青い日々 連載第3回
マヤは帰り支度をして、速水邸の玄関に向った。
なんとなく悲しかった。自分が、ショーケースの人形になったように感じた。
――誰からも愛されていない。
マヤは涙があふれた。下を向いたまま、歩いた。廊下の角を曲がった所で、速水真澄にぶつかった。
「おっと、チビちゃん!」
真澄はマヤを避けようとしたが、遅かった。マヤ本人は真澄に抱きとめられたが、鞄の中身を盛大にぶちまけた。
数冊の教科書とノート。そして、赤点を取ったテスト用紙が真澄の前にちらばった。
マヤは顔を真っ赤にすると、テスト用紙を拾い集めようとしたが、真澄の方が早かった。
「なんだ、この点数は!」
「返して! あたしのなんだから」
真澄は必死になってぶちまけた教科書やノートをかき集めるマヤを唖然と見ていた。マヤは真澄からテスト用紙を奪い返し、拾った物を次々に鞄に突っ込んで行く。
「夕飯、ありがとうございました!」
マヤは、それだけ言うと、泣きながら玄関に走った。
「チビちゃん!」
――くやしい! くやしい! あんな男にテストの点を見られた! くやしい!
マヤは泣きながら靴を履いて外に飛び出した。走って門まで辿り着くと、門を開けようとした。が、門が開かない。ドアをがちゃがちゃと揺さぶる。鍵を探すがどこかわからない。その内、後ろから近づいて来る足音に気が付いた。振り返ると、速水真澄がこちらにやって来る。マヤは観念すると、泣きながらその場に立ち尽くした。真澄はマヤにコートを差し出した。さっき、マヤが荷物をまき散らした時、忘れて行った物だ。
「……、君のコートだ。さ、着なさい」
マヤは俯いたまま、コートを受け取ると、黙って制服の上から羽織った、ボタンをかけ、マフラーを首に巻く。ハンカチを出して涙を拭いた。それでも、後から後から涙があふれてくる。
「さ、送って行こう」
「いえ、結構です! ヒック ううう 車に乗ったら、う、う、う、車代と言って、何、要求されるかわかりませんから!」
マヤは泣きながら叫んでいた。
「……」
「さあ、ここを開けて下さい! あたし、帰るんだから!」
「悪かった。……車代を要求したりしないから……。それに……、女の子を泣かしたと、うちの紀代さんが怒るんだ」
マヤは涙を拭いて真澄を見上げた。真澄が困った顔をしている。マヤは真澄の困った顔を見るとなんだか、少し嬉しくなった。1本、取ったような気になった。少なくとも、もう、悲しくはなかった。
「速水さん、あの、もう、大丈夫です。それに、速水さん風邪引いてるのに、薄着だし……」
「ふっ、俺の心配をしてくれるのか? だったら、お言葉に甘えよう。タクシーを呼ぶから、それまで、玄関で待ってなさい。それならいいだろう?」
マヤは上目遣いにちらりと真澄を見上げた。それから、こくこくとうなづいた。真澄はマヤの様子に、ゆっくりと玄関へ戻り始めた。マヤは真澄の後を俯いたまま付いて行った。
「勉強は嫌いか?」
真澄が話しかける。マヤはもう一度、横を向いた。
「……苦手なんです」
マヤは真澄がため息をつくのがわかった。
「……それも考えておこう。ところで、さっきのテストは中間テストか?」
「……そうです。あの、……来週月曜日に、追試があります。明日の収録が終わってからと、明後日の日曜は試験勉強するつもりなんです。だから、その、もう少しましな点が取れると思います」
「そうか……、君の分の収録は、追試の後にしてもらおう。そうすれば、もっと時間が取れるだろう」
「いえ、いいです。あたし、大丈夫ですから!」
「何故だ?」
マヤはもう、やけっぱちになっていた。すでに、あの速水真澄に赤点を取ったテストの答案を見られている。これ以上、恥ずかしい事は起こらないだろうとマヤは思った。
「だって、スタジオの人達に追試受けるのバレちゃうし……」
真澄はマヤの答えに笑いだしていた。そして、ある計画が浮かんだ。
「はっはっはっは! ……よし、俺が勉強をみてやろう」
「ええ! イヤです。絶対に! そんな事したら、よけい、点数が悪くなります!」
真澄は立ち止まってマヤを振り返った。マヤは思わず一歩下がった。
「いいか、学校のテストってのはな、いい点を取ろうと思ったらテクが必要なんだ。いいから、俺にまかせとけ」
「う!」
「明日はいつも通り、スタジオに行って来い。追試を受けるのがバレるのが嫌だというなら、しっかり演技をして来い。それから、うちに来て試験勉強をしろ! 土日と勉強を見るからな、土曜はここに泊りだ」
「げ、泊り! あの、あの、速水さん、仕事は?」
「仕事? 接待か? 風邪で調子が悪いと言っておけばいいだろう。日曜は予定が無かったし……」
「で、でも、ご家族の方とか……」
「親父は湯治に行って留守だ。気にしなくていい」
マヤは観念した。この男が言い出したら、必ずやるだろうし、それなら、逆らわない方が身の為だ。マヤは口の中でもごもごと言った。
「それは、どうも……、あたしの為にお時間を作っていただいて、恐縮です……」
言いながらはっとした。
「あ! ま、まさか、また、かわりに何かしろとか言いませんよね!」
真澄はマヤのリアクションに、さっきのお灸が効き過ぎたと反省。反省しながら笑いが込み上げて来るのを止められなかった。
「ああ、言わない、言わないよ、くくくく、はーはっはっはっは!」
真澄は笑い転げた。笑いの発作はしばらく納まりそうになかった。
翌日、マヤは、普段通り学校に行った。土曜日なので、授業は午前中で終わりである。迎えに来た水城とスタジオに行く。真澄に言われるまでも無くマヤはきっちり沙都子の演技をして、周りを感心させた。そして、夜。速水邸でマヤは、夕食が終わると真澄から数学の勉強をさせられた。
続く
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