ヴァリエーション    連載第6回 




「ちびちゃん、走るとこけるぞ!」

「もう、こけました」

「そうだな、怪我をしなかったか?」

「してない……と……思います」

「だったら、俺の上からどいてくれ」

速水に向って走って来たマヤは、速水の前で、すっ転げた!
速水が慌てて抱きとめようとしたのだが……。
その日、河原で子供達が遊んでいた。一人の子供が忘れていったバケツにつまずいた速水は体勢をくずし……。

今、速水は河原の土手に大の字になって寝っころがっている。
その上に何故かマヤが乗っかっていた。



鷹宮紫織が帰った後、速水から電話を受けたマヤは、速水の姿に我を忘れた。
マヤは走った。必死に走った!

ーー速水さん、紫のバラの人、お願い! 行かないで! 少しでいい、会いたい!

マヤは、毎日、紫織から速水の話をさんざん聞かされて恋しい気持ちが募っていた。
それが、マヤに我を忘れさせた。

一方、速水はマヤが走ってくるのを、唖然と見ていた。
まさかマヤが、アパートから出て来るとは思っていなかった。
そして、そのまま、走ってきて……。



マヤは速水の体の上から慌てて起きようとした。
何がどうなったかわからない。
髪が速水のワイシャツのボタンに引っかかった。
あっと思ってマヤは下を見た。
速水の顔が真近にある。
マヤは固まった。

ーー 速水さん……

マヤは涙があふれそうになった。真近にある速水の瞳。……唇。
一瞬、速水に口付けしそうになったマヤの唇を速水の二本の指が受け止めた。

「チビちゃん、ラブシーンはまだ早い……」

マヤは真っ赤になった。なんとか起きようともがいたら速水に抱きしめられた。

「マヤ、じっとしてろ」

速水はマヤの髪をボタンから器用に外すと、マヤを離した。マヤは速水の胸の上から転がり落ちる。
速水は肘をついて起き上がった。
気まずい沈黙が流れた。
が、二人は顔を見合わせて笑い出していた。
速水は立ち上がると草を払った。
マヤに向って手を差し出す。マヤは速水の手に捕まると立ち上がった。

「君のキスを受け損なったな。残念だ」

「あ……、あれは、事故です!」

マヤは真っ赤になった。

「くっくっくっく、さあ、アパートに帰りたまえ、今夜は遅い」

「ええ、ええ、さっさと帰りますとも、あたしは、ただ、……」

マヤは言い淀んだ。先程の衝撃に、まだ胸が熱い。速水に自分の気持ちを見透かされたような気がして落ち着かない。

「なんだ?」

「あの、紫織さんもやつれてましたけど、速水さんも疲れた顔してるから気になって……」

「ここの所、仕事が立て込んでいるからな」

速水の答えはそっけない。もともと、口数の多い男ではない。マヤは話の接ぎ穂を探す。

「……紫織さん、あんなにやつれて何かあったんですか?」

速水はマヤを見下ろした。
速水もまた、先程の衝撃に理性の箍(たが)が緩んでいた。何もかもを打ち明けたい衝動にかられていた。

「……、婚約を解消しようとした」

「嘘!」

「本当だ。 紫織さんは狂言自殺をして俺を引き留めた。
 狂言だったのか、或は、本当に死にたい衝動にかられたのかわからんが、死のうとした事は確かだ」

「!……」

「アストリア号でわかったんだ。彼女を愛せない。……努力したんだがな。彼女を愛そうと。
 彼女がああなったのは、俺が原因だ」

「でも、でも、紫織さんと結婚したら、速水さんは鷹通グループの総帥になれるのでしょう。野心家の速水さんに取って素晴らしい相手ではないんですか?」

「ふふふ、ああ、俺もそう思っていた。それが、この様だ。俺だって、信じられんよ。
 愛していない女性と結婚するのがどういう意味なのか、紫織さんから教えられたよ。
 紫織さんともう一度よく話し合ってみるよ……。
 ちびちゃん、もし……」

速水はマヤを見つめた。マヤの澄んだ瞳が速水を見つめ返す。

「速水さん……?」

「……いや、いい。……そうだな、紫織さんの体調の善し悪しがわかったら、君に知らせよう。
 君も気になるだろうからな……」

速水はマヤをアパートまで送った。短い距離だった。永遠に歩いていたかった。二人で……。
速水は思った。

(もう一度、婚約を解消出来るか、やってみよう。なんとか、紫織さんを説得して……)

速水はアパートにマヤを送り届けると、名残惜しそうに帰って行った。
マヤは思った。帰って行く速水の背中を見ながら。

(信じられない、あんなにお似合いの二人なのに……。どうして?
 ……速水さん、さっき、何をいいかけたのですか?)

マヤは速水が行ってしまうと、アパートの自分の部屋に戻った。

その夜更け、布団の中に潜り込んでいたマヤは天啓が閃いたようにわかった。

(あたし、あたし、もしかして、速水さんに愛されてる?
 紫のバラの人!
 さっきの『もし』の続き!
 『もし、婚約を解消したら……』
 速水さん!
 あたしの勝手な妄想?
 ああ、言えば良かった。あなたを愛しているって……)

ここまで考えて、マヤはため息をついた。

(……ううん、言えない。だって、婚約者がいる人なんだもの。速水さんが婚約を解消したいって言ったからってあたしを好きだと言ったわけじゃない)

マヤは布団の中で二転三転すると、浅い眠りについた。



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