青い日々    連載第6回 



 「速水さん、どうしてここに?」

車のドアを開け、中を覗き込んだマヤは、速水の姿を見て、びっくりした声を上げていた。

「おや、君の追試の結果を知りたいと俺が思ったらおかしいか?」

「え? え? そうなんですか?」

マヤは車にもぞもぞと乗り込むと、珍しく真澄に、にへらと笑って見せた。鞄の中から返して貰った答案を出す。速水は三角の多い59点という答案を見て、数学の教師の苦労を思った。

「えへへへ、先生から褒められたんです。よくやったって! 満点じゃないけど、数学が苦手なあたしが今までで一番いい点を取ったんですよ。これも速水さんのおかげです。ありがとうございました」

マヤはぺこりと頭を下げた。

「そうか、それは良かった。俺も苦労した甲斐があったというもんだ」

真澄はよくやったと言わんばかりにマヤの頭をわしわしと撫でた。マヤの顔がポンと赤くなる。

「真澄様、年頃の女の子の頭を簡単に撫でてはいけませんわ。マヤちゃん、困ってるじゃないですか?」

前の座席に座っていた水城が後ろを振り返って真澄を嗜める。

「この子が年頃? くーっくくくく」

真澄が抑えきれないように笑い出した。

「失礼でしょう、速水さん!」

マヤが憤慨した。一応、女の子なんだからとマヤは思った。それに、困ってなんかいないとマヤは思った。むしろ、真澄に頭をわしわしされるのは嬉しかった。

「いや、すまない、くくくく」

言いながら、真澄は笑い転げていた。

水城は速水の様子に、不穏な思いを抱いた。速水真澄が笑い転げるなど、見た事も聞いた事もなかったからである。

真澄はスタジオに着くとマヤにある女性を紹介した。眼鏡を掛けた中年の女性は田中といい、家庭教師だった。来週からマヤが受けられない授業の講義を収録の合間にするようになった。マヤの学力が落ちないよう、真澄が手配していた。

「あの、じゃあもう速水さんは、あたしの勉強を見てくれないんですか?」

「甘ったれるな、俺には仕事がある。じゃあ、水城君、後は頼んだぞ」

「待って下さい。お願いです、速水さん、あたし! レポート書きますから、速水さん見て下さい。お願いです!」

マヤは必死だった。何故かはわからない。どうせ、散々嫌味を言われるだけなのだ。それでも、真澄に勉強をみてほしかった。

――速水さんがあたしの勉強を見てくれたのは、あたしが商品だからだろう。それでも良い。誰からも省みられないよりは……。

「……、仕方がないな。水城君、スケジュールはどうなってる?」

真澄はマヤに、水曜日に時間を作るからその日にレポートを社長室に持って来るように言った。マヤは満面の笑みを浮かべるとスタジオの控え室に走って行った。

「真澄様、あまり、一人の女優に目をかけるのは……」

「女優? 女優というより、子役だろう。何、今週だけだ」

水城は真澄がマヤを女の子として認識していないのを、かえって変に思った。

――無理矢理、女の子として見ないようにしている?


それから1週間、マヤは、仕事が終わりマンションに戻ると、真澄が教科書に付けてくれた付箋に従って、レポートをまとめた。また、英語と化学は真澄が覚えろと言った所を繰り返し覚えた。取り敢えず、追試を乗り切らなければとマヤは思った。

水曜日。なんとか、レポートを書いたマヤは、夜、水城と一緒に大都芸能の社長室にレポートを持って行った。
マヤは社長室の扉をノックした。返事がないので、そっと扉を開け、中を覗いた。真澄がデスクの前で電話を掛けていた。上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり上げ、受話器を耳と肩で挟んだ姿は、それだけでカッコいい。
真澄はマヤを見ると、目でソファを示した。マヤはぺこりと頭をさげ、「こんばんは」と挨拶しながらソファに腰掛けた。
真澄は電話を掛け終わると、大股でマヤの前まで歩いて来た。マヤの向かいの椅子に腰を降ろす。

「出来たか?」

「はい」

「見せてみろ」

マヤは早速、鞄からレポートを取り出した。

「ふむ、字がまともなのが救いだな。取り敢えず読める」

マヤは、やっぱり嫌味を言ったと心の中でつぶやいた。水城がコーヒーを持って入ってきた。マヤの隣にすわる。
真澄はぱらぱらとマヤのレポートを読んで行った。世界史と生物を読み終わると、まあ、いいだろうと言った。

「俺が指示した通り、よくまとめたな」

マヤはもっと嫌味を言われると思っていたのが、肩すかしをくったように思った。

「速水さん、あの、それだけですか?」

「なんだ、もっと嫌味を言ってほしいのか?」

「いえ、そういうわけじゃあ……」

「さ、以上だ。ああ、それと水城君、冷蔵庫にこれくらいの箱があるから持って来てくれ」

水城はなんだろうと思ったが、給湯室に取りに行った。

「うちの紀代さんに、今日君に会うと言ったら、土産を持たされた」

「は? お土産?」

「ああ、そうだ」

水城が箱を持ってきた。

「紀代さんの焼いたケーキだ。君に渡してくれと頼まれた。それと、これが俺の自宅の電話番号だ。食べたら、感想を紀代さんに直接伝えてくれ。仲介するのは面倒だからな。以上だ」

「はい、ありがとうございました」

「マヤちゃん、先に駐車場に行って待っててくれる」

水城はマヤが行ってしまうのを見届けると、真澄に向き直った。

「真澄様、少し宜しいですか?」

「うん、なんだ?」

真澄は煙草に火をつけた。

「マヤちゃんは子供ではありません」

「いや、あれは子供だ」

「もうすぐ、16になります」

「何が言いたい」

「気楽にあの子に触るのはお止めになって下さい。あなたは男性で、彼女は女性です」

「ふっ、あの子に取って俺はただのおじさんだ。11も年上なんだぞ。彼女のボーイフレンドの対象には入ってないさ」

「あの子に入ってなくても、あなたの対象には入っているでしょ」

「俺が! くっくくくく。生憎だったな、水城君。俺はロリータの趣味はない」

「でもあの子を愛していらっしゃる」

「何を言いだすかと思ったら、そんな事か! 俺が愛しているのは彼女の才能だ。彼女個人ではない。彼女は天才だ。人を酔わせる才能を持っている。惹き付けられずにおられない。そう思わないか、水城君」

「ええ、確かに……」

「だったら、下らない忠告はしないでくれ。ま、君が言うなら、彼女の頭を撫でるのはやめよう。やめた所でどうという事はないさ」

「……ええ、お願いします」

「ああ、それと、彼女がうちに迷い込んできたのは、日舞の教室にタクシーが来なかったせいだ。君の怠慢だぞ。気をつけろ」

「も、申し訳ございません」

水城は頭を下げて、社長室を出た。



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