ヴァリエーション    連載第3回 




 鷹宮紫織は速水真澄からウェディングプランナーを紹介された。式の打ち合わせはその人とするようにと。
その手配すら秘書の水城がしており、真澄は会おうともしなかった。
これからは、式の打ち合わせにかこつけて、真澄に会いに行く事も出来ない。悔しさに紫織は唇を噛んだ。

真澄の愛を得られない絶望感は紫織の心と体を蝕み始めていた。
とうとう、寝込んでしまったが、真澄からは十分休養を取って下さいという伝言が伝えられただけだった。
病の床で紫織は思った。真澄はいつ北島マヤから小切手を受け取ったのだろうと。
お付きの滝川に小切手を持たせて行かせた日、黒沼が紫織の外出先を電話で訊ねて来たと家の者から聞いていた。
家の者はアストリア号に紫織がいると黒沼に伝えたと紫織に話した。
その時は気に留めなかったが、真澄から小切手を返されて、思い出した。
紫織は、もしかしたら、小切手を持って北島マヤがアストリア号に来たのではないかと思った。
紫織は滝川にアストリア号のホテルマネージャー、正木に確認させ、マヤがアストリア号に乗っていた事を知った。
紫織は、嫉妬で燃え上がった。

−−アストリア号で何がありましたの、真澄様!
 あなたと北島マヤの間に……。
 あなたに婚約解消を決心させる何がありましたの?

紫織はそれが知りたかった。
嫉妬で燃え上がった心が紫織に活力を与えた。体調が良くなると、紫織はマヤのアパートへ向った。


鷹宮紫織は北島マヤのアパートの前でマヤが帰るのを待っていた。
やがてバイクの音と共に北島マヤが、桜小路優に送られてアパートに帰って来た。
紫織はマヤが一人になるのを待ってマヤに声をかけた。

「マヤさん、お話があるの」

マヤは、びっくりして振り返った。
鷹宮紫織がこんな所にいるとは思わなかった。

「紫織さん……、お話って?」

マヤは逃げ腰になった。

「アストリア号でのことよ!」

マヤは逃げ出したかったが足が竦んで動けない。
紫織が畳み掛けるようにいいつのる。

「あなた、真澄様とアストリア号に一緒に乗っていたんですって!」

鷹宮紫織が、ゆっくりとマヤに近づいてきた。街灯の灯りの外に立っていた紫織が灯りの輪の中に立った。
暗く影になっていた紫織の顔が街灯の灯りの下に明らかになる。
マヤは紫織の顔を見てぞっとした。かつての輝くような美貌はない。げっそりと痩せている。
それでいて目だけは光がまして凄まじい。

−−紫織さん、その顔! そんなに痩せて!

そう思いながらもマヤは、紫織の質問に答えていた。

「はい……」

「速水と何があったの? あなた、人の婚約者に手をだしたんじゃないでしょうね」

「はあ? あたしが速水さんに!
 そんな事しません!
 ……速水さんはあたしの母さんの敵です!」

マヤはすでに速水を母の敵と思っていなかったが、紫織の手前そう言った。

「そう、それじゃあ、あなた、もしかして阿古夜を演じたのではなくて? 役を取るために?」

「違います! 確かに阿古夜を演じたけど、速水さんから頼まれたからです……。
 演じてくれって! 役を取るためなんかじゃありません。
 それに、速水さんはあたしが役を取れるように動いてくれる人じゃありません。
 速水さんはあたしが潰れればいいって思ってるんです。
 そしたら、亜弓さんが主演女優になって大都芸能で『紅天女』を上演出来るから……。
 速水さんが、あたしの役の為に何かしてくれるわけないんです」

紫織は逡巡した。

−−この子は知らないのだわ。真澄様が紫のバラの人だとは……。
 そればかりか、恩人の真澄様を母親を死に追いやった敵だと思って憎んでいるのだわ。
 なんて皮肉なのかしら。
 それなのに、真澄様はこの子を愛しているのだわ。

「そう、それで……、他には、他には何があったの? 言いなさい」

「別に何も」

「何もないと言う事はないでしょう、何があったの?」

「一緒に食事をしてショーを見ました。
 でも、それも速水さんから、退屈だから付き合ってくれって言われたからです。
 あっ、小切手! 小切手を速水さんに返しました。
 あんな小切手、あたし、貰ういわれはありません! 黒沼先生もです。
 あたし、あなたに返しに行ったんです。黒沼先生に、返して来いって言われて……。
 そしたら、あなたはいないし、速水さんはいるし……。
 船だってあなたがいたら、すぐに降りれたんです。でも、いないし……。
 速水さんが、あなたに会いに来たのかっていうから、小切手の話をしたんです。
 そしたら速水さんが小切手を二つに破いてあなたに返しておくから何も心配するなって言われました」

