなたに返そうと思って忘れていた」

速水は封筒を取り出した。紫織の前におく。
紫織は怪訝そうな顔をしながら、封筒を取り上げた。
中には、二つに破かれた小切手が入っている。

「こ、これは?」

「滝川に言わせたのでしょう。僕やあなたにつきまとうなと。
 その小切手、破いたのは僕です。
 仕事上、北島と付き合わないわけにはいかないのですよ。
 それで、破りました。
 僕はあなたと結婚するでしょう。紫のバラを北島に贈る事も、もう無いでしょう。
 だが仕事上、北島と付き合わないわけにはいかない。
 僕の仕事まであなたに指図されるつもりはない」

「真澄様!」

「また、狂言自殺をしますか? 今度は助けませんよ」

紫織は真っ青な顔をして真澄を見た。

やがて、食事が終わり、二人はレストランを後にした。
速水の社用車に速水は紫織と共に乗り込んだ。
紫織が速水の腕にすがろうとそっと身を寄せて来る。
速水は、身じろぎをして紫織を避けた。不快な様子を隠そうともしない。
速水は既に鷹宮紫織に対する儀礼的な態度をかなぐり捨てていた。

鷹宮紫織は思った。
−−こんな、こんな事になってしまうなんて!
 真澄様、どうしてわかって下さいませんの。
 私はどうしたら宜しいんですの。どうしたら、あなたの心を振り向かせる事ができますの?

速水真澄は思った。
−−俺はこの人に親切にする事さえ出来ない。
俺の自由を奪った女! この女に感じるのは嫌悪感だけだ。
だが、俺はこの女と共に生きて行かなければならないんだ。
なんていう人生だ!
やめよう、考えるのを。どうにもならないんだ! 考えても!
……せいぜい、鷹宮の名前を利用してやる!

バックシートに並んで座る二人。美男美女の二人。傍目からは人もうらやむ程の二人である。
しかし、今二人が住むのは氷の世界。絶望が二人を支配している。
女は男の心が手に入らない絶望感を、男は状況を打開出来ない絶望感を感じていた。



続く     web拍手 by FC2       感想・メッセージを管理人に送る


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