ヴァリエーション    連載第4回 




 翌日も鷹宮紫織はやって来た。ベージュのシャネルスーツに身を包みげっそりとやつれた紫織。
紫織はマヤをアパートの近く、小さな街灯の下に呼び出した。
が、その日の紫織は昨日までとは違った。
何を話すでもない。ただ、速水と自分はとても愛し合っているのだとさんざん自慢話をするのだ。

「真澄様はね、私にとても優しいのよ。
 仕事より私とのデートを大切にして下さるの。
 いつも、素敵な所に連れて行って下さって……。
 食事をしたり、ダンスを踊ったりするのよ」

マヤは訳が分からなかった。
あの速水が仕事を放り出して、紫織とデートをするとはとても思えなかった。
それに、何故、そんな話を自分にするのか、マヤは皆目わからなかった。
マヤは紫織の自慢話に慣れて来ると紫織の様子が気になった。
マヤは紫織のやつれようがひどく心配になってきた。
あの美しかった人が何故こんなふうになったのだろうと不信に思った。
それに、自慢話をするわりには、紫織は幸せそうに見えなかった。
マヤは迷った。速水に知らせた方がいいのではないかと思った。
紫織が帰った後、迷った挙げ句、速水に電話をする事にした。
携帯を取り出し、大都芸能社長室の直通番号にかける。
速水はまだまだ仕事をしている時間だ。接待や出張でなければ繋がる筈だ。
マヤは思った。

ーー あたし、紫織さんを口実に速水さんと話したいんじゃないかしら。
 ごめんなさい、紫織さん。
 少しだけ、速水さんと話をさせて……

マヤは速水と話が出来ると思うと胸が高鳴った。
耳にあてた携帯に意識が集中する。
どきどきと自分の心臓の音ばかり聞こえた。
数回の呼び出し音の後、かちりと音がして速水が出た。

「もしもし、速水だが」

速水の男らしい声が流れて来た。その声にマヤの胸は熱くなる。

「……あの、速水さん、北島です」

「なんだ、ちびちゃんか? どうした?」

「あの……、紫織さんがよく来るんです、あの、アパートに……、あたしが帰るの待ってて……」

「なんだと! 紫織さんが!? それで、君に何か言ったのか?」

「いいえ、別になにも……」

「何も言わないと言うことはあるまい。いいから、何の話をしたか、言って見ろ」

「あの、あの、速水さんがどんなに自分に優しくしてくれるかとか、そんな話です。
 でも、あたしが気になったのは、その……、紫織さん、すごくやつれているんです。それで、心配になって」

速水は黙った。
速水は、この頃、紫織に会っていない。会ってもまともに顔をみていない。
紫織がやつれようがどうしようが、どうでも良かった。

「……、それで、君は紫織さんが心配になって電話をしてきたのか?」

「……はい」

速水はマヤの善良さを思った。恐らく、紫織にはめられたとも、意地悪をされたとも思っていないのだろう。
マヤの無垢な魂に速水は心が洗われるようだった。

「ちびちゃん、知らせてくれてありがとう。
 気付かなかった。
 男はこういう時、駄目だな。
 今度会ったら、体調を聞いてみよう」

「あの、それじゃあ、あたしはこれで……」

マヤは携帯を切ろうとした。婚約者のいる人と必要以上に長く話すわけにいかない。それに、速水はまだ仕事中だろうと思った。

「待て、ちびちゃん、君に聞きたい事がある。
 水城君に聞いたんだが、君の足長おじさん、『紫のバラの人』から絶縁状が来たんだって?
 アルバムの写真がびりびりに破かれていたって聞いたぞ」

「……」

「君が『紫のバラの人』を、ただ一人のファンと言って大切にしている事を俺はよく知っている。
 それにしては、この間、船で会った時、君が落ち込んでいなかったのが、気になってな」

「それは、その……、『紫のバラの人』はそんな事をする人じゃないからです」

「何故、確信出来る?」

「……あの、あたし、うまく説明出来ないけど、『紫のバラの人』は、あの、えーっと、その……、
 あたしの魂の片割れじゃないかなって思うんです!」

マヤは照れくさい言葉を一気に吐き出した。

「魂の片割れだから、わかるんです。そんな事しないって……。
 黒沼先生も別人のようだって言ってくれて……」

「そうか、俺も黒沼さんと同じ意見だ。名前を隠して何年も君を支えて来た相手なんだ。簡単に見放したりしないさ」

「あの、あの、その人は今でもあたしのファンでしょうか?」

「ああ、きっと、今でも君のファンだよ。君が芸能界を追放された時もずっと待っていてくれたんだろ。
 そういう人は簡単に考えを変えたりしないよ」

「……速水さんに、そう言って貰えて、あたし、嬉しいです」

「ああ、そうだ、もう一つ、助言しておこう。ファンは一人じゃない」

「え?」

「君のファンは『紫のバラの人』一人じゃない。それを忘れるな。君の芝居には魅力がある。
『忘れられた荒野』、『真夏の夜の夢』、『二人の王女』。君の芝居を見て、君のファンになった人は大勢いるんだ。
 今度の試演にも亜弓君のファンだけじゃない。君のファンだって大勢来るんだ。
 俺は今までいろんな役者を見て来た。君には他の役者にない魅力がある。がんばるんだな」

「へ、へえー、速水さんがあたしの事、褒めるなんて、へん!」

「俺だってたまには褒めるさ、紫織さんの事を知らせてくれた御礼だ。ちなみに、下心もないぞ」

「だったら、よけいにヘン!」

「くっくっくっく、はーっはっはっは。ちびちゃん、ありがとう、久しぶりに笑ったよ」

そう言って、速水は電話を切った。
もっとマヤと話したかったが、紫織と約束した以上、必要以上にマヤと話すわけにはいかないと思った。
ただ、社長室の電話に残った履歴からマヤの携帯の番号を自身の携帯に写し取った。
速水のささやかな抵抗だった。

速水は、マヤには紫織に体調を聞いてみると言ったが、二人がどんな話をするのか気になった。
翌日、速水は仕事を切り上げるとマヤのアパートに行ってみた。




続く     web拍手 by FC2       感想・メッセージを管理人に送る


Back  Index  Next


inserted by FC2 system