マヤは一気にまくしたてていた。何もやましい所はないのだからと思った。

「その小切手、真澄様から受け取りましたわ。
 ……そうね、速水を憎んでいるあなたと速水の間に、何かあると思うのが間違っているわね。
 小切手の事、悪かったわ、ごめんなさいね。
 私の父は中央テレビの社長をしているのよ。
 ほほほ、マヤさん、困った事があったらいつでも私の所にいらっしゃい。
 ……
 そうそう、速水は私とアストリア号に乗れなかったのを、残念だったって。
 私のかわりにあなたのような子供を相手にしなければならなくて、つまらなかったそうよ」

そう言い捨てると紫織はマヤに背を向けて立ち去った。
マヤは紫織が去って行くとすぐにアパートに駆け込んだ。
マヤは速水が紫織に、つまらなかったなんて言うわけないと思った。
思ったが、アストリア号での事はやはり夢で、紫織の言っている方が正しいのだろうかと迷った。
だが、最後にマヤは、速水を信じようと思った。
紫織が何を言おうと速水を信じ抜こうと思った。

(速水さん、そんな事、言わない。
 少なくとも、アストリア号での速水さんは、あたしの相手をするのがつまらないって言ってなかった)

それでも紫織の当て擦りはマヤを落ち込ませた。


3日ほどして、また紫織は現れた。

「こんばんわ、マヤさん、今日もお稽古の帰り?」

マヤは、どきっとして振り返った。

「紫織さん!」

「遅くまで大変ね」

「……いいえ……別にいつもの事なので……」

「そう……、速水が言っていたわ、姫川亜弓の仕上がりがすごく良いって。
 『紅天女』の主演女優は姫川亜弓だろうって」

マヤは紫織の当て擦りにひるまなかった。
亜弓と比較されるのはいつもの事だ。
 
「……亜弓さんが素晴らしい事はあたしにもわかっています。
 でも、あたし……、あたしにはあたしの阿古夜があるって思ってますから……」

「まあ、強がりを言って……、そう言えば、あなた、あなたには『紫のバラの人』というファンがいるのですって?」

「!」

マヤは驚いて紫織を見た。
何故、紫織が紫のバラの人の事を知っているのだろうと思った。

「……黒沼先生から聞いたの。あなたの元に紫のバラの花束が配達された時、私ちょうど見ていたの。
 そしたら、黒沼先生が教えてくれたわ。劇団つきかげの方達に詳しく教えてもらったわ。
 でも、あなた、この頃、その紫のバラの人から見放されたのですって?
 やはり、素行が悪いのが知れたのかしらね」

「どういう意味ですか!」

マヤの顔が怒りに真っ赤になった。
紫織はマヤのその顔を見ると、勝ち誇ったように笑った。
紫織のやつれた顔に生気が戻る。

「あたし、あなたの指輪を盗ったりしてません!」

「そう、そうね、そういう事にしておきましょうね」

そう言って紫織は、高らかに笑った。
マヤは辛かった。
何故、信じてもらえないのだろう、それに、一体何故、鷹宮紫織はそんな事を言いにわざわざ来るのだろうとマヤは思った。
そんなマヤの目の前で、紫織は持っていた紙袋の中から、数本の紫のバラの花束を取り出した。
マヤは思わず、その花束を見た。

「……」

「マヤさん、あなたに紫のバラの花束を差し上げようと思って持って来たのよ」

紫織はマヤに花束を差し出した。

「欲しかったのでしょう、あげるわ」

マヤは震えた。震えながら答えた。

「結構です。要りません。あたしは、あたしは紫のバラの人から、贈ってほしいんです。
 他の人からなんていりません!」

「ほほほ、また、強がりを言っているのね、さあ、受け取りなさい」

紫織に言われてマヤは手をのばした。
すると紫織は、わざと花束を足下に落とした。
そして、ゆっくりと高価なハイヒールのつま先で、紫のバラを踏みにじった。一つ、一つ。
マヤは泣きそうになった。
速水から贈られた紫のバラではなかったが、それでも、紫のバラが踏むつけられるのは心が痛んだ。
鷹宮紫織は泣きそうに顔をゆがめるマヤの顔を嬉しそうに眺めると踵を返して立ち去った。

「また伺うわ」

と言い残して……。



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